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2017.07.23 Sunday
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    人は雑菌だらけの中で生きている

    2017.01.09 Monday 09:19
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      よくCMとかで『まあ、こんなに雑菌が・・・』みたいなのを観たりする。

       

      でも、この世にはどれだけ多くの雑菌があるのか計り知れないと想像する。

       

      それくらいは、想定内だ。人は、雑菌だらけの中で暮らしているのだろう。

       

       

      子供の頃には、『バイ菌』と呼んでいた。バイ菌が入って化膿した、とか。

       

      暮らしの中で、『菌』というものの捉え方は比較的シンプルなものだった。

       

      帰宅すれば『固形石鹸』と水で適当に洗う程度だ。水だけの場合もあった。

       

       

      手洗いをしても、しなくても、普通に風邪を引く。で、いつの間にか治る。

       

      殺菌効果のある石鹸などなかったし、予防とかに神経を遣っていなかった。

       

      それがいいとか、じゃなくて。当たり前に、そのような暮らしをしていた。

       

       

       

      今は、すっかり『滅菌』『予防』に気をつけないと、色々と大変なようだ。

       

      根本的にウィルスと菌は違うが、インフルエンザやノロウィルスを恐れる。

       

      薬局でも、それらに対する商品が、たくさん並んでいる。そんな時代、だ。

       

       

      専門家ではないので、曖昧な知識でしかないが、雑菌は、あって当たり前。

       

      人は、雑菌だらけの中で暮らしていると認識している。認識している筈だ。

       

      にしても、過剰なまでに菌に対して、『過敏』になっている気もしている。

       

       

      掌や口の中だって、菌だらけだと思う。菌があるから、対する免疫もある。

       

      菌を殺すための『抗生物質』を飲み続けていると、菌も耐性を持つらしい。

       

      で、抗生物質の効かなくなった菌に対する更なる強い抗生物質を生み出す。

       

       

      これを続けていて、抗生物質の効かない『スーパー耐性菌』が生まれたと。

       

      何とも、人が生み出した菌に苛まれるなんて、人間は何をやっているのか。

       

      昨今は、あらゆる『アレルギー』も増えた気がするし、免疫低下も感じる。

       

       

       

      ラジオで言っていた。洗い立てのタオルにも雑菌があると。だろうと思う。

       

      で、バスタオルも一回使えば雑菌が何千個に増え、日々、雑菌は増殖する。

       

      そんなことばかり気にしていたら神経症になる。潔癖性にはなりたくない。

       

       

      そもそも風呂の湯船の中ですら、雑菌だらけ。何をしようと菌は減らない。

       

      ボクは喘息持ちだが、部屋の掃除も殆ど出来ていない。やることが一杯だ。

       

      幸い、喘息の発作も最近は出ていないし、鼻炎も少なくなったと自覚する。

       

       

      何でもかんでも、細かく気にしていたら、『免疫』も『抗体』も出来ない。

       

      薬を飲み続ければ、効かなくなる。胃腸然り、風邪然り。過保護は避ける。

       

      気にすればする程に、『自己治癒力』『自然治癒力』も弱くなる気がする。

       

       

      母がノロになった時、マスクとゴム手袋して塩素系消毒で丹念に処理した。

       

      それでもすぐに自分も感染して、免疫力の落ちていたボクは治り難かった。

       

      日々の暮らし。『ストレス』はあらゆる害を及ぼし、『気』を失うばかり。

       

       

       

      4年間24時間止まない激しい耳鳴りも『気にしないこと』と医師が言う。

       

      耳鳴りの苦しさは、堪え難い。忍耐力がなければ発狂しそうになるだろう。

       

      でも、それが現実なら、受け入れた上で、『気にしない自分』になるだけ。

       

       

       

      しかし、それは簡単なことじゃない。気にしないって時点で気にしている。

       

       

       

      ので、実際は余計な外出は控え、手洗いなど『予防』には気をつけている。

       

       

       

       

       

