気持ちと言葉の狭間で困惑が生まれる

2019.07.16 Tuesday 13:33
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     『どんな慰めの言葉より

      見知らぬ人の薄っぺらな

      親切が身に染みる時があるよね』

     

     

    これは、1976年作の『南こうせつ』のアルバム『ねがい』の中の1曲。

     

    その『帰っておいでよ』の、出だしの一節だ。

     

     

     

    ボクはこの唄がとても好きだ。中学生で最初に聴いた時はこの身をすり抜けた。

     

    だが、30歳を過ぎたある時に聴き、不意に胸を突かれ、涙が出そうになった。

     

    弱った時、辛い時、苦しい時、人の『慰めの言葉』を鬱陶しく感じる時がある。

     

     

    乱暴なのを承知で、『お前に何が判るのだ?』との余計なお節介に辟易とする。

     

     

    それなのに、一生二度と会うこともないだろう人のちょっとした親切が染みる。

     

    そんな経験もして、この歌詞が心の一番弱った部分を覆うような膜にも感じた。

     

    身体中が強張って力が入って、心も防御でガチガチになっているような時にだ。

     

     

    どんなに古い付き合いでも、友人だとしても、『慰め』が煩わしいことがある。

     

    臭いドラマのように、『うるせいな、余計なお世話だ』と怒鳴りそうにもなる。

     

    黙って放って見守るのが必要なこともある。関係が複雑になればなる程難しい。

     

     

     

    ボクは、人間関係をうまく築けない。多くの友人、知人と殆ど縁がなくなった。

     

    それが『寂しい』とは思わない。気分的に『楽』になったり、病が軽減したり。

     

    憂き世の煩わしさは、社会人として避けられないこと。叩かれて揉まれ続ける。

     

     

    ただでさえ、生きていると色々な煩いがある。その度に自分の中で処理をする。

     

    それでも、処理しきれない『澱』が心の襞の奥に張り付きいつまでも消えない。

     

    そこから『腐敗』のように、心が『負』で侵食される。なす術もなく項垂れる。

     

     

    そんな時に、見知らぬ他人の何でもないような親切で、緊張が解れたりもする。

     

    傷んだ心に蓋をされたように、『ああ、助かった』と心の中で感謝したりする。

     

     

    例えば、スーパーのレジで自分が落とした小銭を拾って笑顔で渡してくれたり。

     

    例えば、歩いていて、すれ違い様、肩が触れそうな時に、笑顔で会釈されたり。

     

    なんてことじゃないけれど、当たり前のことだけど、不意に心を解してくれる。

     

     

    人は、『関係』が一番厄介だ。家族、友人、仲間、それらにどんな約束がある。

     

     

    距離が近ければ、心に土足で入り込んでいいのか。関係性で何でもありなのか。

     

    ボクは、過剰に人間関係において、神経を遣う。あらゆる『想定』をしている。

     

    それで、多くの失敗もしてきた。一度放った言葉や行動は、消去など出来ない。

     

     

    自分では自分なりに懸命に生きてきたつもりだが、その『なり』を責められる。

     

    その『自分なり』って何だ?と責められたことも何度もある。困ったこと、だ。

     

    で、『自分なりなら、好きにすればいい』との身勝手な解釈をぶつけられたり。

     

     

    人って、面倒臭えなぁ、って思う。お互いの、ほんの『想い』で補えないのか。

     

    お節介したくなっても、後一歩、譲歩したり、黙って見守る、制御はないのか。

     

    他人のことが判らないなら、一歩引いて控え目に事を捉えることをしないのか。

     

     

     

    ボクは、人として生きることに精一杯、身を削ることを惜しまずに生きてきた。

     

     

    だが、それさえ、『本人の思い違い』である可能性はある。とつくづく感じる。

     

     

    ボクはもっと『謙虚』に、もっと『慎ましく』、もっと『穏やか』になりたい。

     

     

     

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    語彙の、貧しい、乏しい人がいる

    2019.07.14 Sunday 09:55
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      話の妙に上手い人もそれはそれでどこか信用出来なかったりする。だが、しかし。

       

      最近、世間を俯瞰で眺めると、『極端に語彙の乏しい人』が増えたように思える。

       

      言葉遣いや抑揚も含め、同じような話し方に、聞いていて辛い時があったりする。

       

       

      最近のことでは、ラジオを聞いていたら、『ほぼほぼ』を連呼する人には参った。

       

      その『ほぼほぼ』って俄かにタレントとかが使っていて、徐々に不快感が募った。

       

      先の男性歌手が話の中で、何回も言う『ほぼほぼ』が気になり、ラジオを止めた。

       

       

      ボクは『言葉はその人の思考』に繋がる、との少々偏った見方をすることがある。

       

      人は、大凡、自分の持っている語彙で思考するだろう。思考は言葉で組み立てる。

       

      漠然としたイメージだけで発想する才能ある人もいるだろうが、粗方、多分そう。

       

       

       

      単純に勉強が出来て、知識の豊富な人が思考を旨く膨らませられるとも限らない。

       

