現実は、容赦なく残酷である

2017.02.19 Sunday 17:27
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    人は、言葉を放つ生き物だ。

     

    声だけで、身動きだけで、無防備にすべてを示せたりしない。

     

    それぞれに『自分の価値観』とやらで、言いたいことを言う。

     

     

    日々、そこかしこで、声高に誰もが好き放題を言い放つ。

     

    言葉は、心の公害のごとく、受動喫煙させられるようだ。

     

    吸う自由はあっても、吸わない自由は許されない世界だ。

     

     

    例えば、簡単に『努力は必ず報われる』なんて断定出来たりもする。

     

    それが、その言葉が、すべての人の『救い』になるなんてないのだ。

     

    むしろ、それが心を掻き毟り、深い傷跡をつけることだって出来る。

     

     

    人は、言葉を持つ故、それを『愛』にも、『凶器』にも操れるのだ。

     

    努力がすべて報われるのなら、みんな幸せになっているんじゃない。

     

    それを『ポジティブ』とでも言うのかい。

     

     

    随分と都合がいいんだよね。

     

    何を以って、『前向き』だの『後ろ向き』だの、判断するんだい。

     

    その基準は、誰が決めるの。

     

     

    この世では、生きている間に経験することなどたかが知れている。

     

    自分一人を生きただけ、生きているだけで、『何かを言う』のだ。

     

    そりゃ、都合がいいものだ。知らないことは、知らないまま、だ。

     

     

    自分が知らないことがあることすら『知らない』のだから、

     

    言いたいことなんて、幾らでも言いたいだけ言えるようだ。

     

    乱暴に言い放たれた言葉の洪水の中で人々が溺れようと知らん顔。

     

     

    現実は、容赦なく、残酷なものだ。

     

    受け入れたくない、なんてぬるいことなど言うまい。

     

    だから、もう黙った方が賢明かもしれない。

     

     

    自分がバカに思えてくるだけだからね。

     

    黙りましょ。隠れましょ。いっそ逃げちゃいましょ。

     

    人に指さされようとも、構いやしない。

     

     

    もう、疲れて果ててしまって、お終いにも出来ないまま、この始末。

     

    自分で自分を強制終了出来るボタンはないものか。

     

    生身の生き物である人間には、それが出来ないなんて皮肉なものだ。

     

     

    ここまで堕ちたのなら、潔く自ら幕引きすればいいだけの話なのだ。

     

     

    残酷な現実を受け入れ、実態のない過去などいっそ捨ててしまおう。

     

     

     

     

     

     

     

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    凡ミスが大きなダメージになる

    2017.02.12 Sunday 06:16
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      ちょっとした『凡ミス』が大きなダメージになる。

       

      間違える。忘れる。倒す。壊す。なくす。割る。こぼす。ケガする。

       

      日々、閉塞感に気が張り詰め、急いているようだ。

       

       

      複数抱える病気や不具合は、悪くなる一方で、心身も疲弊していく。

       

      生活のための生活に、潤いはなく、ギスギス音を立てて崩れていく。

       

      母に『すみません』『ごめんなさい』と何度も何度も言われ続ける毎日。

       

       

      誰のためでもなく、ただ心からそうしているだけなのに、

       

      日常の中に潜む『澱』は、心の襞にこびりついてはがれない。

       

      何がしたいとか、じゃなくて、ただ生きることに必死になる。

       

       

      この閉塞感と焦燥感は、自分だけの空間に失速するのを促す。

       

      痛切に感じることは、人との関わりだ。

       

      もう何年も、人との関わりはないに等しい暮らしに埋没する。

       

       

      人は、他人との関わりの中で生きていくのが健康健全である。

       

      人との関係で、何かを感じ、何かを学び、いつしか感謝する。

       

      縁は、すべて必然だとしても、それを受け入れるのは難しい。

       

       

      でも、このままではいけない。

       

      良い訳がないのだ、と思える。

       

      想うだけで何もできていない。

       

       

      そう、そんな具合に今日も一日が始まったのだ。

       

