なぜ心は痛まない、のだろうか

2019.02.01 Friday 07:38
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    簡単に人を殺める。

     

    そんなニュースを毎日のように聞いている気がする。

     

    親が幼い我が子を。

     

    実際に会ったことない、通信だけで知り合った人を。

     

     

    人が人を貶める。

     

    なぜ『心は痛まない』のだろうか?

     

    痛みを感じない、それを『心』と呼べるのだろうか?

     

     

    例えば、『人は人を傷つける』生き物だ。

     

    それは意図的であれ、無意識であれ、起こり得る。

     

    それらを前提に日頃、自らの行いから『何かを学ぶ』こと。

     

    謙虚な意識で『自己懐疑の念』や『自己対峙』をすること。

     

     

    利己的に自分の欲にかまけていると、見失いがちなもの。

     

    それらをどこかに置き去りにして、忘れてしまえるのか。

     

    ボクには判らない。

     

     

    ボクは一度だけ、小学生の時に人の頬を叩いてしまったことがある。

     

    その時、自分の心に痛みを感じた。

     

    叩かれた人の頬や心の方が痛かったであろう、と自責の念にかられた。

     

    その時、素直に謝ることが出来なかったことが自分の中で今も息づいている。

     

    その反省を抱えたまま、忘れられない。

     

     

    だからこそ、今の時代の生き方が見えてこない。

     

    通信ありき、が当たり前になった。

     

    近所付き合いや街の連携が薄れた。

     

    何事も合理的に、利便性を重視すれば、損なわれるものはある。

     

    子供の命を守れなかった『公務員の怠慢』はまた別問題になる。

     

     

    問題を複眼的に俯瞰で社会全体を見る客観性を身につけること。

     

    それを自分はどれだけ出来ているのだろうか、などと思うのだ。

     

     

    富裕層がより裕福に、貧困層がより困窮する社会へと加速する。

     

    高齢者や貧困な人が『損』するような仕組みにする政治家たち。

     

    あらゆる手段を使って人を欺くことに怯える目に見えない世界。

     

    課題をお座なりにしたまま、急いで人はどこへ向かおうとしているのか。

     

     

    簡単に『人を殺める』『人を欺く』ことが出来てしまえる。

     

    あらゆる社会問題に『心のあり方』が提示されている現代。

     

    それぞれが真摯に『言葉』『声』に耳を傾け、模索をする。


    人と人が面と向き合うことの大切さを今一度、見つめ直す。

     

    そんな切実な警鐘にも感じる。

     

    このままでは、心穏やかな日常など『過去の寓話』になってしまう。

     

     

    これは、誰かに向かって何かを訴えることではない。

     

    まさに、自分自身への確認であり、戒めでもある。

     

     

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    健康寿命、って際どい言葉だ

    2018.10.04 Thursday 09:50
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      最近、よく耳にするようになった『健康寿命』って言葉は、個人的にあまり好きではない。

       

      ある意味、繊細で、際どい言葉だと思う。ボクはそう安易に使えない。

       

      その『健康寿命』とは、『健康で日常生活を送れる状態』でいられるか、どうかだ。

       

      乱暴な言い方をすれば、『介護を受ける人』は『健康寿命を終えている』と捉えられる。

       

      厚生労働省などは『健康寿命の延伸と健康格差の縮小』を目標に掲げている。

       

      でも、そんなに簡単な問題ではないような気がするし、表面をザックリ切り取っているようだ。

       

      父は、病に倒れてから、入退院を繰り返し、最後には延命措置までして死んだ。

       

      その間、10年近く、家族は看病やら病院などとの関わりに奔走しなければならなかった。

       

      単純に『経済的余裕』があれば、もっと負担は減っただろうし、寿命自体も変わっただろう。

       

      日本において『安楽死』は認められていない。この議論にも様々な見解がある。

       

      でも、父は病院のベッドの上で『苦しみ続ける』ことを拒み、見ている方も辛かった。

       

      声を振り絞り、『もうこの機械を全部外して楽にしてくれ』とずっと言っていた。

       

      社会に経済格差があるのは当然であり、それをどうこう言っても始まらない。

       

      だが、そこには、繊細で、表面化しない問題がたくさん孕んでいることを経験した。

       

      父の看病の負担で、母も病気になり、半年以上入院していたことにより、

       

      それまでとは『別人』のように筋力が衰え、病気が回復安定してからも寝たきりだった。

       

      要介護4というかなり重い介護度を認定され、それはそのまま家族にのしかかった。

       

