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2017.07.23 Sunday
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    Carolina Chocolate Drops

    2017.02.15 Wednesday 10:50
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      音楽に『ジャンル』があるのは、なぜだろうか。なぜ類で分けるのだ。

       

      全く興味ない、かの『グラミー賞』でも、ジャンル分けがされている。

       

      何が違うのか。分類しないと、いけないのか。ボクにはよく判らない。

       

       

      これはロックで、これはポップス。これはブルースで、これはジャズ。

       

      ロックのようなジャズもあるし、ゴスペルのようなカントリーもある。

       

      それらをどこかで線引きして分けるのは、人間様の商売の匂いがする。

       

       

      ボクは最近、そのジャンル分けで言えば、『カントリー』を良く聴く。

       

      別にカントリーとしてじゃなくて、『それら』が心に響くだけなのだ。

       

      一般的に、『カントリー』は『ダサイ』とされているのも、解せない。

       

       

      そんな中でも、気付けば、黒人による『その系統の音楽』が多いのである。

       

      数年前にラジオで一聴して聞き惚れた『リアノン・ギデンズ』という女性。

       

      彼女は黒人だとか、若いとか、その類いの概念は無用なまでに素晴らしい。

       

       

      魅力的な歌い手であり、複数の楽器の使い手としても有能だが、無名に近い。

       

      ソロ・アルバムから、Carolina Cholate drops、というグループに辿り着く。

       

      メンバーはすべて黒人で、多数の楽器を奏で歌い紡ぐ音には、奥行きがある。

       

       

      彼らの音楽は、カントリーでありながら、ブルースやゴスペルの要素も多い。

       

      もはや彼らに限らず、表現をカテゴリーで括る意味が無粋に感じるてしまう。

       

      有能なプロデューサーが、その筋には多く、競演するミュージシャンも多い。

       

       

      昨今、ラジオから流れて来る『ジャンク』な音は、胸焼けして受け付けない。

       

      薄っぺらく、中身もスカスカで、何より生演奏の楽器による音がほぼセロだ。

       

      人による、体温のある、魂に直に届く『エヴァーグリーン』とは程遠いのだ。

       

       

      ガムのように、すぐに味がなくなる『使い捨て』は、何物に置いても不要だ。

       

      よく言う『断捨離』の真意は何か。長い間、慣れ親しむ味わいの希薄のよう。

       

      心から大切にしたい物は、捨てるに至らない。音楽も同様に、飽きはしない。

       

       

      生活の中で、このような奥行きのある音楽に触れることは『糧』になるのだ。

       

      アメリカの闇は根深いようだが、表現で、ルーツを大切にする人材も豊富だ。

       

      彼らの表現する音は、『温故知新』と『探求』のいい具合な『融合』になる。

       

       

       

       

       

       

       

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      どっち派、という発想って何だろうか

      2017.01.29 Sunday 11:14
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        学生時代、『ビートルズ派』だ『ストーンズ派』だとか言う奴らがいた。

         

        そういう人を横目に、ボクには、その発想そのものがよく判らなかった。

         

        いいものはいい。好きなものは好き。実にシンプルなことじゃないのか。

         

         

        テレビでこれを言う人も『おや』だった。おい恥ずかしくないのかよと。

         

        共に『笑っていいとも』のテレフォンのゲスト。したり顔がカッコ悪い。

         

        いい年齢の大人がメディアを通して、無差別に断言を放つのは見苦しい。

         

         

        世良公則は、『ビートルズなんて軟弱だ』『ストーンズこそロック』と。

         

        更に細分化したのは、秋野暢子。『私は断然ジョン派』とドヤ顔で言う。

         

        要して『ポールって音楽家じゃなくて、金儲け主義だし』って発想は何。

         

         

        ボクはビートルズが好きだが、ストーンズだって好きだ。どっちも好き。

         

        ポールにはポールの魅力があり、ジョンにはジョンの魅力があると思う。

         

        それを『狭い了見』で、ある種の自己肯定の為、他者を否定するのかい。

         

         

        今までに色々な『何々派』を聞く度に、『あっそう』と聞き流してきた。

         

        やれ『マック派』だの、『ウィンドウズ派』だの。様々な分野にわたる。

         

        それぞれの良さがあるものを、敢えて『どっち』なんて愚かしいことだ。

         

         

        視野の狭さ。許容範囲の狭さ。それは、『想像力の乏しさ』にも感じる。

         

        極端に好みが偏る人。問題は『極端』なこと。好き嫌いは個人の自由だ。

         

        何事も極端に偏ることは、『軋轢』『衝突』を生むだけで不毛に思える。

         

         

        最近すごく不快に感じていることは、『言いたい放題』の野放し状態だ。

         

        世間的に影響力の大きい人が、メディアを中心に個人的意見を放ち過ぎ。

         

        かの大統領然り、文化人とやら、芸能人、コメンテーター等種々雑多だ。

         

         

        それに準ずる形で、『どっち派』も主張しなければいけないのだろうか。

         

         

