命を繋げられなかった、ということ

2017.01.05 Thursday 08:51
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    ここ数年の正月は、実に質素で、簡素で、特別なことはせずに過ごしている。

     

    かつて、父が生きていた頃には、兄弟家族を含めて、大人数で賑わっていた。

     

    だが、どこか『儀礼的』な感じはしていた。それが『楽しい』とは思えない。

     

     

    ならば、今ある状態のまま、無理せず、出来るだけ『穏やか』に過ごしたい。

     

    兄には子供が3人いて、すでに孫も2人いる。羨んでいたのは事実だと思う。

     

    姪っ子や甥っ子が小さい頃には可愛がったが、彼らが大人になれば、他人だ。

     

     

    他人という捉え方は、『排他的』な気持ちから来るものではない。多分そう。

     

    時代は変わる。昔みたいに、親族一同、繋がりがある。なんて、そうはない。

     

    年に片手でも余るくらいしか会わないと、日常ではない関係になるのである。

     

     

    家族だろうが、知人だろうが、『馴れ合い』は好きではない。もう出来ない。

     

    そこに『気持ち』がないのならば、むしろ、さっぱり繋がりがない方が潔い。

     

    用意された『愛想』なら、こちらも心からの『気持ち』がないのならば、だ。

     

     

    人が好きで、人ときちんと向き合いたいからこそ、曖昧な探りなどいらない。

     

    会った瞬間に、『笑顔』で向き合える人でなければ、無理をしたくないのだ。

     

    もう、そういう年齢になったと思う。自ら関係を断つのではない。肯定的に。

     

     

    そこで、ボク自身は、『家族』を持たなかった。或は、持てなかった。必然。

     

    常に病に苛まれる人間に、家族を持つ資質はない。必然的に今こうしている。

     

    ボクは『命』を繋げなかった。母との二人だけの正月は、ありがたいことだ。

     

     

    いずれ一人になるのだから、二人の方がいい。それに感謝せずにいられない。

     

    昨年末にボクの暮らしに加わった『カナリア』が、大晦日に卵を二つ生んだ。

     

    本人(メス親)もまだ1歳にもならないのに、毎日、ずっと卵を温めている。

     

     

    現実的な話、『無精卵』なら、ヒナは孵らない。でも、彼女は、温め続ける。

     

    ボクは日々、それに感動している。遺伝子云々で片付けられないことと思う。

     

    どんな『命』であろうと、尊いことに変わりない。命のある情景に心が動く。

     

     

    ボクは、自ら心を動かし、『キレイ事』で日常を済まさないようにしている。

     

     

     

     

     

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    殴るって、人として失格だと思います

    2017.01.03 Tuesday 09:19
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      正月、早々。グダグダの、やっつけ番組ばかり垂れ流すテレビは観たくない。

       

      人気の、駅伝も観ない。何と言うか、もはや『スカウト』合戦の成れの果て。

       

      ほぼプロ野球の世界とそう変わりない感じがしてしまうのはへそ曲がり故だ。

       

       

      そんな話は、どうでもいい。ふと見たニュース。いい話ばかりじゃないのだ。

       

      よくある話。新年早々、40代の息子に介護されている母親が殴られ死んだ。

       

      介護していた息子は、『何度言っても判らないから殴った』と供述している。

       

       

      人として『失格』だと思う。どんな精神状態であろうと、やってはいけない。

       

      ボク個人は、今までに人を殴ったことはない。平手でビンタすらしていない。

       

      まず、人に対して手を挙げる。これはしてはいけない。青春ごっこではない。

       

       

      怒ることと叱ることはまったく別物だ。感情のままと、その人の為と、真逆。

       

      まして、実の親を殴って死なせるなんてしてはいけない。とボク個人は思う。

       

      その人の暮らしを知っている訳ではないので、無責任な判断になるのは前提。

       

       

      ボクも母親の介護を始めて4年が経つ。一概に『介護』で括るのに抵抗ある。

       

      家族の数だけ、介護の違いがある。人それぞれ、病気や認知症など様々違う。

       

      それらを一括りにしたくない。自分がどれくらい大変かなんて判らないこと。

       

       

