死と向き合っていた時間の、後

2018.06.01 Friday 03:59
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     ボクは、いま死のうと思っています。そのことを言葉という形によって、伝えようとしています。その言葉は、心を伝えるのではなく、心の存在を示すひとつの手段です。気持ちを伝えるのでははなく、『その、こと』を伝えるのです。

     では、なぜそのことを伝えるのか。それは、ボクには判りません。

     そのこと、つまり、死のうと思うことは、例えば交差点を渡ろうとすることにどこか似ています。

     道を歩いていたら、交差点があったのです。それは、偶然ではなく、むしろ必然のような気がします。ですから、交差点を渡るということをするために、特別な理由はいらないのではないか、と思えるのです。そして、『交差点を渡ります』と、発言するのはボクの自由で、特別な理由はないのです。ボクの中では、それら、『死ぬこと』と『交差点を渡ること』は、同列にあります。

     しかし、それが伝わるかどうかは、他者に委ねるしかありません。そのことに関しては、ボクは無力なのです。どのように解釈されようと、ボクは無力であり、ボクにとって、伝わるかどうかはどうでもいい、取るに足らないことなんです。

     解釈とは、人それぞれですから、解釈そのものには、意味など求めてはいけないのだと思えるのです。それに、元々、死ぬことにすら、意味などないような気がするのです。

     ボクは、無意味なことが、ただ好きなのかもしれません。

     そして、ボクは、ただ歩いていたらそこにあった『交差点を渡ろう』とすることと同じように、ただ『死のう』と想っているだけなのです。

     

     この宣言のようなものは、ずっとボクの中にあった想いであり、見ない振りをしていたもの。真新しいノートの最初のページに書き記したのは、つい昨日のことだった。

     

     ボクは、大学を卒業しても、そのまま就職をしなかった。まず何をしたらいいのかが判らなかった。それから今日まで4年余り、定職に就くこともなく、ただ惰性でアルバイトを転々として来た。それでいま現在は何も仕事をしていない。

     したがって、日々時間を持て余している。それで、散歩が日課になっている。

     そして、それはいつものように、午後の散歩をしている途中の出来事だった。

     お気に入りと言うよりも、成り行きでそのようになった、お決まりの散歩コースの途中にある歩道橋を渡って、向こう側の歩道に行こうとしていた処だった。その歩道橋の階段を昇り終える少し手前で、ふと視線を上げた先にひとりの女性を見た。

     

     彼女は、歩道橋のちょうど真ん中あたり、手すりの手前に背筋をまっすぐに伸ばして立ち、細い指先で銀色に鈍く光るピアスを、左右両方とも外し、それを掌に乗せ、しばらく眺めていた。ボクは足を止め、少し離れた手すりに寄り掛かって、彼女の斜め後方からその様子を見ていた。

     彼女は、その銀色の小さな塊から視線を少し上に向けて、淡い微笑みを浮かべ、おもむろにそれを頭上に放り投げた。そして、その放物線に目をくれることもなく、更に口元を緩め、音を立てずに拍手をした。

     路面に落ちたであろうピアスの行方は、ボクも確認しなかった。それよりも、歩道橋に手を掛け空を見上げた、彼女の整った横顔を見ていた。そして、程なくして歩き始めて、彼女のそばに近づいて立ち止まり、その次の瞬間にボクは、彼女に向けて自分の口から言葉が出たことに自分自身で驚いた。