        ボクも嫌いな音楽はある。それは単に個人的問題であり、主張ではない。

         

         

        それを好きな人を否定して満足などしない。『お好きにどうぞ』でいい。

         

         

        ともあれ、了見狭い発想を示して、『人生、面白いのかしらん』と思う。

         

         

        人がどうあれ、こちらが意見する問題じゃない。利害関係は穏便にする。

         

         

        音楽に関しては、一緒にバンドとか組んだりする場合は実に厄介である。

         

         

         

         

         

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        東京にも、ブルースが残っていた

        2016.12.25 Sunday 09:11
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          すっかり『日本からブルースは消え去った』とボクは勝手に思っていた。

           

          巷に溢れる唄からは、『ブルース臭』がまったくしなくなったのである。

           

          あの『殿様バッタ』みたいに、お目に掛かることも出来ないのだろうと。

           

           

          かの『Jソウル』さんは、自己肯定的に『ソウル抜き』した具合である。

           

          受け手の『ソウル』なんて、見事に『無視』してしまえる、と思わせる。

           

          日本人として、『J』と名乗られるのは少々違和感があるのは否めない。

           

           

          かの『ゲス』さんも、音楽云々以前に、『魂』の未熟さを露呈している。

           

          音には、その人と成りが反映されるということ。年齢からすれば、当然。

           

          彼の音にも、『ブルース』は皆無だ。音楽のいい悪いは、また別問題だ。

           

           

           

          遡ること。ブルース、ジャズ、R&B、フォーク、ロック。音楽の変遷。

           

          西洋音楽とアフリカン音楽の融合から庶民の音楽が誕生したように思う。

           

          貴族のための総称としてのクラッシック音楽と民族音楽をミックスする。

           

           

          アメリカへと強制的に奴隷として連れて来られ、黒人が迫害された歴史。

           

          彼らの苦しみを少しでも癒すものが、音楽だったと想像する。生命の源。

           

          西洋の楽器を使って、『五音音階』を主体としたメロディを奏でること。

           

           

          そこからジャズやブルースが生まれ、必然『ブルーノート』も生まれた。

           

          独特の哀愁を帯びる、いわゆる『ペンタトニック・スケール』の賜物だ。

           

          アフリカからアジアへ通じる『民族音楽』が大衆音楽の起源なのだろう。

           

           

          日本人の根底にある『侘び寂び』に通じるものに惹かれるのは、必然だ。

           

          それが、ブルースであり、ソウルだったようにボクの中では捉えている。

           

          それがここ十数年で、ごっそり『日本の音楽から消え去った』気がする。

           

           

           

          少し前にラジオを聴いていて、小林克也氏が似たような発言をしていた。

           

          チャート番組で『最近の日本の若者の音楽にはブルース要素がない』と。

           

          要して『ブルースの存在なしに音楽体験してきたのかなあ』のような話。

           

           

          想像してみるに、育ってきた環境が劇的な変化を続けてきたせいなのか。

           

          過去の音楽遺産に触れることなく、音楽を生むとこうなる、のだろうか。

           

          穿った見方をすれば、合点が行く。CD媒体が売れないのも当然である。

           

           

          憶測で言うのも無責任だが、韓国の音楽事情にも共通するように思える。

           

          韓国が民主化されたのはほんの数十年前で、そこから大衆音楽が始まる。

           

          ヒップポップ全盛以降の影響が強く、流行る音は今時の日本と酷似する。

           

           

           

          そうなると、もう日本の音楽業界に望むものはなくなるように危惧する。

           

          かつて、欧米の音楽に痺れ、楽器を手にする若者の勢いは凄まじかった。

           

          それは、ブルース、ソウル、ファンク、フォーク、ロック等、渾然一体。

           

           

          すっかり昔話になる程に、遠い記憶だ。おっさん、カビが生えているよ。

           

          と言われていい訳もない。そう、ボクはおっさんである。でもいいのだ。

           

          ただ個人的に、日本の音楽、どうした?とブルースを探してしまうのだ。

           

           

           

          現在も尚、幅広いアメリカの音楽には、ブルースが根付いているようだ。

           

          新しい作品の中でも『カントリー』気質は根強い。日常の中に寄り添う。


          ブルースやフォーク、ロックの痕跡がラジオとして暮らしにあるようだ。

           

           

          古く『ロバート・ジョンソン』から『レッドベリー』まで俯瞰で眺める。

           

          そこに『ブルース』『フォーク』といったカテゴライズは邪道に思える。

           

          共にギター1本と『唄』があるだけ。『人』がいるだけの表現力の深さ。

           

           

          日本の『五音音階』である『民謡』は日本人の暮らしに寄り添ってない。

           

          そこから派生した『演歌』は形骸化したようだ。『流行歌』然りである。

           

          日本の音楽史は、生活と結びつきが薄い。俯瞰で眺めることすら不可能。

           

           

           

          やはり日本の文化は、刹那的に『無駄を排除』する傾向が強い気がする。

           

          ボクの嫌いなグーグルのCMがその典型にも思える。『手軽さ』の行方。

           

