急かされる感じが、不快なのだ

2016.03.02 Wednesday 08:00
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    時代を比べるのは、実に愚かしいと思う。



    過去を『いい時代』と懐かしみなくない。



    だが、今の時代には『馴染めない』のだ。



    色々『急かされる』感じが、不快なのだ。




    微塵も『猶予』を許さないような、流れの早さに足許を掬われたくない。



    通信も早く。移動も早く。何もかもが『速度』を競うように急いている。



    1秒でも早く。すべて、生き急いでいる感じが、不快で居たたまれない。




    顕著なのは、パソコンのOSの『バージョンアップ』が次々を襲い来る。



    その度にソフトが使えなくなったり、便利どころか『不便』極まりない。



    何を『急いている』のか。少しも『猶予を許さない』で何をしたいのか。




    例えば、それは音楽にも顕著で、ラジオから流れる歌は皆、急いている。



    安っぽい打ち込みは『ドン、ドン』と、バンドは『ジャカ、ジャカ』と。



    音にまったく『隙間がない』のじゃ、そりゃ、少しも心が潤わないのだ。




    かつて読んだエッセーで、『村上春樹』も似たようなことを言っていた。



    彼の言葉によると『余白のある音楽』である。想像力を喚起してくれる。



    それにはボクも同感で、『急いている』と想像する猶予も削がれていく。




    ボクが育った空間には『余白』があり、心地いい『揺らぎ』が存在した。



    その心地よさに寄り添うように、強烈な『刺激』も同列に共存していた。



    不自然さなく心に潤いをもたらし、『軋轢』も回避していたように思う。




    世の中の流行には、まったく興味がない。あるいは、興味がなくなった。



    つくづく、今の時代に思春期を向かえなくて幸運だったと思ってしまう。



    それは、ある意味『必然』であり、極めて個人的な見解に過ぎないこと。




    こんな時代に多感な時期を過ごしていたら、など想像しても意味がない。



    少なくとも、今よりは遥かにのんびりしていた頃が確かに存在していた。



    そんな空気を深く吸い込み、ボクは『幸福な青春』を過ごしたと感じる。




    もはや『青春』なんて言葉も死語になったのか。それは、どうでもいい。



    他に相応しい言葉が思い当たらないので、『青春』と呼んでいただけだ。



    その真っただ中にいるのなら、まさにそんなこと『どうでもいい』のだ。




    過去を懐かしむのは好きではないが、過去の遺産に触れるのは別問題だ。



    今でも、自分が過ごした時代の音楽を聴くことが出来るのは幸いなこと。



    今この時代に、初めてそれを聴くのとは違う。同時代の体験が想像の源。




    ゲスを極めちゃったり、エグザっちゃたり、そういった魅力は判らない。



    そもそも、音楽は『判る』ものじゃない。ただ、『感じる』ものである。



    それを『不快』と感じるのなら、それらとは距離を置けばいいだけの話。




    ゲスっちゃっても、エグザっちゃっても、好きならそれでいいだけの話。



    それは、個人の趣味趣向の問題であって、敢えて否定することこそゲス。



    何かや誰か、それを好きなのも利用するのも個人の自由になる。だけど。




    今の音楽は、殺菌消毒され、無味無臭の『造花』のようにしか感じない。



    何もかも『デジタル化』されてしまったのか。ボクには判らないことだ。



    空気の中に『隙間』のあった頃は、無数の雑草も『除草』されなかった。




    寄り道しながら、のんびり歩いていれば、そこかしこに『宝』があった。



    こちらとすれば、ただ『発見』すれば幸いだった。ゴミさえ宝に思える。



    そこで養われた『眼』や『感覚』などは、その後も活かすことが出来る。




    そうして、『心に想像力』を持てた。そこには『余白』が存在したのだ。



    フリーズしたり、クラシュしたりはしない。アナログたる所以はそれだ。



    急いて『新しい』ものに飛びつく発想はない。のんびり待つのもアリだ。




    ボクは、神経症のように、今の世に翻弄されていたようにも思えている。



    今も、この先も『スマホ』なんて必要ないし、拘束されるようで不自由。



    何もかも時代に合わせる必要など、ないのだ。そう思えば、少しは楽だ。




    いずれにしても、今の世は生き難くて気が滅入る。『自力』も削がれる。



    スバルの車『レックス』のCMは、あの時代の『余白』を見せてくれる。



    こんな時代は、平和でのんびりしていた。ノスタルジアじゃなく願望だ。



     



    今の時代を生きつつ、『昭和が好き』と言うのも個人の自由でいいと思う。





    1980年発売の名盤『Gaucho』は、『余白音楽』の代表だと思う。


    36年前の音とは思えない『古さを感じさせない』のも恒久的でいいのだ。





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