生活という、幕で視界を失うこと

2019.04.22 Monday 14:49
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    病気を含めて、『生活』という幕で視界をを失って、判断を誤りたくはない。

     

    自分が今よりも意識が弱く、何かに頼る『曖昧』な立ち位置でいたら、

     

    即刻、『死』に逃げているだろう。

     

     

    そう、『死』は逃げである。

     

     

    現実が苦しいから、その苦しみから逃げたいだけのこと。

     

     

    誰かに『自分を判ってほしい』とかの『甘え』があったなら、

     

    すぐに『そこ』に逃げることを選んでいるだろう。

     

    だが、まだ生きている。

     

     

    逃げることが卑怯だとか、弱いとか、そういう観念に貶められることは本意でない。

     

    ある意味、『意地』でもある。安っぽいものだ。

     

    いかにも安っぽくても、下らなくても、それが自分を生かしている場合があるなら、

     

    それはそれで、悪いことじゃない。

     

     

    『鬱』という病気は、一瞬先も見えない。

     

    それを言い訳にしているとか、『弱い』とか、『逃げ』とか、人は簡単に言う。

     

    何も知らない奴らの偏見に屈したくない、下らない『意地』でしかないけれど、

     

    下らなかろうが、何を批判されようと、構わない。

     

    そもそも、誰も関心などないのだから、

     

     

    自分が自分であるために、必死で生きている。

     

    今は、生きている。

     

    いつ、死ぬかは、判らない。

     

    判らないから、今は生きる。

     

     

     

    苦しみしかなかった人生、死んでも死に切れない。

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    生きるべきか、死ぬべきか

    2019.04.22 Monday 05:25
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      生きるべきか、死ぬべきか、それは問題じゃない。

       

      残された、二者択一の、迫られた答えだ。

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      感情の在り方は、多種多様でいい

      2019.04.19 Friday 03:31
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        人は、個々の存在であり、一人一人、皆違う。誰一人として同じ存在はない。当たり前のこと。

         

        クローンとか、科学でもない。生命として、特別に考えたりしないで認識として無視されがち。

         

        生まれた環境も違えば、経験も違う。似たような経験でも感じ方も人それぞれに違って当然だ。

         

         

        肉体があり、性別があり、性と肉体が一致しない場合も含めて、個々の在り方を尊重すること。

         

        これからの社会では、これが最重要にも思えることのひとつだ。観念や概念に柔軟であること。

         

        男なら『こうであれ』とか、女なんだから『こうしろ』とか、そういう発想は弊害でしかない。

         

         

        人は、『お互いを認め合うこと』が難しい。生きていると、色々な葛藤や軋轢があるのは必至。

         

        人との関係で、相手のすべてを理解出来ないし、知ることも限界があるとの前提が重要になる。

         

        身勝手な言い分『何で判らない』との自己主張は、絡んだ糸を解けないように事を複雑にする。

         

         

         

        現代社会はあらゆる選択肢が増え続け、損得に心乱されることも増え、精神的耐性が試される。

         

        大きな問題なのに軽んじて扱われることに『依存』があるようにボク個人は思ったりしている。

         

        例えば、日々『スマホ』を手放せなくなったら、それが突然なくなったらどうなるのだろうか。

         

         

        そのような想定をして、日々生活しているのか。あるのが『当然』だとどこかに甘えがないか。

         

        近年、災害が多い。ある日、突然、『当たり前だった生活』がなくなることも目の前の現実だ。

         

        それを受け入れられないのなら、今の社会で生きていくには意思が脆弱過ぎるとボクは感じる。

         

         

        ある意味、ボクは十代の頃に事故に遭遇して『そういう』在り方を経験したことは貴重だった。

         

        前向きとか、そういう薄っぺらい捉え方は好きではない。精神論はただの理屈で糧にならない。

         

        出来れば、不運なことなく、穏便に暮らせたらそれに越したことはない。穏やかに、健やかに。

         

         

         

        ただ、今の世、人には、『何が起こるか判らない』との覚悟も必要に迫られている大きな課題。

         

        例えば、『ガン』は二人に一人はなる時代だと言われている。頭で理解するだけではいけない。

         

        自分がなってみて、『なぜ、自分が』と狼狽えるか、現実を受け入れるか。例えは良くないが。

         

         

        ボクは一度も結婚していないし、パートナーがいた経験すらない。ずっと独り身しか知らない。

         