       

      category:生活 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

      大丈夫じゃない、って言えばいい

      2017.01.07 Saturday 15:55
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        正直、ぜんぜん、まったく『大丈夫じゃない』のだ。

         

        人はよく、『大丈夫だよ』とか、平気で簡単に言う。

         

        でも、こっちにとっては、『いい加減なこと言うな』となる。

         

         

        だから、心の中で、『大丈夫じゃない』と呟くのだ。

         

        人が人を励ましたりするのは、あまり好きじゃない。

         

        その人の、いったい『何が判る』と言うのだ。

         

         

        何も判っちゃいないのに、『さも判った風』に物申すな、と。

         

        乱暴な発想だ。実に、大人げない解釈の仕方である。

         

        でも、『大丈夫じゃない』のだから、仕方ないのだ。

         

         

        ぜんぜん『大丈夫なんかじゃない』のだから。

         

        無理して、『うん、大丈夫』なんて言わなきゃいい。

         

        素直に、『大丈夫じゃない』って言えばいい。

         

         

        これだけ、『大丈夫じゃない』って繰り返していると、

         

        もう、『どうでもいい』ように思えてくるかな、って思った。

         

        ちょっとは、『大丈夫かもしれない』って思えてくるか、と。

         

         

        けれど、少しも『大丈夫』なんて思えたりはしないのだ。

         

         

         

         

         

         

        category:雑感 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

        男のいる情景 其の壱・萩原健一

        2017.01.07 Saturday 11:18
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          男というものは、実に『カッコ悪い』生き物だとボクは常々思っている。

           

          痛みに弱いし、特に恋愛、女性など、過去を引きずる傾向がかなり強い。

           

          子供の頃から、『もっと男らしく』とか、『男なら泣くな』と言われる。

           

           

          そう言われ続けて、『男らしく』『強く』なった気になっているだけだ。

           

          弱いから、見栄を張って、ガンを飛ばしたり、肩で風切っていたりする。

           

          そういう『カッコ悪い』ことに気付かずに、思春期などを過ごしている。

           

           

          まあ、凡その人は、いい年齢になってくると、それに気付くものだと思う。

           

          失敗や挫折を繰り返し、その『カッコ悪さ』が『カッコよく』思えてくる。

           

          とても都合のいい生き物なのだ。都合良く、帳尻合わせをして生きている。

           

           

          ボクは、そんな男が好きだ。いつまでも『勘違い』したままなのはどうか。

           

          その昔、『30過ぎの大人は信じるな』と言われた。ヒッピーの時代、か。

           

          アメリカでは『Don’t trust over thirty』と言う。

           

           

          まあ、ロックなんかの世界で言う感じで、いかにも『カッコつけ』である。

           

          そんな若者も、あっという間に『30歳』になり、現実を思い知るだろう。

           

          普通なら、たぶんそう。それを自分の中でどう捉えるかでその後が変わる。

           

           

          男が惚れる『カッコ悪い』男の代表、『ショーケン』こと『萩原健一』だ。

           

          ボクは彼が大好きだ。若い頃は『どうしようもない、ろくでなし』だった。

           

          やんちゃばかりして、逮捕されたり、干されたり、女に捨てられたり、と。

           

           

          彼は、『いつだってカッコ良かった』のだ。ボクの中で矢沢と双璧を成す。

           

          それまでのヒーローと違い、『カッコ悪さ』を曝して、無様さも隠さない。

           

          その『カッコ悪さ』も、『カッコいい』と思わせる、希有な存在だと思う。

           

           

          浮き沈みを経て、還暦も過ぎて、今はいい具合に『渋い』おっさんになった。

           

          白髪混じりの髪、年齢なりに刻まれた皺。負の要素をいい具合に昇華させた。

           

          そんな、男のいる情景がボクは好きだ。『カッコいい』と、にやけてしまう。

           

           

          彼がいかに『カッコ悪く』て『カッコいい』か。歴代の作品を観れば歴然だ。

           

           

           

           

           

           

           

