失うものも怖いものも、ない

2018.11.21 Wednesday 08:48
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    すでに生きることそのものに疲れ果てて、何度も死ぬことを試みた。

     

    が、母が生きている間は死ねない。依存されいるし、頼られている。

     

    それが重荷な訳ではない。問題は、そこじゃない。

     

    まだ、少しだけ自分の「心」がその存在を失っていない。

     

    良心の呵責。愛。責任。言葉は、どれも無意味なようだ。

     

     

    ただ、今の混沌とした人の世で生きる意味が見出せない。

     

    すでに、屍のように、生きているとは言い難い暮らしだ。

     

     

    人も信用出来なくなった。社会全体、信用など出来ない。

     

     

    人や社会の側でなく、それらを信用出来ない自分の問題。

     

     

     

    「それなりに色々あるけれど、

     仕事や子育てや大変だけれど、

     生活に潤いを求めて色々楽しみますので、

     生活力のない人は他人に迷惑をかけないよう、

     死んでください」

     

    という闇に葬られた「格差」を見ない振り出来る。

     

    そんな具合に偏る方向に加速する社会を傍観して、

     

    自分の知らない問題に、人も鈍感になれるようだ。

     

     

    人々が共有し利用する、電車に飛び込むのは迷惑な死に方。

     

    でも、「人身事故で電車止まった」と平気で嘆くのが人だ。

     

    命が無残に失われた事実をただの「迷惑」で済ませられる。

     

    人は、生きているだけでも、少なからず人に迷惑をかける。

     

    それを忘れてしまえる。そんな特権を誰しも持ち得るのだ。

     

    自分の欲にかまけても、呑気に「愛」を口にしたり出来る。

     

    都合のいい話。人は謙虚さを捨て、歴史から何も学ばない。

     

     

    人の世から、疎外されればされる程に、人が見えたりする。

     

     

    人と関わり持てない日常は、異常と正常、表裏一体。

     

    数々の不具合、錯綜する病と折り合いをつける日々。

     

    どんなに辛くても苦しくても、やることは減らない。

     

    体はもう悲鳴をあげて「休みたい」と苦しんでいる。

     

    心はその声を必死に受け止めようと、疲弊している。

     

     

    それを声に出しても意味ないと認識しているつもり。

     

    助けを求めたり、弱音を吐いたり、それらは無力だ。

     

    お互いが「分かり合える」確証など、ないに等しい。

     

     

    心も、体も、「死」でしか、報われないようなのだ。

     

    死後の世界を知らない今、「精神論」はゴミ同然だ。

     

    苦しみだけの人生なんて、もうこれでお終いでいい。

     

     

    もう、失うものもないし、怖いものも、ない。

     

    心を捨てた人を欺く犯罪は、カオスを極める。

     

    何も感じない、目には見えない「心の外」で横行する。

     

    それらを「情報」として他人事にしてしまえるのが人。

     

     

    心を持たないので、罪の意識も持たないで済む。

     

    感じないよう、見えないよう、心を蝕んで行く。

     

    それが人を苦しめることにさえ、何も感じない。

     

     

    世の中、間違いなく狂っている。

     

    人も生きる方向を見失っている。

     

    ようにしか、思えない。

     

     

    だから、もう失うものもないし、怖いものもない。

     

    得るものがあるかどうかは、また別の問題になる。

     

     

    1秒後に死んでも、それはただの出来事。

     

    誰にも知られずに、この世から消えゆく。

     

    跡形もなく、人の記憶から消え去ること。

     

     

    自分など、最初から存在していなかったのだ。

     

    ので、死は、ただの「存在消滅」に過ぎない。

     

    それが、今か、明日か、しばらく後かの違い。

     

     

    己の生。母の生。その狭間での、葛藤は続く。

     

    小さな、自分だけの生ならば、死を望むのみ。

     

    もう、世に、何の未練も、失うものも、ない。

     

