そばに、『好き』があると救われる

2019.05.14 Tuesday 05:33
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    音楽の好みは、小説や映画と同様『個人の趣味趣向』であって、他人が入る余地はない。

     

    誰がどんなものを『好き』だろうと、『嫌い』だろうと、その人個人の自由で然るもの。

     

    他人が『どうこう』言うのは筋違いであって、だからこそ、『色々』なものが存在する。

     

     

    ボクにも、音楽、小説、映画にも好みがあって、当然、自分勝手に選択をしているのだ。

     

    だが、最近はその『選択肢』が激減していると切実に思う。需要減と共に質も滑落する。

     

    商売として厳しくなり、需要が減れば、供給する側も冒険を避けて、保守に徹するもの。

     

     

    現在の状況を嘆いたりはしない。音楽を愛している、消費者でしかない。ただそれだけ。

     

    なら、個人は自分の中で『取捨選択』が出来るよう見極めたい。それで済む話、なのだ。

     

    心の中で『何だかなぁ』と文句を言うのは個人の勝手であるので、ボクはそうしている。

     

     

     

    人それぞれ、経済的に『差』があるのは抗えない。それを羨んで卑屈になることもない。

     

    だが、『物』を買う場合、差があるのだから消費するにも自分なりの工夫が必要になる。

     

    経済的に厳しいのであれば、極力、間違った買い物はしたくないもの。そりゃ、そうだ。

     

     

    ので、ボクはすっかり買い控えをしている。選択には慎重に検討を重ね、消費をしている。

     

    失敗はやむを得ない。潔く諦める。失敗を繰り返し、学習して、それを減らせばいいのだ。

     

    そうして、最近はほぼ『外れ』がない。『間違いない』との確信を得てから手にしている。

     

     

    そんな訳で、年を重ねる毎に『素晴らしい作品』との巡りあわせもあり『好き』が増える。

     

    もはや『冒険』などの余裕はなくなったので、拾い物を見逃している場合は諦めることだ。

     

    まさに『これだ』と言うものを買うことにしている。自分の中で、蒸留濾過するしかない。

     

     

     

    例えば、ラジオから流れる多くが『雑音』に聞こえることは、選択に関して絞り易いこと。

     

    出来るだけ『自然』に近い距離を保ち、人工的細工をしていないものが余計に際立つのだ。

     

    川の流れの如く、『濁りも淀みもない、清く澄んだ』音は光輝き、遠くからでも見つかる。

     

     

    何を以って『自然』とするか。そんな思案は『不自然』に過ぎない。感じるまま、でいい。

     

    数年前に、澄んだ川が上流から下流に向かう姿を眼前でひらすら眺め、感動した事がある。

     

    理屈では説明がつかない。『それ』に見惚れてしまった『感覚』は絶大で、大地の叡智か。

     

     

    そういう風に、心を捉えて離さないものを『ただ愛していたい』だけ。音楽も同じことだ。

     

     

    例を挙げれば、『贅肉を削いだ、極めてシンプルな音』に、病み荒んだ心に癒しを頂ける。

     

     

    ポーランドの『アンナ・マリア・ヨペック』と『ブランフォード・マルサリス』の共演作。

     

     

    日本には彼女のコアなファンも多く、本国の原盤にも、日本語の詩まで載せてくれている。

     

    ブランフォードのソプラノ・サックスも実に素晴らしく、アンナの歌唱と対話するようだ。

     

    控え目なピアノ。空間を広げるミノのパーカッション。音の余白に心を重ねるだけでいい。

     

     

    ジャズ系『スタイナー・ラクネス』の珍しい『アコースティック・ベース』弾き語り作品。

     

     

    ジャズ・ベーシストが歌うと、フォークになる。それは、とても自然なことに思えるのだ。

     

    ルーツを辿れば、そこには『童謡』や『民族音楽』など『フォーク』が根底にあるものだ。

     

    動と静。相対するようで、複雑を極めれば、どちらもシンプルに辿り着いたりするいい例。

     

     

    最小限の『生楽器』のみ。『ここ』が心地良く、窮屈を極めた心のストレッチになるのだ。

     

    人それぞれ、楽しみ方や嗜好するものが違うことが前提なので、他者否定をするのは愚か。

     

    ボクは今まで生きてきた過程で、自分の心がいい方向に動く音を探し続ける旅をしている。

     

     

    自分は今『孤立無援』状態。そばに『好き』があるだけで『救われる』としみじみ感じる。

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    それでもレコードが好き、なんです

    2019.04.11 Thursday 09:19
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      以前、作家の『村上春樹』が FMラジオ・パーソナリティをする『村上レディオ』を聴いた。

