可能性を活かすも殺すも、自分次第

2016.12.03 Saturday 09:39
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    ボクはすっかり、今の音楽に興味が失せている。それは、失望とは違う。

     

    受け入れられないものが多過ぎ。ボクの許容が足りないのかは判らない。

     

    ただ、半世紀近く、あらゆる音楽を聴いてきて、五感に響かないだけだ。

     

     

    それでも、未だ『可能性』は間口が狭くとも、活かすことは自分次第だ。

     

    簡単に『希望』とか、貧しい語彙で片付けたくない。と常々想っている。

     

    経験から草の根掻き分けて自ら探せば、そこに『宝』があると確信する。

     

     

     

    ボクは、高校から大学における数年間は、音楽への探求が尽きなかった。

     

    バイクに股がり、吉祥寺などの、マニアックなレコード屋に入り浸った。

     

    端から端まで、棚からレコードを引き出し、心の壁を震わす連続だった。

     

     

    現在のように、パソコンもスマホもない中、情報の垂れ流しもなかった。

     

    ラジオや人づてに聞く以外、自分の足で探すことが確実な手段であった。

     

    常にアンテナを張って、自分の判断が試された。その過程も音楽だった。

     

     

     

    家に戻って、レコードに針を落とす瞬間は、ゾクっとする。意識覚醒だ。

     

    後頭部をハンマーで殴られる程の衝撃を受けたり、肩透かし食らったり。

     

    それでも、大方、『衝撃』の方が勝っていた。あれもこれもスゴかった。

     

     

    特にカルチャーショックを受けたのは、アフリカなど民族音楽だろうか。

     

    学習授業で毛嫌いしていたクラッシックをすんなり受け入れてから、だ。

     

    無限に細分化されたリズム。人の刻むリズムの天文学的広がりの衝撃だ。

     

     

     

    世界を放浪し続けた、ジャズ界の奇才『ドン・チェリー』との出逢いだ。

     

    彼は、あらゆる民族音楽との融合を模索し続けて、自分の血や肉にした。

     

    その彼が、アフリカのミュージシャンと競演したレコードは衝撃だった。

     

     

    いわゆる『ポリリズム』の中での、3拍子と5拍子の共生などはスゴい。

     

    細分化されたリズムの波に乗り、自由にメロディーを奏でる突き抜け方。

     

    ボクは、自ら太鼓を叩くきっかけにもなり、リズムの可能性との出逢い。

     

     

     

    すっかり人生に打ちひしがれて、日々苦悩していた中で、ふと蘇るもの。

     

    無心になって掌で太鼓を叩く。すると、自分の中の創作意欲が動き出す。

     

    そうして、リズム感のないボクが模索を繰り返し、可能性と向き合った。

     

     

    それを思い出させてくれたのが、佐藤竹善の新作をラジオで聴いた時だ。

     

    シンフォニック・オーケストラとアフリカン・リズムが融合する斬新さ。

     

    元々彼の声が好きだった。それをあのような形で提示されると参るのだ。

     

     

     

    特にTOTOの名曲『アフリカ』のカバーは、秀逸であり、見事である。

     

    ボクも好きなアフリカのアンジェリク・キジョーにヒントを得たと言う。

     

    オーケストラも個々の集まりであり、そこにパーカッションが融合する。

     

     

    漠然とボクが模索をしていた形が具体的に示されたようで、爽快だった。

     

    数年前、ボクも自分の手でリズムを刻み、カオスの中の単純を追求した。

     

    それは余りにも未完成であり、自分の器の小ささを露呈する形になった。

     

     

    未完成だからこそ、そこには、まだ『可能性』が残されている気がする。

     

     

     

     

    佐藤竹善の作品は、まだ『未完』だと思う。まだまだ『余白』が見える。

     

     

     

     

     

    5年程前ふと思いつき、即興で多くの演奏を重ねてみた。その瞬間の閃き。

     

    白い紙に幾つもの線を重ね、複雑さの中に単純という世界を見ようとして。

     

     

     

     

    その自分の未熟さを知ることで、まだ可能性が残されていると感じるのだ。

     

    ピアノ、ジャンベ、バンブー・サックス等、演奏が未熟故に楽しくもある。

     

     

     

     

    長い間、時間も体力もなく、ボクを音楽の創造へ向かわせる力はないのだ。

     

     

     

     

     

     

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