ジュリー、唯一無二のスターアイドル

2018.05.20 Sunday 08:18
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    ボクは、子供の頃には、いつも『ひとり』で過ごしていた。『一人』『独り』そのどちらも。

     

    いわゆる鍵っ子で、保育園の頃から家の鍵を首から下げ、黙ったまま、一人遊びをしていた。

     

    生活にゆとりのある家庭ではないので、おもちゃなどは、ほとんどなく、時間だけがあった。

     

     

    子供らしさも可愛げもなく、大人の顔色ばかり伺うボクは唯一、絵を描くことが好きだった。

     

    その頃には、いわゆる『妄想』をすることで、どこか違う世界に自分を放り投げていたのだ。

     

    自主性のない現実逃避する子供で、もし音楽に出逢っていなければ、どうなっていただろう。

     

     

     

    そんなボクは、小学生のある日、ラジオから流れてきた唄に、経験のない衝撃を受けたのだ。

     

    兄が留守の時に、黙ってカセットテレコを拝借して、ラジオから流れる、その唄を録音した。

     

    それが『沢田研二』の『追憶』だ。この出逢いをきっかけにボクは音楽という現実に向かう。

     

     

    その『追憶』という唄には、一撃でノックアウトされた。何度も何度も再生して聴き惚れた。

     

    安物のカセットテープの籠ったの音にも関わらず、そこから放たれる魔法で心は解放された。

     

    その出逢いの直後、小学生のボクは、『ビートルズ』にさらなる衝撃を受け、扉は開かれた。

     

     

     

    ジュリー最大の魅力は、声、歌唱、表現力に匂う色気。非の打ち所がないスターアイドルだ。

     

    だが、彼は欧米のロックやソウルに魅せられ、根っこは相当尖っていたと当時を語っている。

     

    そんなことは子供には判らなかったが、今こうして聴いてみると『根っこ』は嘘をつかない。

     

     

    今でも全盛期だった70年代の頃のジュリーの唄を網羅したベスト盤は、少しも色褪せない。

     

    どれを取っても名曲の数々。特に大ヒットした『勝手にしやがれ』以前は、目眩がする程だ。

     

    あの曲が売れに売れ、その後は商業路線に走り、迷走し、やがて80年代後半に急失速した。

     

     

     

    それでも今、商業的な『ジュリー』を観ても、桁外れに『カッコいい』ことには違いはない。

     

    歌番組の伝説でもある『夜のヒットスタジオ』における表現は、今時のアイドルとは異質だ。

     

    敢えて断言してしまう。あれ程にあらゆる要素に秀でたアイドルは、後にも先にも観てない。

     

     

    昨今『プロダクション』『プロデューサー』に作られた『規格品』のように見えるアイドル。

     

    個人の才能とか個性とかが、引き出される場合もあるし、ない場合もある。生き残り商戦だ。

     

    その『プロダクション問題』で解放されたり、消されたり、側から見て大変な商売だと思う。

     

     

    まあ、昭和愛好家であるボクの言うことなど信用しない方がいいし、こんな話に中身はない。

     

    先日、その『夜ヒット』における『ジュリー』の映像を発見した。でも、後期のものばかり。

     

    頂点から徐々になだらかに下降していく様が観て取れる。ボクの観たいのは、これじゃない。

     

     

     

    小学生のボクをノックアウトした名曲『追憶』。この頃の曲はどれも素晴らしかったのだ。

     

     

     

    探せばあるもので、ボクがジュリーの虜になった時代の曲が断片的にだが網羅されていた。

     

     

    先日、ジュリーの全盛期を支えた『井上堯之』氏の訃報に触れて、切なく思い出したのだ。

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    褒められるって、やっぱり嬉しい

    2018.05.08 Tuesday 09:11
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      ボクは、子供の頃から人の顔色を伺いながら、『ひっそり』存在を消して生きていた。

       

      父に『怒鳴られ』『貶され』続け、物心ついた頃から大人が怖く、信用しなくなった。

       

      ので、一人遊びを狭い部屋の隅でしていた。気づいたら、絵を描くことが好きだった。

       

       