        それを『不幸』と言われるのは構わないが、人として劣るかどうかは気にしても仕方ないこと。

         

        40を過ぎた頃から、『寂しさ』という感情と距離を置くことを身につける修練を重ねてきた。

         

         

        今では、もう『寂しい』という感情を思い出せない。忘れたのでなく、捉える角度が変わった。

         

        50を過ぎると、むしろ『気楽』でもある。誰かに看取られたいなど、思わなくもなっている。

         

        葬儀もいらないし、自分など存在しなかったように消えたいというのは、独り身の理想である。

         

         

         

        一人の人間として生きることを受け入れ、それを楽しむようにしなければ自分に失礼だと思う。

         

        幸い、家事は全般無難にこなせる。料理は好きだし、裁縫もする。これらを義務とは思わない。

         

        ニトリで既製品の安価なカーテンを買って、裾を切り、折り返して手縫いをしたりも苦でない。

         

         

        人が勝手に人に抱く『感情』には抗えない。『それは違う』と主張することは弊害を生むだけ。

         

        その人はそう思うのだ、との認識をすればいいだけの話。説明して納得をさせる問題じゃない。

         

        相手が納得しているかも判らないのに、自己満足で自己主張をしても、余計頭が固くなるだけ。

         

         

        お互いが、『違うこと』を認識することが大事であり、その違いで関係性の有無をみればいい。

         

        必然的に交友関係がなくなる場合もなるし、新たな発見がある場合もあるのはありがたいこと。

         

        ボクは現在、まったく『交友関係』がない。色々な問題が重なって、そうなっただけのことだ。

         

         

         

        現在、病気を抱えながら、老いた親の介護をして収入もなく、母の年金で細々を暮らしている。

         

        蓄えも減る一方で、いつ生活苦に陥るか不安になっても現実は変わらない。日々の事で精一杯。

         

        例えば、母が死んだら、もうその日からボクは数日しか『生活は出来ない』のだ。それが現実。

         

         

        最近俄かに問題視されている『中高年ニート』と同列にされる。が、我が家に蓄えなどはない。

         

        兄夫婦が父の財産を食い潰して、母に遺産すら残さなかった。それがどうこう言っても無駄だ。

         

        過ぎたことを蒸し返しても、何も生まれない。誠意もない、感謝もない人に期待など出来ない。

         

         

        それも『家族』の厄介なところ。血縁関係で兄弟だとしても、彼ら家族とは『縁』が皆無、だ。

         

        父の闘病時代も、母の介護に関しても、彼らは『何もしなかった』事実がすべてを示している。

         

        長年、何の役にも立たなかっただけでなく、ストレスや問題の元凶であり、名ばかりの家族だ。

         

         

         

        暴君であった父は、母とボクを犠牲にし、ボクらが長い間、病気を抱え続ける種を巻き続けた。

         

        兄夫婦も身勝手極まる故に、その子供達も楽な暮らしの中で勘違いしたまま家庭を持っている。

         

        それに難癖つけても、自分が辛くなるだけなので、『孤立死』が最も理想になるし、そう願う。

         

        ので、『一人=寂しい』と思われることは本望ではないが、それはそれで、もうどうでもいい。

         

         

        今まで生きてきて、心から『愛する女性』にも出逢えた。こちらの一方的な感情であってもだ。

         

         

        恋愛が成就するだけが『幸福』ではない。というのを強がりと捉える発想など貧しいと思える。

         

         

        世間で言う『終活』に興味がない。『それが出来る人がやればいい』ので、自分は関係がない。

         

         

        こんな不快な世の中で、苦痛だけしかない状態で、これ以上生き延びる気はサラサラないのだ。

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        冗談じゃねぇよ、と思えてもくる

        2019.04.18 Thursday 04:33
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          選挙カーがうるさい。何を言っているのかも判らないまま、叫んでいる始末だ。

           

          大声で『お願い』されても、当選したい『お前に何が出来る』のか伝わらない。

           

          立候補者が公示されて、短期間で選挙に突入する。誰が誰だか、何が何やらだ。

           

           

          誰もが名前を連呼して『お願いします』というが、うるさいだけの迷惑になる。

           

          だいたい、『お前は誰だ?』と言う状態なのに、お願いするって失礼なことだ。

           

          こんな選挙制度が続く限り、『何も良くならない』し、それは衰退にも等しい。

           

           