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          命を繋げられなかった、ということ

          2017.01.05 Thursday 08:51
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            ここ数年の正月は、実に質素で、簡素で、特別なことはせずに過ごしている。

             

            かつて、父が生きていた頃には、兄弟家族を含めて、大人数で賑わっていた。

             

            だが、どこか『儀礼的』な感じはしていた。それが『楽しい』とは思えない。

             

             

            ならば、今ある状態のまま、無理せず、出来るだけ『穏やか』に過ごしたい。

             

            兄には子供が3人いて、すでに孫も2人いる。羨んでいたのは事実だと思う。

             

            姪っ子や甥っ子が小さい頃には可愛がったが、彼らが大人になれば、他人だ。

             

             

            他人という捉え方は、『排他的』な気持ちから来るものではない。多分そう。

             

            時代は変わる。昔みたいに、親族一同、繋がりがある。なんて、そうはない。

             

            年に片手でも余るくらいしか会わないと、日常ではない関係になるのである。

             

             

            家族だろうが、知人だろうが、『馴れ合い』は好きではない。もう出来ない。

             

            そこに『気持ち』がないのならば、むしろ、さっぱり繋がりがない方が潔い。

             

            用意された『愛想』なら、こちらも心からの『気持ち』がないのならば、だ。

             

             

            人が好きで、人ときちんと向き合いたいからこそ、曖昧な探りなどいらない。

             

            会った瞬間に、『笑顔』で向き合える人でなければ、無理をしたくないのだ。

             

            もう、そういう年齢になったと思う。自ら関係を断つのではない。肯定的に。

             

             

            そこで、ボク自身は、『家族』を持たなかった。或は、持てなかった。必然。

             

            常に病に苛まれる人間に、家族を持つ資質はない。必然的に今こうしている。

             

            ボクは『命』を繋げなかった。母との二人だけの正月は、ありがたいことだ。

             

             

            いずれ一人になるのだから、二人の方がいい。それに感謝せずにいられない。

             

            昨年末にボクの暮らしに加わった『カナリア』が、大晦日に卵を二つ生んだ。

             

            本人(メス親)もまだ1歳にもならないのに、毎日、ずっと卵を温めている。

             

             

            現実的な話、『無精卵』なら、ヒナは孵らない。でも、彼女は、温め続ける。

             

            ボクは日々、それに感動している。遺伝子云々で片付けられないことと思う。

             

            どんな『命』であろうと、尊いことに変わりない。命のある情景に心が動く。

             

             

            ボクは、自ら心を動かし、『キレイ事』で日常を済まさないようにしている。

             

             

             

             

             

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            殴るって、人として失格だと思います

            2017.01.03 Tuesday 09:19
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              正月、早々。グダグダの、やっつけ番組ばかり垂れ流すテレビは観たくない。

               

              人気の、駅伝も観ない。何と言うか、もはや『スカウト』合戦の成れの果て。

               

              ほぼプロ野球の世界とそう変わりない感じがしてしまうのはへそ曲がり故だ。

               

               

              そんな話は、どうでもいい。ふと見たニュース。いい話ばかりじゃないのだ。

               

              よくある話。新年早々、40代の息子に介護されている母親が殴られ死んだ。

               

              介護していた息子は、『何度言っても判らないから殴った』と供述している。

               

               

              人として『失格』だと思う。どんな精神状態であろうと、やってはいけない。

               

              ボク個人は、今までに人を殴ったことはない。平手でビンタすらしていない。

               

              まず、人に対して手を挙げる。これはしてはいけない。青春ごっこではない。

               

               

              怒ることと叱ることはまったく別物だ。感情のままと、その人の為と、真逆。

               

              まして、実の親を殴って死なせるなんてしてはいけない。とボク個人は思う。

               

              その人の暮らしを知っている訳ではないので、無責任な判断になるのは前提。

               

               

              ボクも母親の介護を始めて4年が経つ。一概に『介護』で括るのに抵抗ある。

               

              家族の数だけ、介護の違いがある。人それぞれ、病気や認知症など様々違う。

               