          何でも『他者』に頼り、『用意』してもらえる、『自己の排除』なのか。

           

           

          ボクによるスゴい偏見だ。所詮、人は、自分の中で模索を続けしかない。

           

          どこかにもう見ることはないと思っていた『殿様バッタ』もいるだろう。

           

          実際に、先日、今の日本の若者によるブルースを聴いたような気がする。

           

           

          諦めた、その時点で、すべては終わる。自分の中の偏見も捨てなければ。

           

          ここ数年、久しぶりにギターを手にすると、ついブルースを弾いている。

           

          もはや、心の渇きが欲しているよう。ブルースはオアシスなのだろうか。

           

           

          ともあれ、東京にもまだブルースはあったのだ。見過ごしているだけだ。

           

           

           

          彼女には数年前にラジオから流れてきた瞬間『ブルース』を感じたのだ。

           

           

           

           

           

           

          彼女のファーストミニアルバムを買ったが、期待した程でなかったのも事実。

           

          まだ二十歳そこそこ。足りないくらいで丁度いい。ブルースに完成などない。

           

          この先、どう変化し続けるか。それを楽しみにしてみるのも悪くないだろう。

           

           

           

           

           

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          可能性を活かすも殺すも、自分次第

          2016.12.03 Saturday 09:39
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            ボクはすっかり、今の音楽に興味が失せている。それは、失望とは違う。

             

            受け入れられないものが多過ぎ。ボクの許容が足りないのかは判らない。

             

            ただ、半世紀近く、あらゆる音楽を聴いてきて、五感に響かないだけだ。

             

             

            それでも、未だ『可能性』は間口が狭くとも、活かすことは自分次第だ。

             

            簡単に『希望』とか、貧しい語彙で片付けたくない。と常々想っている。

             

            経験から草の根掻き分けて自ら探せば、そこに『宝』があると確信する。

             

             

             

            ボクは、高校から大学における数年間は、音楽への探求が尽きなかった。

             

            バイクに股がり、吉祥寺などの、マニアックなレコード屋に入り浸った。

             

            端から端まで、棚からレコードを引き出し、心の壁を震わす連続だった。

             

             

            現在のように、パソコンもスマホもない中、情報の垂れ流しもなかった。

             

            ラジオや人づてに聞く以外、自分の足で探すことが確実な手段であった。

             

            常にアンテナを張って、自分の判断が試された。その過程も音楽だった。

             

             

             

            家に戻って、レコードに針を落とす瞬間は、ゾクっとする。意識覚醒だ。

             

            後頭部をハンマーで殴られる程の衝撃を受けたり、肩透かし食らったり。

             

            それでも、大方、『衝撃』の方が勝っていた。あれもこれもスゴかった。

             

             

            特にカルチャーショックを受けたのは、アフリカなど民族音楽だろうか。

             

            学習授業で毛嫌いしていたクラッシックをすんなり受け入れてから、だ。

             

            無限に細分化されたリズム。人の刻むリズムの天文学的広がりの衝撃だ。

             

             

             

            世界を放浪し続けた、ジャズ界の奇才『ドン・チェリー』との出逢いだ。

             

            彼は、あらゆる民族音楽との融合を模索し続けて、自分の血や肉にした。

             

            その彼が、アフリカのミュージシャンと競演したレコードは衝撃だった。

             

             

            いわゆる『ポリリズム』の中での、3拍子と5拍子の共生などはスゴい。

             

            細分化されたリズムの波に乗り、自由にメロディーを奏でる突き抜け方。

             

            ボクは、自ら太鼓を叩くきっかけにもなり、リズムの可能性との出逢い。

             

             

             

            すっかり人生に打ちひしがれて、日々苦悩していた中で、ふと蘇るもの。

             

            無心になって掌で太鼓を叩く。すると、自分の中の創作意欲が動き出す。

             

            そうして、リズム感のないボクが模索を繰り返し、可能性と向き合った。

             

             

            それを思い出させてくれたのが、佐藤竹善の新作をラジオで聴いた時だ。

             

            シンフォニック・オーケストラとアフリカン・リズムが融合する斬新さ。

             

            元々彼の声が好きだった。それをあのような形で提示されると参るのだ。

             

             

             

            特にTOTOの名曲『アフリカ』のカバーは、秀逸であり、見事である。

             

            ボクも好きなアフリカのアンジェリク・キジョーにヒントを得たと言う。

             

            オーケストラも個々の集まりであり、そこにパーカッションが融合する。

             

             

            漠然とボクが模索をしていた形が具体的に示されたようで、爽快だった。

             

            数年前、ボクも自分の手でリズムを刻み、カオスの中の単純を追求した。

             

            それは余りにも未完成であり、自分の器の小ささを露呈する形になった。

             

             

            未完成だからこそ、そこには、まだ『可能性』が残されている気がする。

             

             

             

             

            佐藤竹善の作品は、まだ『未完』だと思う。まだまだ『余白』が見える。

             

             

             

             

             