     

    こんな自分がいようがいまいが誰も興味ない。

     

    その証にここ数年電話もメールも全く来ない。

     

    それは自分の人望のなさ、の裏返しでもある。

     

    人知れず跡形なく消えるには都合良く死ねる。

     

     

    人生、勝ち負けじゃない。

     

    どう死ぬか。

     

    死に方が、どう生きたかになる。

     

    一人で生まれ、一人で死ぬのだ。

     

     

    あらゆる依存から自分を放つ時。

     

    元々、この世になかった存在は、

     

    そのように、また消えるだけだ。

     

     

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    腐った人の世、さようなら

    2018.10.29 Monday 14:45
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      おしまいです。

       

      人に、世に切り捨てられたのではなく、

       

      こちらから人間社会に見切りをつける。

       

       

       

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      いったい、笑いはどこへ行った?

      2018.10.25 Thursday 16:09
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        その昔、民謡に歌詞を乗せた反戦歌として『花はどこへ行った』という唄があった。

         

        改めて歌詞を読み返してみると、シンプルな言葉の中に無限の想像が詰まっている。

         

        強い語気で『主張』をする訳ではないけれど、それが却って言葉の力を感じさせる。

         

         

         

        そこで、ここ十数年、切実に思うのは、『笑いはどこへ行った』ということ。

         

        懐古趣味やノスタルジアで言うのではなく、暮らしの中で実感していること。

         

        かつて人々の暮らしの中に存在していた『牧歌的のどかさ』を顧みてのこと。

         

         

        洗脳のように、人も社会も『時間に追われて、急かされている』ように思う。

         

        これは、嘆きとかではなく、日毎にその感が強まり神経を擦り減らしている。

         

        徐々に、見えない間に侵食していく『ウィルス』の如く、心が蝕まれていく。

         

         

         

        例えば、仕事でパソコンを使うようになってからの25年余りで感じること。

         

        まず『処理速度』の違い。日々刻々忙しく競うように別次元の速度になった。

         

        進化する程に、『もっと、もっと』と人の心や暮らしを侵食していくようだ。

         

         

        時に眉間に皺を寄せ、誰もが俯向き、画面を見ることが日常的な光景になる。

         

        電車の中、寝ている人以外、席に座っている皆がスマホを弄っていたりとか。

         

        その光景に恐怖すら感じるのだが、社会からはみ出した人は置いてけぼりだ。

         

         

        もっと『ゆっくり』と『ゆったり』と、『たゆたう時を愉しみたい』と思う。

         

         

         

        そして何より、ボクは日常の中で『笑っていない』ことが現実となっている。

         

        常に様々なことに追われ、精神的にも肉体的にも余力を失くしているせいか。

         

        誰とも関わりを持たずに、社会のしくみから外れて、黙っているせいなのか。

         

         

        ともあれ、『笑い』は大切だ。『笑いのない』生活はあらゆる『気』が滞る。

         

        人にとって『笑うこと』は心身に良い影響があると経験でよ〜く知っている。

         

        この『笑い』の欠片もない、今の暮らしは、『死に体』も同然に感じている。

         

         

        果たして、暮らしの中の『笑い』は、跡形もなく消えてしまったのだろうか。

         

         

        まずは、『笑い』の生まれる『間』が欲しい。音に例えるなら、こんな感じ。

         

         

        ここには『隙間』が溢れている。目を瞑れば、泉のように、『想像』が湧く。

         

        ボクは、最近、危機感に苛まれると、3年前に出逢えたこのアルバムを聴く。

         

        これまでも、そして、これからも素敵な『出逢い』はある。だから、生きる。

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        幸せなんて、頼りにはならない

        2018.10.24 Wednesday 16:16
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          西向きの窓辺に膝を抱えて座っていると、暖かい陽だまりに包まれる。

           

          この世からすべての音が消滅したように、とてもとても静かな時間だ。

           

