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2017.07.23 Sunday
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    殴るって、人として失格だと思います

    2017.01.03 Tuesday 09:19
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      正月、早々。グダグダの、やっつけ番組ばかり垂れ流すテレビは観たくない。

       

      人気の、駅伝も観ない。何と言うか、もはや『スカウト』合戦の成れの果て。

       

      ほぼプロ野球の世界とそう変わりない感じがしてしまうのはへそ曲がり故だ。

       

       

      そんな話は、どうでもいい。ふと見たニュース。いい話ばかりじゃないのだ。

       

      よくある話。新年早々、40代の息子に介護されている母親が殴られ死んだ。

       

      介護していた息子は、『何度言っても判らないから殴った』と供述している。

       

       

      人として『失格』だと思う。どんな精神状態であろうと、やってはいけない。

       

      ボク個人は、今までに人を殴ったことはない。平手でビンタすらしていない。

       

      まず、人に対して手を挙げる。これはしてはいけない。青春ごっこではない。

       

       

      怒ることと叱ることはまったく別物だ。感情のままと、その人の為と、真逆。

       

      まして、実の親を殴って死なせるなんてしてはいけない。とボク個人は思う。

       

      その人の暮らしを知っている訳ではないので、無責任な判断になるのは前提。

       

       

      ボクも母親の介護を始めて4年が経つ。一概に『介護』で括るのに抵抗ある。

       

      家族の数だけ、介護の違いがある。人それぞれ、病気や認知症など様々違う。

       

      それらを一括りにしたくない。自分がどれくらい大変かなんて判らないこと。

       

       

      まあ、日々、『未知と遭遇』の連続だ。何が起こるか、予測、予想出来ない。

       

      その場、その時、瞬時に対応することが迫られる。四の五の言ってられない。

       

      筆舌にし難いこともたくさんある。まだ、経験していないことも多いだろう。

       

       

      介護したての頃には、母に『もう殺してくれ』と何度も言われ、対応をした。

       

      修羅場。ってどういうものを指すのか。でも、その最中にいる者は部外者だ。

       

      それは、他者から観た情景であり、傍観者でない当人には形容の仕様がない。

       

       

      ともあれ、どんな状況に置かれても、亡くなる程、人を殴るのはあり得ない。

       

      常日頃、いかに自分を律するよう、修練しているか。常に試されているのだ。

       

      まるでダメな自分は、いつでもそう思う。試され、受け入れて、乗り越える。

       

       

      言葉にするのは簡単なことだ。だから、ボクが何を言っても説得力などない。

       

      誰が悪いとか。誰のせいとか。そんな発想がある内は、たぶん何も出来ない。

       

      否が応でも、咄嗟に動くこと。それが出来る自分であること。それだけ、だ。

       

       

       

      合間に見た、ごく短いニュースにボクはある思いを抱いた。それだけの話だ。

       

       

       

       

       

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      自分でも情けない、と思うのだ

      2015.12.09 Wednesday 09:46
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        ボクは、安倍晋三という男が嫌いだ。極力、人の好き嫌いは言いたくはない。