      まあ、日々、『未知と遭遇』の連続だ。何が起こるか、予測、予想出来ない。

       

      その場、その時、瞬時に対応することが迫られる。四の五の言ってられない。

       

      筆舌にし難いこともたくさんある。まだ、経験していないことも多いだろう。

       

       

      介護したての頃には、母に『もう殺してくれ』と何度も言われ、対応をした。

       

      修羅場。ってどういうものを指すのか。でも、その最中にいる者は部外者だ。

       

      それは、他者から観た情景であり、傍観者でない当人には形容の仕様がない。

       

       

      ともあれ、どんな状況に置かれても、亡くなる程、人を殴るのはあり得ない。

       

      常日頃、いかに自分を律するよう、修練しているか。常に試されているのだ。

       

      まるでダメな自分は、いつでもそう思う。試され、受け入れて、乗り越える。

       

       

      言葉にするのは簡単なことだ。だから、ボクが何を言っても説得力などない。

       

      誰が悪いとか。誰のせいとか。そんな発想がある内は、たぶん何も出来ない。

       

      否が応でも、咄嗟に動くこと。それが出来る自分であること。それだけ、だ。

       

       

       

      合間に見た、ごく短いニュースにボクはある思いを抱いた。それだけの話だ。

       

       

       

       

       

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      素材の『旨味』を活かすことが大事

      2017.01.02 Monday 10:07
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        なんだかんだ、年末年始を迎えて、やっぱりあるんだよね。やりたいこと。

         

        ここ数年、主夫になって、炊事洗濯などは固より、『料理』が大切なのだ。

         

        人は、自分は、日々の食べ物で出来ている。食生活が、日常に繋がるのだ。

         

         

        そこで、年末30日から『お煮染め』などを作ったりしていた。

         

        いわゆる『おせち』なんて、もうすっかり縁がなくなっている。

         

        蛯とか、小魚とか、そういう類いは、『栄養管理』上、控える。

         

         

        最低限である『お煮染め』の具材は、ほぼ『精進料理』に近い。

         

        焼き豆腐。厚揚げ。がんもどき。大根。人参。ごぼう。鶏肉。こんにゃく。

         

        この辺は、微妙に煮汁のしみ具合が異なるので、工夫が必要だ。

         

         

        で、やっぱり、肝心なのは、『お雑煮』だ。

         

        関東の醤油出汁。我が家で馴染みの味は、舌で覚えている。

         

        具材は、『鶏肉』『なると(寿の入ったヤツ)』『三つ葉』のシンプルさ。

         

        そこに、焼きもちを投入して、胡麻と青のりを振り完成だ。

         

         

        で、肝心なのは、『出汁』だ。

         

        素材の『旨味』を活かすために、薄味にする。

         

        醤油、塩は、最低限にして、『出汁』の出番。

         

        ボクの定番は、『かつお』『あご』『昆布』『鶏ガラ』の4種。

         

        これを、素材毎に、絶妙なバランスで変える。

         

         

        そんな訳で、今年も『質素』ながら、二人だけの食卓は、『美味』だった。

         

        自画自賛。いつでも、そう。

         

        自分で褒めなくて、誰が褒めてくれる。

         

        自分で食べて美味しければ、『間違いない』となる。

         

         

        凄まじく、体調が悪いけれど、それなりに、正月を味わいたいのだ。

         

         

         

        ここ数年、なぜか大晦日の晩は眠れない。ので、今年も早朝、初日の出を観に行った。

         

         

        人の大勢集まる高台に行くと、ちょうど林の木の中、幻想的に朝日が現れたのだった。

         

         

         

         

        三が日分の1。大晦日に買った刺身、かまぼこ。それ以外は二日掛かりで手作りした。

         

         

        元日くらいは、贅沢に『恵比寿ビール』だ。やっぱり、まろやかで、美味いのだった。

         

         

        カロリー、塩分だの。色々と食事制限があるので、お雑煮も餅1個、実に質素なのだ。

         

         

        見るからに、実際にも薄味だ。だが、出汁さえ利いていれば『素材の旨味』が活きる。

         

         

         

         

         