      でも、語彙の乏しい人と会話していると、こちらも返答に困る場合が何度もある。

       

      人は、考え方や物事の捉え方が違うのが前提で、すべてで解り合うことは困難だ。

       

       

      それでも、それなりの語彙を持ち合わせていて、お互い会話を膨らませたら理想。

       

      別に難しい話をすればいいってもんじゃないし、まして相手を論破するなど御免。

       

      まさしく『キャッチボール』で、投げては受け取り、驚きや発見もあったりする。

       

       

      饒舌である必要もない。個人的には互いの言葉を咀嚼し合って会話を楽しみたい。

       

      まくし立てるように、唾が飛ぶような人と差し向かいに話をするのは、避けたい。

       

      ただ、今までの経験で、すぐに話題の途切れる人との気まずい空気は苦手なのだ。

       

       

       

      いわゆる『活字離れ』も多少加担して、誰もが同じ意味、同じ解釈とは限らない。

       

      それぞれ解釈が違うことを前提とせず、あらゆる媒体で皆が好き勝手を言う混沌。


      意味不明な若者言葉や変な略語も蔓延して、もはや解釈の余地も制限されてくる。

       

       

      日々窮屈を極め、気分転換の選択肢も減りつつある。貧しい世の中になっていく。

       

      と思いたくなるくらいに色々な意味での『貧しさ』を感じるのは、自分の驕りか。

       

      誤解を承知で、『言葉は、その人がどう生きているか』の具現でもある気がする。

       

       

      そこを出発点にして、何かしら才能を生み出す人もいる。言葉にはその力がある。

       

      知人や友人に語彙の乏しい人がいると、苦痛を重ね、疎遠になるのも少なくない。

       

      人との縁は必然だと思っているので、それは悲しいことじゃない。とボクは思う。

       

       

       

      友達五千人を豪語していた芸人が招いた『嘘』の醜態が人間性のあり方を示した。

       

      人との疎通がすべて言葉で成り立つものではない。身体的にも精神的にも様々だ。

       

      人は『生き方』次第で、他者との関係も如実に変わってくるとボクは思っている。

       

       

      その一つが『言葉』である。それを疎かにすると、人との距離が見え難くもなる。

       

      多種の詐欺は『稚拙な言葉』でさえ人を欺ける。距離感のない怯えを生むからか。

       

      信頼と欺瞞の錯綜が現代社会になった。懐疑的にも信頼にもなる、言葉は生き物。

       

       

      相手に対し距離感を間違えないように寄り添う想いをどれだけ大切にしているか。

       

       

      その人の『言葉』から感じるものは侮れない。『生き方』『人柄』が如実に出る。

       

       

      薄っぺらな関係は、無理に維持することはない。大切な人なら心の温みで通じる。

       

       

      会話がなくても、違和感ない人。人柄の滲み出る空気感を共有出来て安心出来る。

       

       

      本来は、それが理想。実際に感じたことがある。語彙云々だけではない話なのだ。

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      そう、理由ははっきりしているのだ

      2019.07.01 Monday 05:10
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        人には、『好き、嫌い』があって、どうしても克服出来ないものがあるだろう。

         

        ボクは、どうしても『ツイッター』が好きになれない。はっきり言うと嫌いだ。

         

        まあ、『インスタグラム』も好きではないが、見なければそれで済ませられる。

         

         

        どちらにせよ『SNS』には極力触れたくないのだが、今の世では不可能に近い。

         

        最近、芸能人の謝罪も『ツイッター』でされたり、ニュースで取り上げられる。

         

        かの『トランプ』は、重要な政治的発言も『それ』で乱発しまくっておられる。

         

         

        何が嫌い、って、自分の中で理由ははっきりしているが、説明する類じゃない。

         

        いわゆる『デジタル・タトゥー』として、一生消えない場合が多いに違いない。

         

        なのに『フェイク』だったり、『拡散』とやらで、真実が捻じ曲がったりする。

         

         

         

        とても怖いことだ。本人の口から直接言うべき言葉も『空々しい』内容になる。

         

        更に『誰もが言いたい放題』が野放しにされていて、それを批判したりもある。

         

        その『ツイッター』を介し、面と向かわず、人と人が互いを否定し合う醜悪さ。

         

         

        それに比べ『インスタグラム』は害が少ないようだが、どこにでも危険はある。

         

        もはや、世で乱発される『映え』も苦手だ。『そこにある真実は何?』と思う。

         

        その『映え』の『拡散』により、人が一極集中して『欲』が群がる光景は怖い。

         

         

        下手すると、お店などは、営業や経営にも影響し、経済が歪む可能性も大きい。

         

        ボクにとっては、そんな社会はとても生きた心地がしない。忙しくて騒々しい。

         

        人の世で怖いもののひとつが、『偏り』だ。何事も偏りを修正するのが難しい。

         

         

         

        加えて、『人の愚か』を助長する役割も担う。無責任な『悪質動画』も醜悪だ。

         

        彼らから『罪の意識』が抜け落ち、呑気に『罪深いことを自分の愚か』で晒す。

         