        テレビなど露出のある人で好きになれない人はいる。人間だからそれはある。



        だが、好きという感情を浸食し、自ら『嫌な想い』を抱くのは生産的でない。




        その昔、若い頃のボクは尖っていて、『嫌い』が多かった。難癖つけ放題だ。



        そこで、そんな自分が『心地悪い』ことに気付き、その改善を試みることに。



        敢えて『嫌いなもの』『なぜ、嫌いなのか』との自分の中で探求をしてみた。




        例えば、音楽は客観的に聴いて、タレントならその人を観て、理由を探った。



        ごく希に『生理的に無理』があっても、凡そは『僻み』『妬み』があるのだ。



        自分にないもの。自分になれないもの。才能や資質。ただの器の小さいヤツ。




        その自分と対峙しながら、『嫌い』で充満していた心からそれらを排除した。



        修練なんて大袈裟なものではなく、ただ不快な自分でいるのをヤメたかった。



        それでも、やっぱり不快に感じることがゼロになることはないのは否めない。




        今現在、自分の中で『嫌いだ』とはっきり認識しているのは安倍晋三一人だ。



        何しろ、この国の総理なので、嫌いとかでは済まないのだから、問題なのだ。



        彼が長期政権を担うのなら、この不快感は払拭出来ないだろうと想像をする。




        彼は『3本の矢』が好きなようで、アベノミクスを掲げた時にこれを言った。



        それによって、『景気は上向いた』との意識を何となく世間は埋め込まれた。



        更には、『新3本の矢』とやらまで打ち出してらっしゃる。またですか、だ。




        今度の矢たちは『絵空事』にも思える。今の社会でどうやって実現するのか。



        まさにボクが現実的に直面している『介護離職』の問題。これをゼロにする。



        おいおい、ふざけちゃいけないよ。だが彼は本気のようで、怒りも感じない。




        高齢者社会が進む中、『介護殺人』が増え続ける。この5年間で44件ある。



        介護離職も年間10万人もいるらしい。先日、その特集をテレビで観たのだ。



        まさにボクと同じ『未婚男性』が親の介護をしている場合、推計44万人だ。




        取材を受けていた人の現在の貯金額で親が死んだ場合、5年も生活出来ない。



        ボクなどは、その人の半分にも満たない。せいぜい、1年持てばいいだろう。



        更には、長期離職後の再就職が非現実的。ほぼ不可能に近い。年齢も問題だ。




        ボクはその上に病気も抱えているので、これは『死にましょう』ということ。



        これを悲観してはいない。そんなことは10年近く前から想定していたのだ。



        その間、ボクは『死の準備』をしている。『終活』なんてキレイ事ではない。




        誤解を承知で言えば、『人が死ぬ』ということは、『お金』と『手続き』だ。



        感情的なものを排し、『遺品整理』や『事務的な手続き』は欠かせないこと。



        独り身にとっては、これを常に思考の中にいれておかないとならないだろう。




        安倍政権になって、格差が増したを感じるのは気のせいか。どうなのだろう。



        この世は判らない事だらけなので、知った振りなど出来ないし、していない。



        判らないからこそ、自分の中では精一杯、今出来ることに目を向けたいのだ。




        なので、安倍にイヤな感情を抱いているのは、自分でも情けないと思うのだ。






         
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        さて、どうしたものか

        2014.08.19 Tuesday 02:28
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          嘆いたり、悲観しても、今の状況がよくなる訳じゃない。



          だが、かなり切羽詰まった具合で、疲弊、疲労がヒドい。



          この2、3年、精神的にも肉体的にも休む暇がないのだ。




          毎晩のように、夜中に『安定剤』を飲むのが習慣になる。



          眠れないのに、朝には、布団から起き上がれない状態だ。



          日々、『限界だ』とお思いつつ、限界じゃない、ようだ。




          心の中で『ダメかもしれない』と思いつつ、ダメでない。



          何とか、日々を乗り切っている。だが、それにも疲れた。



          疲れて、疲れて、それでも起き上がり、事をこなすのみ。




          体もどんどん不調が重なり、時間が出来れば寝てばかり。




          やることはなくならないし、休んでもいられない生活だ。




          さて、どうしたものか。自殺などしないが、相当危ない。




          疲れ切ってしまい、自分を維持続けるのも精一杯になる。




          後回しにした問題が、山積していくだけで、片付かない。





          例えば、『病気』とか『介護』とか言葉にすれば薄いよ。








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          長い間に溜め込んだ、『澱』がある

          2014.06.18 Wednesday 03:09
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            もう、ここ数ヶ月、ずっと体調が悪い。反比例するように、精神的には安定してきた。