          苦しみも、痛みも、不安も、自分を解放してくれたかのように静かだ。

           

           

          幸せなんて、頼りにはならないもの。そんな歌詞の古い唄があった。

           

          でも、この世に『頼りになるもの』なんて存在するのだろうか。

           

          何一つとして、『確かなもの』なんてないような気がする。

           

           

          束の間の陽だまりの中、暮れ行く毎に、『温み』が薄れていく。

           

          陽が沈めば、この世は真っ暗な闇に包まれる。

           

          光も影もない、形を失った世界は、目には見えない。

           

           

          だから、何も不安に感じる必要はない。

           

          いたずらに『不安を抱える』のは自分。

           

          自分が、ここから一歩ずれてみれば良い。

           

           

          幸せに形があるなら、この薄れゆく陽射しのように、

           

          やがて跡形もなく、消えてなくなる。

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          人として、最低のクズがいた

          2018.10.24 Wednesday 13:23
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            小中高の頃に近所に住んでいたヤツとくっついたり離れたり。

             

            いわゆる『友だち』と言う関係を持っていた男がいる。

             

            くっついたり離れたり、ってのは、本意ではなかった。

             

            離れようにも、共通の友人知人が何人かいたので難しかった。

             

             

            普段、学校とかみんなの前で『八方美人』のように、

             

            お調子者で誰とでも男とも女とも親しげに話をする。

             

            ところが、オレと対の時、事の大小幅広く、失礼なことを平気でする。

             

             

            そいつは、30歳になっても最低なクズだった。

             

            むしろ、クズさ加減に拍車が掛かっていて、

             

            人として、『社会人』として、最低なことを平気で出来たりした。

             

            40を過ぎても変わらなかった。むしろ、クズさ加減が加速した。

             

            やはり、オレと対になるとその『クズさ加減』が極端に増幅する。

             

             

            クズがクズたる所以は、『本人に自覚がない』との救い様のなさ。

             

             

            彼の、最低な言動など、具体的な例を挙げるとキリが無い。

             

             

            例えば、人の部屋から強引にC Dを3枚持っていき、そのまま返さない。

             

            それらは、限定のいわゆる『紙ジャケ』だったから再購入の仕様もない。

             

            後日、通勤しているヤツの自家用車の助手席にボロボロになって転がっていた。

             

            通勤の行き帰りに聞いていたんだろう。でも、何も感じないでいられるようだ。

             

            あの光景は鮮明に焼き付いている。悔しいと言うより、とっても悲しく感じた。

             

            当然だが、10年以上経った今でも返って来ていないままだ。

             

            こんなのは、可愛いもんだ。

             

             

            酩酊すると、こっちが聞いてもいないのに、自分から勝手に言うことがある。

             

            それがバレたなら、社会的非難、制裁されて然るような『酷いこと』もある。

             

            そんなこと誰にも言える訳がないので、自分の胸に収めるしかない。

             

            知りたくもない他人の秘密を抱えるなんて、実に腹立たしいことだ。

             

             

            大凡は酒が入ると、殴りたくなるくらいに酷かった。

             

            強引で一方的な誘いを固辞出来なかった自分も悪い。

             

            それでも、酩酊状態になる時にだけ『本音』を晒す。

             

            全く人の話など聞こうとしない、自分本位に徹する。

             

            情けないくらいの下劣な内容さえ、平気で口にする。

             

            ことの詳細までしつこく連射して、当然、酒が醒めた後日には覚えていない。

             

            更には、自分から誘っていて必ず遅刻する。その時、すでに酔っている状態。

             

            これらもたぶん、オレと対の時だけだ。

             

             

            ただ、素面の時でさえ、人を侮辱した行為は普通にする。

             

            今思えば、オレを心の中で相当に見下していたのだろう。

             

            暴言を吐かれたり、自慢や露骨な話を延々聞かされたり、

             

