現実は、容赦なく残酷である

2017.02.19 Sunday 17:27
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    人は、言葉を放つ生き物だ。

     

    声だけで、身動きだけで、無防備にすべてを示せたりしない。

     

    それぞれに『自分の価値観』とやらで、言いたいことを言う。

     

     

    日々、そこかしこで、声高に誰もが好き放題を言い放つ。

     

    言葉は、心の公害のごとく、受動喫煙させられるようだ。

     

    吸う自由はあっても、吸わない自由は許されない世界だ。

     

     

    例えば、簡単に『努力は必ず報われる』なんて断定出来たりもする。

     

    それが、その言葉が、すべての人の『救い』になるなんてないのだ。

     

    むしろ、それが心を掻き毟り、深い傷跡をつけることだって出来る。

     

     

    人は、言葉を持つ故、それを『愛』にも、『凶器』にも操れるのだ。

     

    努力がすべて報われるのなら、みんな幸せになっているんじゃない。

     

    それを『ポジティブ』とでも言うのかい。

     

     

    随分と都合がいいんだよね。

     

    何を以って、『前向き』だの『後ろ向き』だの、判断するんだい。

     

    その基準は、誰が決めるの。

     

     

    この世では、生きている間に経験することなどたかが知れている。

     

    自分一人を生きただけ、生きているだけで、『何かを言う』のだ。

     

    そりゃ、都合がいいものだ。知らないことは、知らないまま、だ。

     

     

    自分が知らないことがあることすら『知らない』のだから、

     

    言いたいことなんて、幾らでも言いたいだけ言えるようだ。

     

    乱暴に言い放たれた言葉の洪水の中で人々が溺れようと知らん顔。

     

     

    現実は、容赦なく、残酷なものだ。

     

    受け入れたくない、なんてぬるいことなど言うまい。

     

    だから、もう黙った方が賢明かもしれない。

     

     

    自分がバカに思えてくるだけだからね。

     

    黙りましょ。隠れましょ。いっそ逃げちゃいましょ。

     

    人に指さされようとも、構いやしない。

     

     

    もう、疲れて果ててしまって、お終いにも出来ないまま、この始末。

     

    自分で自分を強制終了出来るボタンはないものか。

     

    生身の生き物である人間には、それが出来ないなんて皮肉なものだ。

     

     

    ここまで堕ちたのなら、潔く自ら幕引きすればいいだけの話なのだ。

     

     

    残酷な現実を受け入れ、実態のない過去などいっそ捨ててしまおう。

     

     

     

     

     

     

     

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    転げ落ちるように、朽ち果てる

    2017.02.18 Saturday 19:55
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      生きるということは、なんて残酷なことなんだろうか。

       

      ただ、この世に生まれてきただけなのに、そこに『平等』などない。

       

       

      ほくそ笑む者は、どこまでも胡坐をかいて、

       

      嘆き苦しむ者は、どこまでも項垂れるのみ。

       

       

      なのか、な。

       

       

      なんて斜めにみてしまうよ、この人間社会。

       

       

       

      もう、ダメだ。

       

       

       

      どんなに前を向いてみても、そこには『絶望』しかない。

       

       

       

      所詮、他の人のことはわからない。

       

      それなりに何となく、日々過ごせているのかもしれない。

       

       

      でも、自分は、そうじゃない。

       

      それなりに、も。

       

      何となく、も。

       

      日々も、

       

      過ごせもしてはいない。

       

       

       

      だからどうした?

       

       

       

      どうもしないさ。

       

       

       

      どうもしないから、もうさらばなのさ。

       

       

       

      もはや、転げ落ちるように、朽ち果てるだけの人生なんて、

       

       

       

      なかったことにしてくれなたなら、少しは救われるのかい。

       

       

       

       

       

       

       

       

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      時代への寄り添い方は選択次第

      2017.02.17 Friday 07:47
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        ボクが今の時代に生きていることは事実であり、時代を否定しても意味がない。

         

        だが、時代の潮流やあり方に寄り添う生き方をするかどうかは、個人の選択だ。

         

        無理に『他』に合わせる必要はない。何かと、『疎外』が好きな人間の社会だ。

         

         

        未だに『スマホはいらない』などと言うと、『変人』扱いされ兼ねないだろう。

         

        そういうことは想定しつつ、ボクは、時代に取り残されようと迎合などしない。

         