            ある意味『危機感』により『自己防衛』が働き、精神を自分で維持するようになった。



            かつては、ウツ特有の『イライラ』が際限なくあり、自分で自分を苦しめてきたのだ。




            判っていながら、『イライラ』を止められない。それが悪循環を呼び、気分が堕ちる。



            精神的にまったく『ゆとり』が持てなくなり、ストレスの過剰な蓄積を招いた状態だ。



            体は、嘘をつかない。『もう、これ以上はダメだ』と悲鳴をあげ、体調が悪くなった。




            思えば、3年と少し前に父が倒れてから、心身の休まる時がなかった、と今は感じる。



            入退院の連続と家での看護と介護の中、父は死んで、無数の事務的な手続きが残った。



            それと交錯する形で、母が倒れ、同じく入退院を繰り返し、家事と介護が今でも続く。




            他の病人を家族に抱える人のことは判らない。それぞれ違うものだし、比べられない。



            だが、『親だから仕方ない』と軽んじていて、出来るような甘いことじゃないと思う。



            それ相当の『覚悟』が必要になる。ボクの場合は、有無も言えずにやるしかなかった。




            病院や医師に任せればいい、とか。介護は福祉を頼ればいい、とか。じゃ済まない話。



            医師によって、命が左右されたりもする。福祉が何でも応えてくれるかと言えばノー。



            その家庭の経済状況も大きく左右する。『裕福』なら、それなりに『金』は役に立つ。




            よく『人の命は金では買えない』と言うが、それは常套句であり、キレイ事でもある。



            命はともかく、『何でもお金で買える』場合がある。某環境相の呆れた失言が象徴的。



            だが、それを言ったらお終い。すべては『必然』で、現実を受け入れることが大切だ。




            ボクは、この数年で色々と学んだようだけれど、まだ、ぜんぜん足りないと実感する。




            その結果が、今の『不調』に現れ、『自己管理』も出来ていない証しにもなっている。




            心のどこかで『誰かが助けてくれる』なんて1ミリでも思ったら、お終いなのだろう。





            長い間に心に溜め込んだ『澱』がある内は、まずそれを自分で探し、除去することだ。





            自分を活かすも殺すも、自分次第。まずは、滞った気の流れを良くすることが必要だ。










             
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            老いを受け入れて、死に向けて生きる

            2014.06.09 Monday 08:00
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              人は、どのように捉えているのか判らないが、『老い』には抗えないのが人間だ。