     「捨てることはいい」

     自分の背中でした声に、彼女は振り返った。左の頬に涙が伝うのをボクは見た。そしてもう一度、「捨てることはいい」と同じ言葉を繰り返した。

     それでも、彼女はボクの視線をまったく存在しないもののように、それを無視して歩き出した。それでも、ボクは更なる不可解な行動に出た。

     「あさこさん」

     なぜそんな名前が出て来たのだろうか。ボクは彼女に向かってそう声を放って、しかも張り上げたその自分の声に例えようのない違和感を覚えた。

     少し距離を置いて、後を追うボクには、彼女の歩き方に変化を見ることが出来た。歩幅が明らかに狭くなり、膝のあたりにためらいのようなものが窺えた。

     「あさこさん」

     もう一度、今度は意識して穏やかに、そう呼び掛けた。

     彼女は体ごと向きを変えて、正面からボクを見据えた。そして、そのやや乱暴な口調には不釣り合いな『柔らかな』声で、

     「私は、あさこという名前ではありません」と言った。

     自分とほぼ同じくらいの年齢ではないかと思える彼女の頬には、もう涙はなかった。それを確認して、ボクは迂闊にも微笑んでしまった。

     「なぜ、笑うのですか?」

     「すみません。けっして笑った訳じゃないんです」

    と、ボクは間髪を入れずに丁寧にそう言った。

     「人違いをしています。私は、あさこという人ではありません」

     彼女は、少しだけ口調を緩めてそう言った。

     「人違いではないのです」

     怪訝そうな表情のままの彼女に向かって、更にボクは、

     「ぼくにとって、あなたがあさこさんであるかは、どうでもいいんです」と言った。

     「あなたがあさこという名前である可能性もある訳で、そのわずかな可能性を試すために、あさこという名前が必要だったのです」

     ボクは自分でも不思議なくらいに、すらすらと言葉を口にしていた。

     明らかに不快そうな表情でボクを凝視した彼女に、

     「怒らないでください。ぼくはあなたを呼び止めたかったのです」と出来るだけ丁寧にそう続けた。

     「ナンパですか?」

     前髪を掌でたくし上げた彼女の白い額に、再び前髪が流れるのをボクは見ていた。それはとてもしなやかで美しい仕草だった。

     彼女は、一度だけ瞬きをした。はっきりそれと判るようなやや誇張したやり方だった。ボクはそれを静かに見届けていたけれど、彼女はあからさまにそれと分かるよう、誇張した感じに体の向きをさっと変えて歩き始め、向こうの階段を降りて行った。

     ボクはそれを黙って見送るだけで、それ以上は何もしなかった。

     

     それが昨日の出来事だ。

     その直後に、ボクの心に炙り出された『想い』が、死のうと思うこと。そしてそのことを言葉という形によって、伝えようとすること。その言葉は、ボクの心を伝えるのではないく、心の存在を示すひとつの手段として、『その、こと』を伝えようとすること。それは、誰に向けてのものでもない、自分に向けての『宣言』のようなものだった。

     

     

     

    これは、ボクが25歳前後に書いた。小説でもなく、日記でもない。ただ、書いただけのものだ。

     

    ボクは不運な事故により、生活や人生など、大きく変化をし、色々とあり、廃人のようになった。

     

    22歳から社会復帰する27歳までの途中。『死にたい』と思う人間から『自己再生』を始めた。

     

     

    その一環として、ノートに手書きで、色々と心に浮かぶことを文章で書き記すことを続けていた。

     

    3冊のノートは綺麗な状態で保存してある。それを読み返すことはなく、先日久しぶりに開いた。

     

    その中で圧倒的に多かったのが『フィックション』だ。短編小説擬きの短い作り話を沢山書いた。

     

     

    その中の一つがこれだ。ただ、ボクははっきりと覚えていることとして、確実なものがあるのだ。

     

    これだけは、『物語』のように、長く書こうとしていた。だが、書き始めの『ここ』で挫折した。

     

    挫折と言うか、急に書くことをやめたと記憶している。ボクは、確かに何かを書こうとしていた。

     

     

    ボクは二十代という輝かしい時間を、自分の部屋に籠り、誰とも会わず、廃人のように過ごした。

     

    痩せ続け、体力も低下したまま、日がな一日横たわり、1分毎に『死にたい』と思い続けていた。

     

    そこから脱却することを自ら促して、『自己再生』を始めた。その一つが文章を書くことだった。

     

     

    だから、これは『死ぬことと向き合っていた時間』の『その後』を記したものだとも言えるのだ。

     

    その『自己再生』では、かつて経験した、音楽や映画や書物との融合を取り戻せたことが活きた。

     

    まさに『死にかけていた心』を動かし、生きることへの最初の一歩だ。ボクにとって貴重なもの。

     

     

    ボクは元々、絵を描いたり、楽器を演奏したり、何か『表現する』ことで心を柔らかくしてきた。

     

    そこで新たに『文章を書く』ことが加わった。稚拙だろうと『自分の言葉で書くこと』が好きだ。

     

    数年前、ボクは長編の小説もどきの代物を書いた。ただ一人の人しか読んで頂いていない。感謝。

     

     

    プロでもないのだから、音楽も含め、自己表現したものは大切な人だけにそっと伝えたいだけだ。

     

     

    昔書いた先の文章は、また新たな形で死と向き合っている『今の自分』に向け書いたのだろうか。

     