        それこそ、『お店を潰す』ことも簡単だ。膨大な損益を生むことさえも出来る。

         

         

        その『人の意識』を鈍くさせることも『罪』が深い。『手軽さ』が助長させる。

         

        このままでは、社会がおかしくなるだろう。人の関係性も、経済も、心さえも。

         

        勝手に不安が募る一方だ。もっと穏やかにもっと伸びやかに暮らしたいと願う。

         

         

        それでも、『アイティ業界』は極端に世を牛耳って、富裕層にも成り上がった。

         

        もう誰にも止められないだろう。もう誰も止まらないだろう。きっと恐らくは。

         

        自分も細々ブログで、少しでも体感して、その恐怖を忘れないようにしている。

         

         

         

        人は言葉で意思疎通をする生き物だが、かつてそこに『空気』が介在していた。

         

        言葉だけでなく、その人の表情、声、喋り方、雰囲気、あらゆる『空気』たち。

         

        それらには言葉に出来ない『感情』や『想い』が詰まっていて、相手に伝わる。

         

         

        手書きの文字にも似て、『行間を読む』可能性も受け手側に委ねられたりする。

         

        どんなに『コンピュータ』が発達したとしても、それは不可能に近い程に困難。

         

        ネットの『デジタル文字』、手書き文字を画像にしても、二次元に変わりない。

         

         

        ボクは頑なに『アナログ』に固執している訳ではない。自分の中の模索である。

         

        件の謝罪を『ツイッター』でされても、誰に向けた物か、何が伝わるか不明だ。

         

        文字や言葉が勝手に一人歩きをすることの怖さをどこまで真摯に受け止めるか。

         

         

         

        もはや、デジタル世界に抗うことは不毛な行為にもなる。だから断定はしない。

         

         

        ボクは、人との関係や繋がりを疎かにしたくないから、『誤解』を前提にする。

         

         

        どんなに熱い想いでも、相手にどう伝わるかは、解釈を相手に委ねるしかない。

         

         

        人を大切に想うからこそ、『SNS』と距離を置くボクなりの姿勢を貫いている。

         

         

        メールも必要最低限しか利用しない。ので、『ツイッター』など思考にはない。

         

         

         

        ここ数年間、日々切羽詰まった暮らしを続けていると今の世は生き苦しくなる。


        日常、社会との関わり、人間関係、あらゆる在り方に『デジタル』が介在する。

         

        『繋がり』で『孤立』が際立ち、『映え』が『卑屈』を生む可能性もあり得る。

         

        『つぶやく』『ハッシュタグ』『シェア』とか、聞いただけで吐き気さえする。

         

         

        もうこれ以上追い込まれたら、苦しみに耐えられなくなる。必死に堪えている。

         

        今この瞬間も目に見えない『不安』に押し潰されそうだが、1日を始めるのだ。

         

        何かを楽しむ余裕は微塵もない。やることが便秘のように詰まって不調を招く。

         

        そう、理由ははっきりしているのだ。自分を生きるために防衛本能が働くのだ。

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        重箱の隅を突いたら、キリがない

        2019.06.29 Saturday 01:51
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          先日、ニュース番組を見ていて、この梅雨時、傘による問題が取りざたされていた。

           

          電車の中で他人の傘から水滴が落ちたり、濡れたり、それが『ハラスメント』だと。

           

          などと捉えて、人に迷惑を掛けない傘の考案だとか、便利グッズとか紹介していた。

           

           

          何だか、『窮屈で面倒な世の中になったな』が素朴な感想だ。人は何をしたいのか。

           

          その類は『社会生活の一部』として、必要以上に神経を尖らせないようにしてきた。

           

          事の本質は、個人の『マナー』『モラル』の問題が一番肝心なことだと忘れたのか。

           

           

          本来なら、お互いそれぞれが、気配りをして他人に迷惑を掛けないようにすること。

           

          それで暗黙の了解だったことを、やれ『何々ハラ』と名付けて、日常が四角くなる。

           

          人がお互いを頑なに受け入れられなくなったら、世界で繰り返す紛争の箱庭のよう。

           

           

           

          人は、不便なことに直面した場合に、個人の中で工夫したり、想像力を生むものだ。

           

          もはや『重箱の隅を突きミクロン単位のものさえも逃さず指摘する』とキリがない。

           

          物事、何でも『便利』を追求したら、心は退化するようにも個人的には思っている。

           

           

          まあ、『そういうもの』が欲しい人は買えばいいし、使えばいい。個人の自由、だ。

           

          ただ、自分は距離を置けるが、便利な物によって人が鈍感になるのは勘弁願いたい。

           

          認識の違う他者を否定し、『想像』さえ捨て、気配りや思いやりも絶滅しつつある。

           

           

           

          相当な『アナログ』人間のボクが、仕事でパソコン創世記に仕事で覚えさせられた。

           

          もう30年近く前のこと。まだ『マニュアル』さえ出ていない時代に試行錯誤した。

           

          携帯電話すら一般に普及していなく、デザイン業界ではほぼ手作業で技術を磨いた。

           