      家族と言っても、ほぼボク一人に、だ。

       

      お金は掛かるし、負担も掛かる。経済的に余裕がないなら、『介護』は想像を絶する問題になる。

       

      幸い、本人に生きる意志があり、懸命にリハビリをして、介護度も下がって行った。

       

      母は、元々何十年も病気を抱えて、通院を続けていた。肉体的に丈夫とは言えない。

       

      その人が、経済的負担を出来るだけ背負わないようにすれば、肉体的精神的に負担を追う。

       

      問題は、そう単純な仕組みではない。負の連鎖、などと有り体な言葉で済ませたくはない。

       

      今でも、様々な負担は『負債』のように日々、積もって行く一方だ。

       

      この暮らしに『出口』は見つからない。『楽をしたい』などの発想も生まれない。

       

      それを一人で請け負っていると、『自分はいつ死んでもいい』との覚悟が出来る。

       

      未婚で、子供もいない。なら、自分が『健康寿命』を終えた時が今生のお終いだ。

       

      それを日々、痛切に感じながら、生きている。お終いを迎えるまでは生きている。

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      生命に、愛しさに、感謝をする

      2018.06.06 Wednesday 17:27
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        ボクは子供の頃から『生き物』に興味があった。興味の根源は、多分『生命』だったと思うのだ。

         

        一体、『命』って何だ?との漠然とした疑問から、あらゆる形態の違う生命に興味を持っていた。

         

        まあ、昭和の子供の最初に通る道。それは、『昆虫』である。あの頃は数多の虫が存在していた。

         

         

        夏の季節。網戸には無数の虫がたかっていた。中には、カブトムシもクワガタも自然に混在した。

         

        今時のように『生き物を買う』という発想がなかった。身の回りで、無数の生命と共存していた。

         

        そのせいか否か、ボクは未だに『ペット』という感覚がない。生き物との共存。ギブ&テイクだ。

         

         

        十数年前に、『アニマルセラピー』なる都合のいい言い訳の元、ボクは生き物を飼い出したのだ。

         

        まずは、『熱帯魚』に始まり、やがて『ハムスター』に及ぶ。で、今は『鳥』と共生をしている。

         

        独身。交友関係なし。となると、『懐く』生き物が恋しくなる。これは、人の傲慢な欲望になる。

         

         

         

        人間も含め、生き物との共存はそう容易くない。『癒しが欲しい』とか『欲望』で成り立たない。

         

        そこには『命』の営みがあるのだから。それは自分の欲や損得だけでどうにかなることではない。

         

        それを生きている間に、どれだけ知り得るだろうか。誰も教えてくれない。見なければ済む話だ。

         

         

        一昨年の暮れに、ボクはつがいの『カナリア』と生活を始めた。見た目も鳴き声も、綺麗である。

         

        だが、彼らにも生命の営みがある。翌年の春に、卵を3つ産んだ。その内、一つだけ雛が孵った。

         

        だが、翌朝、その雛は巣から落ち、ゲージの下に横たわっていた。微かに動いている様子だった。

         

         

        ボクは、その子をまた巣に戻したが、1時間後にはまたゲージの下に。もうかなり弱った状態だ。

         

        色々調べたら『育つ見込みのない未熟な子は親が巣から落とし、育てない』ことがあると知った。

         

        その日の内に、ボクはその子を育てることにした。ヒーターで温めた大き目なガラスケースの中。

         

         

         

        最初は白湯をくちばしに少しずつ垂らす。徐々にそれを飲むようになる。次第に動くようになる。

         

        それからは、2時間置きに、湯で溶かした雛用の餌をさし餌する。やっと生きている感じだった。

         

        自分で餌を食べられるようになるまで、それを毎日続けた。小さいけれど『生命』の尊さを知る。

         

         

        日毎に元気になり、産毛もなかった体に体毛が生え始め、やがてやっと鳥らしい姿になっていく。

         

        未熟児。自分に重ねることはなかった。ただ、せっかく生まれてきたのだから育って欲しかった。

         

        恐らく、通常の子よりも成長はかなり遅かっただろう。でも、今では仲の良い相棒のようである。

         

         

        本来、カナリアは神経過敏で警戒心が強く、人に懐くことはない。この子の親は未だ、懐かない。

         

        だが、懐く懐かないに関わらず、生命の神秘を感じる経験だった。その『生命』がとても愛しい。

         

        命は、生まれた瞬間から死に向かっている。生き続けることは大変なこと。だから、愛しいのだ。

         

         