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        まだ、夏のスリッパを履いていた

        2016.12.31 Saturday 16:55
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          何だか、足許が寒い。と思ったら、大晦日のこの日。

           

          未だに、夏のスリッパを履いていたことに気付いた。

           

           

          足の裏の密着する面が畳で出来ている、涼し気なヤツ。

           

          足の先が思いっきり出ていて、暖かい被いがないヤツ。

           

           

          春先からずっと体調の悪化が続いていた。

           

          日々、色々と気を揉んでいた。

           

          ここ数ヶ月は、最低限のことしか出来ていなかった。

           

           

          とは言え、すっかり冬用スリッパを買い忘れていた。

           

          昨年のヨレヨレの、汚れが酷いのが棚から出て来た。

           

          ぺちゃんこになっていて、余りに汚いので捨てよう。

           

           

          まあ、仕方ない。寒い、この夏用のスリッパで年越しだ。

           

           

          まあ、スリッパくらいで、何も変わりはしない。

           

          多少、気分は変わるかもしれないが、いいのだ。

           

          今更、どうしようもない。

           

           

          そんな具合で、今日も午前、午后と寝て過ごした。

           

          夜も、早々に、床に就くことにしよう。

           

           

          ともあれ他でもない、休みたいんです。

           

           

           

           

           

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          それぞれの生き方、それぞれの暮らし

          2016.12.30 Friday 06:09
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            最近は、色々な『ハラスメント』があるようだ。もはや把握など出来ない。

             

            まあ、代表的な『セクハラ』『パワハラ』『モラハラ』、『ハラ』だらけ。

             

            乱暴に『いやがらせ、いじめ』をするのは良くないのは人として当然の話。

             

             

            だが、正直、その線引きが曖昧なのも事実だ。人によって判断が違うのだ。

             

            過去、親や教師、友人にも『人格否定』された経験は数え切れない程ある。

             

            高校時代、日本史の授業で教科書を読まされ間違えたら執拗に罵倒された。

             

             

            ボクは傷つき、根に持った。日本史の授業は当てつけであからさまに寝た。

             

            当時、『噂』であった。卒業式の後、教師を体育館の裏に呼び出して殴る。

             

            おら、やるか。とボクはならない。案の定、その教師は卒業式を欠席した。

             

             

             

            人には、それぞれに生き方があって、それぞれに暮らしの違いがあるもの。

             

            育った環境が違えば、体験することも違う。似た体験でも感じ方は異なる。

             

            道理や常識など『正解』で決めつけるのは『個人的見解』で、答えでない。

             

             

            『他者がどう感じるか』との『想像』を排除するのは人として失格だろう。

             

            他人に迷惑を掛けたり、貶めたり、欺いたり、言葉や肉体の暴力は明確だ。

             

            犯罪、犯罪スレスレのことを平気でやる人もいる、ということを認識する。

             

             

            それを前提として、『人には判断基準の違いがある』ことも認識すること。

             

            当然『受け入れられないこと』もある。『人は判り合えないこと』もある。

             

            単に『他者を否定する』のは簡単なこと。否定と拒否はまったく違うもの。

             

             

             

            やれやれ。人は、人間関係は『厄介』になった。実に面倒が多いのである。

             

            だからこそ、人との接し方や話し方の大切さを常に心掛けることが大事だ。

             

            機嫌が悪いから、と。単に嫌いだから、と。一方的に自己を押し付けない。

             

             

            中々どうして、生きることは大変なのだ。幾ら生きても、判らないでいる。

             

            テレビでは持論を闘わせ、物事の本質さえぶち壊して放置したままが多い。

             

            ネットを覗けば、おぞましい。匿名など、自己防御を盾に攻撃は止まない。

             

             

            なぜ、『人はややこしい方向』へと邁進するのだろうか。などと思うのだ。

             

            もっとシンプルに、もっとしなやかに。もっと穏やかに、もっと客観的に。

             

            デジタル時計の如く、神経症のように全く『遊び』がないのは窮屈である。

             

             

             

            人里離れた田舎で自給自足の『スローライフ』とやらをすれば、済むのか。

             

            多分、それは『経済的』に余裕のある人に許された『特別』な暮らし方だ。

             

