スーツの似合う、ロック・スター

2018.09.12 Wednesday 07:45
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    ロック。かつて、1970年前後を期に若者を魅了した音楽。精神的指針。ファッションまで。

     

    だが、ボクは、ロックに魅せられた一人として、それらが形骸化された『イメージ』が苦手だ。

     

    長髪にすればロックか。指を立てればロックか。酒に溺れて暴れればロックか。いやいや、だ。

     

     

    社会に不満を抱えたり、何か革命でも起こそうとか、見掛け倒しの暴走が音に反映するものか。

     

    勢いでプロデビューしても、実力が伴わないとすぐに淘汰される。一発屋も吐き捨てる程いる。

     

    ただ、ボク個人は、ロック=ワイルド=悪ぶる。って感じはあまり好きではない。薄っぺらい。

     

     

    いつの頃から身体中に入れ墨を入れまくる人が増殖していた。ある意味、『没個性』に感じる。

     

    指原莉乃が的確に言った『人に見られる商売なら、批判も受け入れる覚悟』で入れているのか。

     

    個人的には違和感がある。スポーツ選手も然り。地肌が見えない入れ墨には威嚇されてしまう。

     

     

     

    そこで、だ。ロックの過渡期に数々のスターが続出した時代、『個性』が音楽の顔にもなった。

     

    デヴィッド・ボウイの奇抜な外見は時代と共に『変遷』した。固定概念を自ら打破するように。

     

    入れ墨を入れるのは個人の自由だが、肝心なのは『音楽』だ。同じようなスタイルには萎える。

     

     

    そんな中、髪型もスーツもバシッと決め、表現する音楽の印象とのギャップが素敵な人がいた。

     

    ヴォーカリストとしてボクが敬愛する『ロバート・パーマー』だ。彼の『声』が大好きだった。

     

    残念だが、道半ばで急逝してしまった。あの『声』の魅力はいまでも褪せることなく心に響く。

     

     

    音楽性も豊富で、アルバム毎に違うベクトルの表現に挑み、見事に自分の個性に昇華している。

     

    生バンドの揺らぎ。コンピュータによる冒険。違うジャンルのメンバーでの化学反応を求めた。

     

    彼の作品が現在殆ど入手困難になっている。多くの遺産を粗末にする音楽業界に未来はあるか。

     

     

    久しぶりに彼の艶っぽい声が聴きたくてデビュー作から聴き直して見た。やっぱりカッコいい。

     

     

    エリート銀行員みたいにスーツを纏い、クールにシャウト。リスペクトに値する奥行きの深さ。

     

     

    ハードに弾けるロックからマーヴィン・ゲイのカバーまで、ソウルフルな魅力は一貫している。

     

     

     

     

     

    音楽に限らず、『表現』において『スター』が出にくい商売は益々先細り感が否めないだろう。

     

     

    パッと売れ、名が知れても、いつの間にか『別の誰か』にすげ変わる。その程度の実力なのか。

     

     

    最新機種を求め、それまで活用していたものに対する感謝の希薄にも似て、どこか滑稽に映る。

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    心の琴線に触れる、って最近聞かない

    2018.09.03 Monday 09:30
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      ボクは高校生の頃に、『心の琴線に触れる』って言葉が好きだった。美しい日本語だと思った。

       

      実際に、多感であった『あの頃』には、自分なりに、『それ』を実感する連続が日常であった。

       

      音楽。文章。映像。など、例えようのない『心の振動』を感じつつ、暮らしの色彩は鮮やかに。

       

       

      だが最近、この『心の琴線に触れる』って言葉をすっかり聞かなくなったような気がしている。

       

      まず、自分個人においては、『感動』の質も量も、年々急激に減って行くのを痛感してもいる。

       

      自分が変わったのか。世の中が変わったのか。それは、大した問題ではない。答えはないのだ。

       

       

      社会を批判しても何も始まらない。それでも、エスエヌエスの渦に呑まれないよう必死なのだ。

       

      個人的主観だが、不快に感じるものだらけになった。『映え』などには、言葉に拒絶反応する。

       

      更には『オッケー〇〇』を始め、何でもかんでも便利なもの頼りの風潮に馴染めないストレス。

       

       

       

      日常の『不便さ』と向き合い、模索し『工夫』や『想像』と『創造』が生まれると思っている。

       