      新聞チラシの裏に、鉛筆で描いた。主に描いていたのは、『漫画』のキャラクターだ。

       

      漫画本など持っていなかったので、たぶん記憶とか想像で描いていたんだろうと思う。

       

      だいたい、『巨人の星』『明日のジョー』『タイガーマスク』ばかり描いていたのだ。

       

       

      親に見せたりはしなかった。『どうせ貶されるだけだろう』と卑屈に思っていたのだ。

       

      でも、我ながら『うまいな』と密かに思っていた。『自画自賛』はその頃身についた。

       

      だが小学6年の時、鉛筆で描いた『ポール・マッカートニー』の似顔絵を母に見せた。

       

       

      図工で習っもない陰影をつけ写実的に描き、我ながら『素晴らしい』と思えたからだ。

       

      その時、初めて母親に褒められた。褒められた経験のないボクは相当に浮かれたのだ。

       

      何事も貶され続けてきた幼少期。初めて、人に褒められることが『嬉しい』と感じた。

       

       

       

      そうして大人になり、地味に音楽を一人でやっていた。自室での、いわゆる『宅録』。

       

      それは中学生の時からやっていたが、協調性のないボクは、高校で部活を初体験した。

       

      フォーク全盛の終焉期。生ギターを弾き唄う部活。殆ど女子で、部員数自体多かった。

       

       

      活動は、放課後、視聴覚室。理科室とか書道室とかだけがある、裏手にある別棟校舎。

       

      新設校だったので、校舎はとても綺麗だった。廊下や階段でギターを弾き唄う自由さ。

       

      ボクは、特に『男子トイレ』で唄うのが好きだった。無駄に広く、気持ち良く響いた。

       

       

      変声期の時に、声帯を痛めて、ボクは喋るだけで声枯れがするくらいに喉が弱かった。

       

      思うように歌えないストレスを抱えていたから奇跡的に喉の調子がいいと唄いまくる。

       

      高校時代は、ボクが唯一『健康』でいられたごく短い期間。それを有意義に過ごせた。

       

       

       

      自慢してもいいと思うが、中高の時、唯一『モテ期』だった。なぜか女の子にモテた。

       

      文化祭での部のコンサートで出待ちの後輩の女の子に握手を求められ、しどろもどろ。

       

      まあ、ほんの短い人生最高の時だったので、思い出して、ニヤケてもいいと思うのだ。

       

       

      高3の或る日、自分の部屋で何気なく歌ったら、想定外に、喉の調子が良い日だった。

       

      即46分テープを用意し、安物のマイクをセットし、一気に10曲を唄い録音をした。

       

      物持ちのいいボクはそれを今でも保存していて、数年前デジタル・データに落とした。

       

       

      ボクは、何の目的もなく、自己満足で、自分の演奏を『YouTube』にアップしている。

       

      が、しかし、誰も聞いちゃいない。まあ、大した演奏でもないし、それはそれでいい。

       

      誰も聞いちゃいないのだから、その高3の時の録音からミスのない3曲もアップした。

       

       

       

      そこで驚いた。ギター演奏は不人気だが、その唄を褒めて下さる人がいたりするのだ。

       

      先日もお褒めのコメントを頂いた。やっぱり褒められると嬉しいものだ、とニヤケる。


      ボクは、致命的な喉の弱さを言い訳にしているが、唄うことがこの上なく大好きのだ。

       

       

      昔から、誰かの真似が好きじゃないし、自分の個性として表現に根拠ない自信がある。

       

      どんな表現、唄い方やギター演奏も自分そのもの。練習や努力嫌いも個性の内とする。

       

      昔の唄を褒めて下さるだけで喜んでいいと思う。『自画自賛、自己満足』でいいのだ。

       

       

      通信で繋がっているとの話とは別の次元で、聴いて下さるだけで、感謝するのである。

       

       

       

      この拓郎の唄は高校のトイレでよく絶唱していたなぁ。無駄に広いトイレを思い出す。

       

       

       

       

       

      今も唄いたくて堪らない。でも、ここ十数年はほぼ唄っていない。そんな状況でもない。

       

      てな訳で、昔の自分に勇気をもらうことがあったりする。自己完結であってもいいのだ。

       