          ボクはここに住んでもう40年以上になるが、未だに『土着』が抜け切らない。

           

          東京って言っても、新築が並び通勤労働者が増え続け、土着との二極化が進む。

           

          昔から、その地を牛耳っている『地主共』が横の繋がりを崩さず開発も下手だ。

           

           

           

          こんなの『選挙』の意味もない。毎回、同じだ。他所からの血を受け入れない。

           

          代々受け継がれる血は濁る一方で、大多数を占める古く錆びた継承が成される。

           

          市議と役所の最強コンビで、商業的に寂れさせ、財政難で活気もない街にした。

           

           

          某隠れ『創価学会』などが驚く程にいて、迂闊に批判すら出来ない土壌もある。

           

          同級生の多くが、何十年も会っていないのに、選挙時に突然『お願い』に参る。

           

          選挙権は『個人の判断と選択』が尊重される権利で、義理やお願いなど失礼だ。

           

           

          東京の23区外の首都圏でもこんな状態なのだから、地方は凄そうと想像する。

           

          どんな有能な人材がいても、抹消されるし、無能な人でも当選してしまうとか。

           

          こんな選挙は、『無意味』でしかない。毎回それで諦めるのは癪に触ることだ。

           

           

           

          誰かが、この悪しき『習慣』を変えなければ、日本は腐敗するだけにも思える。

           

          それでも、今回の選挙でも『どうせ同じこと』と諦観してしまうしかないのだ。

           

          たった一票では微々たるものだと思わせることで、投票しない人もいるだろう。

           

           

          そこそこいい暮らしに満足しているのか。投票行くのが面倒な程無関心なのか。

           

          このままでは、『オリンピック』なんて『弊害』でしかない。豊洲がいい見本。

           

          問題が錯綜したまま、なし崩し的に進行する。で、誰もが諦観して慣れて行く。

           

           

          昨今は、『自分のスッテップアップ』のために、政治家になる人が増えたよう。

           

          問題を起こす輩が多い。政治家以前に、人として問題ある人が当選する不思議。

           

          大泣きする奴。不倫する奴。政務活動費を私有化する奴。大凡、欲にかまける。

           

           

           

          候補者の『何も知り得ないまま』選挙は遂行され、組織票などが幅を利かせる。

           

          これでは、血は濁り、政治は腐敗し、経済も不安定に下降線を辿ることだろう。

           

          自分の暮らしだけで精一杯だし、もう適当にして、との定で投げやりにもなる。

           

           

          自民1強が続けば、日本は衰退するだろう。少なくとも庶民は不安でしかない。

           

           

          昭和の時代の混乱と今の時代の混乱とは『根本的に質が違う』のが恐怖なのだ。

           

           

          私腹を肥やすだけの『お仕事議員』たちの、人材育成を怠った不良債権の蓄積。

           

           

          野党の不甲斐なさは言うに及ばず、無所属という体裁のいい候補者が多過ぎる。

           

           

          選挙の後には悪夢の十連休で、もう不安しかない暮らしに疲れ果てているのだ。

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          日々悪化する暮らしには限界がある

          2019.04.17 Wednesday 04:23
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            日々、疲労は蓄積され、心は光を失い、それでもなぜか生きている。

             

            それでもやっぱり相当に参っているようで、失敗の連続になる。

             

            料理をしている最中にしんどくてちょっと横になる間に、忘れる。

             

            焦げた匂いで意識が覚醒して、焦げ付いた鍋を前に『やれやれ』となる。

             

             

            こんなことが日毎に増えている。

             

            食べ物もダメにするし、鍋は痛むし、それを処理する余計なことを生む。

             

            気づけば、今日の食事はどうしようか、と頭の中でぐるぐる。

             

            色々と出費がかさんで危険水域に入るから、やり繰りしよう。

             

            などと、

             

            激しい耳鳴りに耐え続けていても、考えることが山ほどある。

             

             

            で、夜になっても、まともな睡眠は得られずに、

             

            凄まじい『悪夢』や轟く『耳鳴り』や体の不具合で、

             

            いわゆる『睡眠負債』が膨大に膨らむだけの暮らし。

             

             

            昼間に何とか気持ちを立て直しても、それを維持する力が足りない。

             

            1日が忍耐だけで終わリもなく、日々が数珠繋ぎのように、

             

            気持ちの切り替えなどは到底至難になる。

             

             