        そこに『無理』があるなら、生きていて『心地いい』とは言い難いことになる。

         

         

        混乱を極め、あらゆるデジタル化が進む物事とは、一定の距離を置いていたい。

         

        いわゆる『SNS』の類いは極力利用しない。いずれ、ネット離脱も想定内だ。

         

        年齢や生活形態の変化に伴い、通信契約を解除して、雑音なる通信を遮断する。

         

         

        それで生きていけない社会なら、ボクの居場所じゃない。くらいの覚悟をする。

         

        そう、一番恐れていることは、『井の中の蛙』になってそれに気付かないこと。

         

        自分の足許、立ち位置、それを意識しながら、視野を狭めない柔軟性の大切さ。

         

         

        身近なものでは、音楽は日々の潤いにおいて貴重なものだ。選択は個人の自由。

         

        放っておけば混沌とした巨大社会に埋もれてしまう『宝』を探し続けたいのだ。

         

        ボクが少しでも歩みを止めた時にそれは終わる。自分の足で歩み、探すことだ。

         

         

        荒廃した道の途中で出逢った『エリック・ビブ』という人。魅力的な表現者だ。

         

        この人も黒人であるが、流行のヒップポップとは程遠い処でギターの弾き語り。

         

        時代の潮流を嘲笑うなんて愚かなことはしない。ただ、己の道を進むだけ、だ。

         

         

        そんな彼も、ほぼ無名に近く、当然ラジオやメディアで取り上げられはしない。

         

        それまでしてきたように地道に草の根分けて探していたら『そこにいた』のだ。

         

        ボクの頬は弛み、心は躍る。『君はどこに隠れていたのだ』と喜びは隠せない。

         

         

        まだまだボクの知らない道の向こうに、彼のような素敵な人がいるに違いない。

         

         

        皮肉にも、フランス製作の彼の安価な3枚組ベスト盤はネットで見つけたのだ。

         

         

        簡単に、すべて否定することをしない、時代への寄り添い方の選択次第である。

         

         

         

         

         

         

         

        流れる血とはスゴいもので、どんな表現形態であろうと『ソウル』があるのだ。

         

         

         

         

         

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        Carolina Chocolate Drops

        2017.02.15 Wednesday 10:50
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          音楽に『ジャンル』があるのは、なぜだろうか。なぜ類で分けるのだ。

           

          全く興味ない、かの『グラミー賞』でも、ジャンル分けがされている。

           

          何が違うのか。分類しないと、いけないのか。ボクにはよく判らない。

           

           

          これはロックで、これはポップス。これはブルースで、これはジャズ。

           

          ロックのようなジャズもあるし、ゴスペルのようなカントリーもある。

           

          それらをどこかで線引きして分けるのは、人間様の商売の匂いがする。

           

           

          ボクは最近、そのジャンル分けで言えば、『カントリー』を良く聴く。

           

          別にカントリーとしてじゃなくて、『それら』が心に響くだけなのだ。

           

          一般的に、『カントリー』は『ダサイ』とされているのも、解せない。

           

           

          そんな中でも、気付けば、黒人による『その系統の音楽』が多いのである。

           

          数年前にラジオで一聴して聞き惚れた『リアノン・ギデンズ』という女性。

           

          彼女は黒人だとか、若いとか、その類いの概念は無用なまでに素晴らしい。

           

           

          魅力的な歌い手であり、複数の楽器の使い手としても有能だが、無名に近い。

           

          ソロ・アルバムから、Carolina Cholate drops、というグループに辿り着く。

           

          メンバーはすべて黒人で、多数の楽器を奏で歌い紡ぐ音には、奥行きがある。

           

           

          彼らの音楽は、カントリーでありながら、ブルースやゴスペルの要素も多い。

           

          もはや彼らに限らず、表現をカテゴリーで括る意味が無粋に感じるてしまう。

           

          有能なプロデューサーが、その筋には多く、競演するミュージシャンも多い。

           

           

          昨今、ラジオから流れて来る『ジャンク』な音は、胸焼けして受け付けない。

           

          薄っぺらく、中身もスカスカで、何より生演奏の楽器による音がほぼセロだ。

           

          人による、体温のある、魂に直に届く『エヴァーグリーン』とは程遠いのだ。

           

           

          ガムのように、すぐに味がなくなる『使い捨て』は、何物に置いても不要だ。

           

          よく言う『断捨離』の真意は何か。長い間、慣れ親しむ味わいの希薄のよう。

           