      望むのは自由だが、望んでも到底叶わないことがある。それを受け入れることが大切だ。

       

       

       

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      時代への寄り添い方は選択次第

      2017.02.17 Friday 07:47
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        ボクが今の時代に生きていることは事実であり、時代を否定しても意味がない。

         

        だが、時代の潮流やあり方に寄り添う生き方をするかどうかは、個人の選択だ。

         

        無理に『他』に合わせる必要はない。何かと、『疎外』が好きな人間の社会だ。

         

         

        未だに『スマホはいらない』などと言うと、『変人』扱いされ兼ねないだろう。

         

        そういうことは想定しつつ、ボクは、時代に取り残されようと迎合などしない。

         

        そこに『無理』があるなら、生きていて『心地いい』とは言い難いことになる。

         

         

        混乱を極め、あらゆるデジタル化が進む物事とは、一定の距離を置いていたい。

         

        いわゆる『SNS』の類いは極力利用しない。いずれ、ネット離脱も想定内だ。

         

        年齢や生活形態の変化に伴い、通信契約を解除して、雑音なる通信を遮断する。

         

         

        それで生きていけない社会なら、ボクの居場所じゃない。くらいの覚悟をする。

         

        そう、一番恐れていることは、『井の中の蛙』になってそれに気付かないこと。

         

        自分の足許、立ち位置、それを意識しながら、視野を狭めない柔軟性の大切さ。

         

         

        身近なものでは、音楽は日々の潤いにおいて貴重なものだ。選択は個人の自由。

         

        放っておけば混沌とした巨大社会に埋もれてしまう『宝』を探し続けたいのだ。

         

        ボクが少しでも歩みを止めた時にそれは終わる。自分の足で歩み、探すことだ。

         

         

        荒廃した道の途中で出逢った『エリック・ビブ』という人。魅力的な表現者だ。

         

        この人も黒人であるが、流行のヒップポップとは程遠い処でギターの弾き語り。

         

        時代の潮流を嘲笑うなんて愚かなことはしない。ただ、己の道を進むだけ、だ。

         

         

        そんな彼も、ほぼ無名に近く、当然ラジオやメディアで取り上げられはしない。

         

        それまでしてきたように地道に草の根分けて探していたら『そこにいた』のだ。

         

        ボクの頬は弛み、心は躍る。『君はどこに隠れていたのだ』と喜びは隠せない。

         

         

        まだまだボクの知らない道の向こうに、彼のような素敵な人がいるに違いない。

         

         

        皮肉にも、フランス製作の彼の安価な3枚組ベスト盤はネットで見つけたのだ。

         

         

        簡単に、すべて否定することをしない、時代への寄り添い方の選択次第である。

         

         

         

         

         

         

         

        流れる血とはスゴいもので、どんな表現形態であろうと『ソウル』があるのだ。

         

         

         

         

         

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        唄と生ギターの物語る、ある情景

        2016.12.14 Wednesday 13:00
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          ボクの敬愛する音楽家『ジョー・ヘンリー』と『ビリー・ブラッグ』の二人。

           

          彼らがアコースティック・ギターをそれぞれ1本抱えて弾き語りを記録した。

           

          アメリカの『シカゴ』から『ロス・アンジェルス』までの列車の旅の途中だ。

           

           

          大きな主要駅の構内で、恐らくマイクを2本立ててライブ録音したのだろう。

           

          その駅の空間の雑音なども含まれている。彼らの最新アルバムが素晴らしい。

           

          朴訥に、生ギターを弾き、二人で唄う。少しも愛想がない。二人の存在だけ。

           

           

          録音がいいとは言い難いのに、そこには『物語』があり、『情景』も見える。

           

          何も語らないことで、何かが語られている。ボクは勝手にそれらをそう見た。

           

          生ギターは乾いていて、鳴っている。男臭い歌声。それだけで充分、なのだ。

           

           

          つい数年前に、日本の歌手『秦基博』が弾き語りばかり集めたCDを出した。

           

          ボクはうっかりそれを買ってしまった。最初の一瞬で『やっちまった』のだ。

           