              肉体的な成長を終えたら、そこからは『維持』をしても、『老い』に向かうもの。



              スポーツ選手などは顕著で、『肉体的限界』に挑んでいることでもあると感じる。




              ボクは、『人の命は、魂という心が肉体という借り物の器で活かされる』と思う。



              これは、特別な宗教的な発想じゃない。特定の宗教で思考を限定しないでいたい。



              観念、と言ってしまえばそれまでだが、ボクの中では『そう捉えている』だけだ。




              肉体が存在する限りは、この現世で『心』が活かされることに『感謝』すること。



              そこが始まりになる。外見。強弱。肉体はそれぞれ違い、生まれながらの素材だ。



              それを受け入れることが、『自分を生きること』を肯定することであるのだろう。




              世の中には、身体的に不具合を抱えている人もいるし、生まれながらの人もいる。



              それを嘆いていても、自分の心が卑屈になる可能性を広げるだけにも感じている。



              人は、自分しか生きられないので、他人のことは厳密には『判らない』のが現状。




              自分よりも恵まれない人を『可哀想』と思うのは、典型的な『驕り』だと思える。



              健常者が、『障害者の頑張る姿に感動する』体の某番組も、ある種の『差別』だ。



              などと、ボクは勝手に思っているし、ボク自身は同じ目線を持てるようにしたい。




              今、母の『老い』の勢いを日々痛感している。一年前とは、別人なくらいに違う。



              つい一年半前には、自分の足で歩き、電車に乗って父の見舞いに行っていたのだ。



              だが、現在は、家の中でも歩くのがやっとだ。車椅子や歩行機が必要なのが現状。




              世の中には、80、90でも現役で働いている人もいるけれど、それはごく希だ。



              凡その人は、『老い』と闘い、受け入れることを強いられる。病気も含めて、だ。



              認知症などは、自分では受け入れることさえ出来ない。今のボクは、日々学習だ。




              母は、動作をする際に『声が出てしまう』ので、ボクは『何?』と聞いたりする。



              実際には何でもないのだ。『声が出ちゃうのよ』と言って母は笑う。ボクも笑う。



              まさに、志村けんの真似する老人そのものだ。ボクは冗談で、何度もそれを言う。




              コントで演じる、『年取ると自然と声が出ちまうだよ』という志村けんが重なる。




              そこに幸い、『笑い』が生まれている。これは、自分なりに会得した術でもある。



              母も『志村けんの観察力がそれだけ凄いのよ』と言って、自ら笑ったりしている。



              ベッドから起き上がるだけで『うぅ』、動く度『あぅ』、これが現実なのである。




              自分で動けなくなれば、下の世話も人に委ねる。これは、拒否など出来ないこと。



              母は、息子であるボクの前でも平気で自分を曝す。これは『信用』だと感謝する。



              自分で『老いを受け入れ、前を向く』ことにしたのだ。抗うのとは根本的に違う。




              達観なのかは定かでない。しかし、母は『何かを受け入れた』ように、進化した。



              老いを感じつつも、『生きること』に肯定的だ。悲観的は発想を排除しつつある。



              今その時を嘆いて無為にするより、『範囲内で最大限に楽しむ』ことを選択した。




              ボクもこの先、一人になる日が来る。誰もいないからだ。『死の準備』は必須だ。



              経済的にも、肉体的にも、精神的にも、『誰も頼れない』のを前提に生きること。



              これは、『悲観』ではない。死に向かって生きている『命』を受け入れることだ。




              ほぼ間違いなく『孤独死』の可能性が高く、後10年も生きられたら感謝なのだ。




              これは『寂しい』とかの感情とは別物で、ボクはもうその類いは忘れてしまった。




              すると『寂しい』と感じることがなくなれば、『苦しみ』とかも軽減したりする。










               

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              喋らないのではなくて、黙ること

              2014.04.24 Thursday 09:30
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                ボクは、ここ数日、殆ど喋っていない。



                正確に言えば、言葉は放っている。介護という日常における『やり取り』だ。



                でも、これは『話している』とか『喋っている』とかの感覚はないに等しい。




                だから、ここでも沈黙をしていた。



                何も『語る』必要がなかったのだ。




                やること、為すこと、すべてがうまく行かず、空回りしていた。



                有無も言わせずに、『心が痛かった』のを体感していたのだが、



                ただ、項垂れているのも能がないと思い、



                山積した問題を一つ一つ、丁寧に片付けていただけなのでである。




                母は、日々、刻々、その状態が掴めない。



                調子がいいかと思うと、直後には苦しそうにしている場合もある。




                予測不可能なことの連続に、嘆くことは実に簡単なことだ。



                その簡単なことを選択などしてはいけない、と思っていた。




                だから、ただ、ひたすた『今自分に出来ること』をやっていたのだ。




                今週は、二カ所の病院に行って、別の科での検査や診察をしている。




                今は、両足がくるぶしが見えなくなるくらいに腫れてむくんでいる。




                血液検査の結果、あらゆる栄養素の不足により、水を外に出す力がないのだそうだ。



                専門的なことは判らない。心臓やら、腎臓やら、肝臓やら。それぞれ、傷んでいる。



                苦労に苦労を重ねた挙げ句に、母は、今『それらを経ての自分』と向き合っている。




                ボクは、その『補助』をさせてもらっているに過ぎない。



                それを『介護』と短絡的に言うのは、忍びない気がする。



                だが、暫定的に世間でそう言われているようにしている。




                ボクは、『何もかもがイヤんなった』と言ったことに偽りはない。



                予期せぬ『魔』につけ込まれていたら、心中でもしていただろう。



                だが、そこで立ち止まっていては、『何も始まらない』と知った。



                試練の中には、『学習は幾らでもある』ことも、学習のひとつだ。




                ボクは、愚かなので、その『学習』を日々しなければ、生きていけない。




                だから、敢えて『何かを語る』ことなどに意味が見出せなかっただけだ。




                こうして、性懲りもなく、喋っていたりするのは、自分の維持が出来ている証しだ。




                決して自虐的ではなく、こうして、ブログなるものを書いていることは、愚かしい。




                自分の中で否定的に捉えている、『ソーシャル・ネットワーク』のある種の確認だ。





                それを知るには、『まずは、続けてみること』も『アリ』なのだと肯定してもいい。





                ボクはこの数日で、『黙ること』のあり方も、少しは学習しているのかもしれない。





                その対岸にある『黙らないこと』からの視点を確認してみるのも悪くはないだろう。










                 
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                もう、笑っちゃってもいい感じです