        性別不明で名無しだったが、『ピーピー』鳴いていたので母が勝手に『ピータン』と呼んでいた。

         

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        命を繋げられなかった、ということ

        2017.01.05 Thursday 08:51
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          ここ数年の正月は、実に質素で、簡素で、特別なことはせずに過ごしている。

           

          かつて、父が生きていた頃には、兄弟家族を含めて、大人数で賑わっていた。

           

          だが、どこか『儀礼的』な感じはしていた。それが『楽しい』とは思えない。

           

           

          ならば、今ある状態のまま、無理せず、出来るだけ『穏やか』に過ごしたい。

           

          兄には子供が3人いて、すでに孫も2人いる。羨んでいたのは事実だと思う。

           

          姪っ子や甥っ子が小さい頃には可愛がったが、彼らが大人になれば、他人だ。

           

           

          他人という捉え方は、『排他的』な気持ちから来るものではない。多分そう。

           

          時代は変わる。昔みたいに、親族一同、繋がりがある。なんて、そうはない。

           

          年に片手でも余るくらいしか会わないと、日常ではない関係になるのである。

           

           

          家族だろうが、知人だろうが、『馴れ合い』は好きではない。もう出来ない。

           

          そこに『気持ち』がないのならば、むしろ、さっぱり繋がりがない方が潔い。

           

          用意された『愛想』なら、こちらも心からの『気持ち』がないのならば、だ。

           

           

          人が好きで、人ときちんと向き合いたいからこそ、曖昧な探りなどいらない。

           

          会った瞬間に、『笑顔』で向き合える人でなければ、無理をしたくないのだ。

           

          もう、そういう年齢になったと思う。自ら関係を断つのではない。肯定的に。

           

           

          そこで、ボク自身は、『家族』を持たなかった。或は、持てなかった。必然。

           

          常に病に苛まれる人間に、家族を持つ資質はない。必然的に今こうしている。

           

          ボクは『命』を繋げなかった。母との二人だけの正月は、ありがたいことだ。

           

           

          いずれ一人になるのだから、二人の方がいい。それに感謝せずにいられない。

           

          昨年末にボクの暮らしに加わった『カナリア』が、大晦日に卵を二つ生んだ。

           

          本人(メス親)もまだ1歳にもならないのに、毎日、ずっと卵を温めている。

           

           

          現実的な話、『無精卵』なら、ヒナは孵らない。でも、彼女は、温め続ける。

           

          ボクは日々、それに感動している。遺伝子云々で片付けられないことと思う。

           

          どんな『命』であろうと、尊いことに変わりない。命のある情景に心が動く。

           

           

          ボクは、自ら心を動かし、『キレイ事』で日常を済まさないようにしている。

           

           

           

           

           

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          生きることは、死と隣り合わせ

          2016.12.27 Tuesday 05:25
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            昨日、英国歌手の『ジョージ・マイケル』が死んだとのニュースを聞いた。

             

            享年53歳。ボクよりも年下だ。若いと言えば、若い。江戸時代なら寿命。

             

            だが、ここ数年、毎年。有名なミュージシャンの死のニュースが多いのだ。

             

             

            昨年も多くの人が死んだ。今年も多くの人が死んだ。ある意味、当然の話。

             

            生とし生けいる物、皆死ぬ。生命が誕生した瞬間から、死に向けて生きる。

             

            また、生は、常に『死』と隣り合わせだ。命は、一瞬で絶えることがある。

             

             

            ボク自身、50を過ぎた頃から、死を意識している。死の準備をしている。

             

            いつ、どこで、どうなるか。誰にも、何も、判らない。保証などないのだ。

             

            ボクは、それを二十歳前に大事故を経験した時、まさしく、切実に感じた。

             

             

            ちょっとズレていたら、死んでいても不思議ではない。たまたま助かった。

             

            子供の頃から病気と共に生きていると、『命』について考える機会が多い。

             

            時には、精神世界に迷い込んだり、宗教について模索したり、迷走もした。

             

             

            人は『弱った部分』を餌に、『救い』へと呼び寄せる。藁をもすがらせる。

             

            だが、ボクは、どれにも頼ることを拒んだ。頼る内は救われない気がした。

             

            体は、宇宙のように、あらゆるバランスを以て常に『命』を維持している。

             

             

            ここ数年、あらゆる体の不調に悩まされ続け、もうこれ以上は勘弁を願う。

             

            日々、不安を抱えながら生きることは、ある意味、拷問にさえ感じられる。

             