            誰かに『もう疲れたから、勘弁してくれ』とも言えずに、まだ生きている。

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            どうしても受け付けない事がある

            2019.04.16 Tuesday 12:07
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              よく『生理的に受け付けない』と言う。これは、自分でも色々な葛藤があることだ。

               

              確かに、否が応でも『受け付けないもの』があるのは否めない。ボクにもあるのだ。

               

              若い頃は、凄まじくそれがあり、自分で『バカ』だと感じていても、抱えてしまう。

               

               

              具体的に挙げるのは忍びないが、ここ数年のボクには『桑田佳祐』がこれに当たる。

               

              彼の表現すべて年々『フザけ方』が度を越してきているようで、拒否反応を起こす。

               

              年齢を経ることへの『悪足掻き』にも見える。丸くならずに敢えて尖る、戯け具合。

               

               

              その昔、ボクはデビュー当時サザンのレコードを買ったりして好きだったりもした。

               

              3枚目のアルバムから急に『受け付けなくなった』のが、今では合点が行くようだ。

               

              ファースト、セカンドは今聴いても違和感ない。若気の至りで許容出来る範囲内だ。

               

               

               

              何がどう、自分の中で『不快』に感じるようになったのか。当時は色々と模索した。

               

              生きることにおいて、『不快』『嫌い』などの『負の要素』を抱えるのは避けたい。

               

              受動的に避けられないものがある。テレビ、ラジオなど無作為に触れてしまうのだ。

               

               

              その度に嫌な気持ちになるのは自分でもうんざりすることなのに、制御が出来ない。

               

              商売。それは、個人の選択の自由が許されるものだが、受動のものは避けられない。

               

              そうなると、極力、あらゆる媒体に触れないしか手管はない。なんと面倒なことだ。

               

               

              日々、疲弊していると、心の乱すものに触れたら、その瞬間、『やれやれ』と思う。

               

              ので、ここ数年のボクは、テレビは録画でしか観ないようになったのが現状である。

               

              それ以外は、観ない。ラジオも殆ど安全なものしか聴かない。選択肢は少なくなる。

               

               

               

              なんと、味気ない暮らしだろう、と嘆いても仕方ない。もう自己防衛しかないのだ。

               

              来る日も来る日も、日常には『苦痛』と『忍耐』しかない状態なのでやむを得ない。

               

              出来る限り、心も体もダメージを受けないようにするしかないのは、暫定的結論だ。

               

               

              もはや、それが当たり前なくらいに、あらゆる媒体が不快なものになってしまった。

               

              テレビ、ラジオ、ネット。それらは極力触れない。これではニュースにも疎くなる。

               

              家庭の事情で、新聞はやめた。出来るだけ、省ける出費は削ぐ生活に追い込まれる。

               

               

              そんな暮らしを続けていると、それだけ、心にもゆとりを持てなくなるようである。

               

              余計なことに巻き込まれないようにすると、出逢いも人との関わりもなくなる必然。

               

              だが、今の暮らしを維持するには、他に術がない。とても環境的に貧しい暮らしだ。

               

               

               

              それが正解かどうかはもう考える余地もないので、今は『自己管理』に徹するだけ。

               

              その『生理的』は、ある意味、持って生まれた性質なのか、努力では克服もし難い。

               

              暫定的に『生理的』と言うが、これもあまりしっくりこない。他に表現がないだけ。

               

               

              今の暮らしにおいては兎に角『うるさい』ものが一番の不快。神経過敏なのである。

               

              『よく喋る人』『声のデカイ人』『高圧的態度』には対応策もなく、精神的に参る。

               

              お昼の番組は不快なものしかなく、『お昼休み』も出来ないので静かな昼食になる。

               

               

              これまた個人名を挙げると、『さんま』はもう勘弁だ。『タモリ』さんとは大違い。

               

              年齢なりに自分の立ち位置を見極め、懐深く余力を示せる素養を養う必要も感じる。

               

              加齢に抗えず唇の端にツバを溜めてまで切れ味悪く喋るのを高画質で見たくはない。

               

               

               

              さんま予備軍がたくさん控えている芸人界やテレビ業界には希望も未来も望まない。

               

              人には、好き嫌いがあって当然であり、ある程度いい年齢になると取捨選択をする。

               

              それだけの話なのだが、こういう類は、自分の心の中に、しまっておく方が懸命だ。

               

               

