介護殺人・心中が、週一ペースだって
父が生きていた頃からすれば、10年近く、看病や介護に明け暮れている。
高齢化ではなく、すでに『高齢社会』になっている。高齢者ばかりの社会。
人が老いて行くのは、自然の摂理。ボク自身は、長生きするつもりはない。
ニュースで言っていた。介護殺人や心中は週に1回のペースで起きている。
介護を受ける人は年々増加し続け、現在は、推定600万人になるそうだ。
この先、団塊の世代が壮年を迎え、更に深刻な問題になること必至だろう。
ボクにとっても、その身になってみるまで、『他人事』だったことである。
だが、突然『介護問題』に取り込まれたのなら、否応無しにやるしかない。
四の五の言っている暇はない。想定外のことばかりに直面する連続になる。
おやおや、安倍や現政権は、この問題を軽視してやないかい?などと思う。
もうすでに『手遅れ』の状態になってしまっている。すべてが後手後手だ。
呑気に『アベノミクス次なる3本の矢』とか言っている場合じゃなかった。
カジノ法案、強行採決。外貨獲得、経済を回す。など能書きは垂れられる。
でも、何か変じゃないか。経済の表面ばかり繕って、土台は骨抜きな具合。
何でも強行に、いつの間にか、色々な決め事が成立して中身は後付け状態。
ウンザリするくらいのオリンピック話。雁首揃えて、何やっているんだか。
いつか『自分だけが苦労しているなんて思うな』のようなことを言われた。
お前に言われたくない。と思ったが、そんな相手に怒りを抱いても無駄だ。
バカも程々に。誰がそんなことを平気で思えるのだ。思う訳がないだろう。
誰がどのくらい大変なのかなんて、誰にも判らない。十人十色、の暮らし。
生活も人の数だけ、すべて違うだろう。とバカなりにも推測出来るものだ。
事象は、振り幅を大きく、多様な側面を複眼的に見なければいけないもの。
簡単に『苦労』『努力』『頑張る』などの言葉を口にしていけないと思う。
誰にも見えないものだから、他人がどうこう言うことじゃないだろうこと。
ボクに隙があったのなら、落ち度であって、謙虚に受け止めるにはしても。
酒に酔った勢いで言うべきことじゃない。本人は記憶すらしていなかった。
だから、ボクもその一件について応えなかった。心の棚に乗せて置くだけ。
排他的。利己主義。快楽優先。何でもいいが、世知辛い世の中に違いない。
昨晩も『介護』という問題の中で足掻きつつ、今日もすでに半分が終わる。