            自分も忍耐力をつけさせてもらい、多くを学んだりした。

             

             

            ところが、ある晩、大勢での酒の席で、オレは座った目のヤツに口撃された。

             

            大声ではなかったので、周りの数人だけにしか聞こえなかったにしても、だ。

             

            自分勝手な思い込みで人格をも否定し、『無知』を晒すような内容だ。

             

            酔った勢いで人を蔑むなんて、『人して最低なクズ』の典型だと思う。

             

            ので、その日を境にヤツとの関わりを断つことにした。

             

             

            大人の事情で、すぐに『絶交だ』なんていかないので、

             

            数ヶ月を経て、一切の関わりを持たないようにした。

             

            ただ、余りに憤りが膨らみ過ぎて、絶縁をメールで済ませたことは愚かな過ちだ。

             

            更には、本人が覚えていないであろう無礼を非難した。

             

            自分もまだまだだ、と己の未熟さを痛感し、猛省する。

             

            必然的に共通の知人たちとも縁が切れることになった。

             

             

            ヤツに、数々の無礼を謝罪してもらいたいなんて、さらさら思わない。

             

            『こと』はなかったことにならない。出来るなら忘れたいだけなのだ。

             

            自分自身も色々な失礼を行い、身を以て痛い目に遭って、思い知った。

             

            それら、すべて『心の傷』として、自分にも腹が立つ矛盾は消えない。

             

            謝って済むことなど、ないだろうと思う。全ては『因果応報』になる。

             

             

            でも、不意をついて『悪夢』の中に時々顔を出すのは勘弁して欲しい。

             

            人は、面倒臭い生き物だ。希望や平安を無視して関わりを持てるのだ。

             

            それは『人の未来に遺恨を残す』ことをし合う醜い生き物だという事。

             

             

            てな、訳で「ダークサイド」に堕ちた自分の心の澱を吐き出して見た。

             

             

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            関係なくても、誰もが言いたい放題

            2018.10.21 Sunday 13:56
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              ここ直近の話題で言えば、ジュリーこと『沢田研二』の『ドタキャン問題』について。

               

              芸能人、一般人問わず、誰もが『言いたい放題』するのは、当たり前、になっている。

               

              その『問題に何も関係ない』にも関わらず、ご意見番の如く批判するのはどうだろう。

               

               

              この『ライブ直前のドタキャン』は、それに関わった人にすれば、『酷い話』だろう。

               

              でも、それにまったく関係ない人にとっては、『意見する』なんておこがましいこと。

               

              やれ『プロとして失格』とか『バカにしている』とか、無責任に言うのは実に簡単だ。

               

               

              でも、これが『情報社会』なのだろう。あらゆる『メディア』で誰もが言いたい放題。

               

              ボク個人的には、余計な雑音でしかないので、触れたくないし、関わらないで済む話。

               

              なのに、テレビ、ラジオ、ネット、生活の中に存在する『情報源』では避け難いこと。

               

               

              個人的な見解など『賛否』あって然ること。直接、関わりがないのなら、黙ることだ。

               

              例えば、『消費税』とかの、国民全部に影響があることなら、人の意見は重要である。

               

              ややこしい仕組みに戸惑う人や翻弄される人ならば、『思うこと』はあるに違いない。

               

               

              悪質な『飲酒ひき逃げ』とか『詐欺』とか、『人としての在り方』は各々考えること。

               

              その問題に意識を持ち、その人なりに思考を巡らせ、自己対峙するかはその人の問題。

               

              何も感じず、適当に受け流し、何が起きようとも、『善悪の彼岸』は眼中の外にある。

               

               

              まあ、『善悪の彼岸』なんてことをここで言葉にする自分もどうかしているのだろう。

               

              そういう『具体的なこと』を言葉や文字にすることの影響を考えていない証拠になる。

               

              ボクは象徴的宗教には興味ないので、この言葉の選択も間違いであるとの確認だけだ。

               