           

          やっと仕事を覚え始めた矢先、『コンピュータ』の導入で情緒さの終わりを感じた。

           

          大袈裟ではなく、目に見えない小さな何かを操り、画面の中の世界に取り込まれる。

           

          手先でマウスやキーボードを操り、一つでもミスをすると『お終い』がデジタルだ。

           

           

           

          そのトラウマから、ボクは『便利な物』を盲信しないことにした。あくまで主観だ。

           

          不意にデータが消えてなくなったりする。書類の入った封筒を失くすのとは別次元。

           

          探せば見つかる問題じゃない。でも、世は劇的に『データ』社会に取って代わった。

           

           

          以前の『アナログ』の世界から『コンピュータ』の世界で急速な進化に翻弄された。

           

          身の回りが、便利になればなる程『不自由』に侵食され、心が乾燥していくようだ。

           

          新しい機種には必ず『混乱』が付随し、未だ、頑なに『スマホ』は持たないでいる。

           

           

          増税に際し『キャッシュレス』を推進する。目に見えない『データ』群が錯綜する。

           

          個人情報もどこでどう漏れているかも知れずに、『闇』で取引され、人を欺く時代。

           

          そのリスクは『仕方ない』では済まされない。『便利』さに潜む悪意が暗躍をする。

           

           

           

          と、やたら『便利グッズ』を取り上げるメディアに触れて、ボクの思考は飛躍する。

           

           

           

          こんな感じに、ボクも重箱の隅を突いて、神経症のように難癖をつけているようだ。

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          人生100年時代、笑わせるなって

          2019.05.23 Thursday 09:49
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            国が、安倍がまた戯けたことを抜かしてらっしゃる。

             

            『人生100年時代』だと。


            保険会社の宣伝かよ、笑わせるなって。

             

             

            そのために『きちんと蓄えを』だとさ。

             

            蓄えがなくて、毎日、必死こいて暮らしているんじゃ。

             

            それ以前に、こんな社会で長生きなどしたくもないわ。

             

             

            相変わらず、矛盾しておられる。

             

            一方で、消費を促して、経済を動かせ、と。

             

            一方で、老後に備えて、蓄えを、など、可笑しな話だ。

             

            介護や医療などの、重大な未解決問題はどうなさるの。

             

             

             

            まあ、自分はいつでも死ぬ準備は出来ている。

             

             

            所詮は、裕福な方のお戯れなのでしょうしね。

             

             

            と、この手の話は右から左に受け流すしかない。

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            人は個だが、その集合体は十把一絡げ

            2019.05.16 Thursday 07:55
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              ボクは、協調性に欠けていて、その努力の仕方も判らずに、集団行動が苦手だった。

               

              大人になっても、大人数での集まり、『飲み会』とか、存在を消すことに終始した。

               

              協調性は、努力で改善はするが、基本的には『個性』であって、直るものじゃない。

               

               

              学校にも馴染めず、クラス替えなど人との関係をゼロから構築するのが苦痛だった。

               

              初対面と人と『何を取っ掛かり』に話せばいいのか。考えると混乱してしまうのだ。

               

              本来は考えるものではなく、成り行きなのだろうが、出来ない自分が変だと思えた。

               

               

              このような人間は、社会においては『個性』として認知され難く、存在が浮くのだ。

               

              病気で社会に出たのも遅かったし、会社の倒産を二度、バイトも多業種を経験した。

               

              そのどこでも、ボクは『馴染めない』自分に混乱し、過剰にストレスを溜め込んだ。

               

               

               

              昨今『発達障害』を始め、種々多様な『障害』の存在は示すが、認知までは程遠い。

               

              差別に等しい偏見はなくならない。『優劣』で分別して、『個性』と見なされない。

               

              ボクが数十年前に抱えてしまった病。カルテには『抑うつ不安障害』と書いてある。

               

               

              病名などは便宜的なもので、一人一人違うから、治療も困難だと患者は知っている。

               

               

              不慮の事故により抱えてしまった病を言い訳に出来ず、必死に大学も卒業までした。

               

              でも、学歴社会の牙城は簡単に崩れないことを就職活動で嫌という程に思い知った。

               

              人は『個』でも、社会の仕組みの中では『歯車の一部』として優劣選別されるもの。

               

               

              その歯車が順応せず噛み合わないと判れば、『代え』が用意され簡単に捨てられる。

               

              そこでは、もう『個』に戻れない。極論に言えば、人を人としての扱いはされない。

               

              そういう場所で、働いたこともある。社会の根底の、そのまた下の見えにくい世界。

               

               

               

              世の中に表面化されないだけで、『酷い環境』はそこかしこに潜んでいるのだろう。

               

              何より労働しなければ生きていけない。ので、生きるために必死に這いつくばった。

               

              だが、病気や障害を抱える人を雇う所は限られている。社会復帰には厳しい世の中。

               

               

              やっと就けた職場は、最低時給で過酷な肉体労働を強いる、工場倉庫での流れ作業。

               