              でも今のボクは自分の中で処理仕切れないのではっきり言葉にして見極めたいのだ。

               

               

              まあ、いずれにしても、あの『ギイギイ』黒板を爪を引っ掻くような不快さは続く。

               

               

              心の平安など望めないのは承知の上だが、忙しく騒がしい社会は生きた心地しない。

               

               

              静かに、穏やかに暮らしたいけれど、叶わぬことは、余計にストレスを抱えるだけ。

               

               

              こんな世で人生百年など、考えただけで死にたくなる。もう余生に片足入っている。

              category:模索 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

              楽しいがなくなってしまっている

              2019.04.15 Monday 03:23
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                もう生きていることにおける、すべてに『楽しい』を感じなくなっている。

                 

                日々、苦痛は重くなり、体の不調は増え続け、心もどこかへ落としてきた。

                 

                相変わらず、耳鳴りも凄まじい。それでも、気は狂わない。

                 

                体は自分のものでないように、金属の塊のように重いだけ。

                 

                 

                何も感じられなくなっているのは、心をなくしたせいだったのか。

                 

                 

                死にたいとか、この世から消えたいとか。

                 

                それすら、どうでもよおくなってきた。

                 

                もはや、生きているとは言い難い拷問に近い。

                 

                何しろ、色々と抱えすぎて、心は砂袋のように『重し』でしかないので、

                 

                多分、どこかへ置いてきてしまったのだろう。

                 

                 

                今の所、探すことは出来ないようだ。

                 

                これは、もうお終いのようだが、、

                category:生活 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                苦しみは、その人にしか判らない

                2019.04.12 Friday 10:50
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                  ボクは、『人は、他者のことは判らない』と個人的にずっと思っている。

                   

                  判らないからこそ、『想像』し続け、他人に対する『想い』『寄り添う』ことが大事になる。

                   

                  一個人の経験だけでは、知り得ることは高が知れていると、常に謙虚でいること。

                   

                   

                  例えば、『尿管結石』は凄まじい痛みだと聞くが、それは想像だけでは判らない。

                   

                  自分で経験してみて、初めて『その痛み』を知るが、あくまで『すべて』でない。

                   

                  簡単に『大丈夫』とか『頑張れ』など論外で、『その気持ち判る』も適切でない。

                   

                   

                  ボクは病気を抱えてから、もう30年以上も経っているが、未だに寛解すら見えない。

                   

                  むしろ、ここ10数年は、父の看病、母の介護に追われて、病は悪化する一方である。

                   

                  それでも、長年の経験を活かして、諦めずに、『知恵』などを総動員して乗り切っている。

                   

                   

                  毎晩、死にたくなる。苦しみに『もうこれ以上は無理だ』と諦める自分と葛藤している。

                   

                  何とか朝を迎えて、曇っていようと雨が降っていようと、『太陽』の存在が救いになる。

                   

                  だが、無理を続け重ねた『負債』が心と体に様々な不調をもたらし、日々疲弊し続けている。

                   

                   

                  ここ数日は、母にまで、『もうダメかもしれない』と言ってはいけないことを口にしている。

                   

                  無理をすればする程、いきなり『鬱』の底に落とされる。この苦痛は何度経験しても初体験だ。

                   

                  体も心も溶けた鉛のように、地べたに広がり、それを掻き集めて修復することは困難だ。

                   

                   

                  もう『いいや』と、『死』とかの概念も思考から外れるくらいに、『無能』になる。

                   

                   

                  いつ、死んでもいい。などと言うのは、親不孝なのか。

                   

                   

                  どうにでもなれ、は生きることを放棄しているのではなく、他に術がないのだ。

                   

                   

                  誰も関心ないだろうことだし、ましてこんな人間がここに存在していることも『無』に等しい。

                   

                   

                  ひっそりと、誰にも知れずに、この世から跡形もなく、消えることが理想なのだ。

                  category:雑感 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                  愚かなる政治家に振り回されないよう

                  2019.04.11 Thursday 17:11
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                    否が応でも日本の政治は個人の力ではどうにも変えられないが、国民各々の意識次第だ。

                     

                    桜田だけに限らず、政治家としての資質もない人を『忖度』で派閥から大臣に任命した。

                     

                    いつしか長期政権になった『安倍』の功罪は大きい。アベノミクスは何だったのだろう。

                     

                     

                    貧富の差を拡大させ、富裕層の私腹が肥え、中小企業を倒産や経営難に追い込んだだけ。

                     