               

              だが、このような『雑音でしかない情報』を遮断するには、今の社会生活では困難だ。

               

              もう、テレビもラジオもネットも一切『触れない』しかないのではないかと思うのだ。

               

              窮屈極まりない。元々『娯楽』であったものが、受け取り方では『苦痛』になり得る。

               

               

              ので、ボクは『いつ』『どのタイミング』で『通信』を遮断するか、常に悩んでいる。

               

              今の暮らしにおいては、これを遮断すると、それ相当の『不便』が生じるので厄介だ。

               

              スマホを持たないとか、現代社会における利便性の高いものから距離を置くしかない。

               

               

              はてさて、どうしたものか。今日も行楽日和の中、一人で苦しんでいる愚か者なのだ。

              category:雑感 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

              生きていくことに何も見出せない

              2018.10.21 Sunday 12:54
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                増税。

                 

                東京オリンピック。

                 

                キャッシュレス、電子マネー。

                 

                人工知能。

                 

                ネット社会。

                 

                情報錯綜。

                 

                無責任。

                 

                無関心。

                 

                不信感。

                 

                便利さが生む更なる不便さと格差。

                 

                進歩の糸で心は固く縛られ続ける。


                人は、人のことを考えなくなった。

                 

                政治家、様々な公務員の体たらく。

                 

                やりたい放題、闇で蠢く悪の病巣。

                 

                マナーやモラルも死語になるのか。

                 

                人が人の世を生きにくくしていく。

                 

                もう、生きていくことに何も見出せなくなった。

                 

                 

                category:生活 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                被害者意識、という見えない傷

                2018.10.15 Monday 09:29
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                  昨日、突然、左脚の膝に激痛が走り、歩行が困難になった。

                   

                  何かやった、という訳ではない。突然、立ち上がる瞬間に。

                   

                  ここは、その昔、事故で被害に遭った影響による古傷だ。

                   

                  マニュアル車では、左脚はクラッチを踏む作業が重要だ。

                   

                  対向車がいきなりセンターラインを越えて正面から突っ込んできたら、

                   

                  まず避けようとハンドルを切ると同時に、

                   

                  右脚ではブレーキ・ペダルを踏み込む。

                   

                  ブレーキを踏む場合、僅か先に左足ではクラッチ・ペダルを踏む習性になっている。

                   

                  クラッチ・ペダルは、完全に奥まで踏み込まなければならない。

                   

                  ほぼ間違いなく、対向車が衝突して来た、ほんのコンマ何秒か。

                   

                  完全に左脚が伸びきった状態のまま、フロントが潰れる程の衝撃を受けたのだ。

                   

                  鉄の塊がペチャンコになるような衝撃を全身に受けたであろう。

                   

                  事故の衝撃と多分ショック状態のせいで、全く痛みを感じなかった。

                   

                  数週間後に、突然、左膝と左腰の痛みを感じ、歩けなくなった。

                   

                  母が重傷を負ったせいもあり、相当に気が張り詰めた日々を送った。

                   

                  すでに、事故の事後処理が終わった後だったし、

                   

                  相手と保険会社が同じだったせいで、うまいことやり込められた。

                   

                  事故による怪我である証明の仕様がなければ治療は全額自己負担。

                   

                  左腰は椎間板ヘルニアで常に下肢に痺れがあり、僅かな動きで激痛が走る。

                   

                  座ったり、立ち上がるだけで1分くらいを要する程の激痛だった。

                   

                  約3ヶ月の間、座ることも寝ることも苦痛のまま、歩行も困難だった。

                   

                  ので、膝は費用節約のために治療をせずにヘルニアの治療に専念した。

                   

                  後に、事故による『心的外傷後ストレス障害』で様々な不具合が出始めた。

                   

                  これも全く事故保険の対象にはならなかった。

                   

                  事故に因る証明が出来ないこと、時間が経過していること。

                   

