人は、日々の食事で出来ている
介護の他に家事全般を含めて、『専業主夫』として日々忙しく過ごす。
昔と比べて『家族』のあり方が変わり、経済的に共働きが大半だろう。
それにより、『保育園不足』という問題が解消されないまま、である。
まあ、ボクは独身であり、子供もいないので、また違った生活になる。
よく結婚している人の『独身は気楽だよな』は耳にタコが出来る話だ。
それは、右から左へと受け流す。『気楽』の意味がさっぱり判らない。
ボクは保育園の頃から鍵っ子で、小学生になるとすでに料理していた。
自分の昼食はチャーハンが定番だった。家事の教育は母親から受けた。
火の元。後始末。その主体だけではなく、全体含めた『事』の重要さ。
大学の頃には、母が長期間入院していたので、『主夫』も経験済みだ。
それらが、今になって役に立っている。点と線が繋がる。それが生活。
軽く破綻するようなあり方では、生きていけない。日々学習、である。
そこで、今は日々溜め込んだ『不具合』が足枷になる。重たい日々だ。
新たに老いが増し続け、病気を抱える母との暮らしに、休息などない。
病院での管理栄養士から『食事制限』を含めて、様々な指導を受ける。
単に食事を用意するだけではいけない。『適当』が許されない窮屈さ。
炭水化物を減らしてタンパク質を多く、塩分を控え野菜を多めに、等。
食事のレパートリーも増えない。野菜や果物を筆頭に常備品ばかりだ。
程よい肉の摂取。小麦粉を含む類いは控える。食物繊維は欠かさない。
常に2、3日先までの食事を考えながら、無駄な買い物をしないよう。
それでも、冷蔵庫の奥で腐らせる、期限切れで捨る、で無駄も生じる。
ただ食べていればいい訳じゃない。人は、日々の食べ物で出来ている。
不摂生をすれば、如実に現れる。やれ、運動しろ。いや、出来ねえよ。
自身の不具合とも共生しつつ、何でも無難にこなすなんて出来ねえよ。