              それらを一括りにしたくない。自分がどれくらい大変かなんて判らないこと。

               

               

              まあ、日々、『未知と遭遇』の連続だ。何が起こるか、予測、予想出来ない。

               

              その場、その時、瞬時に対応することが迫られる。四の五の言ってられない。

               

              筆舌にし難いこともたくさんある。まだ、経験していないことも多いだろう。

               

               

              介護したての頃には、母に『もう殺してくれ』と何度も言われ、対応をした。

               

              修羅場。ってどういうものを指すのか。でも、その最中にいる者は部外者だ。

               

              それは、他者から観た情景であり、傍観者でない当人には形容の仕様がない。

               

               

              ともあれ、どんな状況に置かれても、亡くなる程、人を殴るのはあり得ない。

               

              常日頃、いかに自分を律するよう、修練しているか。常に試されているのだ。

               

              まるでダメな自分は、いつでもそう思う。試され、受け入れて、乗り越える。

               

               

              言葉にするのは簡単なことだ。だから、ボクが何を言っても説得力などない。

               

              誰が悪いとか。誰のせいとか。そんな発想がある内は、たぶん何も出来ない。

               

              否が応でも、咄嗟に動くこと。それが出来る自分であること。それだけ、だ。

               

               

               

              合間に見た、ごく短いニュースにボクはある思いを抱いた。それだけの話だ。

               

               

               

               

               

              category:介護 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

              素材の『旨味』を活かすことが大事

              2017.01.02 Monday 10:07
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                なんだかんだ、年末年始を迎えて、やっぱりあるんだよね。やりたいこと。

                 

                ここ数年、主夫になって、炊事洗濯などは固より、『料理』が大切なのだ。

                 

                人は、自分は、日々の食べ物で出来ている。食生活が、日常に繋がるのだ。

                 

                 

                そこで、年末30日から『お煮染め』などを作ったりしていた。

                 

                いわゆる『おせち』なんて、もうすっかり縁がなくなっている。

                 

                蛯とか、小魚とか、そういう類いは、『栄養管理』上、控える。

                 

                 

                最低限である『お煮染め』の具材は、ほぼ『精進料理』に近い。

                 

                焼き豆腐。厚揚げ。がんもどき。大根。人参。ごぼう。鶏肉。こんにゃく。

                 

                この辺は、微妙に煮汁のしみ具合が異なるので、工夫が必要だ。

                 

                 

                で、やっぱり、肝心なのは、『お雑煮』だ。

                 

                関東の醤油出汁。我が家で馴染みの味は、舌で覚えている。

                 

                具材は、『鶏肉』『なると(寿の入ったヤツ)』『三つ葉』のシンプルさ。

                 

                そこに、焼きもちを投入して、胡麻と青のりを振り完成だ。

                 

                 

                で、肝心なのは、『出汁』だ。

                 

                素材の『旨味』を活かすために、薄味にする。

                 

                醤油、塩は、最低限にして、『出汁』の出番。

                 

                ボクの定番は、『かつお』『あご』『昆布』『鶏ガラ』の4種。

                 

                これを、素材毎に、絶妙なバランスで変える。

                 

                 

                そんな訳で、今年も『質素』ながら、二人だけの食卓は、『美味』だった。

                 

                自画自賛。いつでも、そう。

                 

                自分で褒めなくて、誰が褒めてくれる。

                 

                自分で食べて美味しければ、『間違いない』となる。

                 

                 

                凄まじく、体調が悪いけれど、それなりに、正月を味わいたいのだ。

                 

                 

                 

                ここ数年、なぜか大晦日の晩は眠れない。ので、今年も早朝、初日の出を観に行った。

                 

                 

                人の大勢集まる高台に行くと、ちょうど林の木の中、幻想的に朝日が現れたのだった。

                 

                 

                 

                 

                三が日分の1。大晦日に買った刺身、かまぼこ。それ以外は二日掛かりで手作りした。

                 

                 