              二十代、最初の社会復帰の際には、過酷な肉体労働で体を壊し、マイナスに戻った。

               

              四十代、リストラと病気悪化から復帰する際もデジャヴュのような劣悪労働だった。

               

               

              社員数名に対し、パート、アルバイト50名程。昼休み1時間を挟み、休憩なしだ。

               

              機械を止められない状況でトイレにも行けない。使えない若造社員は指図するだけ。

               

              ボクは、社会復帰どころか余計に病気が悪化し、取り返しが付かない過ちを冒した。

               

               

               

              ただ、『そういう』劣悪な職場は日本中至る所に存在すると思われる。社会の底辺。

               

              幼稚で愚かな『動画拡散』等も、そんな社会が生んだ『副産物』にも思えたりする。

               

              修正出来ないまま、俄か繕いで誤魔化せないくらい社会の歪みは末期症状になった。

               

               

              自分と違う世界。自分と違う立場。それらを見ないでいられるのか。謎は謎のまま。

               

              すでに『終身雇用』が崩壊したことで、『多様化』との便利な言葉で片付けられる。

               

              その『多様』の中に潜む『危険』には触れない。事件、事故が増え続ける負の連鎖。

               

               

              例えば、『福祉』という在り方。日本においては、相当に遅れているのを実感する。

               

              自分自身、『介護』という逃げ場のない現実に否応なく飛び込み、この身で知った。

               

              遅れているのだから、現場も追いつかない。政府に振り回され、過酷な状況は増す。

               

               

               

              大臣が失言や失態を繰り返すのは、『現状を知らない』頭だけの『無知』が為せる。

               

              人を『個』と捉えず、その塊は『集合体』とし、まるで『没個性』を推奨するよう。

               

              これでは、『格差社会』以前に、先進国とは思えない。格差も差別も広がる一方だ。

               

               

              そのようなあり方は、メディアの報道にも問題があり、偏りを助長し、誤解を生む。

               

              その誤解は、この情報社会で侮れない。『拡散』という『怪物』を野放しにもする。

               

              更には『見えない情報やデータ』に翻弄され、乗り遅れた高齢者を置き去りにする。

               

               

              そこに『人権』は存在せず、十把一絡げに『低所得者』『高齢者』との括りにする。

               

              人を愚弄した政治から自治体の体制まで、身を切り、血の入れ替えが必至に思える。

               

              それをしない、『安定』にしがみ付く人の犠牲になる人たちはいなくならないのだ。

               

               

               

              半端な『働き方改革』など、大企業など社会の上層部だけしか人として認知しない。

               

              先の十連休でもそれは示されたようだが、問題が錯綜し過ぎて手の付けようがない。

               

              消費税増税。キャッシュレス制度。諸々において、一絡げにされた者を切り捨てる。

               


              問題視されないのが不思議なくらい景気悪化を肌で実感している人の声は届かない。

               

               

              人は、自分の安定を確保したら、人を蹴落としてでもそこを死守する。怖い生き物。

               

               

              一体、何をしているのか。したいのか。オリンピックに浮かれている場合じゃない。

               

               

               

              などと、長年、生活苦に足掻いている一個人の感じること。主張でも正論でもない。

               

               

               

              ただ、もう疲れたのだ。苦しむことにも。不安になることにも。今ある、すべてに。

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              酒のせいでなく、その人の本音本質

              2019.05.14 Tuesday 11:58
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                最近、やたらと『酒のせい』にして、暴力や暴言をやらかし、謝罪をする輩が多い。

                 

                誰に謝罪しているのか。『お前の謝罪などいらない』のだ。自分で責任を負うこと。

                 

                それだけ、だ。そもそも、酒のせいではなく、その人の本音や本質が出るだけの話。

                 

                 

                酒の力を借りて、『それ』を示すことは卑劣極まりない。人として『最低』のこと。

                 

                ボクは、一人の人間による、『酒の席での侮辱、無礼』を受けた経験が膨大にある。

                 

                そして『記憶がない』との更なる『最低』な主張が付随し、当人は知らん顔のまま。

                 

                 

                よく『酒に飲まれるな』とか言うが、そんなことはただの戯言に過ぎないのである。

                 

                酒に酔おうが、素面だろうが、その人の根底にあることに問題があるのだから、だ。

                 

                やらかしてから反省しても遅い。やらかす人にならないよう、本人の自覚が肝心だ。

                 

                 

                 

                あくまで謙虚に、自己を省みることが最初の一歩。環境や関係、大きく社会の中で。

                 

                人との関わり、繋がり、それは、『自分を映す鏡』としてありがたい関係性なのだ。

                 

                そこに『驕り』や『慢心』『欺瞞』がある限り、人は自分に甘くなるものとの確認。

                 

                 

                他人に迷惑を掛ける、度合いの問題じゃない。人が自分を生きる上での責任になる。

                 

                その『責任』というものも、捉え方次第で、個人が勝手に決めるものではないのだ。

                 

                人間関係において、『障害』『軋轢』が生まれるのは避け難いこととまず向き合う。

                 

                 