            5年程前ふと思いつき、即興で多くの演奏を重ねてみた。その瞬間の閃き。

             

            白い紙に幾つもの線を重ね、複雑さの中に単純という世界を見ようとして。

             

             

             

             

            その自分の未熟さを知ることで、まだ可能性が残されていると感じるのだ。

             

            ピアノ、ジャンベ、バンブー・サックス等、演奏が未熟故に楽しくもある。

             

             

             

             

            長い間、時間も体力もなく、ボクを音楽の創造へ向かわせる力はないのだ。

             

             

             

             

             

             

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            差別や偏見は人からなくならない

            2016.11.27 Sunday 13:33
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              アメリカのトランプ騒動などを筆頭に、人種や宗教などの違いが人にはある。

              そこから生まれる『差別』や『偏見』は、人の心から消えることはないのか。

               

              どれだけ科学が進歩しようと、どれだけ文化が発展しようと学習は足りない。

              悲惨な戦争を繰り返しても、『紛争』も『闘争』もやめずにより過激になる。

               

              愚かしい程に、世界全体の混乱は、益々『複雑を極め』つつあるように思う。

               

               

              そこで、先日、何気なくテレビを見ていた時に、とてもやり切れなくなった。

               

               

              日本の社会で『格差』が広がっていることを当事者の若者達が討論していた。

               

              特に社会問題になっている『人材不足』が深刻な『看護士』『保育士』たち。

               

              彼女たちの心の叫びは、現代社会を象徴するものとして切実に感じるものだ。

               

               

              長時間労働や過酷な状況に関わらず、手取りの『報酬の余りの低さ』は如実。

               

              それでも、彼女たちは、自分の仕事に誇りを持っているようボクには見えた。

               

              そこで、32歳のIT企業の社長とやらが、したり顔で宣っていたのである。

               

               

              『だってさ、給料安いの判ってて、その仕事に就いた訳でしょ?』など、と。

               

               

              ボクはIT業界が『好きではない』故、客観性に欠ける色眼鏡で見てしまう。

               

              にしても、彼の醒めた眼差しと言い方に、心地の悪い『違和感』は拭えない。

               

              デジタル社会に対するアレルギーも相当なものだと、自分を再認識するのだ。

               

               

               

               

              そこで、ボクがいつも、或はずっと素朴に疑問に思っていることがある。

               

              それは、エンターテイメント、いわゆる『音楽』『映像』などの表現だ。

               

              いわゆる『商業主義』の蔓延する世界で、娯楽が欺瞞と表裏一体になる。

               

               

              レコードからCDへと変わり身の早さ。今はすっかり『データ』である。

               

              形すらなくなり、それを提示されるまま、受け入れる、変わり身の早さ。

               

              誰も文句言わないし、誰も『便利で素晴らしい』と判断する基準も不明。

               

               

              そして『差別』である。『男女差別』は、未だなくならないように思う。

               

              女性の社会進出や活躍を謳って久しいのに、何も変わっちゃいない現状。

               

              そこには、『偏見』という固定概念が根強く存在してはいないだろうか。

               

               

               

              具体的な例をあげると、音楽において、特に楽器演奏においては顕著だ。

               

              女性は、体力的に男性とは違うのは否めない。握力など歴然としている。

               

              だからと言って、女性が男性に劣ることはない。優劣じゃないと思える。

               

               

              にも拘らず、未だに『女性奏者』などと言われる。男性社会からの目線。

               

              業界は、『女性サックス奏者』『女性ドラマー』と特別な売り物にする。

               

              圧倒的に男性奏者が世に出ているのに違いないが、これはいかがなのか。

               

               

              個人的に『グルーブ感』の好みが違っても、魅力的なドラマー川口千里。

               

              彼女も『天才女子高生ドラマー』として、商売の中に取り込まれている。

               

              だが、その卓越した技術に裏打ちされた『心地よさ』に性別は関係ない。

               

               

               

              単純に、彼女の手数の多いドラミングと笑顔で楽しむ様子が気持ちいい。

               

              そこには音を楽しむ『躍動』が凝縮されていて、聴き手側も実に楽しい。

               

              楽し気な彼女は、ロックもジャズも関係なく、音楽そのものを具現する。

               

               

              でも、彼女が女性だけで組むバンド演奏は、音を聴けば、性差などない。

               

              演奏において、男性に力負けしているとは『差別』『偏見』に過ぎない。

               

              そこを敢えて逆手に取って、彼女たちは『女性』を全面に打ち出すのだ。

               

               

              こんなエンターテイメントが世に埋もれているなんて、愚かしい限りだ。


              この二つの違うバンドにおいて、いいか悪いかでなく、好きかどうかだ。


              千里さんは、純粋に音楽に身を委ねつつ、3枚目の商業アルバムを出す。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               


              人間の中の『差別』と『偏見』という愚かが、益々視野を狭くしているよう。

               

              昨今のクズみたいなダダッダ打ち込みの似非リズムなど、音楽とは呼べない。

               