      個人的な見解だ。誰かに訴えたり、その発想を押し付けることは避けたいし、極力していない。

       

      スマホが手放せなくてもその人の自由だし、何かを楽しみたいと思うこともそれぞれの選択だ。

       

       

      だが、社会生活の基本には『他人に迷惑を掛けない努力をする』のが前提にあると信じている。

       

      人は、どんなに誠実に生きていようが、存在しているだけで、少なからず他社に迷惑も掛ける。

       

      それを謙虚に受け入れてこそ、『自由』とか『快楽』とかを各々が求めればいいだけのことだ。

       

       

      だが、そういう『観念』とは別の次元で、世の中が便利になると『拡散』に歯止めが効かない。

       

      社会の仕組みは、より細分化され、より過敏になり、『軋轢』や『勘違い』も増える気がする。

       

      昨今の不祥事や何々ハラスメントなどは、日常からどんどん人が乖離していく様を見るようだ。

       

       

       

      この手の話が『理屈』に過ぎないと、自分で認識した上での『独り言』で済ませたいのである。

       

      最近、『エスエヌエス疲れ』をしている芸能人が増殖中とな。慣れないまま、継続を促される。

       

      何かの使命の如く。『いいね』や『フォロワー』を増やして心が潤うのか。それは別の問題だ。

       

       

      ボクは、このブログ以外に『エスエヌエス』は利用していない。ブログを続けることも疑問だ。

       

      だが、まだ何も見えていない。今の所『炎上』したり、人への猜疑心が強くなったりするだけ。

       

      ただ、『ネット』がないと暮らしに支障を生じるにまでなっているので、耐性をつけたいのだ。

       

       

      そこで、『心の琴線に触れる』ということ。これは素晴らしい体験。雲散霧消。視界が開ける。

       

      言葉は稚拙であり、他に例えようもないことがある。それを表現する『日本語』が消えていく。

       

      もはや、『ら抜き言葉』など誰も気にしなくなった。日本語から美しさも優しさも薄れていく。

       

       

       

      未だに、ボクの悪い癖は治らない。理屈や御託を並べる。愚にもならない『戯言』を垂れ流す。

       

      どうにかしないといけない。なるべく他者に失礼、迷惑を掛けないように自責の念を持つこと。

       

      ここまで無駄な言葉を羅列したものだ。ボクが今、突然ブログを再開したことがテーマになる。

       

       

      忙しく、途切れることのない苦痛な日々。その中でも『心の琴線に触れる』ことが最近、多い。

       

       

      とても『刹那的』なことかもしれない。それでも、ボクの傷み乾燥した心の琴線に触れるもの。

       

       

      一番、直近だと、これ。『Walter 'Wolfman' Washington』の最新アルバムに痛く感動した。

       

       

       

      もう相当なご高齢で、何十年振りかの新作らしい。でも、その素朴で謙虚な表現に心打たれた。

       

       

       

      アルバムの中に数曲、ギターの弾き語りがあって、それもまた痺れる程に、心に直に届くのだ。

       

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      ジュリー、唯一無二のスターアイドル

      2018.05.20 Sunday 08:18
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        ボクは、子供の頃には、いつも『ひとり』で過ごしていた。『一人』『独り』そのどちらも。

         

        いわゆる鍵っ子で、保育園の頃から家の鍵を首から下げ、黙ったまま、一人遊びをしていた。

         

        生活にゆとりのある家庭ではないので、おもちゃなどは、ほとんどなく、時間だけがあった。

         

         

        子供らしさも可愛げもなく、大人の顔色ばかり伺うボクは唯一、絵を描くことが好きだった。

         

        その頃には、いわゆる『妄想』をすることで、どこか違う世界に自分を放り投げていたのだ。

         

        自主性のない現実逃避する子供で、もし音楽に出逢っていなければ、どうなっていただろう。

         

         

         

        そんなボクは、小学生のある日、ラジオから流れてきた唄に、経験のない衝撃を受けたのだ。

         

        兄が留守の時に、黙ってカセットテレコを拝借して、ラジオから流れる、その唄を録音した。

         

        それが『沢田研二』の『追憶』だ。この出逢いをきっかけにボクは音楽という現実に向かう。

         

         

        その『追憶』という唄には、一撃でノックアウトされた。何度も何度も再生して聴き惚れた。

         

        安物のカセットテープの籠ったの音にも関わらず、そこから放たれる魔法で心は解放された。

         