                    並から下の庶民の生活が苦しくなった事実は歴然としていて、肌で実感をしていること。

                     

                    長期政権になった安倍政治の成果は『忖度』という言葉を浸透させたことくらいだろう。

                     

                     

                    もりかけ問題に始まり、様々な所で『怪しい痕跡』を残し、それを揉み消し有耶無耶に。

                     

                    それでも何もなかったように、庶民の納得し難い肝入りの法案を通すことにご執心、だ。

                     

                    何より『まともな政治家がいない』ことが、ここまで偏った政権を長引かせたのだろう。

                     

                     

                     

                    ここは黙ってひっそりとしていれば、世間も忘れると影を潜める問題議員を許す現状だ。

                     

                    他の誰かが問題を起こせばいい、と。話題はそっちに集中するまでじっとしていようと。

                     

                    例えば『片山さつき』を筆頭とした政治家は、今もずっと高額な報酬を手に入れている。

                     

                     

                    こんな『美味しい立場』を失うものか、と。国民のためではなく、自分のためのお仕事。

                     

                    それは、政治家に限らず、彼らに関わる官僚や公務員なども甘い蜜に群がる虫のようだ。

                     

                    一度味わった『味』は忘れられない。人から煩悩はなくならず、あらぬ方向へ加速する。

                     

                     

                    などと戯けたくなる。ここで一個人が何をほざいても、何もどうにもならないのである。

                     

                    ネットは『拡散』という恐ろしい媒体だ。『真実が嘘に』『嘘が真実に』簡単に変わる。

                     

                    もはや、何が真実で何が嘘かも判らないくらいに、カオスを極めてしまっているようだ。

                     

                     

                     

                    ので、ブログなる『ガラパゴス媒体』は、ひっそりと続けている。自己確認の手段、だ。

                     

                    瞬時に『呟いたり』は危険行為だ。今の世は危険な誘惑がいっぱいなので気をつけたい。

                     

                    ただ、もうこれ以上、愚かなる政治家たちに振り回されるのはゴメン願いたいのである。

                     

                     

                    役立たずの議員定員削減など身を削る改革をしなければ誰も政治に期待をしないだろう。

                     

                     

                    選挙にも行かなければ、何も変わらない。投票率が低ければ低い程に政治も腐敗をする。

                     

                     

                    自民党が優秀な訳でもなく、野党がくっ付いたり離れたり誰も期待しなくなる体たらく。

                     

                     

                    ただ、安倍政権を倒すだけの理念なき集団に成り下がる現状では政治全体が死に体、だ。

                     

                     

                    などと、更に乱暴に戯けてみても虚しい限り。有望な人が見当たらないのだから困った。

                    category:生活 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                    それでもレコードが好き、なんです

                    2019.04.11 Thursday 09:19
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                      以前、作家の『村上春樹』が FMラジオ・パーソナリティをする『村上レディオ』を聴いた。

                       

                      ボクはこの人のデビュー作を文庫本発売当時に買ってからずっと愛読をさせてもらっている。

                       

                      だが、最近の小説はここ十数年間、読んでいない。『大容量』過ぎて、読破する自信がない。

                       

                       

                      そこで、買い続けている文庫本の『エッセイ』を拾い読みすることが、息抜きになっている。

                       

                      彼は、作家になる前に『ジャズ喫茶』をやっていた程に『音楽マニア』として知られている。

                       

                      それも、相当な『レコード収集家』であり、この放送でも自前のレコードだけを流していた。

                       

                       

                      ボクが思春期に敬愛していた、作家『片岡義男』『村上春樹』二人はまったくタイプが違う。

                       

                      母なる自然の導き。その二人の共通点は『レコード収集する音楽愛好家』であることだろう。

                       

                      更には、片岡氏は日系二世で英語がネイティブ。村上氏も翻訳をする程に英語が堪能である。

                       

                       

                       

                      片岡氏が昭和の頃やっていた『気まぐれ飛行船』というF Mの深夜ラジオが素晴らしかった。

                       

                      マイルドな声のゆったりとした喋り、数万枚所有の趣味のいいレコードを聴けるのが魅力だ。

                       

                      彼はトレンディ作家との扱いをされているが、ボクは百冊以上読み、読む度、発見の連続だ。

                       

                       