      毎日。来る日も来る日も、同じような暮らしが続くのに、変えようがない。

       

      微妙に違う何かにも鈍感になって、それさえ忘れようとしている。

       

       

      世界中であらゆる悲劇が起きていようと、自分は自分の暮らしを優先する。

       

      それがどうとか、じゃなくて。

       

      何かを感じながら、それを形に出来ない。してもいない。

       

       

      年齢だけを重ね、地球の周回、重力に委ね、しがみつく。

       

      これで、『生きている』と言えるのかい。

       

      これで、明日を迎える自分を許すのかい。

       

       

      自問自答の渦の中、『凡ミス』は増える一方で、

       

      それによるダメージが大きくなるのを見過ごす。

       

      深呼吸をしようにも、空気が薄くてダメなんだ。

       

       

      常に何かに怯えているようで、堪らなく苦しい。

       

       

       

       

       

       

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      閉塞感に苛まれてはいられない

      2017.02.10 Friday 05:50
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        日々、ニュースや報道番組を見るのは苦痛である。いい話などないに等しい。

         

        トランプだ、安倍だ、小池だ、豊洲だ、東京オリンピックだ、お腹いっぱい。

         

        人も社会も混乱へと邁進し、行き詰まり状態の閉塞感に満ちて息苦しいのだ。

         

         

        他にも毎日のように、悪いニュースばかり。この耳が、この脳が麻痺をする。

         

        心には届かない。許容を越えて入らない。人々の暮らしも見えてこないのだ。

         

        無関心ではいられない。でも、目を開いても、心を開いても、何も見えない。

         

         

        個人的には、来る日も来る日も、苦痛しかない。でも、やることばかり、だ。

         

        調子が悪いだの、休みたいだの、増してや、楽しみたいなんて言えやしない。

         

        どんなに息苦しかろうが、生きるためには、我慢と忍耐が必要不可欠なのだ。

         

         

        って、じゃあ、何で生きているんだ。との疑問。そんなの考えてちゃダメだ。

         

        今の時代、これからの時代。何も望みはない。先窄みの圧迫を覚悟している。

         

        明日、来年のことを考えただけで失神しそうなのだ。今日のことだけでいい。

         

         

        とりあえず、今日を、今を乗り切ること。この瞬間の苦痛を越えてみること。

         

        苦しみにも慣れがあると自己暗示をして、この程度ならまあいいんじゃない。

         

        などと、自分で自分を鍛えることに知恵と工夫、想像と創造をもたらすのだ。

         

         

         

         

         

         

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        立ち止まることも、許されない

        2017.01.26 Thursday 08:58
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          生きている内は、立ち止まることも許されない。

           

          休みたいとか、苦しいとか、しんどいとか。

           

          それを言えるのなら、言えるくらいなら、口にしない方がいい。

           

           

          立ち止まった者は、容赦なく、切り捨てられる。

           

           

           

          死ぬまでは、生きること。

           

          それが、命。

           

          人に限らず。

           

          命が生まれた瞬間から、死に向かう時間が始まる。

           

           

          いずれ、命は尽きるもの。

           

          短いか、長いか。

           

          それは、時間という概念。

           

          概念は概念であり、命の話ではない。

           

           

          その命が、『どういうものか』は、まったく別になる。

           

           

          それを知りつつ、人の世は、立ち止まっている者には容赦などない。

           

          苦しみを抱える者、休みが必要な者、一緒くたにして。

           

          誰も見ない。

           

          誰も知ろうとはしない。

           

           

          悲しいとか、辛いとか、言える内は、恵まれているのだろう。

           

          立ち止まることも許されない者には、そんな暇さえないのだ。

           

          それが、人の世。

           

          それも、人の世。

           

           

          それは、嘆きではない。

           

          嘆きは、何も生まない。

           

          嘆こうが、嘆くまいが、

           

          それは、個人の問題だ。

           


          嘆く前に己の無知を知ること。

           

          あらゆる命に感謝をすること。

           