       

      ボクはこの人のデビュー作を文庫本発売当時に買ってからずっと愛読をさせてもらっている。

       

      だが、最近の小説はここ十数年間、読んでいない。『大容量』過ぎて、読破する自信がない。

       

       

      そこで、買い続けている文庫本の『エッセイ』を拾い読みすることが、息抜きになっている。

       

      彼は、作家になる前に『ジャズ喫茶』をやっていた程に『音楽マニア』として知られている。

       

      それも、相当な『レコード収集家』であり、この放送でも自前のレコードだけを流していた。

       

       

      ボクが思春期に敬愛していた、作家『片岡義男』『村上春樹』二人はまったくタイプが違う。

       

      母なる自然の導き。その二人の共通点は『レコード収集する音楽愛好家』であることだろう。

       

      更には、片岡氏は日系二世で英語がネイティブ。村上氏も翻訳をする程に英語が堪能である。

       

       

       

      片岡氏が昭和の頃やっていた『気まぐれ飛行船』というF Mの深夜ラジオが素晴らしかった。

       

      マイルドな声のゆったりとした喋り、数万枚所有の趣味のいいレコードを聴けるのが魅力だ。

       

      彼はトレンディ作家との扱いをされているが、ボクは百冊以上読み、読む度、発見の連続だ。

       

       

      感情を一切廃した、いわゆるハードボイルド調の『ミス・リグビーの幸福』は秀逸な作品だ。

       

      執筆も控え、『日本語』の魅力を斬新な切り口で探求した書物も絶版の憂き目に遭っている。

       

      恐らく、今の時代に自分の書物など需要がないことをよく知っている、などと想像している。

       

       

      一方の村上氏は現役だが、『ハルキスト』なる人が増殖して、異様な様相を呈してしまった。

       

      そんなことはお構いなしな具合に、『村上レディオ』はユーモアある喋りが実に愉快だった。

       

      その中で、彼は『レコードの魅力』を切々と語っていた。ある意味、爽快な程に皮肉っぽく。

       

       

       

      ボクもレコードはたくさん所有している。物がデカいので保存も大変だが、大切にしている。

       

      どれも状態良く、たまにターンテーブルの上に乗り、極上の音を届けてくれて感謝している。

       

      レコードの素晴らしさを語っても意味がない。自分を楽しむ『暮らしの潤い』でいいだろう。

       

       

      最近、レコードの魅力が再認識されているようで、新作や再発売など年々流通が増えている。

       

      だが、如何せん『高額』なのだ。まさに経済の問題。生産量と対価の不文律。贅沢品になる。

       

      これは『温故知新』と別物で流行り廃りの域。良さを再認識されても、ボクには関係がない。

       

       

      ネット通販などで俄かにレコード・プレイヤーも数多く取り扱い始め、購買意欲を刺激する。

       

      所有のプレイヤーも動くし、レコード針も生産が縮小された頃購入した新品も保存してある。

       

      物持ちいいのは、『物を愛する』からであり、『断捨離』とは違う角度で捉えていたいこと。

       

       

       

      普段、デジタル音に慣れている為、たまにレコードを聴くとその素晴らしさに唸ってしまう。

       

      オーディオテクニカのカートリッジも2個買い置きしておいて大正解。その辺は抜かりない。

       

      あの頃は、『シュア』『エンパイア』など、カートリッジを色々試して音の違いを楽しんだ。

       

       

      現在、デジタル音源も向上しているようだが、これらと比べることは無理。まったく別物だ。

       

      デジタルは信号化された『データ』に過ぎない。レコードの周波数は『空気振動』そのもの。

       

      最新技術で音の分離も際立ち、デジタルも進化しているが、レコードの温もりは再現不可能。

       

       

       

      ともあれ、村上氏が熱く楽しく語る程に、ボクの代弁をしてくれるようで爽快であったのだ。

       

      ネットで得られない『出逢い』があった時代を回顧して言うのじゃなく、実体験なのだから。

       

      自分の足で歩き、探し、失敗をし、学び、それでも失敗を重ねて、自分の『無知』を知った。

       

       

      それが決定的に欠如しつつある現代の合理主義は、切実に取り返しが付かないように感じる。

       

      心に『余白を作れない』ことと『短絡的発想』には、因果関係があるように思えてならない。

       

      何事も『もっと早く、手軽さに、便利に』と忙しく、『心のゆとり』を自ら削ぐようである。

       

       

       

      レコードは、丁寧に盤を出し、ターンテーブルに乗せ、針を落とす。その工程も音楽だった。

       