        その出逢いの直後、小学生のボクは、『ビートルズ』にさらなる衝撃を受け、扉は開かれた。

         

         

         

        ジュリー最大の魅力は、声、歌唱、表現力に匂う色気。非の打ち所がないスターアイドルだ。

         

        だが、彼は欧米のロックやソウルに魅せられ、根っこは相当尖っていたと当時を語っている。

         

        そんなことは子供には判らなかったが、今こうして聴いてみると『根っこ』は嘘をつかない。

         

         

        今でも全盛期だった70年代の頃のジュリーの唄を網羅したベスト盤は、少しも色褪せない。

         

        どれを取っても名曲の数々。特に大ヒットした『勝手にしやがれ』以前は、目眩がする程だ。

         

        あの曲が売れに売れ、その後は商業路線に走り、迷走し、やがて80年代後半に急失速した。

         

         

         

        それでも今、商業的な『ジュリー』を観ても、桁外れに『カッコいい』ことには違いはない。

         

        歌番組の伝説でもある『夜のヒットスタジオ』における表現は、今時のアイドルとは異質だ。

         

        敢えて断言してしまう。あれ程にあらゆる要素に秀でたアイドルは、後にも先にも観てない。

         

         

        昨今『プロダクション』『プロデューサー』に作られた『規格品』のように見えるアイドル。

         

        個人の才能とか個性とかが、引き出される場合もあるし、ない場合もある。生き残り商戦だ。

         

        その『プロダクション問題』で解放されたり、消されたり、側から見て大変な商売だと思う。

         

         

        まあ、昭和愛好家であるボクの言うことなど信用しない方がいいし、こんな話に中身はない。

         

        先日、その『夜ヒット』における『ジュリー』の映像を発見した。でも、後期のものばかり。

         

        頂点から徐々になだらかに下降していく様が観て取れる。ボクの観たいのは、これじゃない。

         

         

         

        小学生のボクをノックアウトした名曲『追憶』。この頃の曲はどれも素晴らしかったのだ。

         

         

         

        探せばあるもので、ボクがジュリーの虜になった時代の曲が断片的にだが網羅されていた。

         

         

        先日、ジュリーの全盛期を支えた『井上堯之』氏の訃報に触れて、切なく思い出したのだ。

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        褒められるって、やっぱり嬉しい

        2018.05.08 Tuesday 09:11
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          ボクは、子供の頃から人の顔色を伺いながら、『ひっそり』存在を消して生きていた。

           

          父に『怒鳴られ』『貶され』続け、物心ついた頃から大人が怖く、信用しなくなった。

           

          ので、一人遊びを狭い部屋の隅でしていた。気づいたら、絵を描くことが好きだった。

           

           

          新聞チラシの裏に、鉛筆で描いた。主に描いていたのは、『漫画』のキャラクターだ。

           

          漫画本など持っていなかったので、たぶん記憶とか想像で描いていたんだろうと思う。

           

          だいたい、『巨人の星』『明日のジョー』『タイガーマスク』ばかり描いていたのだ。

           

           

          親に見せたりはしなかった。『どうせ貶されるだけだろう』と卑屈に思っていたのだ。

           

          でも、我ながら『うまいな』と密かに思っていた。『自画自賛』はその頃身についた。

           

          だが小学6年の時、鉛筆で描いた『ポール・マッカートニー』の似顔絵を母に見せた。

           

           

          図工で習っもない陰影をつけ写実的に描き、我ながら『素晴らしい』と思えたからだ。

           

          その時、初めて母親に褒められた。褒められた経験のないボクは相当に浮かれたのだ。

           

          何事も貶され続けてきた幼少期。初めて、人に褒められることが『嬉しい』と感じた。

           

           

           

          そうして大人になり、地味に音楽を一人でやっていた。自室での、いわゆる『宅録』。

           

          それは中学生の時からやっていたが、協調性のないボクは、高校で部活を初体験した。

           

          フォーク全盛の終焉期。生ギターを弾き唄う部活。殆ど女子で、部員数自体多かった。

           

           

          活動は、放課後、視聴覚室。理科室とか書道室とかだけがある、裏手にある別棟校舎。

           

          新設校だったので、校舎はとても綺麗だった。廊下や階段でギターを弾き唄う自由さ。

           

          ボクは、特に『男子トイレ』で唄うのが好きだった。無駄に広く、気持ち良く響いた。

           