                2014.04.18 Friday 04:01
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                  ここ数年間の疲労が出てきたのか、異様に体調が悪い。



                  睡眠障害による寝不足も手伝ってか、すぐ横になりたくなる。



                  だが、横になったらなったで、じっとしていられない。




                  最近は母も『私なんか死んじゃえばいいんだろ。いいから殺してくれよ』との、



                  決まり文句を言わなくなった。それに付録としてついていた『泣くこと』もなくなった。



                  どこか、自分の中で、『ある種の諦観をしたのか』は定かではない。




                  妙に明るい感じがあったりする。これを、いいように解釈している。




                  毎度のように、食事の途中でしんどくなって、『ちょっと横になるね』と言う。



                  ボクは、『ああ、食べている途中ですぐ横になっちゃダメじゃんよ』と言う。



                  すると、母は笑いながら、『いいんだよ!!』と今までになかった対応をする。




                  なので、ボクも『もう、勝手にしちゃいなさい』と言う。



                  それに対して、『勝手にするよ=』って感じでクシャクシャの布団と格闘している。




                  その際に、『悲壮感』はない。



                  お互いに、笑っているのだ。



                  これが、『もう、笑っちゃうしかない』ってヤツか。



                  或は、『もう、笑っちゃっていい』って感じなのか。



                  そんなことは、『どうでもいい』と思う。




                  日々、模索と格闘を繰り返し、休む暇もなく、『介護生活』をしてきて、



                  何か『手段』というか、『知恵』というか、少しずつ『会得』している。



                  心に1ミリもゆとりがなくなると、かなり『危ない』と学んだ。




                  これでも、少しは学習をしているのだ。一歩でも前に踏み出している。



                  こうして、眠れなくても、『ま、いっか』『死にゃあしない』と開き直る。



                  これも、先の見えない暮らしに、自分たちの中だけでは必要なことだ。




                  どんなに辛く苦しくても、ボクは人と接する時には、ありったけの愛想で話す。



                  相手からすれば、『何だ、元気じゃない』と思うだろう。鈍感な人なら、ね。



                  そうだ。人として、どんな時にも、同じように対応することは大切なことだ。



                  でも、ケアマネや介護福祉士の人からすれば、『無理をしている』と感じるようだ。




                  いつもいつでも、『息子さんが倒れないように、あまり無理はしないで下さい』と。




                  しかし、ボクとしては、『大人の対応』を常に心掛けているのだ。



                  ツライから、仏頂面をするのは、実に簡単なこと。その『簡単』を選択はしない。



                  敢えて『苦しみを隠して、自分を鼓舞する』ことで、自らを支えているのだ。




                  こうして、毎晩のように、夜中という『狂気』ともうまく付き合うようになった。




                  まずは、『自分を見失ったら、お終い』ということが根底にあるのだ。




                  ボクは、好き好んで『死にたくなったりはしない』のだ。昔から、だ。




                  ウツの底で、闇の中でも光を探して、どこかで『諦めない』ようにしてきた。





                  そういった『学習』『修練』の積み重ねが、今ボクと母とに『笑い』をもたらす。




                  それくらい『自分で自分を褒めても罰は当たらない』と楽観的に捉えているのだ。




                  悲壮感漂う空気の中で、それに呑み込まれていては、『能がない』と知ることだ。









                   
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                  介護は、影の部分ではなくなるだろう

                  2014.04.08 Tuesday 09:03
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                    ほんの数年前まで、ボクの中で『介護』=『他人事』と捉えていたことは間違いない。