            安易に『格差』で片付けるのも能がない。単なる僻みにも取られ兼ねない。

             

             

            今の世は、『他者を尊重する』ことをしにくい社会になってしまったのか。

             

            人はストレスだらけの中で、自らの制御も困難になっている。実感もする。

             

            大晦日の除夜の鐘がウルサイとのクレームで、自粛するお寺がある時代だ。

             

             

            風情も何もない。もう『行事』というあり方も、捉え方が変わりつつある。

             

            風物詩が時代と共に様変わりすると嘆くのも意味ない。ないない尽くしだ。

             

            我が家でも『年の瀬』とか『お正月』には、最低限のことしかしていない。

             

             

            自分が生きる証しとして汚れを出した水回りの掃除は丹念にさせてもらう。

             

             

            はっきりしたことは、それだけ。自分の生き方など語るに及ばないだろう。

             

             

            言葉。行動。『表現』に触れ、真摯に向き合い、自分の言葉で素直に語る。

             

             

             

             

             

             

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            暮らしにおける、豊かさについて

            2016.12.28 Wednesday 06:06
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              人は、日々暮らしの中で、色々な局面に遭遇する。

              想定内のこと、想定外のことにも真摯に向き合う。

               

              今現在においては、『食品の高騰』がかなり大きい。

              何百円をケチったりしても、家計への影響は未知数。

               

              そこで、暮らしにおける『豊かさ』についてのこと。

              ボクの中で、経済的な裕福さで満たすことではない。

               

              そりゃ、お金は大事だ。お金がなけりゃ心も荒む。

               

              現実的に、心が荒まない位の経済力は重要な課題。

               

              現状は、かなり厳しい。これは、一般論としてだ。

               

              世の中の混乱に振り回されるか。平静を保てるか。

               

              先行きの予測など時間と労力の無駄にも思えたり。

               

              ならば、今ある暮らしの中で、『創造』すること。

               

               

              先日、食料の買い出しついでに、近所のペットショップに寄った。

              度々、癒しを求めて、ボクはその扉を開けることがあったりする。

               

              そこで、その日も『ふと』その扉を開けてみたのだ。

              心が、一瞬にして、トロケそうになった自分がいた。

               

              店に入ったら、すぐの左側に、鳥類の売り場がある。

              そこには、鮮やかなオレンジ色のつがいの鳥がいた。

               

              名前を『紅カナリア』という。そう『カナリア』だ。

              ボクが幼少期、密かに憧れていたのが、小さな鳥だ。

               

               

              爺さん、婆さんをボクは殆ど知らない。

               

              ただ一人残っていた父方の婆さんは愛想がない。

              だが、その人が飼う竹籠の鳥が美しかったのだ。

              婆さんと触れ合いはないが、鳥には魅せられた。

               

               

              そんな具合で、ボクはそのつがいのカナリアに一目惚れ。

              彼らと一緒の暮らしに想像を巡らせ、店に暫く留まった。

              店員さんが『これはとても貴重ですよ』と笑顔を見せる。

               

              そのペットショップでは、始めて入荷したらしい。

              しかも、相場からすれば、かなりお買い得らしい。

              ボクは、もう彼らに『恋をしてしまった』らしい。

               

              世間的には、そう高い買い物ではないにしても、

              ボクの現在の暮らしでは、かなり勇気が必要だ。

              見事なまでの、紅カナリアがつがいで、18、900円。

               

               

              ボクは渋々と家路についたが、帰宅後その話を母にした。

               

              すると母はこう云った。

              『何を迷うことあるの。

               ここ数年は少しも贅沢していないのだし、

               今の暮らしは、すべてあんたのお陰で成り立っている。

               そのくらい、ご褒美としていいことじゃない。

               それが、出逢い、というものなんだから』

               

              と、『その出逢いを逃さない』よう、母はボクを促した。

               

              そんな訳で、ボクの暮らしに新しい仲間が加わったのだ。

               

              それは、とても愛しい、かけがえのない『命』の提示だ。

               

               

               

              彼らとの暮らしも2ヶ月程。名前を呼ぶと声に反応する。

               

              和みと共に、心に新たな愛情を持ち、暖かく豊かになる。

               