          心から大切にしたい物は、捨てるに至らない。音楽も同様に、飽きはしない。

           

           

          生活の中で、このような奥行きのある音楽に触れることは『糧』になるのだ。

           

          アメリカの闇は根深いようだが、表現で、ルーツを大切にする人材も豊富だ。

           

          彼らの表現する音は、『温故知新』と『探求』のいい具合な『融合』になる。

           

           

           

           

           

           

           

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          凡ミスが大きなダメージになる

          2017.02.12 Sunday 06:16
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            ちょっとした『凡ミス』が大きなダメージになる。

             

            間違える。忘れる。倒す。壊す。なくす。割る。こぼす。ケガする。

             

            日々、閉塞感に気が張り詰め、急いているようだ。

             

             

            複数抱える病気や不具合は、悪くなる一方で、心身も疲弊していく。

             

            生活のための生活に、潤いはなく、ギスギス音を立てて崩れていく。

             

            母に『すみません』『ごめんなさい』と何度も何度も言われ続ける毎日。

             

             

            誰のためでもなく、ただ心からそうしているだけなのに、

             

            日常の中に潜む『澱』は、心の襞にこびりついてはがれない。

             

            何がしたいとか、じゃなくて、ただ生きることに必死になる。

             

             

            この閉塞感と焦燥感は、自分だけの空間に失速するのを促す。

             

            痛切に感じることは、人との関わりだ。

             

            もう何年も、人との関わりはないに等しい暮らしに埋没する。

             

             

            人は、他人との関わりの中で生きていくのが健康健全である。

             

            人との関係で、何かを感じ、何かを学び、いつしか感謝する。

             

            縁は、すべて必然だとしても、それを受け入れるのは難しい。

             

             

            でも、このままではいけない。

             

            良い訳がないのだ、と思える。

             

            想うだけで何もできていない。

             

             

            そう、そんな具合に今日も一日が始まったのだ。

             

            毎日。来る日も来る日も、同じような暮らしが続くのに、変えようがない。

             

            微妙に違う何かにも鈍感になって、それさえ忘れようとしている。

             

             

            世界中であらゆる悲劇が起きていようと、自分は自分の暮らしを優先する。

             

            それがどうとか、じゃなくて。

             

            何かを感じながら、それを形に出来ない。してもいない。

             

             

            年齢だけを重ね、地球の周回、重力に委ね、しがみつく。

             

            これで、『生きている』と言えるのかい。

             

            これで、明日を迎える自分を許すのかい。

             

             

            自問自答の渦の中、『凡ミス』は増える一方で、

             

            それによるダメージが大きくなるのを見過ごす。

             

            深呼吸をしようにも、空気が薄くてダメなんだ。

             

             

            常に何かに怯えているようで、堪らなく苦しい。

             

             

             

             

             

             

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            閉塞感に苛まれてはいられない

            2017.02.10 Friday 05:50
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              日々、ニュースや報道番組を見るのは苦痛である。いい話などないに等しい。

               

              トランプだ、安倍だ、小池だ、豊洲だ、東京オリンピックだ、お腹いっぱい。

               

              人も社会も混乱へと邁進し、行き詰まり状態の閉塞感に満ちて息苦しいのだ。

               

               

              他にも毎日のように、悪いニュースばかり。この耳が、この脳が麻痺をする。

               

              心には届かない。許容を越えて入らない。人々の暮らしも見えてこないのだ。

               

              無関心ではいられない。でも、目を開いても、心を開いても、何も見えない。

               

               

              個人的には、来る日も来る日も、苦痛しかない。でも、やることばかり、だ。

               

              調子が悪いだの、休みたいだの、増してや、楽しみたいなんて言えやしない。

               

              どんなに息苦しかろうが、生きるためには、我慢と忍耐が必要不可欠なのだ。

               

               

              って、じゃあ、何で生きているんだ。との疑問。そんなの考えてちゃダメだ。

               

              今の時代、これからの時代。何も望みはない。先窄みの圧迫を覚悟している。

               

              明日、来年のことを考えただけで失神しそうなのだ。今日のことだけでいい。

               

               

              とりあえず、今日を、今を乗り切ること。この瞬間の苦痛を越えてみること。

               

              苦しみにも慣れがあると自己暗示をして、この程度ならまあいいんじゃない。

               