     

    苦しみは絶えなくても、死にたい気持ちは思い出せない。どんな苦しみも死で消えたりはしない。

     

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    友人、というものについて思うこと

    2018.05.25 Friday 02:11
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      ボクは今までに『親友』と呼べる人がいただろうか。などと、いい年齢になって思ったりする。

       

      現在は、今までに知り合った友人とは、誰とも交流がない。それにはいくつかの要因もあった。

       

      世の中には、『どうにもならないことがある』なんて、達観したようなことは、言いたくない。

       

       

      それでも、人との関係と築き、それを継続して行くことは、経験上、簡単なことには思えない。

       

      ボクは小学校2年で転校したので、隣に住む同い年の女の子、幼馴染とは自然に疎遠になった。

       

      転校先では、クラス変え毎に交友関係も変わって行く。社交的じゃない上に適応力もなかった。

       

       

      中学、高校では、いつも連んでいた仲間はいるにはいた。でも、彼らが親友だったと思えない。

       

      我が家は躾が厳しく、門限も5時だったので、楽しくなる前に帰宅することを余儀なくされた。

       

      単に『付き合いの悪い奴』という具合に、あからさまな『オミット』をよくされたりしていた。

       

       

       

      人のことを悪く言うことは避けたい。けれど、『いい奴』と思える人が仲間の中にいなかった。

       

      ボクは、バイトをしてレコードを収集していたので、多くの友人たちにレコードを貸していた。

       

      殆どがルーズな人で、その内、誰に何を貸しているのか把握出来なくなる、との状態に陥った。

       

       

      3年以上返ってこないものもあった。ある時、ボクは自分のレコードを1枚ずつ確認してみた。

       

      驚くことに、20枚近くがなかったのだ。覚えのある友人に片っ端から声を掛けて回収をした。

       

      中には、歌詞カードがグシャグシャになっていたり、ジャケットやレコード盤に傷があったり。

       

       

      この『物の貸し借り』を通し、ボクは人を信用するってことがどういうことか判らなくなった。

       

      ボクに『人を見る目がなかった』せいでもある。もちろん、ボクに落ち度がある場合もあった。

       

      それでも、一切の貸し借りをしないと皆に告げると、『ケチな奴だ』と言われるようになった。

       

       

       

      本当に信用出来る人がいなかったことは、いい年齢になってから、違和感と共に確信になった。

       

      学生時代と違い、それぞれ社会人になってからは色々とあるだろうし、関係性も変化してくる。

       

      やさぐれて『嫌な奴』になっていたり、いい加減な言動で人を振り回す人になっていたりなど。

       

       

      ボクが病気になった途端、皆、まったく寄り付かなくなった。その程度の関係でしかなかった。

       

      社会復帰で精一杯だったし、『友人』のあり方について考えないようになっている自分がいた。

       

      70過ぎた頃のタモリ氏曰く『友人はいらない』『面倒が増えるだけ』が額面通りかは不明だ。

       

       

      彼タモリ氏は、芸能界でもつるむ印象はない。決まった僅か『飲み仲間』がいるだけ、らしい。

       

      だが、ここ数十年、年末年始をタモリ宅で過ごす『草剛』を『親友だね』と照れながら言う。

       

      年齢を越え、『他人には知り得ない何か』があるのだろう。素敵な関係性を築ける『何か』だ。

       

       

       

      そのような関係は素敵だと思う。出逢いも別れも必然で、自分という人間の在り方にも思える。

       

      そこで、先日、敬愛する『井上堯之』氏の訃報で、小中学生の頃に親しかった友人を思い出す。

       

      彼は、『伊藤』君。太っていて、いつも穏やかで、優しく、誰からも嫌われることがない人だ。

       

       

      ボクは彼が4年生の時に転校して来たその日にいじめた。ボクは人と仲良くなる術を知らない。

       

      それは、現代の陰湿なものではなく、色々プロレス技を仕掛けただけの、ただのジャレ合いだ。

       

      ボクらは本気で組み合う中で、通じるものを感じ、その日からいつでも一緒にいる仲になった。

       

       

      彼は親が離婚をして、再婚同士の親と一緒に転校して来た。静岡に姉がいるとも教えてくれた。

       

      そのことはボクだけに話す秘密だと言っていた。小学生にとっては、ある意味、深い話だった。

       

      複雑な家庭事情から、彼は謙虚でいつも優しかったのだろうか。いや、彼本来の資質だと思う。

       