          命に優しくあろうとすること。

           

           

          生きるているのなら、それを心に、謙虚でありたいのだ。

           


          誰かが言っていた。『生きる目的を失うことは辛い』と。

           

          例えば、『どこに向かえばいいのか』と標を見失うこと。

           

          例えば、『何の為に生きているのか』と礎を見失うこと。

           

           

          見失ったとしても、『辛い』と言う前に、一旦黙る。

           

          声を上げても誰にも届かない場合があると知ること。

           

          それらすべて『誰かや何かのせい』にはしないこと。

           

           

          声を上げることを大切にするなら、誤りも覚悟する。

           

           

          自分を生きるのは、自分以外にいないのだから。

           

          生きている内は、生き続けることがすべて、だ。

           

          だが、生きる上で、続けることがすべてでない。

           

           

          死に向けて答えを探すことが大切であったなら、

           

          死ぬまで『正解』など出ないことを受け入れる。

           

          その先に答えがあるから生き続けるのではない。

           

           

          生きることが、結果的に持続になるだけであり、

           

          何かを求めることを目的にしなければいいだけ。

           

          こうして、能書きを垂れることも持続の一部だ。

           

           

           

           

           

           

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          金持ちの発想に振り回され続ける

          2017.01.11 Wednesday 13:07
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            小泉の坊ちゃんが『健康ゴールド免許』なる、不可解な提案をしておられる。

             

            何やら、『日々、健康であるように努力している』人を優遇するらしいのだ。

             

            おやおや、だ。『常に健康であるように』って発想そのものが不可解なのだ。

             

             

            健康に気をつけていても病気になるし、努力で病気にならないなんて、ない。

             

            所詮は、『金があるか』どうか。経済的にゆとりのある人が優遇されること。

             

            これは今に始まったことじゃないし、もはや驚きも怒りもない、呆れるだけ。

             

             

            安倍といい、小泉といい、まさしく、坊ちゃんの発想。凡その政治家はそう。

             

            これは、僻みとかじゃない。強いて言えば、庶民による、『偏見』だろうか。

             

            日々、『お金』に心身を縛られて、身動きが取れない者にはそう思えるのだ。

             

             

             

            高齢者の定義が変わることもそれ。高齢になる程に、健康に『差』が出来る。

             

            若い頃に無理をして体を壊す人もいれば、元々体の弱い人もいるのは当然だ。

             

            この『違い』を『差』にしてしまう。福祉における『格差』はなくならない。

             

             

            ご高齢の人からすれば、目紛しく変わるしくみに付いて行けない状態だろう。

             

            若者からすれば、将来に『不安』を抱くだろう。先行きが見えないのだから。

             

            今現在、まさに『介護』『医療』の問題に取り込まれている身には切実な話。

             

             

            実際に、治療が必要な病気を複数抱えていると、医療費負担はかなり堪える。

             

            で、ボクの場合は、治療薬の高額な『喘息』の治療は、一年以上ヤメている。

             

            こんな風に治療したくても出来ない人を切り捨てる政治のやり方は何だろう。

             

             

             

            母が通う『デイサービス』でも、『格差』を感じるそうだ。そりゃ、そうだ。

             

            経済的に裕福な身内がいれば、高額な医療や介護施設の利用に問題は少ない。

             

            だが、経済的に厳しい人は、適切な医療や介護を受けられないのが現実問題。

             

             

            もはや『高齢社会』に突入している今、早々に『高齢者切り』をしてしまう。

             

            それが、安倍政権の狡いやり口にも思わせる、様々な制度見直しには見える。

             

            これは、偏見云々ではなく、暮らしの中で切実に感じること。これから先も。

             

             

            いつか観たドキュメンタリー。ニュース番組。様々な闇に葬り去られる事実。

             

            体を壊して、働けなくなり、経済的に貧窮し、病院にもかかれない人がいる。

             

            まさに負の連鎖。このような人は、人知れず増えていくように危惧している。

             

             