                元日くらいは、贅沢に『恵比寿ビール』だ。やっぱり、まろやかで、美味いのだった。

                 

                 

                カロリー、塩分だの。色々と食事制限があるので、お雑煮も餅1個、実に質素なのだ。

                 

                 

                見るからに、実際にも薄味だ。だが、出汁さえ利いていれば『素材の旨味』が活きる。

                 

                 

                 

                 

                 

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                まだ、夏のスリッパを履いていた

                2016.12.31 Saturday 16:55
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                  何だか、足許が寒い。と思ったら、大晦日のこの日。

                   

                  未だに、夏のスリッパを履いていたことに気付いた。

                   

                   

                  足の裏の密着する面が畳で出来ている、涼し気なヤツ。

                   

                  足の先が思いっきり出ていて、暖かい被いがないヤツ。

                   

                   

                  春先からずっと体調の悪化が続いていた。

                   

                  日々、色々と気を揉んでいた。

                   

                  ここ数ヶ月は、最低限のことしか出来ていなかった。

                   

                   

                  とは言え、すっかり冬用スリッパを買い忘れていた。

                   

                  昨年のヨレヨレの、汚れが酷いのが棚から出て来た。

                   

                  ぺちゃんこになっていて、余りに汚いので捨てよう。

                   

                   

                  まあ、仕方ない。寒い、この夏用のスリッパで年越しだ。

                   

                   

                  まあ、スリッパくらいで、何も変わりはしない。

                   

                  多少、気分は変わるかもしれないが、いいのだ。

                   

                  今更、どうしようもない。

                   

                   

                  そんな具合で、今日も午前、午后と寝て過ごした。

                   

                  夜も、早々に、床に就くことにしよう。

                   

                   

                  ともあれ他でもない、休みたいんです。

                   

                   

                   

                   

                   

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                  それぞれの生き方、それぞれの暮らし

                  2016.12.30 Friday 06:09
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                    最近は、色々な『ハラスメント』があるようだ。もはや把握など出来ない。

                     

                    まあ、代表的な『セクハラ』『パワハラ』『モラハラ』、『ハラ』だらけ。

                     

                    乱暴に『いやがらせ、いじめ』をするのは良くないのは人として当然の話。

                     

                     

                    だが、正直、その線引きが曖昧なのも事実だ。人によって判断が違うのだ。

                     

                    過去、親や教師、友人にも『人格否定』された経験は数え切れない程ある。

                     

                    高校時代、日本史の授業で教科書を読まされ間違えたら執拗に罵倒された。

                     

                     

                    ボクは傷つき、根に持った。日本史の授業は当てつけであからさまに寝た。

                     

                    当時、『噂』であった。卒業式の後、教師を体育館の裏に呼び出して殴る。

                     

                    おら、やるか。とボクはならない。案の定、その教師は卒業式を欠席した。

                     

                     

                     

                    人には、それぞれに生き方があって、それぞれに暮らしの違いがあるもの。

                     

                    育った環境が違えば、体験することも違う。似た体験でも感じ方は異なる。

                     

                    道理や常識など『正解』で決めつけるのは『個人的見解』で、答えでない。

                     

                     

                    『他者がどう感じるか』との『想像』を排除するのは人として失格だろう。

                     

                    他人に迷惑を掛けたり、貶めたり、欺いたり、言葉や肉体の暴力は明確だ。

                     

                    犯罪、犯罪スレスレのことを平気でやる人もいる、ということを認識する。

                     

                     

                    それを前提として、『人には判断基準の違いがある』ことも認識すること。

                     

                    当然『受け入れられないこと』もある。『人は判り合えないこと』もある。

                     

                    単に『他者を否定する』のは簡単なこと。否定と拒否はまったく違うもの。

                     

                     

                     

                    やれやれ。人は、人間関係は『厄介』になった。実に面倒が多いのである。

                     

                    だからこそ、人との接し方や話し方の大切さを常に心掛けることが大事だ。

                     