       

       

      彼の両親は雇われで米屋をやっていたので、お互いに一人だったから、二人は彼の家で遊んだ。

       

      殆ど物が何もない部屋で、メンコや相撲など物質的には貧しい遊び。二人きりでも楽しかった。

       

      そんな彼と共通点は音楽だった。彼は自己主張をまったくしないが、音楽の好みは最高だった。

       

       

      彼の家は経済的に厳しい環境だったので、レコードをそんなに買えないから選択は慎重だった。

       

      その彼の選択は秀逸だった。カーペンターズを最初に聴かせてくれたのも彼。小学生の時の話。

       

      殆ど誰も知らないような『井上堯之』のソロ・アルバムには、泣きそうな程に感動したものだ。

       

       

      高校で別々になり、会う機会も激減し、親の仕事の事情で突然引っ越していたのを後に知った。

       

      30歳過ぎた頃に、彼と思われる人から電話があったが、母が勧誘と間違えて切ってしまった。

       

      数年前に再発された『井上堯之』氏のアルバムを最近よく聴いている。人柄がにじみ出ている。

       

       

      この年齢になり、未だ人との関係を築けない。今は『寂しい』との感情も思い出せなくなった。

       

       

      友人関係って何なのかまったく判らない。けれど、彼がボクの親友だったことは確かだと思う。

       

       

      彼の部屋が鮮明に蘇る、『井上堯之』氏のアルバムの中で最も印象的な曲『一人』を聴きたい。

       

       

       

       

      この唄は、萩原健一と水谷豊による、伝説のドラマ『傷だらけの天使』の最終回で流れる。

       

      水谷演じる『アキラ』が風邪をこじらせ死んだ遺体を萩原演じる『アニキ』が捨てに行く。

       

      リヤカーに『アキラ』を乗せ、東京のゴミ捨て場である『夢の島』に運ぶシーンで流れる。

       

      伊藤君。いや、『イドじゃん』ボクがつけたあだ名。中学生のボクに名曲を教えてくれた。

       

       

      余談だが、本編では井上堯之バンドがゲストヴォーカルを迎えたヴァージョンを使用した。

       

       

      ボクはテレビ禁止されていて、このドラマは再放送でようやく観たので、唄を先に知った。

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      ちょっとした疑問、かなりの違和感

      2018.05.14 Monday 04:55
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        個人的にはまったく興味がない人である、『加山雄三』のデカイ船が炎上したそうだ。

         

        テレビ画面の中でその件について、憔悴した感じで本人がコメントするのを見たのだ。

         

        芸能ニュース自体興味ない。普段なら聞き流していたか、ただの情報でしかなかった。

         

         

        だが、ボクには、とても違和感を抱く言葉を彼が吐いたことがとても気になったのだ。

         

        彼にとっては『愛する』ものだったかもしれないが、庶民にはまったく縁のないもの。

         

        それを失い『自分の半身を失ったよう』と表現したことに、ボクは強く疑問に感じた。

         

         

        この人は、『本当に自分の半身を失うということをどう捉えているのか』という疑問。

         

        彼にとってどれ程に悲しいことが起きたか、知る由もない。その人自身の問題である。

         

        だが、実際に半身を失い、絶望したり、それを受け入れている人が存在している事実。

         

         

         

        この心情表現に、その人の生き方が見える気がする。言葉には、そのような力がある。

         

        世の中では、人知れずに予想を超える悲しい出来事が起きていることだろうとも思う。

         

        表現として『無神経』にも思える発言になぜ誰も疑問を持たなのだろうかと謎だった。

         

         

        人が一度放った『言葉』は、『なかったこと』には出来ない。ボクも相当バカをする。

         

        いい年齢になり、名も知れた人の発言には、不快な気分になった。これはボクの問題。

         

        差別用語に過敏で、様々なハラスメントに敏感に反応するメディアが、平気で流せる。

         

         

        通信拡散。匿名性。人が誰かを平気で攻撃し、節操も節度も失った現代を生きている。

         

        閉塞感でいっぱいなこの『窮屈な時代』に馴染めないボクの方がオカシイのだろうか。

         

        まあ、右から左に流せばいい。でも、人としてとても大切な問題にも思えてならない。

         

         

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        別れも出逢いも、なすがまま

        2018.04.12 Thursday 13:06
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          ボクは、人との関係における柔軟性に乏しい。資質なのか。人を見る目がないのか。