          我慢して最後まで聴いたのだが、その後すぐに『ブックオフ』行きになった。

           

           

          いわゆる『マイク』で拾った音でなく、内蔵マイクを使用して『生』でない。

           

          ギターの音はデジタル空間系のエフェクトを掛けていて、湿って痩せている。

           

          彼は、自分の歌唱に余程自信があるのか、ギターは伴奏としか捉えないのか。

           

           

          余りにも、それを『弾き語り』と銘打つのは相応しくないとボクには思えた。

           

          ギターの音色を見事に殺してしまっては、『唄』だけが浮き上がってしまう。

           

          それが、今の潮流なら仕方ない。なかったことにしようとした個人的問題だ。

           

           

          弾き語りにおいて、唄とギターとの、相互関係の大切さを侮ってはいけない。

           

          それらをごそっと取り除いては、『物語』も『情景』も見えて来ないようだ。

           

          などと、安価な輸入盤の中の、ほんの1枚にボクは思い巡らせたのであった。

           

           

           

           

           

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          ちょっと、フラット気味がいい

          2016.06.01 Wednesday 08:33
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            最近、テレビで見掛けたのが、『歌ウマ』みたいなゲスを極めた番組だった。

            何やら、カラオケの機械による、いかに『巧く』唄うか、の点数を競い合う。

            音程や音符など『楽譜から外さず』歌い上げる。音楽をコケにしているよう。
             

            その点数が高いから歌が巧い、なんてボクの概念にはないので呆れるばかり。

            テレビの見せ物として観た自分が悪いのだけど、見なかったことに出来ない。

            気持ちの整理をするため、暫く客観的に鑑賞したが、『違和感』は拭えない。
             

            ボクは音楽をこよなく愛していて、唄うことが大好きで、何物にも代え難い。

            ボク個人の中では、どれだけ技巧的歌唱力があっても、響かなければお終い。

            単純に『音程を外さない』とか『声量がある』なんて『どうでもいい』のだ。
             

            歌、って、空気を振るわす響きであり、心までも振るわす力があるかどうか。

            人の心の、感じ方は千差万別であり、その振り幅には無限大の可能性がある。

            なので、先の『歌ウマ』でお上手に唄われても、心に響いた人はいなかった。
             

            音程は絶妙な調味料の匙加減であり、レシピたる音符通りでは味気ないもの。

            例えば、ふと絶妙に少しだけフラットに外れると、なぜか『哀愁』を帯びる。

            かの天才『ポール・マッカートニー』は、ギターの音程で新たな試みをした。
             

            ビートルズ解散後の傑作アルバムの中の、地味な『ブルーバード』という歌。

            エンディング間近のギターで、彼はギターの音程を明確にズラしているのだ。

            素人が聴いても『変だ』と感じる程、ギターのチューニングを狂わせている。
             

            それが、彼の声の『哀愁』を更に増幅させ、心揺さぶられる。まさに天才だ。

            最初に聴いた時には、『ギターのチューニング無茶苦茶だ』と呆れたボクだ。

            それがまったくの『見当違い』と気付いたのは、ある程度いい年齢になって。
             

            明らかに外れた音を放ったまま、作品として発売するプロはいないのだから。

            まだガキだった頃のボクは、薄っぺらい心で、『落胆』をしてしまったのだ。

            しかし、唯一無二の存在として、表現の奥行きが更なる探求を与えてくれる。
             

            その奥行きのある表現は時間と共により深まる。奥行きのないものは廃れる。

            今の音楽は機械で音程を始めあらゆる修正が出来、デジタル処理の集合体だ。

            それらは作品ではなく商品でしかなく、アナログとの決定的な違いに思える。
             

            『南佳孝』という歌手は、フラット気味、時にシャープ気味な唄い方をする。

            それが、絶妙に心に響いたものだ。計算ではなく彼なりの『揺らぎ』なのだ。

            ちょっとだけフラット気味で『妙に切ない』憂いを帯び、心がキュっとなる。
             

            最近、レコードが見直されているとの話。眉唾だが、悪い話じゃないだろう。

            だが、創造の豊かさを失って、音楽の衰退は、もっと他の処にある気がする。

            完璧に『修正』を施そうとしても、人間性は嘘をつかない。それが歌なのだ。
             

            あくまでも個人的な思い入れであって、自分が正しいなんて想っちゃいない。




            エンディング間近に、この裏技で人の心をギュっと掴むポールは素晴らしい。
             




             