           

          変声期の時に、声帯を痛めて、ボクは喋るだけで声枯れがするくらいに喉が弱かった。

           

          思うように歌えないストレスを抱えていたから奇跡的に喉の調子がいいと唄いまくる。

           

          高校時代は、ボクが唯一『健康』でいられたごく短い期間。それを有意義に過ごせた。

           

           

           

          自慢してもいいと思うが、中高の時、唯一『モテ期』だった。なぜか女の子にモテた。

           

          文化祭での部のコンサートで出待ちの後輩の女の子に握手を求められ、しどろもどろ。

           

          まあ、ほんの短い人生最高の時だったので、思い出して、ニヤケてもいいと思うのだ。

           

           

          高3の或る日、自分の部屋で何気なく歌ったら、想定外に、喉の調子が良い日だった。

           

          即46分テープを用意し、安物のマイクをセットし、一気に10曲を唄い録音をした。

           

          物持ちのいいボクはそれを今でも保存していて、数年前デジタル・データに落とした。

           

           

          ボクは、何の目的もなく、自己満足で、自分の演奏を『YouTube』にアップしている。

           

          が、しかし、誰も聞いちゃいない。まあ、大した演奏でもないし、それはそれでいい。

           

          誰も聞いちゃいないのだから、その高3の時の録音からミスのない3曲もアップした。

           

           

           

          そこで驚いた。ギター演奏は不人気だが、その唄を褒めて下さる人がいたりするのだ。

           

          先日もお褒めのコメントを頂いた。やっぱり褒められると嬉しいものだ、とニヤケる。


          ボクは、致命的な喉の弱さを言い訳にしているが、唄うことがこの上なく大好きのだ。

           

           

          昔から、誰かの真似が好きじゃないし、自分の個性として表現に根拠ない自信がある。

           

          どんな表現、唄い方やギター演奏も自分そのもの。練習や努力嫌いも個性の内とする。

           

          昔の唄を褒めて下さるだけで喜んでいいと思う。『自画自賛、自己満足』でいいのだ。

           

           

          通信で繋がっているとの話とは別の次元で、聴いて下さるだけで、感謝するのである。

           

           

           

          この拓郎の唄は高校のトイレでよく絶唱していたなぁ。無駄に広いトイレを思い出す。

           

           

           

           

           

          今も唄いたくて堪らない。でも、ここ十数年はほぼ唄っていない。そんな状況でもない。

           

          てな訳で、昔の自分に勇気をもらうことがあったりする。自己完結であってもいいのだ。

           

          望むのは自由だが、望んでも到底叶わないことがある。それを受け入れることが大切だ。

           

           

           

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          時代への寄り添い方は選択次第

          2017.02.17 Friday 07:47
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            ボクが今の時代に生きていることは事実であり、時代を否定しても意味がない。

             

            だが、時代の潮流やあり方に寄り添う生き方をするかどうかは、個人の選択だ。

             

            無理に『他』に合わせる必要はない。何かと、『疎外』が好きな人間の社会だ。

             

             

            未だに『スマホはいらない』などと言うと、『変人』扱いされ兼ねないだろう。

             

            そういうことは想定しつつ、ボクは、時代に取り残されようと迎合などしない。

             

            そこに『無理』があるなら、生きていて『心地いい』とは言い難いことになる。

             

             

            混乱を極め、あらゆるデジタル化が進む物事とは、一定の距離を置いていたい。

             

            いわゆる『SNS』の類いは極力利用しない。いずれ、ネット離脱も想定内だ。

             

            年齢や生活形態の変化に伴い、通信契約を解除して、雑音なる通信を遮断する。

             

             

            それで生きていけない社会なら、ボクの居場所じゃない。くらいの覚悟をする。

             

            そう、一番恐れていることは、『井の中の蛙』になってそれに気付かないこと。

             

            自分の足許、立ち位置、それを意識しながら、視野を狭めない柔軟性の大切さ。

             

             

            身近なものでは、音楽は日々の潤いにおいて貴重なものだ。選択は個人の自由。

             

            放っておけば混沌とした巨大社会に埋もれてしまう『宝』を探し続けたいのだ。

             

            ボクが少しでも歩みを止めた時にそれは終わる。自分の足で歩み、探すことだ。

             

             

            荒廃した道の途中で出逢った『エリック・ビブ』という人。魅力的な表現者だ。

             