                      感情を一切廃した、いわゆるハードボイルド調の『ミス・リグビーの幸福』は秀逸な作品だ。

                       

                      執筆も控え、『日本語』の魅力を斬新な切り口で探求した書物も絶版の憂き目に遭っている。

                       

                      恐らく、今の時代に自分の書物など需要がないことをよく知っている、などと想像している。

                       

                       

                      一方の村上氏は現役だが、『ハルキスト』なる人が増殖して、異様な様相を呈してしまった。

                       

                      そんなことはお構いなしな具合に、『村上レディオ』はユーモアある喋りが実に愉快だった。

                       

                      その中で、彼は『レコードの魅力』を切々と語っていた。ある意味、爽快な程に皮肉っぽく。

                       

                       

                       

                      ボクもレコードはたくさん所有している。物がデカいので保存も大変だが、大切にしている。

                       

                      どれも状態良く、たまにターンテーブルの上に乗り、極上の音を届けてくれて感謝している。

                       

                      レコードの素晴らしさを語っても意味がない。自分を楽しむ『暮らしの潤い』でいいだろう。

                       

                       

                      最近、レコードの魅力が再認識されているようで、新作や再発売など年々流通が増えている。

                       

                      だが、如何せん『高額』なのだ。まさに経済の問題。生産量と対価の不文律。贅沢品になる。

                       

                      これは『温故知新』と別物で流行り廃りの域。良さを再認識されても、ボクには関係がない。

                       

                       

                      ネット通販などで俄かにレコード・プレイヤーも数多く取り扱い始め、購買意欲を刺激する。

                       

                      所有のプレイヤーも動くし、レコード針も生産が縮小された頃購入した新品も保存してある。

                       

                      物持ちいいのは、『物を愛する』からであり、『断捨離』とは違う角度で捉えていたいこと。

                       

                       

                       

                      普段、デジタル音に慣れている為、たまにレコードを聴くとその素晴らしさに唸ってしまう。

                       

                      オーディオテクニカのカートリッジも2個買い置きしておいて大正解。その辺は抜かりない。

                       

                      あの頃は、『シュア』『エンパイア』など、カートリッジを色々試して音の違いを楽しんだ。

                       

                       

                      現在、デジタル音源も向上しているようだが、これらと比べることは無理。まったく別物だ。

                       

                      デジタルは信号化された『データ』に過ぎない。レコードの周波数は『空気振動』そのもの。

                       

                      最新技術で音の分離も際立ち、デジタルも進化しているが、レコードの温もりは再現不可能。

                       

                       

                       

                      ともあれ、村上氏が熱く楽しく語る程に、ボクの代弁をしてくれるようで爽快であったのだ。

                       

                      ネットで得られない『出逢い』があった時代を回顧して言うのじゃなく、実体験なのだから。

                       

                      自分の足で歩き、探し、失敗をし、学び、それでも失敗を重ねて、自分の『無知』を知った。

                       

                       

                      それが決定的に欠如しつつある現代の合理主義は、切実に取り返しが付かないように感じる。

                       

                      心に『余白を作れない』ことと『短絡的発想』には、因果関係があるように思えてならない。

                       

                      何事も『もっと早く、手軽さに、便利に』と忙しく、『心のゆとり』を自ら削ぐようである。

                       

                       

                       

                      レコードは、丁寧に盤を出し、ターンテーブルに乗せ、針を落とす。その工程も音楽だった。

                       

                      今は『ポチ』で自在になったが、取り返しの付かない、失敗の猶予も許さない切迫感が凄い。

                       

                      それを批判や否定をしても意味などないので、自分の中の単なる模索の一部に留めておこう。

                       

                       

                      無駄が嫌いではない。完全製造中止になるまで頑なに抵抗しレコードの方を買い続けたのだ。

                       

                       

                      ボクのレコードプレイヤーは40年物。デジタル機器は突然壊れる。5年も持てばいい方だ。

                       

                       

                      常に『廃棄物』を産み続ける、神経症的バージョンアップ。もっとのんびりさせて、と思う。

                       

                       

                      でも、それを許さない世の中になった。すぐ壊れる物を作り、買い替えを促す、経済の退化。

                       

                       

                      などと、『村上レディオ』を微笑みながら聴いていて、しみじみ、と感じたボクなのである。

                       

                       

                      他者に迷惑を掛けないことを前提にすれば、変わり者だろうが文句を言われる筋合いはない。

                       

                       

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