                安易に『他者を否定する』ことが出来るのは、『自分に甘い』ことの裏返しになる。

                 

                ボク個人は、そういう酒の在り方が苦手だった。対等な会話も出来ない場合が多い。

                 

                相手が泥酔してしまえば、こちらは成す術がない。暴言を受け流すのも違うと思う。

                 

                 

                 

                また、ある意味、酒の勢いで本音を吐き、その人の本質が見えるなら、それもあり。

                 

                普段、隠している『狡猾さ』を露呈する機会として、有り難くも捉えられることだ。

                 

                素面の時に『調子いいこと』言っても、記憶をなくす際、自ら醜態を晒してくれる。

                 

                 

                それで信頼を失うなら、そんな関係はいらない。表面的に友人を装うのも愚かしい。

                 

                こちらも、色々と学習させて頂き、感謝をしてお別れでいい。それが本来の関係性。

                 

                友達が多ければいいとの幻想は、『そう思う人』に思わせておけば済むだけのこと。

                 

                 

                不快な思いをしてまで関係を修復するのは、若い内だけで充分、と最近は思うのだ。

                 

                人との関わりがなくなるのは忍びないが、母なる自然の導きとして必然なのである。

                 

                日常に潜む『些細な煩い』は恐らくなくならないので、全面的に受け入れることだ。

                 

                 

                 

                いずれにしても、酒だけでなく、『他人のせい』『社会のせい』などはしないこと。

                 

                 

                そういう人でいられるように、人には『心』があるのだと思う。常に試されている。

                 

                 

                関係性が低ければ、客観的に反面教師として捉えて、及んだ迷惑は本人の意識次第。

                 

                 

                ボクが受けた多くの侮辱に対して一切の謝罪もなかったけれど、されても意味ない。

                 

                 

                各々が、社会における『責任』と向き合い、問題が少しでも減ることを願うだけだ。

                 

                 

                 

                今回の件に関しては、政治家たる者、取り返しのつかない、失態では済まない話だ。

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                冗談じゃねぇよ、と思えてもくる

                2019.04.18 Thursday 04:33
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                  選挙カーがうるさい。何を言っているのかも判らないまま、叫んでいる始末だ。

                   

                  大声で『お願い』されても、当選したい『お前に何が出来る』のか伝わらない。

                   

                  立候補者が公示されて、短期間で選挙に突入する。誰が誰だか、何が何やらだ。

                   

                   

                  誰もが名前を連呼して『お願いします』というが、うるさいだけの迷惑になる。

                   

                  だいたい、『お前は誰だ?』と言う状態なのに、お願いするって失礼なことだ。

                   

                  こんな選挙制度が続く限り、『何も良くならない』し、それは衰退にも等しい。

                   

                   

                  ボクはここに住んでもう40年以上になるが、未だに『土着』が抜け切らない。

                   

                  東京って言っても、新築が並び通勤労働者が増え続け、土着との二極化が進む。

                   

                  昔から、その地を牛耳っている『地主共』が横の繋がりを崩さず開発も下手だ。

                   

                   

                   

                  他所からの血を受け入れない。土着民と警察など公務員の癒着も疑いたくなる。

                   

                  代々受け継がれる血は濁る一方で、大多数を占める古く錆びた継承が成される。

                   

                  市議と役所の最強コンビで、商業的に寂れさせ、財政難で活気もない街にした。

                   

                   

                  某隠れ『創価学会』などが驚く程にいて、迂闊に批判すら出来ない土壌もある。

                   

                  同級生の多くが、何十年も会っていないのに、選挙時に突然『お願い』に参る。

                   

                  選挙権は『個人の判断と選択』が尊重される権利で、義理やお願いなど失礼だ。

                   

                   

                  東京の23区外の首都圏でもこんな状態なのだから、地方は凄そうと想像する。

                   

                  どんな有能な人材がいても、抹消されるし、無能な人でも当選してしまうとか。

                   

                  こんな選挙は、『無意味』でしかない。毎回それで諦めるのは癪に触ることだ。

                   

                   

                   

                  誰かが、この悪しき『習慣』を変えなければ、日本は腐敗するだけにも思える。

                   

                  いわゆる『組織票』を言う『個を殺す』仕組みがある限り、民主政治は不可能。

                   

                  たった一票では微々たるものだと思わせることで、投票しない人もいるだろう。

                   

                   

                  そこそこいい暮らしに満足しているのか。投票行くのが面倒な程無関心なのか。

                   

                  このままでは、『オリンピック』なんて『弊害』でしかない。豊洲がいい見本。

                   

                  問題が錯綜したまま、なし崩し的に進行する。で、誰もが諦観して慣れて行く。

                   

                   

                  昨今は、『自分のスッテップアップ』のために、政治家になる人が増えたよう。

                   

                  問題を起こす輩が多い。政治家以前に、人として問題ある人が当選する不思議。

                   

                  大泣きする奴。不倫する奴。政務活動費を私有化する奴。大凡、欲にかまける。

                   

                   

                   