            この人も黒人であるが、流行のヒップポップとは程遠い処でギターの弾き語り。

             

            時代の潮流を嘲笑うなんて愚かなことはしない。ただ、己の道を進むだけ、だ。

             

             

            そんな彼も、ほぼ無名に近く、当然ラジオやメディアで取り上げられはしない。

             

            それまでしてきたように地道に草の根分けて探していたら『そこにいた』のだ。

             

            ボクの頬は弛み、心は躍る。『君はどこに隠れていたのだ』と喜びは隠せない。

             

             

            まだまだボクの知らない道の向こうに、彼のような素敵な人がいるに違いない。

             

             

            皮肉にも、フランス製作の彼の安価な3枚組ベスト盤はネットで見つけたのだ。

             

             

            簡単に、すべて否定することをしない、時代への寄り添い方の選択次第である。

             

             

             

             

             

             

             

            流れる血とはスゴいもので、どんな表現形態であろうと『ソウル』があるのだ。

             

             

             

             

             

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            唄と生ギターの物語る、ある情景

            2016.12.14 Wednesday 13:00
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              ボクの敬愛する音楽家『ジョー・ヘンリー』と『ビリー・ブラッグ』の二人。

               

              彼らがアコースティック・ギターをそれぞれ1本抱えて弾き語りを記録した。

               

              アメリカの『シカゴ』から『ロス・アンジェルス』までの列車の旅の途中だ。

               

               

              大きな主要駅の構内で、恐らくマイクを2本立ててライブ録音したのだろう。

               

              その駅の空間の雑音なども含まれている。彼らの最新アルバムが素晴らしい。

               

              朴訥に、生ギターを弾き、二人で唄う。少しも愛想がない。二人の存在だけ。

               

               

              録音がいいとは言い難いのに、そこには『物語』があり、『情景』も見える。

               

              何も語らないことで、何かが語られている。ボクは勝手にそれらをそう見た。

               

              生ギターは乾いていて、鳴っている。男臭い歌声。それだけで充分、なのだ。

               

               

              つい数年前に、日本の歌手『秦基博』が弾き語りばかり集めたCDを出した。

               

              ボクはうっかりそれを買ってしまった。最初の一瞬で『やっちまった』のだ。

               

              我慢して最後まで聴いたのだが、その後すぐに『ブックオフ』行きになった。

               

               

              いわゆる『マイク』で拾った音でなく、内蔵マイクを使用して『生』でない。

               

              ギターの音はデジタル空間系のエフェクトを掛けていて、湿って痩せている。

               

              彼は、自分の歌唱に余程自信があるのか、ギターは伴奏としか捉えないのか。

               

               

              余りにも、それを『弾き語り』と銘打つのは相応しくないとボクには思えた。

               

              ギターの音色を見事に殺してしまっては、『唄』だけが浮き上がってしまう。

               

              それが、今の潮流なら仕方ない。なかったことにしようとした個人的問題だ。

               

               

              弾き語りにおいて、唄とギターとの、相互関係の大切さを侮ってはいけない。

               

              それらをごそっと取り除いては、『物語』も『情景』も見えて来ないようだ。

               

              などと、安価な輸入盤の中の、ほんの1枚にボクは思い巡らせたのであった。

               

               

               

               

               

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              ちょっと、フラット気味がいい

              2016.06.01 Wednesday 08:33
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                最近、テレビで見掛けたのが、『歌ウマ』みたいなゲスを極めた番組だった。