              との『ボクの中の偏見』もなくならない。あの気持悪さは受け入れられない。

               

               

               

               

               

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              いまさらながら、ボブ・ディラン

              2016.11.11 Friday 08:58
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                ノーベル文学賞で色々と物議を醸した『ボブ・ディラン』である。

                ボクは、中学生の頃に始めて彼の新譜を聴いて衝撃が走ったのだ。

                その時の新作、邦題が『欲望』と言う。原題は『Desire』。

                 

                レコードを買う金がないので、FMラジオでエアチェックをした。

                アルバム数曲を録音したカセットテープは擦り切れる程に聴いた。

                『ハリケーン』

                『コーヒーもう一杯』

                『ジョーイー』

                その他、名曲が目白押しだった。

                特にこの3曲は、心の奥の壁まで突き刺さる『強さ』があった。

                 

                それは、アメリカが強さの象徴とするのとは一線を画していた。

                 

                個人、ボブの、大地に足を据える人として生きる力強さである。

                 

                それから、遡ること数々の名曲を聴くようになり、益々好きに。

                 

                大人になって、気付けば、彼のCDは20枚以上所有している。

                 

                 

                件のノーベル文学賞で、にわかにメディアで取り上げられ、

                知ったかのように、ほんのごく一部の唄だけが紹介される。

                それは、彼のほんの一部で、ただの『通過点』に過ぎない。

                 

                まあ、世の中とはそういうものなのだろう、と傍観をする。


                ノーベルだの、どうでもいいと思う。村上春樹に関しても。

                 

                あの、貴族さながらの晩餐の宴に、何が見えるというのか。

                 

                名誉や名声を墓場に持っていくため、人は生きているのか。

                 

                個人主義、と捉えるのは少々危険である。断定は避けたい。

                 

                ただ、ボクはボブが好きで、春樹も好きで、それだけの話。

                 

                 

                彼の初期の名曲『Like A Rolling Stone』だ。

                 

                『どんな気がする

                 どんな気がする

                 ・・・・・

                 ぜんぜん知られぬ

                 転がる石のようなことは』

                 

                かの『Rolling Stones』という、

                これまた、素晴らしい平均年齢70歳過ぎのバンド。

                 

                よく使われる『Rolling Stone』、

                『転がる石は、苔むすことはない』との比喩も、

                ボクなら、『どうでもいい』ことにしてしまう。

                 

                『よく動き、よく働き、生き生きしていること』

                『仕事も住居も転々と、成功も金も無縁なこと』

                の例えとして使われる、ことわざに由来している。

                 

                だから、ボクには、『どうでもいいこと』なのだ。

                 

                ことわざに理屈は、野暮だし、由来など、無粋だ。

                 

                まさに、『Like A Rolling Stone』は名曲であり、

                まさに、『Rolling Stones』はカッコいいのである。

                 

                彼らにとって、『理屈』や『ことわざ』など、無縁でいいじゃない。

                 

                好き、という気持ちの前では、『理屈』など、黙るしかないだろう。

                 

                 

                 

                いまさらながら、ボブ・ディラン、なのである。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                category:音楽 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                望まない形で夢を叶える、という甘さ

                2016.06.20 Monday 15:33
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                  ボクは愚かにも、10代の頃にミュージシャンになる夢を抱いたりしていた。

                  今から思えば、無謀で、無知で、己を知らない愚か者だったと言うしかない。

                  だが、自分の中での『音楽愛』は半端なものではなかったからやむを得ない。

                   

                  自分の能力を過信するか、疑心するか。そこで、道筋が変わってく気がする。

                  ボクは、あらゆる才能ある音楽家を観てきて、自分の限界を思い知らされた。

                  それは、努力では補えないものもあり、何より病気を抱えてしまったのだし。

                   

                   

                  そこで、ボクは生涯に一度くらいは、ライブ・ステージに立ちたいと思った。

                  もう40歳も過ぎ、ウツで何十年も苦しんで、最後のチャンスを狙っていた。

                  昔の音楽仲間に声を掛け、バンドを組み、ライブハウスに立つことを企てた。

                   

                  思うようにメンバーは集まらなかったけれど、最終的に最低限である3人組。

                  いわゆる、スリーピース。『ギター、ベース、ドラム』でことを始めたのだ。

                  皆、何十年も音楽から離れていたので、毎週のようにスタジオ練習を重ねた。

                   

                   

                  しかし、どんなことをやるにしても、人間関係は厄介な方向に傾れ込むのだ。

                  あるメンバーの『エゴ?』により、提案も遮られ、計画的に事は進められた。

                  結局は、自分の求めていたものとまったく違う形で、コピーバンドになった。

                   

                  それは、ただ『ロック』という、『内面から湧き出る表現』とは掛け離れる。

                  ギター弾きとしては、自分のお気に入りのギターを鳴らすことも許されない。

                  完全コピーという、ギター弾きには屈辱でもあることを余儀なくされたのだ。

                   

                   