           

          何十年も自分を生きてきて未だによく分からない。もはや、あるがままなすがまま。

           

           

          父が病に倒れてから10年余。死んでから5年。母の介護に携わってから5年が過ぎた。

           

          その間には想定外のことばかり起きて、必死に受け入れつつ、今もこうして生きている。

           

           

          だが、この10年で、ボクは古くからの友人というものをすべて失った。

           

          母の介護に没頭する怒涛の日々の中、ほぼ、人との関わりはゼロに近い。

           

          誰とも会話をしない日が3日くらい続いて気づかなくても違和感もない。

           

           

          物の道理は抜きにして、人との関係を築く、継続する、維持するには努力が必要だ。

           

          自分の問題、相手の問題。それが正しかろうが間違っていようが、受け入れること。

           

          世の中から、理不尽なことはたぶんなくならない。狼狽えている猶予などないのだ。

           

           

          猜疑心などというものを一旦持ったなら、何も信じられなくなるし、縛られるもの。

           

          道理や誠意や筋など捨て去ってしまえたなら、「何も考えない」心が増殖するだけ。

           

          歴史の勉強をしても、その背景や成り立ちなどに目を向けないと学習にはならない。

           

           

          どう捉えても理に適わない、腑に落ちないこと。などでボクは多くの友人を失った。

           

          凄まじい暴言を吐かれて縁を切られたり、納得出来ないまま、音信不通になったり。

           

          それはいい気分はしない。こちらから関係を遮断したこともある、因果応報なのか。

           

           

          ともあれ、いい年齢になって、家庭も持たず、子も持たず、生涯孤独を邁進している。

           

          今は親のご加護が許されているが、母が死ねば、即、生活の道は絶たれること必死だ。

           

          でも、それが何だ。父が倒れたのきっかけに「死の準備」もどきを模索しているのだ。

           

           

          今更ジタバタしても始まらない。如実に「誰も他人のことなど考えない」と実感する。

           

          自分を守り、なりふり構わず自分の心のテリトリーを死守しようと必死に生きている。

           

          などと、乱暴に傍観するのだ。決めつけてはいない。そこに答えなどないのだろうし。

           

           

          いつでもどこでも、一緒にいて「心地悪い」「会話に無理がある」人が友人だろうか。

           

          都合のいい時だけ利用されて、何だか騙されたような気分になる人を好きになれるか。

           

          そういう類の人がボクの周りには多かった。常に違和感を抱きつつ孤独を恐れていた。

           

           

          トラウマなどと大袈裟に捉える必要はない。ただ、一緒にいて幸福ではなかったのだ。

           

           

          本当に大切な人はやむを得ない形で疎遠になった。それは、ボクに人徳がないせいだ。

           

           

          そうして、今日も声を発することなく、自分という存在に違和感を抱くだけの終日だ。

           

           

           

           

           

           

           

           

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          大丈夫じゃない、って言えばいい

          2017.01.07 Saturday 15:55
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            正直、ぜんぜん、まったく『大丈夫じゃない』のだ。

             

            人はよく、『大丈夫だよ』とか、平気で簡単に言う。

             

            でも、こっちにとっては、『いい加減なこと言うな』となる。

             

             

            だから、心の中で、『大丈夫じゃない』と呟くのだ。

             

            人が人を励ましたりするのは、あまり好きじゃない。

             

            その人の、いったい『何が判る』と言うのだ。

             

             

            何も判っちゃいないのに、『さも判った風』に物申すな、と。

             

            乱暴な発想だ。実に、大人げない解釈の仕方である。

             

            でも、『大丈夫じゃない』のだから、仕方ないのだ。

             

             

            ぜんぜん『大丈夫なんかじゃない』のだから。

             

            無理して、『うん、大丈夫』なんて言わなきゃいい。

             

            素直に、『大丈夫じゃない』って言えばいい。

             

             

            これだけ、『大丈夫じゃない』って繰り返していると、

             

            もう、『どうでもいい』ように思えてくるかな、って思った。

             

            ちょっとは、『大丈夫かもしれない』って思えてくるか、と。

             

             

            けれど、少しも『大丈夫』なんて思えたりはしないのだ。

             

             

             

             

             

             

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            どのみち、人に生まれてきたのだから

            2016.12.19 Monday 19:55
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              小さい頃には、色々な夢があったような気がする。もう定かではない。