                何やら、カラオケの機械による、いかに『巧く』唄うか、の点数を競い合う。

                音程や音符など『楽譜から外さず』歌い上げる。音楽をコケにしているよう。
                 

                その点数が高いから歌が巧い、なんてボクの概念にはないので呆れるばかり。

                テレビの見せ物として観た自分が悪いのだけど、見なかったことに出来ない。

                気持ちの整理をするため、暫く客観的に鑑賞したが、『違和感』は拭えない。
                 

                ボクは音楽をこよなく愛していて、唄うことが大好きで、何物にも代え難い。

                ボク個人の中では、どれだけ技巧的歌唱力があっても、響かなければお終い。

                単純に『音程を外さない』とか『声量がある』なんて『どうでもいい』のだ。
                 

                歌、って、空気を振るわす響きであり、心までも振るわす力があるかどうか。

                人の心の、感じ方は千差万別であり、その振り幅には無限大の可能性がある。

                なので、先の『歌ウマ』でお上手に唄われても、心に響いた人はいなかった。
                 

                音程は絶妙な調味料の匙加減であり、レシピたる音符通りでは味気ないもの。

                例えば、ふと絶妙に少しだけフラットに外れると、なぜか『哀愁』を帯びる。

                かの天才『ポール・マッカートニー』は、ギターの音程で新たな試みをした。
                 

                ビートルズ解散後の傑作アルバムの中の、地味な『ブルーバード』という歌。

                エンディング間近のギターで、彼はギターの音程を明確にズラしているのだ。

                素人が聴いても『変だ』と感じる程、ギターのチューニングを狂わせている。
                 

                それが、彼の声の『哀愁』を更に増幅させ、心揺さぶられる。まさに天才だ。

                最初に聴いた時には、『ギターのチューニング無茶苦茶だ』と呆れたボクだ。

                それがまったくの『見当違い』と気付いたのは、ある程度いい年齢になって。
                 

                明らかに外れた音を放ったまま、作品として発売するプロはいないのだから。

                まだガキだった頃のボクは、薄っぺらい心で、『落胆』をしてしまったのだ。

                しかし、唯一無二の存在として、表現の奥行きが更なる探求を与えてくれる。
                 

                その奥行きのある表現は時間と共により深まる。奥行きのないものは廃れる。

                今の音楽は機械で音程を始めあらゆる修正が出来、デジタル処理の集合体だ。

                それらは作品ではなく商品でしかなく、アナログとの決定的な違いに思える。
                 

                『南佳孝』という歌手は、フラット気味、時にシャープ気味な唄い方をする。

                それが、絶妙に心に響いたものだ。計算ではなく彼なりの『揺らぎ』なのだ。

                ちょっとだけフラット気味で『妙に切ない』憂いを帯び、心がキュっとなる。
                 

                最近、レコードが見直されているとの話。眉唾だが、悪い話じゃないだろう。

                だが、創造の豊かさを失って、音楽の衰退は、もっと他の処にある気がする。

                完璧に『修正』を施そうとしても、人間性は嘘をつかない。それが歌なのだ。
                 

                あくまでも個人的な思い入れであって、自分が正しいなんて想っちゃいない。




                エンディング間近に、この裏技で人の心をギュっと掴むポールは素晴らしい。
                 




                 

                この『南佳孝』は、アクが強く好き嫌いが別れる。それくらい個性的がいい。
                 




                先の歌と同じアルバム収録のこの歌。還暦過ぎた彼の歌唱は、彼のままなのだ。


                 


                彼に限らず、根底にブルーズのある歌い手は、フラット気味になることが多い。



                共に40年近く昔の作品だが、古くなる処か、いつ聴いても新鮮な喜びになる。

                昨今では、『新しさ』が異様な速度で『古さ』を感じさせるのは如何なことか。

                社会や人のあり方の変化が表現や作品の質を落としてしまう時代になったのか。


                音楽は普遍的な魔力。その魔力を新しい人に感じられないのは気のせいなのか。

                文明の進歩が文化の衰退を招いていると危惧するのは、自分の中で確信に近い。




                 
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                可能性を潰し、努力を怠り続けた

                2016.01.25 Monday 17:22
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                  人には、何かしらの『可能性』が潜在していて、その発見をするのも人生だと思う。