                  納得行かないままに、納得出来ない音楽を、精一杯、演奏することに徹した。

                  奇しくも、ライブ数週間前に予期せず、ボクは会社のリストラに遭うことに。

                  その一週間後には、真剣に愛していた女性に振られ心身共にボロボロだった。

                   

                  それでも、ライブ会場は押さえていたのでそこでヤメる訳にはいかなかった。

                  しかも、ウツも悪化し、数日前に風邪をこじらせ、当日は39度近くあった。

                  前日までフラフラで声も出ないまま、ボクは望まない『初ライブ』に挑んだ。

                   

                   

                  ライブ会場を押さえるために自腹を切ってまで、望まないライブを敢行した。

                  それは、自ら言い出したことへの責任だけだった。喜びも満足も皆無だった。

                  音楽をこよなく愛し、ライブ・ステージに立つことを夢観た半世紀の集大成。

                   

                  それを、自分の体調も精神状態も、ライブそのものも、望まない形で終えた。

                  当日は重たい荷物を持ち電車移動をし、本番には指がツリまったく動かない。

                  それでも指が動かないなら腕ごとを動かせばいい、と出来る限りを尽くした。

                   

                   

                  その後の、打ち上げなどは語るに及ばない。笑えない程に惨めな終焉である。

                  ベーシストにはベースを貸し、あらゆる機材を提供し、金銭的窮地にも陥る。

                  詳細は語りたくもないくらいに苦い想い出である。病気、侮辱、エゴ、等々。

                   

                  ただ、あらゆる人の醜い部分を突きつけられた経験をさせてもらったようだ。

                  こよなく愛する音楽を通じて、ボクは色んなことを学ばせてもらったと思う。

                  10年以上過ぎ、今は漸く客観的にその時のライブ映像を観ることが出来る。

                   

                   

                  ボク自身は、その状況での精一杯のパフォーマンスをしたが、納得してない。

                  日頃の1/10も思うような演奏が出来なかった。悔しいし、情けないこと。

                  でも、その時、そのタイミングで、ボクがライブを敢行したことに違いない。

                   

                  不満ばかりが残った。承服し兼ねる暴言に、後日にはメンバーを罵倒もした。

                  自分でもウンザリするくらいの醜い言葉を発した。後味の悪い記憶しかない。

                  ただ、時を経て、自分一人では成し得なかった夢を抱いた自分もガキだった。

                   

                   

                  喘息の発作が続き、前日まで声も出なかったが、精神力だけで声が出るもの。

                  約1時間。全13曲。フラフラで立っているのがやっとの状態で完走をした。

                  悪いことが重なっても、人は愛するものには想像以上の力が出るものなのだ。

                   

                   

                  中盤になって、ほぼトランス状態のようになり、やっと指が動き出してきた。

                   

                   

                   

                  ソロ・ヴォーカルに喉が持ち堪えるか一か八かの中、全身全霊で唄い切った。

                   

                   

                   

                  画像も音質も劣悪なライブだが、今は音信不通のメンバーに感謝するのみだ。

                   

                   

                   

                   

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                  既成概念、なんてぶち壊してしまえ

                  2016.06.15 Wednesday 09:01
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                    ボクは音楽をこよなく愛しているから、『いい、悪い』では捉えていない。

                    その基準の曖昧さを持ち出すまでもなく、ただ『好きか、どうか』でいい。

                    そういう意味では、今の世には、圧倒的に『好き』よりは『嫌い』が多い。
                     

                    単純に『不快』になるものもあれば、質の低さに呆れてしまうものもある。

                    これは、個人的嗜好の問題であって、別に『何が嫌いか』言う必要はない。

                    まあ、個人的には、世間に認知させる『商業主義』の『商品』でしかない。
                     

                    その『商売』の透け具合を受け入れる入れない以前に、少しも楽しめない。

                    売れることに執着する『安全』、リサーチありきの商売に飛躍は望めない。

                    形あるものをぶち壊すような『パフォーマンス』が生まれない土壌になる。
                     

                    コンクリートで固められた地面の上で、『土の匂い』さえ忘れられるのか。

                    ボクは日々、様々な音楽を聴き続け、『臭覚』を失わないようにしている。

                    別に特別なことではない。『何じゃ、こりゃ』と心の壁を破ってくるもの。
                     

                    その存在に出逢うか、否か。自分から心を動かしていれば、いつか出逢う。

                    向こうからやってくる場合にしても、道程で必然的に『そこにある』のだ。

                    既成概念などは『ぶち壊してしまえばいい』との、『匂い』を感じるのだ。
                     

                    有り体な『狭く、薄く、浅い』似たような、ちまちました商売よサラバだ。

                    そんな音楽は響かないし、そんな表現も響かない。振動しないならお終い。

                    心に振動を誘発する『衝撃』、心を鎮める『静謐』相反する壮大な振り幅。
                     

                    そんな表現との出逢いは、少しながらの勇気になり、小さくも確かな幸せ。
                     

                    例えば、Jon Balke。例えば、Tigran Hamasyan。
                     

                    音楽は、豪華な機材や金でやるもんじゃない。結局は『人』『魂』なのだ。


                     