      今は『ポチ』で自在になったが、取り返しの付かない、失敗の猶予も許さない切迫感が凄い。

       

      それを批判や否定をしても意味などないので、自分の中の単なる模索の一部に留めておこう。

       

       

      無駄が嫌いではない。完全製造中止になるまで頑なに抵抗しレコードの方を買い続けたのだ。

       

       

      ボクのレコードプレイヤーは40年物。デジタル機器は突然壊れる。5年も持てばいい方だ。

       

       

      常に『廃棄物』を産み続ける、神経症的バージョンアップ。もっとのんびりさせて、と思う。

       

       

      でも、それを許さない世の中になった。すぐ壊れる物を作り、買い替えを促す、経済の退化。

       

       

      などと、『村上レディオ』を微笑みながら聴いていて、しみじみ、と感じたボクなのである。

       

       

      他者に迷惑を掛けないことを前提にすれば、変わり者だろうが文句を言われる筋合いはない。

       

       

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      ジャズ喫茶で一人、紅茶と文庫本

      2019.03.15 Friday 10:55
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        ボクは大学生の頃、まだ病気を抱える前には、よく一人で『ジャズ喫茶』に行った。

         

        バイクで通っていたので、ちょっと足を伸ばせば『吉祥寺』にたくさんあったのだ。

         

        昼間の曖昧な時間は、空いていて心地よく、一人で文庫本を読む時間が好きだった。

         

         

        近くには、『ディスク・ユニオン』があり、レコードを端から探し回ったりもした。

         

        それまで『ロック』や『フォーク』などを聴いてきたので、『ジャズ』は衝撃的だ。

         

        ジャズ喫茶は、静かに音と飲み物と雰囲気を楽しむ。その心地良さもジャズの魅力。

         

         

        何より当時のジャズ喫茶は、最高級のオーディオ設備で極上の音で競い合っていた。

         

        もう、まさに『そこ』で生演奏をしているかのような、大音量と質感の虜になった。

         

        ボクはコーヒーが苦手なので、『紅茶』を飲む。茶葉も色々その日の気分次第、だ。

         

         

         

        高校2、3生の時、ボクの人生で唯一『健康』だった貴重な時間だったのは事実だ。

         

        その流れで大学に入り青春を謳歌するはずだったが、事故で人生の氷河期に入った。

         

        それまでの僅かな時間は、大学で出逢った友人たちにも恵まれて、充実感があった。

         

         

        その一部として、ジャズにのめり込んだ時間は歓喜の連続で、心の柔軟に影響した。

         

        ジャズは、聴けば聴く程に、その『奥深さ』に、探求が留まることを知らなかった。

         

        『名盤』とされるものから、掘り出し物まで、出逢いが更なる出逢いを呼び寄せる。

         

         

        最初に聴いた瞬間、『さっぱり良さが判らない』ものも、聴き込むと味がしてくる。

         

        口に入れた時に苦く感じても、噛む程に『旨味』が出てくる。まさに大人の珍味だ。

         

        その経験を経て、ボクはその後も音楽の探求を続けている。ジャンルにこだわらず。

         

         

         

        吉祥寺のジャズ喫茶『サムタイム』で衝撃を受けると、すぐにレコード屋に走った。

         

        日本のオーディオメーカー『デンオン』『トリオ』は高音質レコードを多く生んだ。

         

        日本制作のため、日本の曲を取り上げることも多かった。新たな命を吹き込まれる。

         

         

        当然、使える金は限られていたので、吟味に吟味を重ねて、1枚のレコードを選ぶ。

         

         

        失敗などを重ねる毎に、色々と学習をする。『いいもの』を嗅ぎ分けられるように。

         

         

        その中で一番、鮮明な記憶として、あの素晴らしい音響で聴いたこれは最高だった。

         

         

        アフリカ人ピアニスト『ダラー・ブランド』と『アーチー・シエップ』のデュオ作。

         

         

        映画『人間の証明』のテーマソング。鮮烈なジョー山中の歌唱と比べるものでない。

         

         

         

         

        リマスターされたデジタル音源ですら、あの『レコードの音』を超えるものはない。

         

         

        ほんの2、3年だったが、充実した思春期の頃の経験がボクの心の根幹にあること。

         

         

        生命を『音楽』『映画』『書物』で確認出来ることは、とてもありがたいこと、だ。

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        最強なる、ミッシェル・ポルナレフ

        2019.03.01 Friday 08:48
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          ボクは音楽をこよなく愛している。そのお陰でたくさんの魅力との出逢いに恵まれている。

           