              などと、自分で自分を鍛えることに知恵と工夫、想像と創造をもたらすのだ。

               

               

               

               

               

               

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              個性としての、(い)やらしさ

              2017.01.29 Sunday 11:20
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                『今の時代、やらしい(いやらしい)女ってホント少なくなったよね』

                 

                小堺一機のトーク番組にゲスト出演していた梅沢富美男の言ったこと。

                 

                まあ、昭和を経た人間であるボクは、それには大きく頷いたのである。

                 

                 

                小堺曰く『エロいなんて、紙切れみたいに薄っぺらい』にも同調する。

                 

                一体『エロい』って何だい、と思う。『キモい』と同じく貧しい言葉。

                 

                日本語の退化は、発想までをも削ぎ取るように感じるのは気のせいか。

                 

                 

                まあ、それは別として、切実に『やらしい』女が少なくなったと思う。

                 

                その『やらしい』という解釈は、言葉で説明すると無粋になるだろう。

                 

                何と言うか、『エロ』や『エッチ』とは、別の地平に存在するものだ。

                 

                 

                 

                すでにAVは、『モロ』やっている。若くて可愛い女達がやりまくる。

                 

                昭和のロマンポルノは前張りして演技セックス。ぼかしが想像を煽る。

                 

                今は、モザイク越しに何でも見える。それがエロなら、想像も失せる。

                 

                 

                佇まい。仕草。物腰。眼差し。存在に『やらしさ』は凝縮されている。

                 

                存在そのものが、やらしい人。決して『下品』じゃないことが前提だ。

                 

                そんな女性が絶滅に瀕している気がしてならない。男には悲劇である。

                 

                 

                例えば、スムースに会話が弾む過程でお互いに下ネタを誘発し合える。

                 

                そんな女性も素敵だ。拒絶や否定せず、互いに語彙を引き出し合える。

                 

                ただ、『○ンコ』など淫語は使い方を間違えると幼稚さの露呈になる。

                 

                 

                 

                そこで、最近ボクのお気に入りの、女優『森川葵』さんは、やらしい。

                 

                役の為、丸刈りにもしてしまう。主役級になってもまったくブレない。

                 

                とても『やらしい匂い』がプンプンして、その存在感が際立っている。

                 

                 

                深夜のドラマでは、自らパンツを脱ぎ、男に股がりおしっこを・・・。

                 

                なんて演技を、当然だが顔だけで演じる。躊躇が微塵もない自己表現。

                 

                今時の売り出し中の女優さんなら、脚本の時点でNG間違いない次元。

                 

                 

                それをサラリとやってのけてしまう『森川葵』さんは、やらしい人だ。

                 

                これは、ボクの中では、想像と創造の融合を提示されるようで嬉しい。

                 

                その『想像と創造』が、ただキレイなだけの女優さんには、足りない。

                 

                 

                 

                昭和の時代には、惜しみなく脱いで、大女優になった人も少なくない。

                 

                そこに、昨今のAVとはまったく別の次元での『肉体表現』があった。

                 

                桃井かおりも、森下愛子も、関根恵子も、『若い肉体』を個性にした。

                 

                 

                ある視点から『やらしさ』も立派な個性だ。反する『清純さ』も同列。

                 

                永遠の処女『綾瀬はるか』は、麗しい『透明感』が個性際立っている。

                 

                その『透明感』も『やらしさ』も魅力であり、処女かどうかじゃない。

                 

                 

                年齢という概念を打ち砕く『石田ゆり子』『原田知世』も素晴らしい。

                 

                それは『性的』な意味も含めて、『いかに自分を育んだか』の具現化。

                 

                匂い立つ『いい年齢の重ね方』が女性として可愛くもやらしくもある。

                 

                 

                 

                ボクも普通に♂としてAVを観たりするが、やらしさとは全然別物だ。

                 

                ネットでの書き込み用語『ヌケる』基準など、ちゃんちゃらオカしい。

                 

                擦れ違う時『いい匂い』のフェロモンを放つ女性も『やらしい』のだ。

                 

                 

                 

                没個性。と言ってしまえばお終い。自分を育む土壌がない時代なのか。

                 

                SNS等、自由さが不自由と表裏一体に心を圧迫するのか定かでない。

                 

                個性が際立つ『やらしさ』が消えゆくのを傍観するしかない気がする。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                category:女性 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                どっち派、という発想って何だろうか