                  劣等感や卑屈な想いがそれを阻み、徒に『妬み』『嫉み』などを抱えることもある。



                  少しでも『どうせ、自分なんか』との感情を持てば、心はそれらに占拠されるのだ。




                  ボクは幼少期から父親の言葉の暴力によって、抑圧だけの暮らしに気力をなくした。



                  それは神経過敏な気質を増長させ、物心ついた頃から自律神経失調症に悩まされた。



                  環境が変わると『食べられない』『眠れない』など、常に『不安』に押し潰された。




                  外食が出来ない。自分の布団でも眠れない上に、他所では一睡も出来なかったりした。



                  最初の試練は、林間学校や修学旅行。食事も摂れず、夜は、ほぼ眠れない状態だった。



                  何も楽しくないし、むしろ苦痛でしかない。でも、それを他人に気付かれたくもない。




                  家に辿り着いたら、すぐに寝込むような記憶しかない。自分の殻に閉じこもる始末だ。



                  元々、そのような気質があっての、19歳での大事故は、決定的なダメージになった。



                  今でこそ『うつ病』とか認知されているけれど、当時は『心が弱い』で片付けられた。




                  父には『人間のクズ』と罵倒され、人として『否定』され続け、より自我を殺してきた。



                  自分が何で生きているのか。そればかり考え、10秒に1回は死にたい気持ちになった。



                  世間では『遊び盛り』と言われる時期を、ボクは『廃人』のように無為に見送ってきた。




                  だが、それと平行して、ボクの中では『音楽を愛する』エネルギーが枯渇しなかった。



                  苦しければ苦しい程に、ボクを音楽に向かわせた。だが、『努力』には遠く及ばない。



                  集中力も持続しないので、自分の中の『可能性』も自ら潰し続けてきたように感じる。




                  それでも、15歳で初めて作詞作曲してから、少なくとも50曲以上の唄を作成した。



                  楽譜が書けないので、カセット・テープに簡易録音するしかなく、殆どは死んでいる。



                  詩を書き留めたノートは保存されているが、曲を覚えているのは、ほんの数曲だけだ。




                  そこで、ボクはある程度健康を取り戻していた頃に録音を試み、3曲だけ完成させた。



                  16トラックのデジタル・レコーダーを買い、すべての楽器を自分で演奏して残した。



                  だが、その頃には、もう10代の頃のように『声が出なくなっていた』のが致命的だ。




                  変声期に声帯を痛めていた上に、喘息や薬の副作用、何より声を出さない生活だった。



                  声帯も筋肉なので、声を出さないでいないと弱る。元々出ないものがより出なくなる。



                  奇跡的に喉の調子がよくても、自分が思っている以上に声が出ないことに愕然とする。




                  そんな具合で、ボクは自作の唄の多くを消滅させてしまった。彼らに懺悔したい。



                  そこで、一番最初に過去の曲を録音した音源を、裸を曝すように出すことにした。



                  我ながら、よく頑張ったと思う。適応障害や不安障害に悩まされる中での出来事。




                  それを記録した音が、確かに存在している。これは、自分から自分への感謝になる。




                  同時に、可能性を潰し続け、努力を怠り続けた生き方が、年月として現実を物語る。




                   




                  24ビットのデジタル録音により、音質だけは見事だが、到底、納得はしていない。


                  他人は誰も自分に興味ないから、自分だけは自分を許さない。お前ふざけるな、と。


                  これを録音して15年。たかが15年。されど15年だ。自己満足ではあり得ない。


                  もっと唄える筈、もっとギターも弾ける筈。など愚かな敗北者の言い草でしかない。


                  誰のせいでも、何のせいでもない。ただ、自分が自分を生きることを怠けた結果だ。




                  感謝したり、許せなかったり。心が張り裂けそうだ。生きることに疲れてしまった。




                  鳴り止まない耳鳴りも一層激しさを増し、発狂しない忍耐故、自らを滅ぼしそうだ。








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                  私は、あなたを欲しがる馬鹿

                  2016.01.22 Friday 12:22
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                    人を想うと、見境がなくなることがある。『恋は盲目』とは言い得て妙だと思う。