            結局、『世の中、金だよ』って言ってしまいたくなる。言わないけれど、ね。

             

             

             

             

             

             

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            人は雑菌だらけの中で生きている

            2017.01.09 Monday 09:19
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              よくCMとかで『まあ、こんなに雑菌が・・・』みたいなのを観たりする。

               

              でも、この世にはどれだけ多くの雑菌があるのか計り知れないと想像する。

               

              それくらいは、想定内だ。人は、雑菌だらけの中で暮らしているのだろう。

               

               

              子供の頃には、『バイ菌』と呼んでいた。バイ菌が入って化膿した、とか。

               

              暮らしの中で、『菌』というものの捉え方は比較的シンプルなものだった。

               

              帰宅すれば『固形石鹸』と水で適当に洗う程度だ。水だけの場合もあった。

               

               

              手洗いをしても、しなくても、普通に風邪を引く。で、いつの間にか治る。

               

              殺菌効果のある石鹸などなかったし、予防とかに神経を遣っていなかった。

               

              それがいいとか、じゃなくて。当たり前に、そのような暮らしをしていた。

               

               

               

              今は、すっかり『滅菌』『予防』に気をつけないと、色々と大変なようだ。

               

              根本的にウィルスと菌は違うが、インフルエンザやノロウィルスを恐れる。

               

              薬局でも、それらに対する商品が、たくさん並んでいる。そんな時代、だ。

               

               

              専門家ではないので、曖昧な知識でしかないが、雑菌は、あって当たり前。

               

              人は、雑菌だらけの中で暮らしていると認識している。認識している筈だ。

               

              にしても、過剰なまでに菌に対して、『過敏』になっている気もしている。

               

               

              掌や口の中だって、菌だらけだと思う。菌があるから、対する免疫もある。

               

              菌を殺すための『抗生物質』を飲み続けていると、菌も耐性を持つらしい。

               

              で、抗生物質の効かなくなった菌に対する更なる強い抗生物質を生み出す。

               

               

              これを続けていて、抗生物質の効かない『スーパー耐性菌』が生まれたと。

               

              何とも、人が生み出した菌に苛まれるなんて、人間は何をやっているのか。

               

              昨今は、あらゆる『アレルギー』も増えた気がするし、免疫低下も感じる。

               

               

               

              ラジオで言っていた。洗い立てのタオルにも雑菌があると。だろうと思う。

               

              で、バスタオルも一回使えば雑菌が何千個に増え、日々、雑菌は増殖する。

               

              そんなことばかり気にしていたら神経症になる。潔癖性にはなりたくない。

               

               

              そもそも風呂の湯船の中ですら、雑菌だらけ。何をしようと菌は減らない。

               

              ボクは喘息持ちだが、部屋の掃除も殆ど出来ていない。やることが一杯だ。

               

              幸い、喘息の発作も最近は出ていないし、鼻炎も少なくなったと自覚する。

               

               

              何でもかんでも、細かく気にしていたら、『免疫』も『抗体』も出来ない。

               

              薬を飲み続ければ、効かなくなる。胃腸然り、風邪然り。過保護は避ける。

               

              気にすればする程に、『自己治癒力』『自然治癒力』も弱くなる気がする。

               

               

              母がノロになった時、マスクとゴム手袋して塩素系消毒で丹念に処理した。

               

              それでもすぐに自分も感染して、免疫力の落ちていたボクは治り難かった。

               

              日々の暮らし。『ストレス』はあらゆる害を及ぼし、『気』を失うばかり。

               

               

               

              4年間24時間止まない激しい耳鳴りも『気にしないこと』と医師が言う。

               

              耳鳴りの苦しさは、堪え難い。忍耐力がなければ発狂しそうになるだろう。

               

              でも、それが現実なら、受け入れた上で、『気にしない自分』になるだけ。

               

               

               

              しかし、それは簡単なことじゃない。気にしないって時点で気にしている。

               

               

               

              ので、実際は余計な外出は控え、手洗いなど『予防』には気をつけている。

               

               

               