                  候補者の『何も知り得ないまま』選挙は遂行され、組織票などが幅を利かせる。

                   

                  これでは、血は濁り、政治は腐敗し、経済も不安定に下降線を辿ることだろう。

                   

                  自分の暮らしだけで精一杯だし、もう適当にして、との定で投げやりにもなる。

                   

                   

                  自民1強が続けば、日本は衰退するだろう。少なくとも庶民は不安でしかない。

                   

                  昭和の時代の混乱と今の時代の混乱とは『根本的に質が違う』のが恐怖なのだ。

                   

                  私腹を肥やすだけの『お仕事議員』たちの、人材育成を怠った不良債権の蓄積。

                   

                   

                  野党の不甲斐なさは言うに及ばず、無所属という体裁のいい候補者が多過ぎる。

                   

                  選挙の後には悪夢の十連休で、もう不安しかない暮らしに疲れ果てているのだ。

                   

                  しかも、その十連休は『公務員』などの楽を象徴し、非正規雇用を無視出来る。

                   

                   

                  そのような表面化しない『格差』を助長する政治しか知らない無能な安倍政権。

                   

                   

                  それこそ、もういい加減に『冗談じゃねぇよ』と憤りを越えて、呆れるのみだ。

                   

                   

                  呑気に浮かれる人の『危機感のなさ』も当人たちは気付かなくていい仕組みだ。

                   

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                  苦しみは、その人にしか判らない

                  2019.04.12 Friday 10:50
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                    ボクは、『人は、他者のことは判らない』と個人的にずっと思っている。

                     

                    判らないからこそ、『想像』し続け、他人に対する『想い』『寄り添う』ことが大事になる。

                     

                    一個人の経験だけでは、知り得ることは高が知れていると、常に謙虚でいること。

                     

                     

                    例えば、『尿管結石』は凄まじい痛みだと聞くが、それは想像だけでは判らない。

                     

                    自分で経験してみて、初めて『その痛み』を知るが、あくまで『すべて』でない。

                     

                    簡単に『大丈夫』とか『頑張れ』など論外で、『その気持ち判る』も適切でない。

                     

                     

                    ボクは病気を抱えてから、もう30年以上も経っているが、未だに寛解すら見えない。

                     

                    むしろ、ここ10数年は、父の看病、母の介護に追われて、病は悪化する一方である。

                     

                    それでも、長年の経験を活かして、諦めずに、『知恵』などを総動員して乗り切っている。

                     

                     

                    毎晩、死にたくなる。苦しみに『もうこれ以上は無理だ』と諦める自分と葛藤している。

                     

                    何とか朝を迎えて、曇っていようと雨が降っていようと、『太陽』の存在が救いになる。

                     

                    だが、無理を続け重ねた『負債』が心と体に様々な不調をもたらし、日々疲弊し続けている。

                     

                     

                    ここ数日は、母にまで、『もうダメかもしれない』と言ってはいけないことを口にしている。

                     

                    無理をすればする程、いきなり『鬱』の底に落とされる。この苦痛は何度経験しても初体験だ。

                     

                    体も心も溶けた鉛のように、地べたに広がり、それを掻き集めて修復することは困難だ。

                     

                     

                    もう『いいや』と、『死』とかの概念も思考から外れるくらいに、『無能』になる。

                     

                     

                    いつ、死んでもいい。などと言うのは、親不孝なのか。

                     

                     

                    どうにでもなれ、は生きることを放棄しているのではなく、他に術がないのだ。

                     

                     

                    誰も関心ないだろうことだし、ましてこんな人間がここに存在していることも『無』に等しい。

                     

                     

                    ひっそりと、誰にも知れずに、この世から跡形もなく、消えることが理想なのだ。

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                    偏ってばかり、の果てに転覆する

                    2019.04.08 Monday 09:01
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                      ずっと気になっていたことは、『物事が偏ること』の傾向が強まることである。

                       

                      最近で言えば、新元号『令和』の騒ぎ。ここまで騒ぐと正直うんざりしてくる。

                       

                      来年になると、恐らく『オリンピック』騒ぎに乱れるだろう。勘弁してほしい。

                       

                       

                      特にオリンピックなど、望んでいない。東京都民にとっては税金の無駄遣いだ。

                       

                      他にもっと使うべき膨大な予算が一部の人間だけ恩恵を受けるだけに使われる。

                       

                      まさに、『格差社会』の象徴的事象の代表。大手ゼネコンやらが大儲けをする。

                       

                       

                      戦後、高度経済成長期は、一般家庭は総じて貧乏だった。ごく一部だけが裕福。

                       

                      だから、金持ちの家とかが珍しかった。『○○邸』とか呼んで見学に行ったり。

                       

                      社会全体で敗戦から立ち上がって行った。ボクは貧乏を体験出来て幸せだった。

                       

                       

                       

                      1970年代後半くらいから、『しらけ世代』とか言われ始め、怪しくなった。

                       

                      伊東四朗と小松政夫の『しらけ鳥、飛んでいく南の空に、惨め、惨め』との唄。

                       