          愛するが故、多くのベテランが現役であることを知る。あの人もこの人も、と嬉しくなる。

           

          少年時代に魅せられたフランス人『ミッシェル・ポルナレフ』の新作を久しぶりに聴いた。

           

           

          1966年のデビューから53年。齢75歳。プロフェッショナルの鑑のような存在感だ。

           

          美声を活かすメロディ・センスの良さが、最大の魅力。裏声を駆使した色気は男でも参る。

           

          美声の人は加齢の影響を受けやすいが、昨年末出た新作では、更なる進化に心躍る見事さ。

           

           

          時代に迎合しない自分の魅せ方を知る。恐るべし、ミッシェル。ボクは敬意を持っている。

           

          だが、ここ日本では彼が現役であるとの情報すら入って来ない。国内流通もほぼ皆無状態。

           

          先細る音楽業界では儲けに焦る。死活問題にもなり、『売れること』が最優先になるのだ。

           

           

           

          買う側にはどう仕様もない。でも、こうして、ボクは彼の新作に触れることが出来ている。

           

          フランス語の響きは独特の魅力がある。洋楽も英語だけでなくポルトガル語とか種々雑多。

           

          ボサノバは、やはりポルトガル語が似合う。洋楽を日本語で聴く違和感は未だに拭えない。

           

           

          だが、ボクがミッシェルの作品の中で一番のお気に入りは、唯一、全曲英語で歌った作品。

           

          アメリカ進出が狙いだったのか、アメリカの有名ミュージシャンを起用した意欲作だった。

           

          だが話題にもヒットにも繋がらず、潔く即フランスに戻り、地道に活動をしていたようだ。

           

           

          十数年前に日本でも昔のヒット曲がテレビで使われ、やっと国内盤のベストが出た次第だ。

           

          でも、それだけ。日本で手に入るのはほぼレコード会社によるいい加減なベスト盤になる。

           

          この憂き目は、殆どの素晴らしい遺産を蔑ろにしている音楽業界による『愛のない』仕業。

           

           

           

          その時代毎に流行り廃りがある。昨今、益々歌は似たり寄ったりの没個性に加速している。

           

          ヒップポップの呪縛による『表現と旋律の貧しさ』に辟易しているのはボクだけ、なのか。

           

          メロディの美しさは絶滅危惧に晒されて、音楽の歴史上で、レベル低下の更新は続く模様。

           

           

          ただの懐古趣味ではなく、かつて魅せられた名曲群を超える才能発掘はほぼ絶望的な望み。

           

          名曲、名盤がこの世から排除されて行くばかりか、『配信』という刹那的傾向も加担する。

           

          埋もれてしまう前に探し出すしか手管はない。ミッシェルの新作もそうしてやっと探した。

           

           

          クイーンの映画が大ヒットしているが、彼らの魅力は再認識ではない。ずっと色褪せない。

           

           

          何もかもが世間に『発信』されないと『存在しない』に等しい、時代になったとの確認だ。

           

           

          ボクは探索や発見の感覚が鈍らないように地道に歩む。古い作品も新しい作品も関係なく。

           

           

           

          中学生のボクが、彼のシングルで初めて買った『愛の休日』は裏声を駆使した名バラード。

           

           

           

          1975年、最初に彼のアルバムを買った、件の英語の作品はバラード中心に名曲揃いだ。

           

           

           

          これが昨年の新作の中で一番シンプルな曲。他の曲も自身の見事な編曲が冴え渡っている。

           


           

          ボクが音楽に惹かれる場合、心と体が反応をする。平安と刺激の振り幅、セックスの如し。

           

           

          そこに愛があるか。自分の欲だけで満足するのでは、音楽にもセックスにも失礼なことだ。

           

           

          そんなことを久しぶりに聴いたミッシェルの唄声に想う。愛がないなら、一切、触れない。

           

           

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          エレニ・カラインドルーを聴いている

          2019.01.26 Saturday 04:33
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            ここ数週間、毎晩夜中の2時頃、『エレニ・カラインドルー』を聴いている。

             

            作曲家であり、ピアニストである彼女の2013年の作品。

             

            もう1枚。1990年のアルバムも持っているはずだが、所在が不明なまま。

             

             

            ギリシャ出身で、映画監督『テオ・アンゲロプロス』の作品に携わっている。

             

            オリジナル作品も映画音楽も一貫して、音が澄み切っていて、とても優しい。

             

            当然、聴く人によって印象は違うだろう。この美しさを悲しいとか退屈とか。

             

             

            ただ弦楽器や管楽器が主なだけで、どこかに振り分けるのは納得がいかない。

             