                  1個人では、組織に太刀打ち出来ないような仕組みが出来上がっていた。

                   

                  いざとなったら『出さない』保険会社が潰れない所以などどうでもいい。

                   

                  100%相手の過失と認められた加害者による事故でもだ。

                   

                  何より、その加害者に誠意もなく、揉め事も勘弁して欲しかった。

                   

                  ただ、『自分が被害者である』という、余計な意識だけが残った。

                   

                  それを『心の傷』とかで、簡単に言葉にしたくもなかった。

                   

                  でも、何十年経っても、『傷は癒えていない』ようなのだ。

                   

                  かの『阿久悠』の作詞でヒットした、沢田研二の『時の過ぎ行くままに』という唄。

                   

                  その一節に『体の傷ならなおせるけれど、心のいたでは癒せやしない』とある。

                   

                  ボクは、この唄が大好きなのだが、この一節はいつまでも心に引っかかるのだ。

                   

                  出来事は偶然ではなく、必然であったとしても、それを受け入れるのは難しい。

                   

                  あらゆる『被害者』の方たち。自然災害。性被害。暴力被害。数多いる被害者。

                   

                  その方たちの気持ちは、同じ被害者であるボクでも察することは出来ない。

                   

                  皆、それぞれに『違う』のだから。

                   

                  だからこそ、せめてボクは、『被害者意識』を持ちたくはない。

                   

                  と思っていること自体が、すでに持ってしまっているのだろう。

                   

                  ほんの一瞬の出来事で、その後の暮らし、すべてが変わってしまった。

                   

                  それを言い訳にして、『失ったもの』を探すようなことはしたくない。

                   

                  でも、こうした多くの不具合で益々生活が苦しくなっているは事実だ。

                   

                  誰の人生が台無しになろうと、『関心』も『興味』も持たないで済む。

                   

                  そういう利己的社会になって、人も自己欲にかまけられる世になった。

                   

                   

                   

                   

                  category:試練 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                  前後、上下、左右、そして中心

                  2018.10.14 Sunday 09:02
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                     『もっと前向きに考えられないの?』

                     鈴子によく言われること。反芻してみる。これまで何度、それについて考えても僕の中では、明確に捉えることが出来ないでいる。

                     いったい『前向き』って何だ?

                     それ以前に『前』ってどっちなのだ。

                     

                     物事を理論的かつ筋道を立てて寸分の迷いなく言葉にして放つことに長ける鈴子は、いつでも朗らかに颯爽としている。目力があり、まっすぐ人の目を見る透明感が凛としている。男前な性格をしていると思う。いや、鈴子にだって当然、色々とあるだろうし、まったく迷いや悩みがない訳ではないだろうが、それを極力、他人に見せたりはしない。そういう意味では、人として尊敬している。男前などと形容することは明らかに的外れだ。こういう安易な発想の生み方自体が前向きじゃないのだろうか。

                     僕は他人から放たれた言葉を真摯に全身で受け止めてしまう。それに連動して、自分の中から生まれた思考や言葉に対しても、用心深く確認行為をすることが癖になってしまっている。

                     でも、判らないことはどこまで行っても判らないままなのだ。

                     

                     鈴子は、僕にとって『書物』だったり、『映画』だったり、『音楽』のように、あらゆる『何か』を提示してくれる存在だ。実際に、僕らはそれらの趣味趣向に共通するものが多く、お互いにいい刺激を与え合い、尊重し、受け入れられる。ある種のソウルメイトにも感じる。だが、恋人ではない。僕はずっと一方的に彼女に片想いをしているが、友達以上恋人未満などという常套句のような関係は微動だにしないくらいに揺るぎない。僕の気持ちに気付いているのかどうか、お互いにその類の話題には今まで触れたことがない。今現在、鈴子にも恋人はいない様子だが、今の所、僕は告白などしたりしない。それで簡単に壊れる関係なら、その程度のことなのだろうし、恋愛を含めて、人との関係性は必然的になるようにしかならない。