               

              自分がどんな少年だったか、なんて。思い起こしても、意味などない。

               

              あの頃、思い描いた自分になっているとか、いないとか。たら、れば。

               

               

              結婚もしないで家庭を持っていないことに劣等感や妬み嫉みがあった。

               

              それも事実。他人の、子供や孫が可愛いとか。羨ましくて仕方なくて。

               

              一方で、離婚に生気を吸い取られ、人生終わったような人も見て来た。

               

               

              どれが正解か。なんて、ない。『隣の芝生が青く見える』という例え。

               

              無い物ねだり。自分にない物の方がむしろ多い。何でも欲しがるのか。

               

              あれもこれも欲しい。なんて、そんな許容があるのか。満足するのか。

               

               

              たぶん、いずれにせよ、いつでも、自分に満足や納得なんてないのだ。

               

              ただ、『キレイ事』は別。『お金はないよりあった方がいい』と思う。

               

              仕事や人間関係は充実していたに越したことはない。家族も然り、だ。

               

               

              今現在の、ボクは相当に追い詰められている。経済的にも身体的にも。

               

              老後のことなど、考えられない。目の前の一日一日のことで精一杯だ。

               

              貯蓄があるってことが、どれだけ精神的に『ゆとり』を持てるかの話。

               

               

              また、自身の経済状況に関わらず、『身内がいる』というのは財産だ。

               

              生涯独身。親類、縁者なしに等しい。って命綱を切られたようなもの。

               

              精神的なゆとりも持てずに、『自分だけがすべて』になるのは窮屈だ。

               

               

              その『窮屈さ』を日々、感じ始めている。何かに急き立てられるよう。

               

              追い詰められる気持ちは、いいもんじゃない。生きた心地しないのだ。

               

              でも、それが自分の現実ならば、『どうこう』言っている場合でない。

               

               

              なので、あーだの、こーだの。こうして御託を並べて自分を誤摩化す。

               

               

              それしか、術がない。能無しである。それを確認しつつ、生きるだけ。

               

               

              命絶えるまでは、生き続けるしかない。ならば、能書きも垂れるのだ。

               

               

               

               

               

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              逃げるは恥だが役に立つ、場合もある

              2016.12.11 Sunday 16:55
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                いわゆる『逃げ恥』今クール話題のドラマ。新垣結衣がとにかく可愛い。

                 

                まあ、それはそれとして。このタイトル『逃げるは恥だが役に立つ』よ。

                 

                逃げることは、恥なのかもしれないが、時にはいい場合もあると思える。

                 

                 

                吉田拓郎の古い唄に『かくれましょ』というのがある。これに近い感じ。

                 

                人間社会において、逃げたり、隠れたり。それもありだと最近思うのだ。

                 

                どこから、どう攻撃されるか判らない世の中。いつ落とし穴に堕ちるか。

                 

                 

                そんな危険に怯えているより、いっそ『逃げる』『隠れる』方がマシだ。

                 

                誰に何を言われようとも構わない。あることないこと、人は言いたがる。

                 

                だから、ボクはネットでのやり取りも一切ヤメた。怖いんだ、実際の話。

                 

                 

                以前、得体の知れない者にブログが炎上させられた。あれは実にイヤだ。

                 

                臆病者でいい。イヤな想いするくらいなら、逃げて、隠れてしまうのだ。

                 

                すっかり、一人に慣れた生活。気楽とかじゃない。防御、に近いものだ。

                 

                 

                自分のことを『不器用』とまで思わないが、無難に世間を渡れはしない。

                 

                人ときちんと向き合おうとすれば、『痛い目』に遭う確率が高いと知る。

                 

                バカ正直なのも、加減がある。ただ『バカを見る』だけなのは避けたい。

                 

                 

                そんな訳で、『逃げるは恥だとしても、いい』と思う今日この頃なのだ。

                 

                 

                 

                 

                 

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                星野リゾートが、観光をダメにする

                2016.12.08 Thursday 08:48
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                  ボクは個人的に『星野リゾート』に嫌悪感を抱いている。何様なんだと。

                   

                  事の始まりは、十数年前に遡る。軽井沢に古くから星野温泉が存在した。

                   

                  その跡取りが、その宿を『星野リゾート/星のや軽井沢』に作り替えた。

                   

                   

                  その時に、軽井沢へ毎年行っていた我が家は泊まろうと計画をしたのだ。

                   