            ただ『エレニ・カラインドルー』の音楽でいい。

             

             

            とっても静謐で、心の奥まで染み込んで来る音。

             

             

            ボクの敬愛する人がソリスト達が参加している。

             

            一人は、サックス奏者の『ヤン・ガルバレク』。

             

            一人は、ヴィオラ奏者の『キム・カシュカシアン』。

             

             

            ヤンの売り場はジャズで、キムの売り場はクラッシック。

             

            ボクは、この二人が共演しているアルバムも持っている。

             

            ヤンのサックスとキムのヴィオラに、ドラムスの『マヌ・カッチェ』のトリオ。

             

            マヌは主にロック畑でスティングのバンドにいたりした。

             

            でも、彼の本質はアフリカにあり、主なる音楽ジャンルはジャズだ。

             

            もう、こういう話はうんざりする。

             

             

            どうでもいいことなのだ。

             

            ヤンのアルバムは数十枚、キムのアルバムもマヌのアルバムも何枚か持っている。

             

             

            で、この『エレニ・カラインドルー』が素晴らしいのだ。

             

            重厚でありながらも、重苦しくはない。流れる川のよう。

             

            今、愛聴しているのはライブ録音でありながら、観客の音は一切ない。

             

             

            なので、音楽だけを純粋に聴けるので、ありがたい。

             

            毎晩、夜中の1〜3時頃にボクは苦しむ。毎晩の事。

             

            激しい耳鳴りに苛まれ、来るのか判らない朝を待つ。

             

             

            その暗闇の中で聴く『エレニ・カラインドルー』は救いになっている。

             

             

            これが、このアルバムの最初の曲だ。ヤンのサックスは、いつでもヤンなのだ。

             

             

             

            そう、もう1枚はこれだ。ボクの部屋のどこかにあるのに、聴けずにいるなんて。

             

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            とりあえず扉を開けて外に出て見る

            2019.01.24 Thursday 13:57
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              その昔、『銀色夏生』という詩人のような作家のような人の本を持っていた。

               

              デビュー前の『森高千里』がその本の挿入写真のモデルになっていたから相当前だ。

               

              角川文庫。薬師丸ひろ子や原田知世などを輩出した角川春樹が社長の頃の本。

               

               

              その中の一冊に『とりあえず扉を開けて外に出てみよう』みたいなタイトルがあった。

               

              それを思い出して、最近ボクはたまに思い切って、家の扉を開けて外に出てみている。

               

              前もって出掛ける予定があると、『予期不安』を起こしてしまうのが常だ。

               

               

              前日から下痢や吐き気、時には動悸やめまい、嘔吐にまで及ぶことがある。

               

              ので、『扉を開けて外に出る』から先、『何処かへ行く』のは勇気がいる。

               

              それでも、もうすでに何十年もそのパニック症状とは自分なりに付き合っている。

               

               

               

              まあ、いっか。で、『とりあえず、外に出てみる』のだ。

               

              それで、ダメならダメでいいじゃないか。とすればいい。

               

              ダメだったからって、いちいち落ち込んだりしないよう。

               

               

              自分を生きているのなら、創造と工夫は自ずと生まれる。

               

              ずっと苦しみ続けているだけでは、少しも前に進めない。

               

               

              で、先日、母がデイサービスでいない時に思い立って実行してみた。

               

              下痢や吐き気はあったが、電車にも乗れたし、症状は鎮静した。

               

              久しぶりに、某街にある『タワーレコード』に行ってみた。

               

               

              すると、『出逢い』があるのだ。能動的に動けば何かある。

               

               

              ボクの、乾涸びていた魂が、『音楽』を渇望していたのだ。

               

               

              30年以上前に愛聴していたジャズのアルバムが再発されているのを発見した。

               

              こういう類はネットではなかなか知り得ない。情報に頼るだけではダメなのだ。

               

              いつの間にか再発されていて、気付いた時にはすでに廃盤になっていたりする。

               

               

              しかも、そういうジャズなどの再発は廉価で、その時買ったのも1080円だった。

               

              何十年振りだろう。レコードは奥にしまってあり、探すだけで一苦労な状態のまま。

               

              自分の足で歩いて、端から目を配り、無駄があっても、それを含めての探索なのだ。

               

               

               

              で、1980年代のその作品は、その時代の匂いがした。

               

              比べることは無粋であり、今の時代がどうこうじゃない。

               

              だが、明らかに『今はない』匂いが確実にそこあるのだ。

               

               

              凄まじい『勢い』があり、分厚くも柔軟で、力強くも暖かで、聴く度に新鮮だ。

               