                     高校に入学した直後、隣同士の席になった僕らは、ためらいもなく自然に言葉を交わした、いち男子といち女子だった。その距離感がほんの少し他の誰よりも近いことを自分の中に感じ、それが鈴子にとっても似たような感覚だったことから、20代半ばになった今までに僕達は有り体の男女とか友人とかと違う地平に立って時間を共有してきた。社会人になった今、会う機会は激減したが、学生時代の頃と変わりなく、言いたいことを言い合える数少ない人でもある。お互いの考え方や言葉を遠慮なく提示し合い、それに対して自分の中から新たな地平に登る階段を発見し得る、対等な関係という人としては唯一無二の存在にも思える。

                     また、社会に出てそれぞれに別の環境に身を置くようになってからは、時には、勢い余る硬い話ではなく、ある種の言葉遊びのような、現実的問題に何の関連もない、日常から数ミリ浮いた状態で相手の発想を面白がる、楽でゆとりのある会話もするようにもなった。

                     

                     改めて『前向き』というあり方について考えてみる。人はいつでも前を向いている。後ろは後ろであって、後頭部があり、背中やお尻がある。前には目があり口があり、耳があり、胸やお腹や生殖器がある。

                     これは、余りに稚拙過ぎる単なる概念であり、まさに鈴子には『ただの理屈』の一言で片付けられてしまうだろう。

                     でも、だ。上下左右、前後。全方位を見渡して見ても、この地球上の重力に従えば、この目で見ている方向が前であって、後ろを振り返れば、そこが前になる。その『前』と言うあり方を思考に置き換えることが僕の中ではまず最初の難関になる。

                     前向きというだけで、混乱してしまう。人は自分の中の語彙から便利な言葉として選択し、無難に都合よく使える。それらを真正面から受け止めて、その上に考えてしまうのだから、出口のない迷路に入る前に、一旦、この話はある時点で、クロゼットの中にでも仕舞った方が賢明かもしれない。人の中の語彙は、その人がどのように生きてきたかの具現でもあるように思う。人それぞれ、で片付けてしまえば、会話に花が咲くことはなく、実を結ぶこともない。

                     

                     多分、世間一般で言うところの『ポジティブ』『ネガティブ』との区分なのだと思う。まあ、そう暫定的に捉えれば、鈴子の言う通りだ。石橋を叩き過ぎて、渡る前に橋を壊してしまう。自分を取り巻くあらゆる事象を受け流すことをせず、取捨選択に更なる迷いを生み、これだ、と即決する信念が僕に欠落していることは、幼少期より身を以て体験済みで、色々と余計なことを抱え込んでしまったりしている生き方を変えられないでいる。

                     どんなに鈴子の心の動きや行動力を羨ましく思っても、僕には彼女のような生き方は今の所、出来そうにない。

                     でも、誰がその『ポジティブ』か否かというあり方を判定するのだ。ヒヨコのオスメスの性選別みたいに、『はい、これはポジティブ』『はい、これはネガティブ』と断定して決められた箱に入れられるというのだ。

                     

                     物事を曖昧にすることは、いい意味で、時には発想の柔軟性を持つとの点においては必要な気がする。決めつけないこと。この世にはアダムとイヴしかいないのか。そんなことはあり得ない。

                     近年、にわかに『ジェンダー』との言葉が多用されたり、GLBTとも真摯に向き合うことも避けられない時代になってきている。その物事に答えを当てはめることが全て正しいということはない気がしている。

                     僕がこのような理屈を言えば、鈴子は多分『そこなのよ』と言うだろう。問題は問題として心の引き出しにきちんと保管し、肝心な時に出し入れをして、自分のあり方との距離感を見失わないようにすればいいだけの話。『ことをややこしくないのよ』という声が聞こえてきそうだ。

                     