            この『南佳孝』は、アクが強く好き嫌いが別れる。それくらい個性的がいい。
             




            先の歌と同じアルバム収録のこの歌。還暦過ぎた彼の歌唱は、彼のままなのだ。


             


            彼に限らず、根底にブルーズのある歌い手は、フラット気味になることが多い。



            共に40年近く昔の作品だが、古くなる処か、いつ聴いても新鮮な喜びになる。

            昨今では、『新しさ』が異様な速度で『古さ』を感じさせるのは如何なことか。

            社会や人のあり方の変化が表現や作品の質を落としてしまう時代になったのか。


            音楽は普遍的な魔力。その魔力を新しい人に感じられないのは気のせいなのか。

            文明の進歩が文化の衰退を招いていると危惧するのは、自分の中で確信に近い。




             
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            可能性を潰し、努力を怠り続けた

            2016.01.25 Monday 17:22
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              人には、何かしらの『可能性』が潜在していて、その発見をするのも人生だと思う。



              劣等感や卑屈な想いがそれを阻み、徒に『妬み』『嫉み』などを抱えることもある。



              少しでも『どうせ、自分なんか』との感情を持てば、心はそれらに占拠されるのだ。




              ボクは幼少期から父親の言葉の暴力によって、抑圧だけの暮らしに気力をなくした。



              それは神経過敏な気質を増長させ、物心ついた頃から自律神経失調症に悩まされた。



              環境が変わると『食べられない』『眠れない』など、常に『不安』に押し潰された。




              外食が出来ない。自分の布団でも眠れない上に、他所では一睡も出来なかったりした。



              最初の試練は、林間学校や修学旅行。食事も摂れず、夜は、ほぼ眠れない状態だった。



              何も楽しくないし、むしろ苦痛でしかない。でも、それを他人に気付かれたくもない。




              家に辿り着いたら、すぐに寝込むような記憶しかない。自分の殻に閉じこもる始末だ。



              元々、そのような気質があっての、19歳での大事故は、決定的なダメージになった。



              今でこそ『うつ病』とか認知されているけれど、当時は『心が弱い』で片付けられた。




              父には『人間のクズ』と罵倒され、人として『否定』され続け、より自我を殺してきた。



              自分が何で生きているのか。そればかり考え、10秒に1回は死にたい気持ちになった。



              世間では『遊び盛り』と言われる時期を、ボクは『廃人』のように無為に見送ってきた。




              だが、それと平行して、ボクの中では『音楽を愛する』エネルギーが枯渇しなかった。



              苦しければ苦しい程に、ボクを音楽に向かわせた。だが、『努力』には遠く及ばない。



              集中力も持続しないので、自分の中の『可能性』も自ら潰し続けてきたように感じる。




              それでも、15歳で初めて作詞作曲してから、少なくとも50曲以上の唄を作成した。



              楽譜が書けないので、カセット・テープに簡易録音するしかなく、殆どは死んでいる。



              詩を書き留めたノートは保存されているが、曲を覚えているのは、ほんの数曲だけだ。




              そこで、ボクはある程度健康を取り戻していた頃に録音を試み、3曲だけ完成させた。



              16トラックのデジタル・レコーダーを買い、すべての楽器を自分で演奏して残した。



              だが、その頃には、もう10代の頃のように『声が出なくなっていた』のが致命的だ。




              変声期に声帯を痛めていた上に、喘息や薬の副作用、何より声を出さない生活だった。



              声帯も筋肉なので、声を出さないでいないと弱る。元々出ないものがより出なくなる。



              奇跡的に喉の調子がよくても、自分が思っている以上に声が出ないことに愕然とする。




              そんな具合で、ボクは自作の唄の多くを消滅させてしまった。彼らに懺悔したい。



              そこで、一番最初に過去の曲を録音した音源を、裸を曝すように出すことにした。



              我ながら、よく頑張ったと思う。適応障害や不安障害に悩まされる中での出来事。




              それを記録した音が、確かに存在している。これは、自分から自分への感謝になる。




              同時に、可能性を潰し続け、努力を怠り続けた生き方が、年月として現実を物語る。




               