                     

                    ジャズから派生したノンジャンルのこのような才能は、数多埋もれている。

                    ティグランは、ピアニストとして卓越した技術に閃きが加味した希有な人。

                    まずは、自分が音楽を楽しんでいる。売れようが売れまいが我が道を行く。
                     

                    だが、ロック、ポップスに関しては侘しい現状の中で、商業主義が蔓延る。

                    そんな中、彼ら『ヴィンテージ・トラブル』はイカしているが、売れない。

                    日本も欧米の悪しき習わしまで踏襲して、『慣れ』からの脱却も出来ない。



                     


                    先人に敬意を払い、ロックとソウルを融合させた音は、自信に満ちている。
                     

                    理想論だけで商売は成り立たない。それを嘆くだけでは現状打破も不可能。

                    不景気、混乱の続く中、人の心は守りに入り、冒険も、失敗も許されない。

                    受け手側の、『その場、その時』の偏りに流される傾向は強くなる一方だ。
                     

                    痺れるような表現が虐げられるのは音楽業界に限らず、商売の犠牲になる。

                    音楽だけに限って言えば、実績のある音楽家たちは契約外の憂き目に遭う。

                    多くの現役ベテラン達は、自主制作も余儀なくされて流浪を続ける現状だ。
                     

                    皮肉にも、そういった弱小レーベルで『音楽』は活き活きと躍動している。







                     
                    category:音楽 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                    急かされる感じが、不快なのだ

                    2016.03.02 Wednesday 08:00
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                      時代を比べるのは、実に愚かしいと思う。