                     僕は一人で過ごすのがまったく苦にならない。妄想したり、一人遊びが好きだ。その延長で、このような自分で用意した迷路に入り込むこともよくある。堂々巡りかもしれない。でも、決して無駄なことじゃないと今までの経験の中で活かされていることもあったりするのだ。

                     

                     でも、今日は久しぶりに鈴子に会いたい。貴重な休日をこのように出口のない自分の中だけの思考と向き合っていることを話したら、鈴子は、飛びっきりの笑顔を見せることだろう。でも、それは見下すような失笑、苦笑ではなく、今の僕に起きている問題に介在する重苦しい空気を一蹴するような愛ある行為に他ならない。

                     

                     いずれにせよ、前後、上下、左右。その中心にいるのは僕以外の何ものでもないのだ。

                     

                     

                    こんな学生時代や二十代を過ごせたら素敵だろうな、などと愚にもならないフィックションを書いて、ほんの気分転換をしてみた。

                     

                    category:フィックション | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                    ボクの左手の人差し指は1本だけ

                    2018.10.13 Saturday 16:00
                    0

                       

                      数ヶ月前から左手の人差し指の第二関節が痛み出した。

                       

                      手の甲の側、外側の曲げると尖がる部分を触ると出っ張りがある。

                       

                      何か、関節にしこりがあって、それがどんどん大きくなっている。

                       

                      半径5ミリくらいのしこりがあって、関節の曲げ伸ばしの際痛い。

                       

                      しばらく放置していたが、先日、整形外科に行って見た。

                       

                      レントゲンには何も写っていない。

                       

                      医師は『これは関節包が変形して腫瘤が出来ただけで問題ない』と言う。

                       

                      場所によっては痛みを伴うこともあるけど心配ない、と。

                       

                      ボクは仕事のパソコン操作でマウスを使い過ぎてこれが悪化したことがある。

                       

                      右手の手首。腫瘤が強大になり、神経に触れて激痛に耐えながら仕事をした。

                       

                      で、どうしようもなくなって結局、手首を切開して除去手術をした経緯がある。

                       

                      それに比べたら大したことない。いや、比べるものじゃない。

                       

                      左手の人差し指が痛み、痺れがあるのも、別に平気ではない。

                       

                      常に痛みを感じるし、不快だし、ギターも弾けない。

                       

                      まあ、ここ何ヶ月ギターをケースから出してもいないけど、

                       

                      先程、試しに弾いてみたが、やっぱり痛みで弾けなかった。

                       

                      病気になると、『それなら大したことない』とか、

                       

                      『その程度で済んでよかったじゃない』とか、言う人がいる。

                       

                      ボクは、その手のことは言わないようにしている。

                       

                      その程度でも、不便はあるだろうし、お金が掛かるだろうし、

                       

                      何より、『なっていない人』に言われても慰みにもならない。

                       

                      ボクは今現在、片手では足りない数の病気や不具合を抱えている。

                       

                      それら全部が、治療して治る保証もないし、そんな暇も金もない。

                       

                      その殆どは放置したまま、悪化しているものもあるが仕方がない。

                       

                      これは、嘆きじゃない。ただの現実だ。

                       

                      さらに左手の人差し指1本が不具合になっただけのこと。

                       

                       

                      category:試練 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

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                        Hallysmile
                      • 自分を生きる楽しみ方を知ること
                        HAWK2700
                      • 愛することで、生きていられる
                        hallysmile
                      • 愛することで、生きていられる
                        HAWK2700
                      • 幻の中の、ポール・マッカートニー
                        hallysmile
                      • 幻の中の、ポール・マッカートニー
                        HAWK2700
                      • 好き、という気持ちは力になる
                        hallysmile
                      • 好き、という気持ちは力になる
                        なお
                      • うまく息が出来ない、のなら
                        hallysmile
                      • うまく息が出来ない、のなら
                        HAWK2700
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