                2017.01.29 Sunday 11:14
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                  学生時代、『ビートルズ派』だ『ストーンズ派』だとか言う奴らがいた。

                   

                  そういう人を横目に、ボクには、その発想そのものがよく判らなかった。

                   

                  いいものはいい。好きなものは好き。実にシンプルなことじゃないのか。

                   

                   

                  テレビでこれを言う人も『おや』だった。おい恥ずかしくないのかよと。

                   

                  共に『笑っていいとも』のテレフォンのゲスト。したり顔がカッコ悪い。

                   

                  いい年齢の大人がメディアを通して、無差別に断言を放つのは見苦しい。

                   

                   

                  世良公則は、『ビートルズなんて軟弱だ』『ストーンズこそロック』と。

                   

                  更に細分化したのは、秋野暢子。『私は断然ジョン派』とドヤ顔で言う。

                   

                  要して『ポールって音楽家じゃなくて、金儲け主義だし』って発想は何。

                   

                   

                  ボクはビートルズが好きだが、ストーンズだって好きだ。どっちも好き。

                   

                  ポールにはポールの魅力があり、ジョンにはジョンの魅力があると思う。

                   

                  それを『狭い了見』で、ある種の自己肯定の為、他者を否定するのかい。

                   

                   

                  今までに色々な『何々派』を聞く度に、『あっそう』と聞き流してきた。

                   

                  やれ『マック派』だの、『ウィンドウズ派』だの。様々な分野にわたる。

                   

                  それぞれの良さがあるものを、敢えて『どっち』なんて愚かしいことだ。

                   

                   

                  視野の狭さ。許容範囲の狭さ。それは、『想像力の乏しさ』にも感じる。

                   

                  極端に好みが偏る人。問題は『極端』なこと。好き嫌いは個人の自由だ。

                   

                  何事も極端に偏ることは、『軋轢』『衝突』を生むだけで不毛に思える。

                   

                   

                  最近すごく不快に感じていることは、『言いたい放題』の野放し状態だ。

                   

                  世間的に影響力の大きい人が、メディアを中心に個人的意見を放ち過ぎ。

                   

                  かの大統領然り、文化人とやら、芸能人、コメンテーター等種々雑多だ。

                   

                   

                  それに準ずる形で、『どっち派』も主張しなければいけないのだろうか。

                   

                   

                  ボクも嫌いな音楽はある。それは単に個人的問題であり、主張ではない。

                   

                   

                  それを好きな人を否定して満足などしない。『お好きにどうぞ』でいい。

                   

                   

                  ともあれ、了見狭い発想を示して、『人生、面白いのかしらん』と思う。

                   

                   

                  人がどうあれ、こちらが意見する問題じゃない。利害関係は穏便にする。

                   

                   

                  音楽に関しては、一緒にバンドとか組んだりする場合は実に厄介である。

                   

                   

                   

                   

                   

                  category:音楽 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                  立ち止まることも、許されない

                  2017.01.26 Thursday 08:58
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                    生きている内は、立ち止まることも許されない。

                     

                    休みたいとか、苦しいとか、しんどいとか。

                     

                    それを言えるのなら、言えるくらいなら、口にしない方がいい。

                     

                     

                    立ち止まった者は、容赦なく、切り捨てられる。

                     

                     

                     

                    死ぬまでは、生きること。

                     

                    それが、命。

                     

                    人に限らず。

                     

                    命が生まれた瞬間から、死に向かう時間が始まる。

                     

                     

                    いずれ、命は尽きるもの。

                     

                    短いか、長いか。

                     

                    それは、時間という概念。

                     

                    概念は概念であり、命の話ではない。

                     

                     

                    その命が、『どういうものか』は、まったく別になる。

                     

                     

                    それを知りつつ、人の世は、立ち止まっている者には容赦などない。

                     

                    苦しみを抱える者、休みが必要な者、一緒くたにして。

                     

                    誰も見ない。

                     

                    誰も知ろうとはしない。

                     

                     

                    悲しいとか、辛いとか、言える内は、恵まれているのだろう。

                     

                    立ち止まることも許されない者には、そんな暇さえないのだ。

                     

                    それが、人の世。

                     

                    それも、人の世。

                     

                     

                    それは、嘆きではない。

                     

                    嘆きは、何も生まない。

                     

                    嘆こうが、嘆くまいが、

                     

                    それは、個人の問題だ。

                     


                    嘆く前に己の無知を知ること。

                     