              ボクは、その『ジョージ・アダムス&ドン・ピューレン・カルテット』に聴き惚れた。

               

              勝手な思い込みだが、今時の音楽は軟弱な『ヒップポップ』の影響力が強いと感じる。

               

              それらにまだ侵食される以前の『ジャズ』を久しぶりに体感し、そこに『詩』をみた。

               

               

              表現において、『いい、悪い』じゃなくて、『好きか、どうか』がボクの中での指針。

               

              偉そうに批評やうんちくを垂れても虚しいだけ。黙って、自分の『好き』を愛すのみ。

               

              という具合で、ボクは、もうすっかり忘れかけていた『あの頃の匂い』を感じたのだ。

               

               

              その時ボクが買ったのは、このライブ盤。珍しくギターのジョンスコがゲスト参加だ。

               

               

              ジョージ・アダムスの表現には幅と奥行きがあり、バラードもただ甘いだけじゃない。

               

               

              日本で開催されていた『マウント・フジ』の常連だった頃。深夜テレビで観たのだ。

               

               

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              自分を生きる楽しみ方を知ること

              2018.10.08 Monday 03:53
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                極論を言ってしまえば、生命を維持することより、それを絶つことは遥かに安易なことでもある。

                 

                誤解を招きかねないとしても、自殺というあり方は、自分による『人を殺める』行為とも言える。

                 

                例えば、家庭環境、住居環境、労働環境、経済状況、様々な要素により、人は平等になり得ない。

                 

                 

                自分が自分を生きることを謙虚に受け止めて、あらゆる生命に感謝の気持ちを持つことの大切さ。

                 

                卑屈になって、やさぐれることは楽な選択でもある。他人を羨むことも、何の慰みにはならない。

                 

                言葉は稚拙で、表現は受け手側の解釈でどうにでも代わり得る。自己懐疑の念を持つ勇気も必要。

                 

                 

                そこで、だ。ボクは自分を生きることにおいては、実に下手ばかりやってきた。未だ改善しない。

                 

                半世紀以上も生きてきて、それを実感するのはどうしたものか。愚かさにも程があるように思う。

                 

                相田みつをの言葉をお借りして『人間だもの』で簡単に済ませてはいけない気がする。そう思う。

                 

                 

                 

                ボクは音楽をこよなく愛している。音楽によって生かされてきたことは否めないだろうと感じる。

                 

                好きだからこそ、相対する『嫌い』なものもある。世の中の音楽すべてを愛している訳じゃない。

                 

                そこが凡人たる所以である。自ら『不快』に感じるものに反応することは愚かな生き方の象徴だ。

                 

                 

                先日、ある8歳の女性の存在を知った。『天才少女ドラマー』として、話題になっていたらしい。

                 

                音楽において、ボクはリズムに生理的に反応する。生身の人間によるグルーヴは幸福を左右する。

                 

                ので、話題になっているその少女の動画を観たのだ。言葉は無粋だ。『素晴らしい』しか、ない。

                 

                 

                持って生まれた資質は如何ともし難い。努力では得られない。それをその少女は最大限に活かす。

                 

                しかも、それにより『自分を生きることを楽しむ』のを具現しているのだ。全身で表現している。

                 

                技術や理論などは黙るしかない。観ている、聴いているボクをも幸せにする生き方に感謝をする。

                 

                 

                この演奏を本家ツェッペリンのロバート・プラントが絶賛したことによって話題になったそうだ。

                 

                 

                 

                このドラマーの最大の魅力は、グルーヴの渦の中で溺れずに、自らが喜び楽しんでいることだろう。

                 

                 

                 

                シンプルこそ、絶妙な『間』が試されると個人的に思うのだが、それさえ踊るように楽しんでいる。

                 

                 

                 

                ボクは音楽に出会い『自分を楽しむ』ようになった。他人に迷惑を掛けないよう楽しむのが理想だ。

                 

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                肌に馴染む、シャツの心地良さ

                2018.05.21 Monday 12:30
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                  どんなにオシャレな服でも、自分には相応しくないものがある。単純に似合わないとか。

                   

                  結局、タンスの奥から引っ張り出した『着慣れた』少しヨレたシャツが心地良かったり。

                   

                  分相応とかではなく、『自分の感じる心地良さ』って誰にでもあるような気がするのだ。

                   

                   

                  これは、服の話だけでない。『肌に馴染む』=『心地良さ』=『心の感じ方』でもある。

                   

                  ここ数年、ボクもそれなりにいい年齢になって、『馴染む』ことの大切さを感じている。

                   