               

               

               

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              素材の『旨味』を活かすことが大事

              2017.01.02 Monday 10:07
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                なんだかんだ、年末年始を迎えて、やっぱりあるんだよね。やりたいこと。

                 

                ここ数年、主夫になって、炊事洗濯などは固より、『料理』が大切なのだ。

                 

                人は、自分は、日々の食べ物で出来ている。食生活が、日常に繋がるのだ。

                 

                 

                そこで、年末30日から『お煮染め』などを作ったりしていた。

                 

                いわゆる『おせち』なんて、もうすっかり縁がなくなっている。

                 

                蛯とか、小魚とか、そういう類いは、『栄養管理』上、控える。

                 

                 

                最低限である『お煮染め』の具材は、ほぼ『精進料理』に近い。

                 

                焼き豆腐。厚揚げ。がんもどき。大根。人参。ごぼう。鶏肉。こんにゃく。

                 

                この辺は、微妙に煮汁のしみ具合が異なるので、工夫が必要だ。

                 

                 

                で、やっぱり、肝心なのは、『お雑煮』だ。

                 

                関東の醤油出汁。我が家で馴染みの味は、舌で覚えている。

                 

                具材は、『鶏肉』『なると(寿の入ったヤツ)』『三つ葉』のシンプルさ。

                 

                そこに、焼きもちを投入して、胡麻と青のりを振り完成だ。

                 

                 

                で、肝心なのは、『出汁』だ。

                 

                素材の『旨味』を活かすために、薄味にする。

                 

                醤油、塩は、最低限にして、『出汁』の出番。

                 

                ボクの定番は、『かつお』『あご』『昆布』『鶏ガラ』の4種。

                 

                これを、素材毎に、絶妙なバランスで変える。

                 

                 

                そんな訳で、今年も『質素』ながら、二人だけの食卓は、『美味』だった。

                 

                自画自賛。いつでも、そう。

                 

                自分で褒めなくて、誰が褒めてくれる。

                 

                自分で食べて美味しければ、『間違いない』となる。

                 

                 

                凄まじく、体調が悪いけれど、それなりに、正月を味わいたいのだ。

                 

                 

                 

                ここ数年、なぜか大晦日の晩は眠れない。ので、今年も早朝、初日の出を観に行った。

                 

                 

                人の大勢集まる高台に行くと、ちょうど林の木の中、幻想的に朝日が現れたのだった。

                 

                 

                 

                 

                三が日分の1。大晦日に買った刺身、かまぼこ。それ以外は二日掛かりで手作りした。

                 

                 

                元日くらいは、贅沢に『恵比寿ビール』だ。やっぱり、まろやかで、美味いのだった。

                 

                 

                カロリー、塩分だの。色々と食事制限があるので、お雑煮も餅1個、実に質素なのだ。

                 

                 

                見るからに、実際にも薄味だ。だが、出汁さえ利いていれば『素材の旨味』が活きる。

                 

                 

                 

                 

                 

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                まだ、夏のスリッパを履いていた

                2016.12.31 Saturday 16:55
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                  何だか、足許が寒い。と思ったら、大晦日のこの日。

                   

                  未だに、夏のスリッパを履いていたことに気付いた。

                   

                   

                  足の裏の密着する面が畳で出来ている、涼し気なヤツ。

                   

                  足の先が思いっきり出ていて、暖かい被いがないヤツ。

                   

                   

                  春先からずっと体調の悪化が続いていた。

                   

                  日々、色々と気を揉んでいた。

                   

                  ここ数ヶ月は、最低限のことしか出来ていなかった。

                   

                   

                  とは言え、すっかり冬用スリッパを買い忘れていた。

                   

                  昨年のヨレヨレの、汚れが酷いのが棚から出て来た。

                   

                  ぺちゃんこになっていて、余りに汚いので捨てよう。

                   

                   

                  まあ、仕方ない。寒い、この夏用のスリッパで年越しだ。

                   

                   

                  まあ、スリッパくらいで、何も変わりはしない。

                   