              24ビットのデジタル録音により、音質だけは見事だが、到底、納得はしていない。


              他人は誰も自分に興味ないから、自分だけは自分を許さない。お前ふざけるな、と。


              これを録音して15年。たかが15年。されど15年だ。自己満足ではあり得ない。


              もっと唄える筈、もっとギターも弾ける筈。など愚かな敗北者の言い草でしかない。


              誰のせいでも、何のせいでもない。ただ、自分が自分を生きることを怠けた結果だ。




              感謝したり、許せなかったり。心が張り裂けそうだ。生きることに疲れてしまった。




              鳴り止まない耳鳴りも一層激しさを増し、発狂しない忍耐故、自らを滅ぼしそうだ。








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              私は、あなたを欲しがる馬鹿

              2016.01.22 Friday 12:22
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                人を想うと、見境がなくなることがある。『恋は盲目』とは言い得て妙だと思う。



                ボクも幾度か『心が盲目』になり、馬鹿を極めたりして、愚かを思い知らされた。



                そこで、『I ’ m fool to want to you』という古い唄だ。




                ボクの好きな、膨大な数の、ジャズのスタンダード・ナンバーの中の1曲である。



                直訳すれば、『私は、あなたを欲しがる馬鹿です』なんて感じになるのだろうか。



                ボクは元々馬鹿であるから、まさしく『あなたを欲しがる』ことで自分を失った。




                もう随分と恋をしていない。5年、いや7年。思い出せないくらいの遠い記憶だ。



                最近、ふと『人恋しく』なる。誰かを想いたくなる。でも、現実的には無縁な話。



                人生半世紀以上過ぎ、未だ恋が成就したことがない。馬鹿を極めるのも悪くない。




                自ら自虐的なことで自分を慰めるのでなく、惨めなりにも堕ちながら上を見たい。



                酒に溺れて、抱える苦しみが相殺されるなんてことはない。それが生きることだ。



                そんな悲痛の底で、無性に聴きたくなる唄がこれ。馬鹿が惚れる。馬鹿よ永遠だ。




                名唱、名演が多く残されている中でも、ビリーとチェットは格別、胸に染み渡る。



                共にボロボロで死んだ。『自滅』を本気で生きた見本だ。などと生意気にも想う。



                酒とドラッグに溺れ続け、最期は身も心もズタズタになっていたのは作品が示す。




                ビリーは、10代の親の元で、差別と貧困。11歳で強姦され、施設に強制収容。



                天才的歌手として世に出たことにより、むしろ更なる苦しみを抱えたのだろうか。



                凡人には測りし得ない『生』を抱えていたのか。薬と酒に蝕まれ44歳で死んだ。




                チェットは、ジャズ界のジェームス・ディーンと呼ばれ、若くして人気を博した。



                トランペッターとして、または中性的な歌声でも、得も言われぬ魅力を発揮した。



                だが、彼もドラッグに溺れ、逮捕、収監。才能を自ら潰し、挙げ句に謎の転落死。




                二人に共通するのは、胸が締め付けられるような、努力では出せない表現の極み。



                それをこの『I ’ m fool to want to you』で感じるのだ。



                共に、晩年のもので、生命力も薄れ、勢いはない。なのに、心にグサリと刺さる。





                ボクの所有するCDでのこの唄の邦題は『恋は愚かというけれど』となっている。








                本職であるチェットのラッパ。こんなに泣いているような音は久しく聴いてない。







                あなたを欲しがる馬鹿。この唄を聴くと、心から、恋をしたくなる。人なんです。






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                デヴィッド・ボウイ、が死んだ

                2016.01.12 Tuesday 17:17
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                  いつだろう、『デヴィッド・ボウイ』が死んだことを知った。