                    機嫌が悪いから、と。単に嫌いだから、と。一方的に自己を押し付けない。

                     

                     

                    中々どうして、生きることは大変なのだ。幾ら生きても、判らないでいる。

                     

                    テレビでは持論を闘わせ、物事の本質さえぶち壊して放置したままが多い。

                     

                    ネットを覗けば、おぞましい。匿名など、自己防御を盾に攻撃は止まない。

                     

                     

                    なぜ、『人はややこしい方向』へと邁進するのだろうか。などと思うのだ。

                     

                    もっとシンプルに、もっとしなやかに。もっと穏やかに、もっと客観的に。

                     

                    デジタル時計の如く、神経症のように全く『遊び』がないのは窮屈である。

                     

                     

                     

                    人里離れた田舎で自給自足の『スローライフ』とやらをすれば、済むのか。

                     

                    多分、それは『経済的』に余裕のある人に許された『特別』な暮らし方だ。

                     

                    安易に『格差』で片付けるのも能がない。単なる僻みにも取られ兼ねない。

                     

                     

                    今の世は、『他者を尊重する』ことをしにくい社会になってしまったのか。

                     

                    人はストレスだらけの中で、自らの制御も困難になっている。実感もする。

                     

                    大晦日の除夜の鐘がウルサイとのクレームで、自粛するお寺がある時代だ。

                     

                     

                    風情も何もない。もう『行事』というあり方も、捉え方が変わりつつある。

                     

                    風物詩が時代と共に様変わりすると嘆くのも意味ない。ないない尽くしだ。

                     

                    我が家でも『年の瀬』とか『お正月』には、最低限のことしかしていない。

                     

                     

                    自分が生きる証しとして汚れを出した水回りの掃除は丹念にさせてもらう。

                     

                     

                    はっきりしたことは、それだけ。自分の生き方など語るに及ばないだろう。

                     

                     

                    言葉。行動。『表現』に触れ、真摯に向き合い、自分の言葉で素直に語る。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

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                    暮らしにおける、豊かさについて

                    2016.12.28 Wednesday 06:06
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                      人は、日々暮らしの中で、色々な局面に遭遇する。

                      想定内のこと、想定外のことにも真摯に向き合う。

                       

                      今現在においては、『食品の高騰』がかなり大きい。

                      何百円をケチったりしても、家計への影響は未知数。

                       

                      そこで、暮らしにおける『豊かさ』についてのこと。

                      ボクの中で、経済的な裕福さで満たすことではない。

                       

                      そりゃ、お金は大事だ。お金がなけりゃ心も荒む。

                       

                      現実的に、心が荒まない位の経済力は重要な課題。

                       

                      現状は、かなり厳しい。これは、一般論としてだ。

                       

                      世の中の混乱に振り回されるか。平静を保てるか。

                       

                      先行きの予測など時間と労力の無駄にも思えたり。

                       

                      ならば、今ある暮らしの中で、『創造』すること。

                       

                       

                      先日、食料の買い出しついでに、近所のペットショップに寄った。

                      度々、癒しを求めて、ボクはその扉を開けることがあったりする。

                       

                      そこで、その日も『ふと』その扉を開けてみたのだ。

                      心が、一瞬にして、トロケそうになった自分がいた。

                       

                      店に入ったら、すぐの左側に、鳥類の売り場がある。

                      そこには、鮮やかなオレンジ色のつがいの鳥がいた。

                       

                      名前を『紅カナリア』という。そう『カナリア』だ。

                      ボクが幼少期、密かに憧れていたのが、小さな鳥だ。

                       

                       

                      爺さん、婆さんをボクは殆ど知らない。

                       

                      ただ一人残っていた父方の婆さんは愛想がない。

                      だが、その人が飼う竹籠の鳥が美しかったのだ。

                      婆さんと触れ合いはないが、鳥には魅せられた。

                       

                       

                      そんな具合で、ボクはそのつがいのカナリアに一目惚れ。

                      彼らと一緒の暮らしに想像を巡らせ、店に暫く留まった。

                      店員さんが『これはとても貴重ですよ』と笑顔を見せる。

                       