                  服に関しては、高校生の頃からほぼ着る物には一貫性がある。柄も色も好みがブレない。

                   

                   

                  少し視点を変えれば、時代に左右される『流行、廃り』からは、常に距離を置いている。

                   

                  それは、趣味にも共通しているようなことを最近、感じるのだ。音楽や映画や書物など。

                   

                  特に、音楽においては、好みの視野が広がる一方で、草の根分けて、常に探索し続ける。

                   

                   

                   

                  ボクは、洋楽も邦楽も分け隔てなく好み、高校生の頃にはジャズにのめり込んで行った。

                   

                  そこからは、芋ずる式に『出るわ、出るわ』の大騒ぎ。新しい地平にはまた新たな発見。

                   

                  そんな具合で、ジャンルを越え世界中を音楽で旅する。魅力的な人や音にあふれている。

                   

                   

                  アフリカ。中国。インド。中近東。南米。ヨーロッパ。民族衣裳のような『肌の質感』。

                   

                  クラッシックも現代音楽も民族音楽も、根っこは一緒だ。『心で心地良く感じるか』だ。

                   

                  時代の変遷は目紛しく、音楽も様変わりした。そこには、根っこのない弱いものもある。

                   

                   

                  それらは、いつでもどこも同じような選曲をするラジオで垂れ流しされ、そのまま放置。

                   

                  ならば、自分で探すしかない。やはり最終的に『心地イイ』のは、『肌に馴染む』もの。

                   

                  ベテランの過去に魅せられた現役の人が多い気がする。今の音楽は先細りの刹那的商売。

                   

                   

                   

                  ここ十数年、長らくレーベルとの契約がなかったベテランの新作に触れることが増えた。

                   

                  それを『ノスタルジア』で片付けるのは惜しい。単なる懐古ではなく、実力が衰えない。

                   

                  凄い人は『素晴らしい』のだ。その人が積み重ねた経験が活かされているのだから、だ。

                   

                   

                  年齢にすれば、60〜70代。1970年代前後に活躍し、今でも、現役感バリバリだ。

                   

                  中には、『昔の名前で出ています』的な、『過去の焼き直し』で同窓会に甘んじる人も。

                   

                  その中で『本物』を提示されると、ただ『脱帽』するしかない。過去でなく、今なのだ。

                   

                   

                  つい昨日届いた。『ダニー・コーチマー』という人の約40年振りの新作は素晴らしい。

                   

                  半世紀近く、苦楽を共にした仲間たちがバックアップする。皆それぞれに魅力的なまま。

                   

                  リー・スクラーのベース。ラス・カンケルのドラム。もう、唸るしかない鉄壁のリズム。

                   

                   

                   

                  まさに『肌に馴染む』音であふれている。コンピュータ類を一切排除した生演奏の極意。

                   

                  人に心地良さをもたらす『揺らぎ』が満載だ。ギターの音に『嘘』はなく、歌っている。

                   

                  もうボクは、その音に身を委ねるだけだ。今は、刺激よりも心地良さが必要なのである。

                   

                   

                  新しいシャツも気分転換に着る。それでも、肌に馴染んだ少しヨレたシャツは心地イイ。

                   

                   

                  ただ、新しいシャツは、素材も悪く、すぐに役に立たなくなる場合が多いのは否めない。

                   

                   

                  これは、今回の新作のメンバーによる最近のライブ。音は劣悪だが、間は、肌に馴染む。

                   

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                  Carolina Chocolate Drops

                  2017.02.15 Wednesday 10:50
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                    音楽に『ジャンル』があるのは、なぜだろうか。なぜ類で分けるのだ。

                     

                    全く興味ない、かの『グラミー賞』でも、ジャンル分けがされている。

                     

                    何が違うのか。分類しないと、いけないのか。ボクにはよく判らない。

                     

                     

                    これはロックで、これはポップス。これはブルースで、これはジャズ。

                     

                    ロックのようなジャズもあるし、ゴスペルのようなカントリーもある。

                     

                    それらをどこかで線引きして分けるのは、人間様の商売の匂いがする。

                     

                     

                    ボクは最近、そのジャンル分けで言えば、『カントリー』を良く聴く。

                     

                    別にカントリーとしてじゃなくて、『それら』が心に響くだけなのだ。

                     

                    一般的に、『カントリー』は『ダサイ』とされているのも、解せない。

                     

                     

                    そんな中でも、気付けば、黒人による『その系統の音楽』が多いのである。

                     

                    数年前にラジオで一聴して聞き惚れた『リアノン・ギデンズ』という女性。

                     

                    彼女は黒人だとか、若いとか、その類いの概念は無用なまでに素晴らしい。

                     