                  ちょっとしたショックがある。



                  誰しも、死は訪れるものだが。



                  今のボクは尚更、死に敏感だ。



                  あまりに、突然過ぎたようだ。





                  つい先日、四日前に新作を安い輸入盤で買ったばかりだった。



                  その最新作の発売日の1月8日は、彼の69回目の誕生日だった。



                  でも、今思えば、『これが最後』という『匂い』がしていた。



                  ここ数年の長い闘病から蘇った、と思っていたのに、



                  伝説を残した人の死は、いつでも唐突にやってくる。




                  復活してから二作目の新作は彼の最期に相応しい。



                  半世紀近くに及ぶ過去の作品を否定するかのよう。



                  新進気鋭のジャズ・ミュージシャン達との融合作。



                  声の張りがないのは否めないけれど、彼は最後まで冒険をし続けてくれた。



                  サウンドは混沌としつつ、昨今のぬるい音を遥かに凌駕する凄みがあった。



                  出す方も聞く方も『ジャンク』レベルに慣れた、商売音楽を嘲笑うようだ。



                  苦労を売り物に出来る、一連の商売集団には、退屈な音に違いないだろう。



                  かの『配信』とやらを横目に、ジャケット全体の創りも秀逸な作品である。



                  黒地に黒箔押しの印刷。渋過ぎる。正面から見たら『何も見えない』のだ。



                  表現とは、ただ一面を捉えるだけではなく、複眼的な視点だと再確認した。





                  黒い星だけ、『★』これが彼の最後の曲だ。10分に及ぶ音の渦に酔いしれたい。



                    




                  マーク・ジュリアナの斬新かつ贅肉を削ぎ落としたドラムスが、音空間を広げている。


                  聴けば聴く程に、味わいが深まる。いい、とか。悪い、とか。そんなレベルじゃない。





                  約45年前、1972年作の彼の代表作の一つ『ジギー・スターダスト』。



                  これは今聴いても新鮮で、痺れるようなサウンドだ。少しも古くならない。








                  魂のある表現者が次々に天に召され、エンターテーメントの世界も終焉を迎える。



                  ゲスを極めた人等、そういう何も潤わない話題は『どうでもいい』事でしかない。


                  ただ、伝説的な表現者たちが亡くなった、と不意に聞くと胸が傷む今日この頃だ。







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                  雨の日には、JDが聴きたくなる

                  2015.07.08 Wednesday 16:36
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                    雨の日は、嫌いではない。むしろ家で過ごす時には心地いい。とっても静かだ。



                    お気に入りの音楽でも聴きたくなる。例えば、J・D・Southerがいい。



                    31年前、吉祥寺のロンロンで買ったレコードに入っていた曲なんか、最高だ。




                    CDじゃない。当時はレコードだったので、買って帰るのも愉しみの内に入る。



                    大きいが、薄っぺらいビニール袋に入ったレコードをとても大事に小脇に抱え。



                    感動したレコードは、買った時のこともよく覚えている。これも、そうだった。




                    まさに、雨の降る日に買った。駐車場に停めた車に乗り込んで、家路を急いだ。



                    部屋に戻るなり、早速レコードを取り出しターンテーブルに乗せ、針を落とす。



                    そのレコードの2曲目『Go Ahead and Rain』は最高だった。




                    このアルバムの前作『You ’ r Only Lonely』は愛聴盤である。



                    近年出した、他人に提供した曲など含めたセルフ・カバー・アルバムも素敵だ。



                    シンプルにギターかピアノにベースとドラム。最近はシンプルがいいと感じる。




                    約30年近くも新作を出さなかったせいで、声量は衰えたが、切なさは健在だ。



                    31年前のオリジナルは、ノスタルジアがいい具合で、心の奥がキュっとなる。



                    年齢を重ねて、声を張らずにサラリと唄う初老のJDもまた味わい深いと思う。




                    雨の日には、こんな素敵な唄でも聴きながら、束の間、休息も必要なのである。





                    時を経て、刻まれた皺や薄くなった白髪もカッコいい。横顔の瞳が澄んでいる。







                    素敵な大人は、抱えた諸々を軽やかに昇華したかのようで、奥深さを醸し出す。







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                    昭和が好き、で何が悪いのだい