            いっそ、楽にしてくれ。などと投げやりにもなるが、結局、必至に生きる。

             

             

            いずれ、必ず、死ぬのだから。その瞬間までは、必至に生きてやる、とね。

             

             

            プリンスなど、同世代の人が亡くなる。彼もいい味が出てきた矢先だった。

             

             

            ジョージは低迷を続けたまま逝った。彼の声は絶品だ。特に、バラードが。

             

             

             

            低迷する時期に、名曲をジャズ風味で唄ったアルバムは魅力に溢れている。

             

             

             

             

             

            合掌。そして、感謝。

             

             

             

             

             

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            健康は財産、というけれど

            2016.12.22 Thursday 08:28
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              人生の殆どを体調不良と共に過ごしていると、病気は切実な問題になる。

               

              健康が、いかに尊いか。これは、苦しみに耐える中、強く感じることだ。

               

              よく食べ、よく寝て、よく働く。人間にとって、とてもありがたいこと。

               

               

              生まれる前に命が危ぶまれ、生まれながらに病弱だったことは否めない。

               

              物心ついた頃から病院ばかり。歯医者や耳鼻科等含め通院が日常だった。

               

              もはや、病院アレルギーも深刻で、病院へ行くと、却って具合悪くなる。

               

               

              だが、親が年老いて通院、入院とか、年中病院へ行くのは避けられない。

               

              この2〜6年程は、年間100日前後程、病院に通っていた記憶がある。

               

              出来れば健康で、病院に縁がない方がいい。病気は、経済負担も大きい。

               

               

              で、先月、健康診断で3つの項目で再検査となり、先日その検査だった。

               

              3つの内、1つは辛うじてセーフ。で、2つの再検査はバツ。治療、だ。

               

              総合、5つの病気を抱えることになった。2つは、治療を中断している。

               

               

              経済的問題もあるが、半ばは『諦め』だ。命に関わることはないとして。

               

              薬に頼らないといけない病気は通院を絶やせない。絶えることない憂鬱。

               

              で、今回の1つは心臓だ。ホルター心電図という簡易心電図装置を装着。

               

               

              24時間、装置を首からぶる下げ、行動記録を事細かく、メモするのだ。

               

              で、その結果は来年になる。まあ、今更じたばたするつもりはないのだ。

               

              今まで何十年も病気を抱える自分と付き合ってきた。それに変わりない。

               

               

              ここ数年の体調不良の原因が二つ判っただけでも有り難いことだと思う。

               

              どんな状況であるにせよ、現実を受け止めるしか、生きる術はないのだ。

               

              悲観するだけ負に引き寄せられる。楽観しないまでも、生きるしかない。

               

               

               

               

               

               

               

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              諦めることは、最後までしない

              2016.11.26 Saturday 07:37
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                諦めることは、実に簡単なことだ。

                 

                生きることは、実に大変なことだ。

                 

                でも、死ぬのは実に簡単なことだ。

                 

                 

                人は、死に向かって生きている。

                 

                死は、避けられないことである。

                 

                でも、死のうとすれば簡単に出来る。

                 

                だから人は日々、必死に生き続ける。

                 

                 

                簡単なことをしてしまえば楽だろう。

                 

                しかし、楽なことを選択していては、

                いつまでも『楽』にはならないのだ。

                 

                 

                どんなに追い詰められても、

                 

                諦めることは、最後までしない。

                 

                諦めた時は、最後だと覚悟している。

                 

                 

                 

                 

                 

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                痛い

                2016.11.22 Tuesday 15:56
                0

                   

                   

                  い、痛い。

                   

                  眠れない。

                   

                  歩けない。

                   

                   

                   

                  もう、心なんか。

                   

                  どっか行っちまった。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

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                  心も体も、動こうとしてくれない

                  2016.11.12 Saturday 08:28
                  0

                     

                     

                    やること。やるべきことはなくならない。

                    むしろ、どんどん増えていく一方である。

                     

                    なのに、心も体も動こうとしてくれない。

                    疲れた、とか。それさえ言葉に出来ない。

                     

                    介護、という問題。複雑で、繊細である。

                    そこに、正解を求めてはいけないものだ。

                     

                    ただ、ひたすら、『やらせて頂く』のみ。

                    それは、生命すべてへの『感謝』になる。

                     

                    まさに、自分も日々、年齢を重ねている。

                    自分は独り身なので、準備の日々になる。

                     

                     

                    努力。頑張る。気合い。精神力。って何だい。

                    もはや、単なる言葉。単語。文字に過ぎない。

                     