              餌やり掃除等、『感謝』として、日常の日課に加わった。

               

               

               

               

               

               

               

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              生きることは、死と隣り合わせ

              2016.12.27 Tuesday 05:25
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                昨日、英国歌手の『ジョージ・マイケル』が死んだとのニュースを聞いた。

                 

                享年53歳。ボクよりも年下だ。若いと言えば、若い。江戸時代なら寿命。

                 

                だが、ここ数年、毎年。有名なミュージシャンの死のニュースが多いのだ。

                 

                 

                昨年も多くの人が死んだ。今年も多くの人が死んだ。ある意味、当然の話。

                 

                生とし生けいる物、皆死ぬ。生命が誕生した瞬間から、死に向けて生きる。

                 

                また、生は、常に『死』と隣り合わせだ。命は、一瞬で絶えることがある。

                 

                 

                ボク自身、50を過ぎた頃から、死を意識している。死の準備をしている。

                 

                いつ、どこで、どうなるか。誰にも、何も、判らない。保証などないのだ。

                 

                ボクは、それを二十歳前に大事故を経験した時、まさしく、切実に感じた。

                 

                 

                ちょっとズレていたら、死んでいても不思議ではない。たまたま助かった。

                 

                子供の頃から病気と共に生きていると、『命』について考える機会が多い。

                 

                時には、精神世界に迷い込んだり、宗教について模索したり、迷走もした。

                 

                 

                人は『弱った部分』を餌に、『救い』へと呼び寄せる。藁をもすがらせる。

                 

                だが、ボクは、どれにも頼ることを拒んだ。頼る内は救われない気がした。

                 

                体は、宇宙のように、あらゆるバランスを以て常に『命』を維持している。

                 

                 

                ここ数年、あらゆる体の不調に悩まされ続け、もうこれ以上は勘弁を願う。

                 

                日々、不安を抱えながら生きることは、ある意味、拷問にさえ感じられる。

                 

                いっそ、楽にしてくれ。などと投げやりにもなるが、結局、必至に生きる。

                 

                 

                いずれ、必ず、死ぬのだから。その瞬間までは、必至に生きてやる、とね。

                 

                 

                プリンスなど、同世代の人が亡くなる。彼もいい味が出てきた矢先だった。

                 

                 

                ジョージは低迷を続けたまま逝った。彼の声は絶品だ。特に、バラードが。

                 

                 

                 

                低迷する時期に、名曲をジャズ風味で唄ったアルバムは魅力に溢れている。

                 

                 

                 

                 

                 

                合掌。そして、感謝。

                 

                 

                 

                 

                 

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                今日が明日に、明日が今日に、

                2016.12.26 Monday 09:16
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                  今年も残り僅かになった。『時が過ぎるのが早い』なんて、今更言わない。

                   

                  ボクの暮らしに『クリスマス』とか、そういう類いはない。今までもない。

                   

                  先週末から3連休だったことは、頭に入れ、買い物に出たりしないだけだ。

                   

                   

                  何かを望んだり、気持ちが昂ったり、浮かれたり。流されない自分でいる。

                   

                  或は、浮き沈みによって、生活に支障が出ないよう平常であることが大切。

                   

                  妬み嫉み。これは若い頃にたくさん抱えて痛い目に遭ったので、持たない。

                   

                   

                  キレイ事ではなく、今は『母との暮らし』を維持することだけで精一杯だ。

                   

                  日常は、日々の積み重ねで出来ている。怠った結果は自分にかえってくる。

                   

                  因果応報。それに逆らわぬこと。抗えば、余計な軋轢が生まれるのである。

                   

                   

                  今日が昨日になり、明日が今日になる。そのように、日々は繋がっている。

                   

                  1週間先のことに苛まれていても、1年後のことを考えても消耗するだけ。

                   

                  まずは、目の前の『やるべきこと』をやる。喜びや哀しみは付随する感情。

                   

                   

                  色々な困難を抱えている自分が、フラットな状態なのだとして、嘆かない。

                   

                  嘆いても苦しみは癒えない。それより、自分の心の中で動く何かを捉える。

                   

                  惑わされない。迷わない。狼狽えない。難しいからこそ、挑む。それだけ。

                   