                    あらゆる命に感謝をすること。

                     

                    命に優しくあろうとすること。

                     

                     

                    生きるているのなら、それを心に、謙虚でありたいのだ。

                     


                    誰かが言っていた。『生きる目的を失うことは辛い』と。

                     

                    例えば、『どこに向かえばいいのか』と標を見失うこと。

                     

                    例えば、『何の為に生きているのか』と礎を見失うこと。

                     

                     

                    見失ったとしても、『辛い』と言う前に、一旦黙る。

                     

                    声を上げても誰にも届かない場合があると知ること。

                     

                    それらすべて『誰かや何かのせい』にはしないこと。

                     

                     

                    声を上げることを大切にするなら、誤りも覚悟する。

                     

                     

                    自分を生きるのは、自分以外にいないのだから。

                     

                    生きている内は、生き続けることがすべて、だ。

                     

                    だが、生きる上で、続けることがすべてでない。

                     

                     

                    死に向けて答えを探すことが大切であったなら、

                     

                    死ぬまで『正解』など出ないことを受け入れる。

                     

                    その先に答えがあるから生き続けるのではない。

                     

                     

                    生きることが、結果的に持続になるだけであり、

                     

                    何かを求めることを目的にしなければいいだけ。

                     

                    こうして、能書きを垂れることも持続の一部だ。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    category:生活 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                    金持ちの発想に振り回され続ける

                    2017.01.11 Wednesday 13:07
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                      小泉の坊ちゃんが『健康ゴールド免許』なる、不可解な提案をしておられる。

                       

                      何やら、『日々、健康であるように努力している』人を優遇するらしいのだ。

                       

                      おやおや、だ。『常に健康であるように』って発想そのものが不可解なのだ。

                       

                       

                      健康に気をつけていても病気になるし、努力で病気にならないなんて、ない。

                       

                      所詮は、『金があるか』どうか。経済的にゆとりのある人が優遇されること。

                       

                      これは今に始まったことじゃないし、もはや驚きも怒りもない、呆れるだけ。

                       

                       

                      安倍といい、小泉といい、まさしく、坊ちゃんの発想。凡その政治家はそう。

                       

                      これは、僻みとかじゃない。強いて言えば、庶民による、『偏見』だろうか。

                       

                      日々、『お金』に心身を縛られて、身動きが取れない者にはそう思えるのだ。

                       

                       

                       

                      高齢者の定義が変わることもそれ。高齢になる程に、健康に『差』が出来る。

                       

                      若い頃に無理をして体を壊す人もいれば、元々体の弱い人もいるのは当然だ。

                       

                      この『違い』を『差』にしてしまう。福祉における『格差』はなくならない。

                       

                       

                      ご高齢の人からすれば、目紛しく変わるしくみに付いて行けない状態だろう。

                       

                      若者からすれば、将来に『不安』を抱くだろう。先行きが見えないのだから。

                       

                      今現在、まさに『介護』『医療』の問題に取り込まれている身には切実な話。

                       

                       

                      実際に、治療が必要な病気を複数抱えていると、医療費負担はかなり堪える。

                       

                      で、ボクの場合は、治療薬の高額な『喘息』の治療は、一年以上ヤメている。

                       

                      こんな風に治療したくても出来ない人を切り捨てる政治のやり方は何だろう。

                       

                       

                       

                      母が通う『デイサービス』でも、『格差』を感じるそうだ。そりゃ、そうだ。

                       

                      経済的に裕福な身内がいれば、高額な医療や介護施設の利用に問題は少ない。

                       

                      だが、経済的に厳しい人は、適切な医療や介護を受けられないのが現実問題。

                       

                       

                      もはや『高齢社会』に突入している今、早々に『高齢者切り』をしてしまう。

                       

                      それが、安倍政権の狡いやり口にも思わせる、様々な制度見直しには見える。

                       

                      これは、偏見云々ではなく、暮らしの中で切実に感じること。これから先も。

                       

                       

                      いつか観たドキュメンタリー。ニュース番組。様々な闇に葬り去られる事実。

                       

                      体を壊して、働けなくなり、経済的に貧窮し、病院にもかかれない人がいる。

                       

                      まさに負の連鎖。このような人は、人知れず増えていくように危惧している。

                       

                       

                      結局、『世の中、金だよ』って言ってしまいたくなる。言わないけれど、ね。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      category:生活 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                      Calender
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