                    例えば、うつ、という病気。

                    これには、『禁句』なのが、それらの言葉だ。

                     

                    努力を惜しまずに、頑張り過ぎた結果、

                    心身にあらゆる『支障』を来す病気だ。

                     

                    心が弱いだけなら、その前に防御する。

                     

                    自分をこんなにまで、追い詰めたりはしない。

                     

                    追い詰めなければ、生活の柄は濁りを極める。

                    当然、やらなければ、問題は山積するだけだ。

                     

                    そのそびえる山を前に、言葉を失うのは簡単。

                     

                     

                    今日が何曜日なのか。何日なのか。

                     

                    確認するのは、ゴミ出しの時だけ。

                     

                    寒さも増し、たぶん冬なのだろう。

                     

                     

                     

                     

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                    愛嬌、愛想、度量、嘘偽りなく

                    2016.11.10 Thursday 13:09
                    0

                       

                       

                      半世紀以上、『人間』をやってきてつくづく、しみじみ思うこと。

                      それは、『嘘偽りがない』ことの大切さ。尊さ。難しさ、だ。

                      人は、『嘘をつく』し、『偽り』を纏うことが得意な生き物。

                       

                      自然のあり方に抗い、『知恵』や『工夫』を身につけて、

                      それを『悪しき』形で自分の中に取り込み、提示もする。

                      知識は、どうにでも捉えられ、良くも悪くも使い分ける。

                      人は、常に『試されている』ことの証しにもなるだろう。

                       

                      ボクは、生まれてから、何人の人と出逢い、接触してきただろう。

                       

                      その中で、確実に、『人を選んで、態度や言葉を選ぶ』人がいた。

                       

                      まさに『別人格を演じる』かのように、見事に豹変し、演じ切る。

                       

                      バカ正直なボクは、その類いの人に対して、狼狽え、混乱をした。

                       

                      果たして、自分は『嘘をつかれているのか』どうか。

                      果たして、自分は『偽り』を提示されているのか。

                      それを見極める能力を持つよう、促されているのか。

                      そこで、敢えて、『答え』なんて求めないでいた。

                       

                      ので、まずは『信じる』ことにしている。

                       

                      その選択を委ねられたのは、自分であり、

                      その選択をしたのは、自分に違いはない。

                       

                      何が起きようと、『裏切られた』なんて、

                      ある意味、『自己責任』だと受け入れる。

                       

                      それでも、巧みに『態度を変えられる』人に接すると、

                      驚きと同時に、戸惑いつつも、対応はやぶさかでない。

                      だが、『判った風な顔は出来ない』ままにやり過ごす。

                       

                      そこで、人にとっての『愛嬌』『愛想』というものについて。

                      ボクは考えるより前に、その『人』に触れてみることにする。

                      その人に宿る『魂』や『心』というものなど、見えやしない。

                       

                      ならば、『信じる』しか、術はないのだ。

                       

                      言葉の暴力や具体的な行動などで、人は人を殺せる。

                      人は、『命』を守ることは難しくても、奪うのは容易い。

                      それには、抗えないことを前提に人と向き合うのだ。

                       

                      で、自分の身や心で受けた『人間関係』から見えるもの。

                       

                      それには、『嘘』も『偽り』も『固定概念』ではない。

                      まさに、『真実』なのだろうし、『事実』に違いない。

                       

                      自分で『嘘』『偽り』の判断をするのではなく、

                      あらゆる『事象』や『現実』に委ねるしかない。

                       

                      そんな具合で、人は、凡そ、

                      時に、精神状態や、体調で、

                      態度や言動が変わったりすることは否めない。

                       

                      だからこそ、常日頃から、『誠心誠意』の姿勢でいたいと思う。

                       

                      ボクが、他人として、他者に接する時には、それを重要視する。

                      どんなに自分の制御が困難な時でさえも、少しも軸がブレない。

                      そんな人が好きだ。そんな人になりたい。そう心掛けて生きる。

                       

                      そこに『想像』があるならば、『嘘』なんて、必要とはしない。

                       

                      そこに『創造』があるならば、『偽り』なんて、用意されない。

                       

                      あらゆる『想定』をしつつ、『信念』の許、瞬時に対応をする。

                       

                      笑顔。それは、日頃、心から心が緩められるから、自然と出る。

                       

                      言葉。それは、歳月の積み重ねの中で、心で培養、熟成される。

                       

                      昨日今日、で簡単に用意出来るものではないのだと感じている。

                       

                       

                       

                       

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