                      80年代に入って、ゲームなど機械が増え、文化や職業が多様化してから、だ。

                       

                       

                      何かが大当たりすると、『一攫千金』のような在り方に拍車がかかって行った。

                       

                      その後は、あれよあれよと、コンピュータ開発により、成金が現実感を帯びた。

                       

                      バブルが弾けてからは、『貧富の差』が広がる一方。何事も偏る社会になった。

                       

                       

                      夢より現実。建前より本音。綺麗事より合理性。世の中から味わいが薄れ行く。

                       

                      世界では、ベルリンの壁が崩壊したり、ゴルバチョフが誘惑ムードを運んだり。

                       

                      一見、和平が伺えかけたが、『湾岸戦争』辺りから世界情勢は悪化する一方だ。

                       

                       

                       

                      北朝鮮、韓国、中国と日本。アジアは未だに戦争を引きずって関係は悪化する。

                       

                      中東では、混乱に次ぐ混乱。アメリカのトランプも自分で掻き回して修繕する。

                       

                      もはや、何が起きても驚かなくなった。それに加えて、天変地異の脅威の連続。

                       

                       

                      その中でも、やはり物事の『偏り』によって、光と陰がくっきりした経済状況。

                       

                      個人的に嫌いな『星野リゾート』を始め、あらゆる媒体で持て囃す傾向が強い。

                       

                      ネットの普及が加速し、いわゆる『映え』などの『拡散』がもたらす一極集中。

                       

                       

                      人気店には行列が出来るが、話題にならないと閑古鳥が鳴く始末に貶められる。

                       

                      本当に『美味いのか』判断も鈍感させるようにも思える。蜜に群がる蜂のよう。

                       

                      実は、知らない所にもっと美味しい蜜があるとしても、それに気付かないのだ。

                       

                       

                       

                      今年の馬鹿げた十連休で地味に取り上げられた『寂れた温泉』の実態を知った。

                       

                      日本各地に点在している温泉にはそれぞれ良さがあるが、それが生かされない。

                       

                      どんなに老舗であっても経営難に陥るとどうにも措置出来ない状態になり得る。

                       

                       

                      そんな破綻した強大な建物が朽ち果てたまま放置されている実態は伝わらない。

                       

                      腐ったみかんみたいに、一つでもそれがあると、周りにも悪影響が生じるのだ。

                       

                      そうして、寂れる昔ながらの温泉地が増え続ける一方で、忽然と現れる観光地。

                       

                       

                      リピーターとやらを見込める『お金が動く』富裕層狙いの、業界に成り下がる。

                       

                      ボクが星野リゾートを嫌いなのには理由がある。『不快』な思いをさせられた。

                       

                      あれは戯けていた。元々軽井沢にあった『星野温泉』の息子がその仕掛け人だ。

                       

                       

                       

                      まあ、個人的な理由で批判しても虚しいけれど、『金持ち』しか相手にしない。

                       

                      こっちが貧しいと判ると、途端に態度を変え、宿泊を断られた。誠意すらない。

                       

                      まずは『繁盛する』ことを目的としながらも、その星野が観光を破壊する矛盾。

                       

                       

                      東京オリンピックは『おもてなし』とか謳っていて、何だ?と大いなる疑問だ。

                       

                      これは観光業界だけに限らず、飲食業界、アパレル業界、芸能界、多岐に渡る。

                       

                      東京も都心、例えば『渋谷』開発に膨大な税金を投入し、僻地は手も付けない。

                       

                       

                      東京の、『都下』と言われる都心部から少し外れた場所に暮らすとよ〜く判る。

                       

                      そういう場所は、大凡昔ながらの地主が幅を利かせ、土着的権力が変わらない。

                       

                      新しい血の入れ替えもせずに、『思考』が硬く、市政なども貧しさを露呈する。

                       

                       

                       

                      もはや、『格差社会』よりも一歩進んで、『差別社会』にもなりつつあるよう。

                       

                      一番大切な『人の在り方』=『マナー』『モラル』などの悪化を助長している。

                       

                      問題の表面だけを繕って、肝心の腐った中身を放置していては、鈍感にもなる。

                       

                       

                      人が人を思いやることが当たり前でなくなり、自分さえ良ければいい、となる。

                       

                      その偏り方も加速する一方で、誰もが他人に無関心になれる社会になったのか。

                       

                      答えはない。正解も出せない。でも、人に平等はなく、和平は望めなくなった。

                       

                       

                      穏やかな日常、にこやかな笑顔、助け合い、疎外ない集合などは絶滅するのか。

                       

                      神経症のように、秒単位で寸分の狂いも許されない『窮屈な社会』になるのか。

                       

                      ボクの勘違いなのか。単なる被害妄想なのか。実際には思考から外したいのだ。

                       

                       

                      何やら、ボクは相当に参っているようだ。自分を維持するための戯言のようだ。

                       

                       

                      もう7年も旅行に行っていない。東京からも出ていない。そんな暇も金もない。

                       

                       

                      まあ偏ってばかりの果てに、経済が『転覆』でもしなければいいのだけれどね。

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