                     

                    魅力的な歌い手であり、複数の楽器の使い手としても有能だが、無名に近い。

                     

                    ソロ・アルバムから、Carolina Cholate drops、というグループに辿り着く。

                     

                    メンバーはすべて黒人で、多数の楽器を奏で歌い紡ぐ音には、奥行きがある。

                     

                     

                    彼らの音楽は、カントリーでありながら、ブルースやゴスペルの要素も多い。

                     

                    もはや彼らに限らず、表現をカテゴリーで括る意味が無粋に感じるてしまう。

                     

                    有能なプロデューサーが、その筋には多く、競演するミュージシャンも多い。

                     

                     

                    昨今、ラジオから流れて来る『ジャンク』な音は、胸焼けして受け付けない。

                     

                    薄っぺらく、中身もスカスカで、何より生演奏の楽器による音がほぼセロだ。

                     

                    人による、体温のある、魂に直に届く『エヴァーグリーン』とは程遠いのだ。

                     

                     

                    ガムのように、すぐに味がなくなる『使い捨て』は、何物に置いても不要だ。

                     

                    よく言う『断捨離』の真意は何か。長い間、慣れ親しむ味わいの希薄のよう。

                     

                    心から大切にしたい物は、捨てるに至らない。音楽も同様に、飽きはしない。

                     

                     

                    生活の中で、このような奥行きのある音楽に触れることは『糧』になるのだ。

                     

                    アメリカの闇は根深いようだが、表現で、ルーツを大切にする人材も豊富だ。

                     

                    彼らの表現する音は、『温故知新』と『探求』のいい具合な『融合』になる。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    category:音楽 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                    どっち派、という発想って何だろうか

                    2017.01.29 Sunday 11:14
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                      学生時代、『ビートルズ派』だ『ストーンズ派』だとか言う奴らがいた。

                       

                      そういう人を横目に、ボクには、その発想そのものがよく判らなかった。

                       

                      いいものはいい。好きなものは好き。実にシンプルなことじゃないのか。

                       

                       

                      テレビでこれを言う人も『おや』だった。おい恥ずかしくないのかよと。

                       

                      共に『笑っていいとも』のテレフォンのゲスト。したり顔がカッコ悪い。

                       

                      いい年齢の大人がメディアを通して、無差別に断言を放つのは見苦しい。

                       

                       

                      世良公則は、『ビートルズなんて軟弱だ』『ストーンズこそロック』と。

                       

                      更に細分化したのは、秋野暢子。『私は断然ジョン派』とドヤ顔で言う。

                       

                      要して『ポールって音楽家じゃなくて、金儲け主義だし』って発想は何。

                       

                       

                      ボクはビートルズが好きだが、ストーンズだって好きだ。どっちも好き。

                       

                      ポールにはポールの魅力があり、ジョンにはジョンの魅力があると思う。

                       

                      それを『狭い了見』で、ある種の自己肯定の為、他者を否定するのかい。

                       

                       

                      今までに色々な『何々派』を聞く度に、『あっそう』と聞き流してきた。

                       

                      やれ『マック派』だの、『ウィンドウズ派』だの。様々な分野にわたる。

                       

                      それぞれの良さがあるものを、敢えて『どっち』なんて愚かしいことだ。

                       

                       

                      視野の狭さ。許容範囲の狭さ。それは、『想像力の乏しさ』にも感じる。

                       

                      極端に好みが偏る人。問題は『極端』なこと。好き嫌いは個人の自由だ。

                       

                      何事も極端に偏ることは、『軋轢』『衝突』を生むだけで不毛に思える。

                       

                       

                      最近すごく不快に感じていることは、『言いたい放題』の野放し状態だ。

                       

                      世間的に影響力の大きい人が、メディアを中心に個人的意見を放ち過ぎ。

                       

                      かの大統領然り、文化人とやら、芸能人、コメンテーター等種々雑多だ。

                       

                       

                      それに準ずる形で、『どっち派』も主張しなければいけないのだろうか。

                       

                       

                      ボクも嫌いな音楽はある。それは単に個人的問題であり、主張ではない。

                       

                       

                      それを好きな人を否定して満足などしない。『お好きにどうぞ』でいい。

                       

                       

                      ともあれ、了見狭い発想を示して、『人生、面白いのかしらん』と思う。

                       

                       

                      人がどうあれ、こちらが意見する問題じゃない。利害関係は穏便にする。

                       

                       

                      音楽に関しては、一緒にバンドとか組んだりする場合は実に厄介である。

                       

                       

                       

                       

                       

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