                  多少、気分は変わるかもしれないが、いいのだ。

                   

                  今更、どうしようもない。

                   

                   

                  そんな具合で、今日も午前、午后と寝て過ごした。

                   

                  夜も、早々に、床に就くことにしよう。

                   

                   

                  ともあれ他でもない、休みたいんです。

                   

                   

                   

                   

                   

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                  それぞれの生き方、それぞれの暮らし

                  2016.12.30 Friday 06:09
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                    最近は、色々な『ハラスメント』があるようだ。もはや把握など出来ない。

                     

                    まあ、代表的な『セクハラ』『パワハラ』『モラハラ』、『ハラ』だらけ。

                     

                    乱暴に『いやがらせ、いじめ』をするのは良くないのは人として当然の話。

                     

                     

                    だが、正直、その線引きが曖昧なのも事実だ。人によって判断が違うのだ。

                     

                    過去、親や教師、友人にも『人格否定』された経験は数え切れない程ある。

                     

                    高校時代、日本史の授業で教科書を読まされ間違えたら執拗に罵倒された。

                     

                     

                    ボクは傷つき、根に持った。日本史の授業は当てつけであからさまに寝た。

                     

                    当時、『噂』であった。卒業式の後、教師を体育館の裏に呼び出して殴る。

                     

                    おら、やるか。とボクはならない。案の定、その教師は卒業式を欠席した。

                     

                     

                     

                    人には、それぞれに生き方があって、それぞれに暮らしの違いがあるもの。

                     

                    育った環境が違えば、体験することも違う。似た体験でも感じ方は異なる。

                     

                    道理や常識など『正解』で決めつけるのは『個人的見解』で、答えでない。

                     

                     

                    『他者がどう感じるか』との『想像』を排除するのは人として失格だろう。

                     

                    他人に迷惑を掛けたり、貶めたり、欺いたり、言葉や肉体の暴力は明確だ。

                     

                    犯罪、犯罪スレスレのことを平気でやる人もいる、ということを認識する。

                     

                     

                    それを前提として、『人には判断基準の違いがある』ことも認識すること。

                     

                    当然『受け入れられないこと』もある。『人は判り合えないこと』もある。

                     

                    単に『他者を否定する』のは簡単なこと。否定と拒否はまったく違うもの。

                     

                     

                     

                    やれやれ。人は、人間関係は『厄介』になった。実に面倒が多いのである。

                     

                    だからこそ、人との接し方や話し方の大切さを常に心掛けることが大事だ。

                     

                    機嫌が悪いから、と。単に嫌いだから、と。一方的に自己を押し付けない。

                     

                     

                    中々どうして、生きることは大変なのだ。幾ら生きても、判らないでいる。

                     

                    テレビでは持論を闘わせ、物事の本質さえぶち壊して放置したままが多い。

                     

                    ネットを覗けば、おぞましい。匿名など、自己防御を盾に攻撃は止まない。

                     

                     

                    なぜ、『人はややこしい方向』へと邁進するのだろうか。などと思うのだ。

                     

                    もっとシンプルに、もっとしなやかに。もっと穏やかに、もっと客観的に。

                     

                    デジタル時計の如く、神経症のように全く『遊び』がないのは窮屈である。

                     

                     

                     

                    人里離れた田舎で自給自足の『スローライフ』とやらをすれば、済むのか。

                     

                    多分、それは『経済的』に余裕のある人に許された『特別』な暮らし方だ。

                     

                    安易に『格差』で片付けるのも能がない。単なる僻みにも取られ兼ねない。

                     

                     

                    今の世は、『他者を尊重する』ことをしにくい社会になってしまったのか。

                     

                    人はストレスだらけの中で、自らの制御も困難になっている。実感もする。

                     

                    大晦日の除夜の鐘がウルサイとのクレームで、自粛するお寺がある時代だ。

                     

                     

                    風情も何もない。もう『行事』というあり方も、捉え方が変わりつつある。

                     