                  ところが、『2泊以上でないと宿泊を受け付けてはいない』と断られた。

                   

                  しかも、1泊がべらぼうに高い。それを2泊なんて、下々の者には無理。

                   

                   

                   

                  いわゆる『リノベーション(この言葉も嫌いだ)』を売りに儲けまくる。

                   

                  その始まりである『星のや軽井沢』を、跡取りはとっとと手放している。

                   

                  親から受け継いだ物をどうしようと勝手だが、『商売ありき』見え見え。

                   

                   

                  儲ければ次の物件に手を出し、『星野リゾート』と冠するホテルを作る。

                   

                  それらどれも、『高級』が売りで、実際に手軽に庶民が泊まれはしない。

                   

                  ここでも『金持ち』だけで金が動くしくみ。で、件のヤツが儲けまくる。

                   

                   

                   

                  先の『星のや軽井沢』には、併設する温泉施設の『とんぼの湯』がある。

                   

                  日帰り入浴も出来るので、ボクは数年前にそこを利用してみたのである。

                   

                  1200円と高額にも関わらず、これが頂けない。季節は秋。紅葉盛り。

                   

                   

                  風情も味わえない露天風呂は大量の枯れ葉が浮き、底にも溜まっている。

                   

                  堪ったもんじゃない。すぐに出たよ。門構えは立派なのに中身はずさん。

                   

                  表向きだけ、『高級』『おもてなし』を謳う割に、大事なことは手抜き。

                   

                   

                   

                  その星のや軽井沢に隣接して、施設全体を『北欧風』にしたお店が並ぶ。

                   

                  店に入って驚愕する。どれもが高価なのだ。気軽さは皆無、誰が買うの。

                   

                  もう二度と行くことはない。そこの横の国道も通りたくはないくらいだ。

                   

                   

                  星野リゾートが日本中に増え続ければ、日本の観光はダメになるだろう。

                   

                  テレビでも、旅番組などで『星野リゾート』はブランド格付けしている。

                   

                  まあ、どこもかしこも値段が高く、むしろ『安息出来ない』様を呈する。

                   

                   

                   

                  ボクが個人的にそう感じるだけであって、繁盛しているのかもしれない。

                   

                  でも、それは、日本に『それなりの富裕層』がいる証しでもあるだろう。

                   

                  ごく一部の人だけがごく一部で金を回す。これは今の日本経済の象徴だ。

                   

                   

                  東京オリンピック然り。カジノ総合施設然り。この先行き不透明な状態。

                   

                  韓国の騒動は、対岸の火事では済まない。日本もどう転ぶかは判らない。

                   

                  堕ちる時には、あっけなく堕ちる。危険と常に隣り合わせの投資が続く。

                   

                   

                   

                  負け犬の遠吠えに過ぎないかもしれない。でも、危機感は常にあるのだ。

                   

                  アメリカも極端な変革を選んだ。イギリスもEU離脱した。さて日本は。

                   

                  身も心も窮屈な状態に加速しているのは、気のせいではないと思うのだ。

                   

                   

                  昼には呑気に芸能人が挙って食事したり、服を買ったり、内輪受けの図。

                   

                  片や偏った人選の集いで『持論』をぶつけ合うだけの自慰行為を見せる。

                   

                  タモリさんが、(程)いい加減に昼食の息抜きになっていたのも今は昔。

                   

                   

                   

                  もはや、息抜きさえ出来なくなった日常の中、気軽に旅行も楽しめない。

                   

                  もう誰にも止められない。『オリンピックはヤメます』なんて言えない。

                   

                  豊洲は?どうするの? 小池の一人芝居も限界がある。安倍の暴走は?

                   

                   

                   

                   

                   

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                  金持ちが、庶民をバカにする、の巻

                  2016.12.07 Wednesday 19:22
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                    いつの世も、どこの場所でも、『金持ち』と『貧乏人』とに別れる。

                     

                    今更『格差社会』なんて、アホらしい。人間は、どこまでも同じだ。

                     

                    人間である以上、格差はなくならないし、平均的な状態なんてない。

                     

                     

                    ここ数日、ニュースで二度見た『メルセデスがラーメンを売る』話。

                     

                    これこそ、『金持ちが貧乏人を貶む』象徴に感じる。アホらしいわ。

                     

                    いわゆるベンツを『もっと多くの人に知ってもらいたい』とのこと。

                     

                     