                      そのペットショップでは、始めて入荷したらしい。

                      しかも、相場からすれば、かなりお買い得らしい。

                      ボクは、もう彼らに『恋をしてしまった』らしい。

                       

                      世間的には、そう高い買い物ではないにしても、

                      ボクの現在の暮らしでは、かなり勇気が必要だ。

                      見事なまでの、紅カナリアがつがいで、18、900円。

                       

                       

                      ボクは渋々と家路についたが、帰宅後その話を母にした。

                       

                      すると母はこう云った。

                      『何を迷うことあるの。

                       ここ数年は少しも贅沢していないのだし、

                       今の暮らしは、すべてあんたのお陰で成り立っている。

                       そのくらい、ご褒美としていいことじゃない。

                       それが、出逢い、というものなんだから』

                       

                      と、『その出逢いを逃さない』よう、母はボクを促した。

                       

                      そんな訳で、ボクの暮らしに新しい仲間が加わったのだ。

                       

                      それは、とても愛しい、かけがえのない『命』の提示だ。

                       

                       

                       

                      彼らとの暮らしも2ヶ月程。名前を呼ぶと声に反応する。

                       

                      和みと共に、心に新たな愛情を持ち、暖かく豊かになる。

                       

                      餌やり掃除等、『感謝』として、日常の日課に加わった。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

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                      生きることは、死と隣り合わせ

                      2016.12.27 Tuesday 05:25
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                        昨日、英国歌手の『ジョージ・マイケル』が死んだとのニュースを聞いた。

                         

                        享年53歳。ボクよりも年下だ。若いと言えば、若い。江戸時代なら寿命。

                         

                        だが、ここ数年、毎年。有名なミュージシャンの死のニュースが多いのだ。

                         

                         

                        昨年も多くの人が死んだ。今年も多くの人が死んだ。ある意味、当然の話。

                         

                        生とし生けいる物、皆死ぬ。生命が誕生した瞬間から、死に向けて生きる。

                         

                        また、生は、常に『死』と隣り合わせだ。命は、一瞬で絶えることがある。

                         

                         

                        ボク自身、50を過ぎた頃から、死を意識している。死の準備をしている。

                         

                        いつ、どこで、どうなるか。誰にも、何も、判らない。保証などないのだ。

                         

                        ボクは、それを二十歳前に大事故を経験した時、まさしく、切実に感じた。

                         

                         

                        ちょっとズレていたら、死んでいても不思議ではない。たまたま助かった。

                         

                        子供の頃から病気と共に生きていると、『命』について考える機会が多い。

                         

                        時には、精神世界に迷い込んだり、宗教について模索したり、迷走もした。

                         

                         

                        人は『弱った部分』を餌に、『救い』へと呼び寄せる。藁をもすがらせる。

                         

                        だが、ボクは、どれにも頼ることを拒んだ。頼る内は救われない気がした。

                         

                        体は、宇宙のように、あらゆるバランスを以て常に『命』を維持している。

                         

                         

                        ここ数年、あらゆる体の不調に悩まされ続け、もうこれ以上は勘弁を願う。

                         

                        日々、不安を抱えながら生きることは、ある意味、拷問にさえ感じられる。

                         

                        いっそ、楽にしてくれ。などと投げやりにもなるが、結局、必至に生きる。

                         

                         

                        いずれ、必ず、死ぬのだから。その瞬間までは、必至に生きてやる、とね。

                         

                         

                        プリンスなど、同世代の人が亡くなる。彼もいい味が出てきた矢先だった。

                         

                         

                        ジョージは低迷を続けたまま逝った。彼の声は絶品だ。特に、バラードが。

                         

                         

                         

                        低迷する時期に、名曲をジャズ風味で唄ったアルバムは魅力に溢れている。

                         

                         

                         

                         

                         

                        合掌。そして、感謝。

                         

                         

                         

                         

                         

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