                   

                   

                   

                   

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                  東京にも、ブルースが残っていた

                  2016.12.25 Sunday 09:11
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                    すっかり『日本からブルースは消え去った』とボクは勝手に思っていた。

                     

                    巷に溢れる唄からは、『ブルース臭』がまったくしなくなったのである。

                     

                    あの『殿様バッタ』みたいに、お目に掛かることも出来ないのだろうと。

                     

                     

                    かの『Jソウル』さんは、自己肯定的に『ソウル抜き』した具合である。

                     

                    受け手の『ソウル』なんて、見事に『無視』してしまえる、と思わせる。

                     

                    日本人として、『J』と名乗られるのは少々違和感があるのは否めない。

                     

                     

                    かの『ゲス』さんも、音楽云々以前に、『魂』の未熟さを露呈している。

                     

                    音には、その人と成りが反映されるということ。年齢からすれば、当然。

                     

                    彼の音にも、『ブルース』は皆無だ。音楽のいい悪いは、また別問題だ。

                     

                     

                     

                    遡ること。ブルース、ジャズ、R&B、フォーク、ロック。音楽の変遷。

                     

                    西洋音楽とアフリカン音楽の融合から庶民の音楽が誕生したように思う。

                     

                    貴族のための総称としてのクラッシック音楽と民族音楽をミックスする。

                     

                     

                    アメリカへと強制的に奴隷として連れて来られ、黒人が迫害された歴史。

                     

                    彼らの苦しみを少しでも癒すものが、音楽だったと想像する。生命の源。

                     

                    西洋の楽器を使って、『五音音階』を主体としたメロディを奏でること。

                     

                     

                    そこからジャズやブルースが生まれ、必然『ブルーノート』も生まれた。

                     

                    独特の哀愁を帯びる、いわゆる『ペンタトニック・スケール』の賜物だ。

                     

                    アフリカからアジアへ通じる『民族音楽』が大衆音楽の起源なのだろう。

                     

                     

                    日本人の根底にある『侘び寂び』に通じるものに惹かれるのは、必然だ。

                     

                    それが、ブルースであり、ソウルだったようにボクの中では捉えている。

                     

                    それがここ十数年で、ごっそり『日本の音楽から消え去った』気がする。

                     

                     

                     

                    少し前にラジオを聴いていて、小林克也氏が似たような発言をしていた。

                     

                    チャート番組で『最近の日本の若者の音楽にはブルース要素がない』と。

                     

                    要して『ブルースの存在なしに音楽体験してきたのかなあ』のような話。

                     

                     

                    想像してみるに、育ってきた環境が劇的な変化を続けてきたせいなのか。

                     

                    過去の音楽遺産に触れることなく、音楽を生むとこうなる、のだろうか。

                     

                    穿った見方をすれば、合点が行く。CD媒体が売れないのも当然である。

                     

                     

                    憶測で言うのも無責任だが、韓国の音楽事情にも共通するように思える。

                     

                    韓国が民主化されたのはほんの数十年前で、そこから大衆音楽が始まる。

                     

                    ヒップポップ全盛以降の影響が強く、流行る音は今時の日本と酷似する。

                     

                     

                     

                    そうなると、もう日本の音楽業界に望むものはなくなるように危惧する。

                     

                    かつて、欧米の音楽に痺れ、楽器を手にする若者の勢いは凄まじかった。

                     

                    それは、ブルース、ソウル、ファンク、フォーク、ロック等、渾然一体。

                     

                     

                    すっかり昔話になる程に、遠い記憶だ。おっさん、カビが生えているよ。

                     

                    と言われていい訳もない。そう、ボクはおっさんである。でもいいのだ。

                     

                    ただ個人的に、日本の音楽、どうした?とブルースを探してしまうのだ。

                     

                     

                     

                    現在も尚、幅広いアメリカの音楽には、ブルースが根付いているようだ。

                     

                    新しい作品の中でも『カントリー』気質は根強い。日常の中に寄り添う。


                    ブルースやフォーク、ロックの痕跡がラジオとして暮らしにあるようだ。

                     

                     

                    古く『ロバート・ジョンソン』から『レッドベリー』まで俯瞰で眺める。

                     