                    ボクも幾度か『心が盲目』になり、馬鹿を極めたりして、愚かを思い知らされた。



                    そこで、『I ’ m fool to want to you』という古い唄だ。




                    ボクの好きな、膨大な数の、ジャズのスタンダード・ナンバーの中の1曲である。



                    直訳すれば、『私は、あなたを欲しがる馬鹿です』なんて感じになるのだろうか。



                    ボクは元々馬鹿であるから、まさしく『あなたを欲しがる』ことで自分を失った。




                    もう随分と恋をしていない。5年、いや7年。思い出せないくらいの遠い記憶だ。



                    最近、ふと『人恋しく』なる。誰かを想いたくなる。でも、現実的には無縁な話。



                    人生半世紀以上過ぎ、未だ恋が成就したことがない。馬鹿を極めるのも悪くない。




                    自ら自虐的なことで自分を慰めるのでなく、惨めなりにも堕ちながら上を見たい。



                    酒に溺れて、抱える苦しみが相殺されるなんてことはない。それが生きることだ。



                    そんな悲痛の底で、無性に聴きたくなる唄がこれ。馬鹿が惚れる。馬鹿よ永遠だ。




                    名唱、名演が多く残されている中でも、ビリーとチェットは格別、胸に染み渡る。



                    共にボロボロで死んだ。『自滅』を本気で生きた見本だ。などと生意気にも想う。



                    酒とドラッグに溺れ続け、最期は身も心もズタズタになっていたのは作品が示す。




                    ビリーは、10代の親の元で、差別と貧困。11歳で強姦され、施設に強制収容。



                    天才的歌手として世に出たことにより、むしろ更なる苦しみを抱えたのだろうか。



                    凡人には測りし得ない『生』を抱えていたのか。薬と酒に蝕まれ44歳で死んだ。




                    チェットは、ジャズ界のジェームス・ディーンと呼ばれ、若くして人気を博した。



                    トランペッターとして、または中性的な歌声でも、得も言われぬ魅力を発揮した。



                    だが、彼もドラッグに溺れ、逮捕、収監。才能を自ら潰し、挙げ句に謎の転落死。




                    二人に共通するのは、胸が締め付けられるような、努力では出せない表現の極み。



                    それをこの『I ’ m fool to want to you』で感じるのだ。



                    共に、晩年のもので、生命力も薄れ、勢いはない。なのに、心にグサリと刺さる。





                    ボクの所有するCDでのこの唄の邦題は『恋は愚かというけれど』となっている。








                    本職であるチェットのラッパ。こんなに泣いているような音は久しく聴いてない。







                    あなたを欲しがる馬鹿。この唄を聴くと、心から、恋をしたくなる。人なんです。






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                    デヴィッド・ボウイ、が死んだ

                    2016.01.12 Tuesday 17:17
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                      いつだろう、『デヴィッド・ボウイ』が死んだことを知った。



                      ちょっとしたショックがある。



                      誰しも、死は訪れるものだが。



                      今のボクは尚更、死に敏感だ。



                      あまりに、突然過ぎたようだ。





                      つい先日、四日前に新作を安い輸入盤で買ったばかりだった。



                      その最新作の発売日の1月8日は、彼の69回目の誕生日だった。



                      でも、今思えば、『これが最後』という『匂い』がしていた。



                      ここ数年の長い闘病から蘇った、と思っていたのに、



                      伝説を残した人の死は、いつでも唐突にやってくる。




                      復活してから二作目の新作は彼の最期に相応しい。



                      半世紀近くに及ぶ過去の作品を否定するかのよう。



                      新進気鋭のジャズ・ミュージシャン達との融合作。



                      声の張りがないのは否めないけれど、彼は最後まで冒険をし続けてくれた。



                      サウンドは混沌としつつ、昨今のぬるい音を遥かに凌駕する凄みがあった。



                      出す方も聞く方も『ジャンク』レベルに慣れた、商売音楽を嘲笑うようだ。



                      苦労を売り物に出来る、一連の商売集団には、退屈な音に違いないだろう。



                      かの『配信』とやらを横目に、ジャケット全体の創りも秀逸な作品である。



                      黒地に黒箔押しの印刷。渋過ぎる。正面から見たら『何も見えない』のだ。



                      表現とは、ただ一面を捉えるだけではなく、複眼的な視点だと再確認した。





                      黒い星だけ、『★』これが彼の最後の曲だ。10分に及ぶ音の渦に酔いしれたい。



                        




                      マーク・ジュリアナの斬新かつ贅肉を削ぎ落としたドラムスが、音空間を広げている。


                      聴けば聴く程に、味わいが深まる。いい、とか。悪い、とか。そんなレベルじゃない。





                      約45年前、1972年作の彼の代表作の一つ『ジギー・スターダスト』。



                      これは今聴いても新鮮で、痺れるようなサウンドだ。少しも古くならない。








                      魂のある表現者が次々に天に召され、エンターテーメントの世界も終焉を迎える。



                      ゲスを極めた人等、そういう何も潤わない話題は『どうでもいい』事でしかない。


                      ただ、伝説的な表現者たちが亡くなった、と不意に聞くと胸が傷む今日この頃だ。







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                      • 愛することで、生きていられる
                        HAWK2700
                      • 幻の中の、ポール・マッカートニー
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                      • 幻の中の、ポール・マッカートニー
                        HAWK2700
                      • 好き、という気持ちは力になる
                        hallysmile
                      • 好き、という気持ちは力になる
                        なお
                      • うまく息が出来ない、のなら
                        hallysmile
                      • うまく息が出来ない、のなら
                        HAWK2700
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