                      過去を『いい時代』と懐かしみなくない。



                      だが、今の時代には『馴染めない』のだ。



                      色々『急かされる』感じが、不快なのだ。




                      微塵も『猶予』を許さないような、流れの早さに足許を掬われたくない。



                      通信も早く。移動も早く。何もかもが『速度』を競うように急いている。



                      1秒でも早く。すべて、生き急いでいる感じが、不快で居たたまれない。




                      顕著なのは、パソコンのOSの『バージョンアップ』が次々を襲い来る。



                      その度にソフトが使えなくなったり、便利どころか『不便』極まりない。



                      何を『急いている』のか。少しも『猶予を許さない』で何をしたいのか。




                      例えば、それは音楽にも顕著で、ラジオから流れる歌は皆、急いている。



                      安っぽい打ち込みは『ドン、ドン』と、バンドは『ジャカ、ジャカ』と。



                      音にまったく『隙間がない』のじゃ、そりゃ、少しも心が潤わないのだ。




                      かつて読んだエッセーで、『村上春樹』も似たようなことを言っていた。



                      彼の言葉によると『余白のある音楽』である。想像力を喚起してくれる。



                      それにはボクも同感で、『急いている』と想像する猶予も削がれていく。




                      ボクが育った空間には『余白』があり、心地いい『揺らぎ』が存在した。



                      その心地よさに寄り添うように、強烈な『刺激』も同列に共存していた。



                      不自然さなく心に潤いをもたらし、『軋轢』も回避していたように思う。




                      世の中の流行には、まったく興味がない。あるいは、興味がなくなった。



                      つくづく、今の時代に思春期を向かえなくて幸運だったと思ってしまう。



                      それは、ある意味『必然』であり、極めて個人的な見解に過ぎないこと。




                      こんな時代に多感な時期を過ごしていたら、など想像しても意味がない。



                      少なくとも、今よりは遥かにのんびりしていた頃が確かに存在していた。



                      そんな空気を深く吸い込み、ボクは『幸福な青春』を過ごしたと感じる。




                      もはや『青春』なんて言葉も死語になったのか。それは、どうでもいい。



                      他に相応しい言葉が思い当たらないので、『青春』と呼んでいただけだ。



                      その真っただ中にいるのなら、まさにそんなこと『どうでもいい』のだ。




                      過去を懐かしむのは好きではないが、過去の遺産に触れるのは別問題だ。



                      今でも、自分が過ごした時代の音楽を聴くことが出来るのは幸いなこと。



                      今この時代に、初めてそれを聴くのとは違う。同時代の体験が想像の源。




                      ゲスを極めちゃったり、エグザっちゃたり、そういった魅力は判らない。



                      そもそも、音楽は『判る』ものじゃない。ただ、『感じる』ものである。



                      それを『不快』と感じるのなら、それらとは距離を置けばいいだけの話。




                      ゲスっちゃっても、エグザっちゃっても、好きならそれでいいだけの話。



                      それは、個人の趣味趣向の問題であって、敢えて否定することこそゲス。



                      何かや誰か、それを好きなのも利用するのも個人の自由になる。だけど。




                      今の音楽は、殺菌消毒され、無味無臭の『造花』のようにしか感じない。



                      何もかも『デジタル化』されてしまったのか。ボクには判らないことだ。



                      空気の中に『隙間』のあった頃は、無数の雑草も『除草』されなかった。




                      寄り道しながら、のんびり歩いていれば、そこかしこに『宝』があった。



                      こちらとすれば、ただ『発見』すれば幸いだった。ゴミさえ宝に思える。



                      そこで養われた『眼』や『感覚』などは、その後も活かすことが出来る。




                      そうして、『心に想像力』を持てた。そこには『余白』が存在したのだ。



                      フリーズしたり、クラシュしたりはしない。アナログたる所以はそれだ。



                      急いて『新しい』ものに飛びつく発想はない。のんびり待つのもアリだ。




                      ボクは、神経症のように、今の世に翻弄されていたようにも思えている。



                      今も、この先も『スマホ』なんて必要ないし、拘束されるようで不自由。



                      何もかも時代に合わせる必要など、ないのだ。そう思えば、少しは楽だ。




                      いずれにしても、今の世は生き難くて気が滅入る。『自力』も削がれる。



                      スバルの車『レックス』のCMは、あの時代の『余白』を見せてくれる。



                      こんな時代は、平和でのんびりしていた。ノスタルジアじゃなく願望だ。



                       



                      今の時代を生きつつ、『昭和が好き』と言うのも個人の自由でいいと思う。





                      1980年発売の名盤『Gaucho』は、『余白音楽』の代表だと思う。


                      36年前の音とは思えない『古さを感じさせない』のも恒久的でいいのだ。





                      category:音楽 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                      無限の可能性が、心を解き放つ

                      2016.02.16 Tuesday 12:23
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                        最近のヒットしている音楽は、心にも体にもよろしくない感じがしている。



                        凡そは、コンピュータによる『打ち込み』の『規則的』なリズムだらけだ。



                        殆どの曲で『ドン、ドン、ドン、ドン』と低音で、寸分の狂いもなく刻む。




                        遥か30年以上前に『テクノ』を浸透させた『YMO』はこれらとは違う。



                        このバンドにはドラマーの『高橋幸宏』がいた。生のリズムありきなのだ。



                        坂本龍一が、『機械の規則的なリズムは人間にはよくない』と言っていた。




                        本来、人間は『不規則なリズム』が自然であり、鼓動も微妙にズレている。



                        ので、『寸分の狂いもない機械的リズム』だけの音楽は心身に悪影響だと。



                        細かいことは忘れたが、ラジオで一回聴いただけだがこれは記憶している。




                        微妙に不規則な『ズレ』や『揺らぎ』が、人間にとっては心地よく感じる。



                        そこでシークエンスされた『機械』による音が心地悪いのは、自然だろう。



                        便利な筈の『機械』が不自由を生み、メロディーをも殺している気がする。




                        どれもこれも同じようにチープな伴奏では幾ら歌唱力があっても興醒めだ。




                        そこで、音楽をこよなく愛するボクとしては、『リズム』が音楽の基本だ。



                        あくまで、リズムによって、メロディーもハーモニーも活かされると思う。



                        そのリズムが無限の可能性を秘めていることが、ボクを音楽に向かわせる。




                        昨今の音楽の殆どは、4拍子だろう。1小節を4拍に限定してしまうのだ。



                        8ビートだろうが1/2拍を8つ並べているだけで、4拍子に変わりない。



                        これをコンピュータで規則的に連打されては、ストレスが溜まるだけ、だ。




                        そこで、例えば『ポリリズム』のように、同時に複数の異なる拍子の存在。



                        民族音楽、特にアフリカ音楽などはポリリズムの原点の一つのように思う。



                        素人の発想だが、4拍子と5拍子を同時に奏でれば、リズムは細分化する。




                        まあ、能書きを垂れても無粋なのだ。リズムはどこまでも無限と知ること。



                        そこで、最近のジャズ界には、心を解き放つようなリズムを刻む人が多い。



                        4ビートに縛られずに、1拍を如何様にも再構築して可能性を広げている。




                        すっかり生命力の弱っているボクの元気の源の一つが、彼らの刻むリズム。



                        有り体に言えば、『躍動感』になる。変化のない暮らしに『躍動』を生む。



                        彼らの奏でる音楽に身を委ねるだけで、固まった心が解き放たれるようだ。




                        いわゆる『前ノリ』か『後ノリ』かでリズムを捉えるなんて不自由なのだ。




                        まず、エリック・ハーランド。技術を伴う、変幻自在なリズムは凄いのだ。








                        マーク・ジュリアナ。彼はある意味革新的で、無駄を省きつつ饒舌なのだ。







                        ナシート・ウェイツ。彼のリズムは力強くも、同時に繊細さも合わせ持つ。





                        ロックに多く見られる豪勢なドラム・セットでなく、皆シンプルそのもの。




                        他にも数多いるが、彼らに共通するのは、ロックをやらせても最高なのだ。


                        デヴィッド・ボウイの遺作におけるマーク・ジュリアナなど最たるものだ。


                        今の日本には『可能性を秘めた』表現者が極めて少なく、ジリ貧に感じる。



                        日本って国は、『貧しさ』が蔓延していると感じるのは気のせいだろうか。






                        category:音楽 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

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