                    そこに『ブルース』『フォーク』といったカテゴライズは邪道に思える。

                     

                    共にギター1本と『唄』があるだけ。『人』がいるだけの表現力の深さ。

                     

                     

                    日本の『五音音階』である『民謡』は日本人の暮らしに寄り添ってない。

                     

                    そこから派生した『演歌』は形骸化したようだ。『流行歌』然りである。

                     

                    日本の音楽史は、生活と結びつきが薄い。俯瞰で眺めることすら不可能。

                     

                     

                     

                    やはり日本の文化は、刹那的に『無駄を排除』する傾向が強い気がする。

                     

                    ボクの嫌いなグーグルのCMがその典型にも思える。『手軽さ』の行方。

                     

                    何でも『他者』に頼り、『用意』してもらえる、『自己の排除』なのか。

                     

                     

                    ボクによるスゴい偏見だ。所詮、人は、自分の中で模索を続けしかない。

                     

                    どこかにもう見ることはないと思っていた『殿様バッタ』もいるだろう。

                     

                    実際に、先日、今の日本の若者によるブルースを聴いたような気がする。

                     

                     

                    諦めた、その時点で、すべては終わる。自分の中の偏見も捨てなければ。

                     

                    ここ数年、久しぶりにギターを手にすると、ついブルースを弾いている。

                     

                    もはや、心の渇きが欲しているよう。ブルースはオアシスなのだろうか。

                     

                     

                    ともあれ、東京にもまだブルースはあったのだ。見過ごしているだけだ。

                     

                     

                     

                    彼女には数年前にラジオから流れてきた瞬間『ブルース』を感じたのだ。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    彼女のファーストミニアルバムを買ったが、期待した程でなかったのも事実。

                     

                    まだ二十歳そこそこ。足りないくらいで丁度いい。ブルースに完成などない。

                     

                    この先、どう変化し続けるか。それを楽しみにしてみるのも悪くないだろう。

                     

                     

                     

                     

                     

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                    健康は財産、というけれど

                    2016.12.22 Thursday 08:28
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                      人生の殆どを体調不良と共に過ごしていると、病気は切実な問題になる。

                       

                      健康が、いかに尊いか。これは、苦しみに耐える中、強く感じることだ。

                       

                      よく食べ、よく寝て、よく働く。人間にとって、とてもありがたいこと。

                       

                       

                      生まれる前に命が危ぶまれ、生まれながらに病弱だったことは否めない。

                       

                      物心ついた頃から病院ばかり。歯医者や耳鼻科等含め通院が日常だった。

                       

                      もはや、病院アレルギーも深刻で、病院へ行くと、却って具合悪くなる。

                       

                       

                      だが、親が年老いて通院、入院とか、年中病院へ行くのは避けられない。

                       

                      この2〜6年程は、年間100日前後程、病院に通っていた記憶がある。

                       

                      出来れば健康で、病院に縁がない方がいい。病気は、経済負担も大きい。

                       

                       

                      で、先月、健康診断で3つの項目で再検査となり、先日その検査だった。

                       

                      3つの内、1つは辛うじてセーフ。で、2つの再検査はバツ。治療、だ。

                       

                      総合、5つの病気を抱えることになった。2つは、治療を中断している。

                       

                       

                      経済的問題もあるが、半ばは『諦め』だ。命に関わることはないとして。

                       

                      薬に頼らないといけない病気は通院を絶やせない。絶えることない憂鬱。

                       

                      で、今回の1つは心臓だ。ホルター心電図という簡易心電図装置を装着。

                       

                       

                      24時間、装置を首からぶる下げ、行動記録を事細かく、メモするのだ。

                       

                      で、その結果は来年になる。まあ、今更じたばたするつもりはないのだ。

                       

                      今まで何十年も病気を抱える自分と付き合ってきた。それに変わりない。

                       

                       

                      ここ数年の体調不良の原因が二つ判っただけでも有り難いことだと思う。

                       

                      どんな状況であるにせよ、現実を受け止めるしか、生きる術はないのだ。

                       

                      悲観するだけ負に引き寄せられる。楽観しないまでも、生きるしかない。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

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