                    2014.12.24 Wednesday 03:39
                    0



                      ボクは、現代社会に馴染めない。コンピュータだらけで、目に見えない世界になった。



                      操作をひとつ間違えただけで、『失格』と怒られる。何事も急いて追い込まれるよう。



                      手触りや匂いのある紙に、HBの鉛筆で文字を書いていた、『素朴』な時代は遠い昔。




                      パソコンで、キーボードをコツコツ打っていると、自分がバカになったように思える。



                      誰もが『スマホ』とやらをいじり、俯いている。『ライン』とかでやり取りしている。



                      その『デジタル記号』である文字で『会話』が成立しているのか。ボクには判らない。




                      ボクは、『昭和』が好きだ。『畳』が好きだ。『匂い』と『温もり』を感じたいのだ。



                      不便なことは悪くない。現代はパソコンがないと社会からも排除されるような仕組み。



                      医者にかかるのは、お年寄りが多いのに、そのお年寄りを無視したシステムになった。




                      複雑を極め、犯罪も無限になり、ネット社会の歪みは更に加速をしていくのは必至だ。



                      まさに『格差社会』の象徴にも感じ、お金がなければ『何も出来ない』不安をも煽る。



                      ボクは、常に通信からの脱却を模索している。経済的にも生活においても課題になる。




                      携帯電話はほぼ機能していない。ネットもメールも、神経症になるだけの厄介なもの。



                      人と人が、面と向かって、『息が臭い』って感じられるのも悪いことじゃないだろう。



                      そこに、『会話』があり、『ふれあい』があり、『詩』があるようにボクには思える。




                      色を失った、コンピュータで構築された音楽が溢れ、人に体温があるのかも見えない。



                      レコードにあった丸さや奥行きを失った薄っぺらい『データ』でしかないのが音楽か。



                      それらは、ボクには『唄』ではない。もう、そういう類いは体が受け付けなくなった。




                      今の若者が『ファンキー加藤』とやらに感動出来たりすることが、不思議でならない。



                      40歳近い男が、何を言いたいのか。少しも歌唱していないし、『唄』なのだろうか。



                      批判をしたいのじゃなくて、ボク個人がそう『感じてしまう』だけのことでしかない。




                      そこでは『ダウンロード』して聴きたい曲だけをデータで持つ『合理性』も加担する。



                      裏方など多くの人が物作りに携わり、ジャケットも含めて『作品』として愛せるもの。



                      ジャケットから内袋を出し、丁寧にレコードを乗せ、慎重に針を落とす作業も面白み。




                      いわゆる『デジタル』のカリカリに固い音は、耳にも心にも痛い。躍動すら感じない。



                      無駄な周波数などなく、音楽は『空気の振動』すべての母なる自然を受け入れること。



                      今『昭和』が見直されていたりする。ただの『懐古趣味』なら、すぐに廃れる宿命だ。




                      この肌寒い季節になると、しみじみ聴きたくなる『昭和の唄』が幾つかあったりする。



                      それは、畳に寝転んでいじけていた『ろくでなし』の自分を俯瞰で眺められたりする。



                      決してノスタルジアではなく、『記憶』という『今』であり、自分の中で生きている。




                      今、聴きたいのは、加川良の『下宿屋』だったり、友部正人の『一本道』であったり。




                      どちらも、いつ聴いてもその時の『今』であり、『言葉』は生き続けて、現在なのだ。




                      心が動くこと。それが『生きている』ことで、心が動かなくなったら、もうお終いだ。





                      自分の部屋であってもフローリングには慣れない。この詩で畳が恋しくなるのである。



                       





                      この唄は、『昭和』の詩であるにも関わらず、現在でも『生き続ける』力があるのだ。







                      吉田拓郎に嫉妬を抱かせた、彼の唄を年齢を重ねた同朋たちが温かく聴く姿は素敵だ。


                      ボクは、この放送を生で観ながら、何度も涙を流した。頬を伝うそれは、温かだった。


                      ギターの音は乾いていて、余白があり、何より陽水の言うように『誠実』を見るのだ。



                      この『誠実さ』はどこに消えたのだろう。今一番足りない『想い』だとしみじみ思う。








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