                    で、『庶民』の象徴である『ラーメン』をメルセデス販売店で売る。

                     

                    で、そのラーメンの値段が、『1200円』って、高過ぎるだろう。

                     

                    しかも、こまっちゃくれた器に、『ちょぼ』の具。バカにしている。

                     

                     

                    そんなラーメン食いたかないわ。1200円出すなら他にあるだろ。

                     

                    かの『リーク』でやつか。ニュースや情報番組で挙って取り上げる。

                     

                    何処まで行っても、『金持ち』と『貧乏人』の差は埋まらないのだ。

                     

                     

                    それを判らない愚かな業者が、勘違いしたことをしてしまう無様さ。

                     

                    どのみち、『ベンツ』なんて縁がない。それを庶民に売り込むなよ。

                     

                    それ以前に、『買えねえよ』、或は『買わねえよ』が庶民の本音だ。

                     

                     

                    まあ、お坊ちゃん『安倍』といい、『見る目』がない人が多過ぎる。

                     

                    金銭感覚に麻痺しているのか。ボクには判らない。判りたくもない。

                     

                    どうでもいいが、連日、テレビでたまたま同じ話にはゲップが出る。

                     

                     

                    需要と供給が、噛み合ない。それを一番知らないのは、売り手側だ。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

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                    介護殺人・心中が、週一ペースだって

                    2016.12.06 Tuesday 14:01
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                      父が生きていた頃からすれば、10年近く、看病や介護に明け暮れている。

                       

                      高齢化ではなく、すでに『高齢社会』になっている。高齢者ばかりの社会。

                       

                      人が老いて行くのは、自然の摂理。ボク自身は、長生きするつもりはない。

                       

                       

                      ニュースで言っていた。介護殺人や心中は週に1回のペースで起きている。

                       

                      介護を受ける人は年々増加し続け、現在は、推定600万人になるそうだ。

                       

                      この先、団塊の世代が壮年を迎え、更に深刻な問題になること必至だろう。

                       

                       

                      ボクにとっても、その身になってみるまで、『他人事』だったことである。

                       

                      だが、突然『介護問題』に取り込まれたのなら、否応無しにやるしかない。

                       

                      四の五の言っている暇はない。想定外のことばかりに直面する連続になる。

                       

                       

                      おやおや、安倍や現政権は、この問題を軽視してやないかい?などと思う。

                       

                      もうすでに『手遅れ』の状態になってしまっている。すべてが後手後手だ。

                       

                      呑気に『アベノミクス次なる3本の矢』とか言っている場合じゃなかった。

                       

                       

                      カジノ法案、強行採決。外貨獲得、経済を回す。など能書きは垂れられる。

                       

                      でも、何か変じゃないか。経済の表面ばかり繕って、土台は骨抜きな具合。

                       

                      何でも強行に、いつの間にか、色々な決め事が成立して中身は後付け状態。

                       

                       

                      ウンザリするくらいのオリンピック話。雁首揃えて、何やっているんだか。

                       

                       

                       

                      いつか『自分だけが苦労しているなんて思うな』のようなことを言われた。

                       

                      お前に言われたくない。と思ったが、そんな相手に怒りを抱いても無駄だ。

                       

                      バカも程々に。誰がそんなことを平気で思えるのだ。思う訳がないだろう。

                       

                       

                      誰がどのくらい大変なのかなんて、誰にも判らない。十人十色、の暮らし。

                       

                      生活も人の数だけ、すべて違うだろう。とバカなりにも推測出来るものだ。

                       

                      事象は、振り幅を大きく、多様な側面を複眼的に見なければいけないもの。

                       

                       

                      簡単に『苦労』『努力』『頑張る』などの言葉を口にしていけないと思う。

                       

                      誰にも見えないものだから、他人がどうこう言うことじゃないだろうこと。

                       

                      ボクに隙があったのなら、落ち度であって、謙虚に受け止めるにはしても。

                       

                       

                      酒に酔った勢いで言うべきことじゃない。本人は記憶すらしていなかった。

                       

                      だから、ボクもその一件について応えなかった。心の棚に乗せて置くだけ。

                       

                      排他的。利己主義。快楽優先。何でもいいが、世知辛い世の中に違いない。

                       

                       

                       

                      昨晩も『介護』という問題の中で足掻きつつ、今日もすでに半分が終わる。

                       

                       

                       

                       

                       

                      category:雑感 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                      Calender
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