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    煙草の匂いと彼女の台詞

    2015.06.20 Saturday 17:22
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       彼女は、僕の言っていることが「よく判らない」と言う。

       その台詞は何度か彼女の口から聞いたし、今更驚いたりはしない。むしろ、判ってほしくて会話をしている訳ではない。同じ時間を共有している間に行っている戯れや愉しみだと思えば、少しは気が楽になる。

       そもそも、他人を理解するなどということはほぼ不可能に近いとは思っていて、それでも相手の話をじっくり聞き、自分の中で咀嚼をし、自分の放つ言葉の選択には慎重かつ丁寧にするよう心掛けている。伝わることもあるが、それが相手にどのように伝わっているのかはこちら側には確認出来ないという、延々に続く模索でもある。

       それでも、会話の中でお互いに何かを感じ合えることはあるし、それぞれの言い分に納得が出来ないこともあるのだ。


       は彼女と何度も寝ているし、体の相性はとてもいい。だが、恋人同士かは定かではない。お互いに愛し合っていると確認したことがない。

       そんな微妙な距離感のまま、こうしてまるでスポーツのようなセックスをするし、ただ食事をするだけの時もある。端から見たら、まさに「彼と彼女」の風景として違和感はないだろう。

       生意気で自己主張の強い佇まいであっても、それもいい具合に作用するように、いつでも満面の笑みを瞬時に全身で表現出来る、凛とした彼女がは好きだ。

       しかし、ちょうど一回り歳下の彼女とは、会話が成立しない時が多い。これは年齢によるものではなく、たぶん、それぞれの性質の違いなのだろうと感じている。考え方とか、感じ方とか、そういうのは誰でも大なり小なり違うもので、価値観というものがあるとするなら、それを物差しにして人との距離を測ることは出来ない或は避けたいと、ある頃から僕は捉えている。

       例えば『価値観が似ている』とか、『価値観の相違』とか。人との関係は、そのような曖昧なもので括ることは窮屈にも感じている。そのことで、今は彼女との関係では対等でいたいのだ。

       

       『要するに、あなたは何が言いたいの?』

       彼女の口癖のようでもある、『要するに』との言葉は今までにも何度か投げ放たれた。彼女なりのこだわりにも感じる。

       『正解のないことを要するのはとても難しい』

       と今回のは言ってみた。

       『でも、言いたいことを要してもらわないとこっちには伝わらないわ』

       『伝えたい気持ちはあるけれど、その気持ちと伝わるかどうかは別だ』

       『そうやって、いつも達観したような物言いをするのよね』

       『達観なんて、してやいないよ』

       ベッドの上でまだ二人は裸のままだ。激しく汗をかいたので、は程なくシャワーを浴びようとしていたのだが、彼女の方から話を始めたのだった。

       それに対して、自分の感じることをそのまま言葉にしたまでだ。それが彼女は気に入らなかったのか。それすら、には察することが出来ない状態で、彼女は少しだけ感情を剥き出して、

       『あなたの言っていることがよく判らない』

      と言ったのだ。


       話は他愛ないと言えば、お終いだ。よくあること。大学を出て就職をし、仕事を始めてまだ数年の彼女は、自分の仕事及び会社に対して相当な不満や不信感を募らせていた。

       具体的なことから曖昧なことまで、彼女は抱えてしまった『不満』をただ聞いて欲しかっただけなのかもしれない。

       だが、は迂闊にも、

       『仕事とは、そういうものじゃないのかな』

      などと話を断ち切るように切り返してしまったのだ。

       『自分の思い通りになることなんて、この世の中にそうはないし、むしろ「何か違う」「何か変だ」と感じることは健全だと思う』

       この言葉に彼女は異様に反応をした。

       『健全かどうかなんて、どうでもいいの。あたしは、風通しの悪い職場の環境が何も変わらないことに苛立っているの。仕事自体にはやり甲斐があるし、自分で選んだことだから、理想と現実のギャップだってあると思ってはいるのよ。でも、どんな切り口で捉えても、仕事が滞ることばかり起こるのに、誰も何も努力をしない。会社のあり方や上司に疑問を抱いてしまって、一度抱えてしまったら、その疑問はどんどん膨らんでしまうし、どうにも心地よくないのよ』

       彼女は、堰を切ったように、まるでを責めるかのような口調で言葉を放ち続けた。こうなると、手が付けられなくなる。が導火線に火をつけてしまったのだと心のどこかで認識しつつ、彼女を宥めることに努めたのだが、それが逆効果になったのだ。


       人を諭そうなどとは、浅はかな考えだと思う。

       なるべくはそうならないように気をつけているつもりなのだが、「つもり」は所詮「つもり」であり、シャワーを浴びてから寛ぎたかったのある種いい加減な気持ちが言葉の選択を間違えさせたのだ。人の気持ちを逆撫でする時には、何かしら原因がある場合が多い。理不尽なこともあるが、凡その場合、今の自分のように、彼女のことよりも、自分のことをまず最初に保守しようとする意識があったのだと自戒の念を持つ。の過ちだ。

       だが、時既に遅し、なのだ。一度放たれた言葉は「なかったこと」には出来ないし、そこに「誠意」が欠けていたのなら、どんな言葉を用意しても、繕うことも信頼を取り戻すことも難しい。

       だから、は素直に謝り、彼女を抱き寄せ、髪を撫でた。

       髪を撫でられながら、彼女は目を瞑っていたのかもしれない。深く呼吸する体の動きが肌で感じられた。

       そして、何も言わなくなった。


       その髪から、ほんのりと煙草の匂いがした。

       彼女は、が煙草嫌いなことを知っていて、の前では吸わないでいてくれる。でも、髪の毛や服、時には吐く息でその匂いを感じたりする。

       どんなに努力しても克服出来ないことがある。それがにとって煙草の匂いであり、それを吸い込んだ瞬間には、否応無しに「不快」な気分になる。

       彼女がひとしきり言いたいことを言って満足したのかは定かではない。

       だが、気持ちは落ち着いたようであり、の肩を抱き返してくれている。


       時に、ほんの些細であっても、錆みたいに落としにくい煩いがある。

       今のにとって、会話が乱れた後に掠めた煙草の匂いであり、それによって、彼女の放った「あなたの言っていることがよく判らない」との台詞が、鉛のように重たく心の底に沈んでいくことだった。

       それは、彼女のせいとかではなく、の中での澱みたいなものなのだ。





      かなり心身の状態が悪いボクは、こんなフィックションをほんの気晴らしで書いてみた。



      こんな彼女がいたらいいな、とね。行き詰まった日々に風穴を開けてみたいのだろうな。





       
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