                    親が老いていくことには接していても、即『介護』という認識が甘かったと思う。



                    まさに『その日』は突然にやってくるのだ。容赦なく、いい訳も出来ない状態になる。




                    3年前に父が倒れてからは、怒濤の日々で、四の五の言っていられないようになった。



                    父は病人であるのに、『暴君』のまま、最後まで、我が儘、自己中心的な人間だった。



                    それにボクと母は翻弄され続け、ボクはウツなどの病気が悪化して、かなり苦しんだ。




                    更に、父の死と共に、母はそれまでの過労がたたり、直後に様々な病気に見舞われた。




                    この一年で7度の入院を繰り返し、4つの病気が判明、及び怪我が起きたのだ。




                    ほんの3ヶ月で、介護認定が最低の1から上から二番目の4にまで上がってしまった。



                    ほぼ寝たきり状態で、介護の負担は経済的にも奉仕的にも大幅に増したこと。



                    これは、侮ってはいけない問題になる。様々な病気を抱えているボクにとっては更に。




                    心身症による『嘔吐反応』のせいで、下の世話の度に口まで戻るゲロを呑み込む次第。



                    上の前歯はすべて自前でない差し歯のブリッジで、グラつきや出血のストレスだらけ。



                    その治療など出来ない。もはや、『カゼをひく』『胃腸炎』などはなってはいけない。




                    老人が老人を介護する『老老介護』や病人が病人を介護する『病病介護』の現状。



                    これを社会は、『福祉としてどう捉えているのか』がまったく見えてこないのだ。



                    経済再生ばかりを打ち出していて、しかも『東京オリンピック』など論外だろう。




                    確かに経済の再建は、社会全体において『重大な問題』であることに変わりはない。



                    だが、それによって『影の部分』に押しやられた『福祉』はいったいどうなるのか。



                    消費税導入に『ご理解を』なんて、聞いただけで呆れる。理解の前に説明だろうよ。




                    低所得者や後期老齢者など、『ネット』などと無縁の人間が社会から『疎外』される。



                    これは、どう捉えたらいいのか。ボクは現在パソコンでネットを利用している。



                    しかし、このパソコンが壊れたなら、新しいモノを買う余裕などまったくない。




                    そうやって、いわゆる『弱者』は、世の中の流れから弾かれる。流れの外、だ。



                    実際に、社会の流れは『ネット依存』が加速している。何でも『ネットで』だ。



                    病院の受診、細かい申請についての情報など、必要な人をお座なりにしている。




                    例えば、過疎地域で暮らすお年寄りの夫婦などは、まったく知ることもない別世界。




                    少子高齢化が囁かれて久しい昨今、介護問題が影の部分ではなくなる日も近い問題。



                    にも関わらず、政府は何をやっているのか。まったく見えてこない。役所も然りだ。



                    様々な制度があっても、それを必要としている当人には伝わって来ない現状は何だ。




                    市役所も、もっと真剣に仕事をしろよ、と思う。こちらが申請しなければ放置したまま。



                    ボクの住む街は、もう『どうしようもない』状態。巨額を投資して、駅前が寂れる有様。



                    都市計画が笑わせる。商店街は、シャッター通りになり、無駄に使われた税金はどこへ。




                    これって、どうなの?




                    これで、先進国って言えるの?




                    などと、ボクは日々刻々、未知なる介護に従事していて、痛切に感じているのだ。










                     
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                    年に100日以上は病院に行っている

                    2014.04.06 Sunday 02:02
                    0



                      一昨日の晩、母が転倒をして腕を打ったので、昨日は一日病院で過ごすことになった。




                      つい先週、別の病気で手術をし、退院したばかりだ。この一年で4つ目の病気になる。



                      母は車椅子にも座っていられないくらいに衰弱しているので、処置室のベッドで待つ。



                      まあ、土曜とあって病院は混雑極まりない。診察待ちだけで3時間も掛かった。




                      骨折はしていなかったのだが、骨が脆くなっていて、細かいヒビが無数に入っていた。



                      また、しばらく安静の日々が続くことになり、ボクの役割も増したのだ。




                      思えば、この3年くらい、父が倒れてから、年に100日以上病院に行っている。



                      父は入退院を繰り返し、毎日見舞いに行った。退院したら、検査や診察に行った。



                      そして、父が死んで程なく、今度は母が倒れて、入退院を繰り返すことになった。




                      ボクの軽自動車は、病院への移動だけで殆どのガソリンを使っている具合なのだ。



                      ボクは病院が苦手だ。いや、苦手を通り越して、『嫌い』『受け付けない』のだ。



                      そのボクが年中、病院に行く。あの独特の匂いと重苦しい雰囲気に飲まれる。




                      当然、お金も出て行く。病気をしている人程に、収入もなく医療費が掛かる。




                      そんな具合で、もう『嫌い』とか『受け付けない』とか言っていられない状態になった。




                      ボク自身は、心療内科以外の治療は経済的に断念している次第なのだ。



                      喘息の治療もヤメたし、歯の治療は途中で中断したまま、行けてない。



                      自分は、いったいどうなるのか。考える猶予すら与えられないでいる。




                      だが、どんなに病院漬けになっても、『慣れない』し、『疲れる』ものなのだ。




                      それこそ、うかうか『病気もしていられない』と常に気を張って生きる。




                      日々、限界を越えて、更なる限界も越える。その度強くなっていくのか。




                      だが、いい加減、病院の扉を開けるのには、辟易としているボクなのだ。










                       
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