                    風物詩が時代と共に様変わりすると嘆くのも意味ない。ないない尽くしだ。

                     

                    我が家でも『年の瀬』とか『お正月』には、最低限のことしかしていない。

                     

                     

                    自分が生きる証しとして汚れを出した水回りの掃除は丹念にさせてもらう。

                     

                     

                    はっきりしたことは、それだけ。自分の生き方など語るに及ばないだろう。

                     

                     

                    言葉。行動。『表現』に触れ、真摯に向き合い、自分の言葉で素直に語る。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

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                    暮らしにおける、豊かさについて

                    2016.12.28 Wednesday 06:06
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                      人は、日々暮らしの中で、色々な局面に遭遇する。

                      想定内のこと、想定外のことにも真摯に向き合う。

                       

                      今現在においては、『食品の高騰』がかなり大きい。

                      何百円をケチったりしても、家計への影響は未知数。

                       

                      そこで、暮らしにおける『豊かさ』についてのこと。

                      ボクの中で、経済的な裕福さで満たすことではない。

                       

                      そりゃ、お金は大事だ。お金がなけりゃ心も荒む。

                       

                      現実的に、心が荒まない位の経済力は重要な課題。

                       

                      現状は、かなり厳しい。これは、一般論としてだ。

                       

                      世の中の混乱に振り回されるか。平静を保てるか。

                       

                      先行きの予測など時間と労力の無駄にも思えたり。

                       

                      ならば、今ある暮らしの中で、『創造』すること。

                       

                       

                      先日、食料の買い出しついでに、近所のペットショップに寄った。

                      度々、癒しを求めて、ボクはその扉を開けることがあったりする。

                       

                      そこで、その日も『ふと』その扉を開けてみたのだ。

                      心が、一瞬にして、トロケそうになった自分がいた。

                       

                      店に入ったら、すぐの左側に、鳥類の売り場がある。

                      そこには、鮮やかなオレンジ色のつがいの鳥がいた。

                       

                      名前を『紅カナリア』という。そう『カナリア』だ。

                      ボクが幼少期、密かに憧れていたのが、小さな鳥だ。

                       

                       

                      爺さん、婆さんをボクは殆ど知らない。

                       

                      ただ一人残っていた父方の婆さんは愛想がない。

                      だが、その人が飼う竹籠の鳥が美しかったのだ。

                      婆さんと触れ合いはないが、鳥には魅せられた。

                       

                       

                      そんな具合で、ボクはそのつがいのカナリアに一目惚れ。

                      彼らと一緒の暮らしに想像を巡らせ、店に暫く留まった。

                      店員さんが『これはとても貴重ですよ』と笑顔を見せる。

                       

                      そのペットショップでは、始めて入荷したらしい。

                      しかも、相場からすれば、かなりお買い得らしい。

                      ボクは、もう彼らに『恋をしてしまった』らしい。

                       

                      世間的には、そう高い買い物ではないにしても、

                      ボクの現在の暮らしでは、かなり勇気が必要だ。

                      見事なまでの、紅カナリアがつがいで、18、900円。

                       

                       

                      ボクは渋々と家路についたが、帰宅後その話を母にした。

                       

                      すると母はこう云った。

                      『何を迷うことあるの。

                       ここ数年は少しも贅沢していないのだし、

                       今の暮らしは、すべてあんたのお陰で成り立っている。

                       そのくらい、ご褒美としていいことじゃない。

                       それが、出逢い、というものなんだから』

                       

                      と、『その出逢いを逃さない』よう、母はボクを促した。

                       

                      そんな訳で、ボクの暮らしに新しい仲間が加わったのだ。

                       

                      それは、とても愛しい、かけがえのない『命』の提示だ。

                       

                       

                       

                      彼らとの暮らしも2ヶ月程。名前を呼ぶと声に反応する。

                       

                      和みと共に、心に新たな愛情を持ち、暖かく豊かになる。

                       

                      餌やり掃除等、『感謝』として、日常の日課に加わった。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      category:生活 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                      Calender
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