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2017.07.23 Sunday
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    今日が明日に、明日が今日に、

    2016.12.26 Monday 09:16
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      今年も残り僅かになった。『時が過ぎるのが早い』なんて、今更言わない。

       

      ボクの暮らしに『クリスマス』とか、そういう類いはない。今までもない。

       

      先週末から3連休だったことは、頭に入れ、買い物に出たりしないだけだ。

       

       

      何かを望んだり、気持ちが昂ったり、浮かれたり。流されない自分でいる。

       

      或は、浮き沈みによって、生活に支障が出ないよう平常であることが大切。

       

      妬み嫉み。これは若い頃にたくさん抱えて痛い目に遭ったので、持たない。

       

       

      キレイ事ではなく、今は『母との暮らし』を維持することだけで精一杯だ。

       

      日常は、日々の積み重ねで出来ている。怠った結果は自分にかえってくる。

       

      因果応報。それに逆らわぬこと。抗えば、余計な軋轢が生まれるのである。

       

       

      今日が昨日になり、明日が今日になる。そのように、日々は繋がっている。

       

      1週間先のことに苛まれていても、1年後のことを考えても消耗するだけ。

       

      まずは、目の前の『やるべきこと』をやる。喜びや哀しみは付随する感情。

       

       

      色々な困難を抱えている自分が、フラットな状態なのだとして、嘆かない。

       

      嘆いても苦しみは癒えない。それより、自分の心の中で動く何かを捉える。

       

      惑わされない。迷わない。狼狽えない。難しいからこそ、挑む。それだけ。

       

       

       

       

       

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      すでに、不安さえも感じなくなった

      2016.12.15 Thursday 15:51
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        病気を抱えていると、まさに『不安』である。健康であることが得難い。

         

        ただ、もう半世紀近く次々に不具合を抱え、年齢と共にそれが増す場合。

         

        もはや、『不安』のままではいられない。筆舌にし難い、切実な問題だ。

         

         

        特にここ15年くらいは、調子のいい日は皆無に近く、常に調子が悪い。

         

        調子が悪いことに慣れてしまっている。気にしたら収拾がつかなくなる。

         

        不安が更なる不安を生み、負の連鎖にハマるのは避けなければいけない。

         

         

        ただ、特にこの1、2年は『どうしようもない』とのいい訳で済まない。

         

        耳鳴りも激しさを増し、体を動かした後にめまい、立ちくらみが起こる。

         

        実際に、ベランダで洗濯物を干そうと見上げ、振らつき肋骨を骨折した。

         

         

        先月の健康診断では、3つの項目での再検査を来週受けることになった。

         

        ただでさえ、病院ばかり行っているので、もうこれ以上は勘弁願いたい。

         

        それが本音だ。『言霊』というあり方。自から負を引き寄せているのか。

         

         

        どのみち、休むことは許されない。誰も助けてはくれない。それが生活。

         

        やらなければいけないことは、なくならない。自分の代わりは、いない。

         

        責任とかじゃない。やらないと、古新聞のように積み重なるだけなのだ。

         

         

        いわゆる『ゴミ屋敷』のように、やり残したことが散乱するだけである。

         

        それを端から片付けていく。やっても、やっても、やるべきことの山だ。

         

        この2年で体重が5、6キロ落ち続けている。体力低下も著しい状態だ。

         

         

        どうしようか。などと、いつもこうして文章にして、冷静を促すだけだ。

         

         

         

         

         

         

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        久しぶりの『レコード』に感動したのだ

        2016.12.12 Monday 17:17
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          ボクは仕方なく『CD』で我慢している。媒体商品として購入している。

           

          とにかく、『音楽』が好きで好きでしょうがない。聴くため買いまくる。

           

          推定『5000枚』近くあるだろうか。2000枚まで数えたがヤメた。

           

           

          そこで、だ。日々技術は進歩していて、年々徐々に音質も向上している。

           

          2000年以前のCDは聴けたもんじゃない。音質も悪く、音圧もない。

           

          で、リマスターなどの再販を買い直すことで、見事に商売の罠にハマる。

           

           

          だが、どんなに音質が向上しても、『デジタル信号』に変わりはしない。

           

          昨日、本当に久しぶりに『レコード』を聴いて、愕然とした。驚愕した。

           

          これだ、と。音が暖かく繊細で奥行きもある。部屋の空気が震えている。

           

           

          まさに、『音は、空気の振動で出来ている』のを再確認して、感動した。

           

          CDやデジタル・データは、あくまで『信号』であって、振動ではない。

           

          スピーカーやイヤフォンから出れば振動に変わるだけ、なのだと再認識。

           

           

          レコードやアナログ・テープは『空気の振動』を刻み、それを再現する。

           

          だが、CDは、音を『デジタル信号』に置き換える時点で振動ではない。

           

          ある意味『合理的』な方法で、一切の雑音もない。無駄な音も排除する。

           

           

          人の耳で認識出来ない音域はバッサリ削ぎ落とす。固くて冷たく感じる。

           

          例え認識出来ない音であっても、それらすべて含め『音』は構築される。

           

          レコードには無駄が多い。雑音もあるが、幅広い周波数まで取り込める。

           

           

          昔は『無駄が多い』暮らしだったが、そこに『豊かさ』が詰まっていた。

           

          無駄に思える行程を経た物は、使う程に深みが増す。これに集約される。

           

          長く身近に存在する物との共存こそが、『豊かさ』だと最近は思い知る。

           

           

          多くの製品はすぐ壊れ、或は変わる。現在購入する物ほぼ消耗品である。

           

          そこには『愛着』もなく、刹那的に『最新を欲しがる』忙しさの神経症。

           

          常に『ゴミ』を生み続け、その際徴収される『リサイクル料』はどこへ。

           

           

          その象徴が合理的な『デジタル社会』にも思える。個人的で乱暴な発想。

           

          でも、先日、レコードを聴いて感動と同時に、悪寒が走ったのも事実だ。

           

          温故知新。これをお座なりにして、日々流されている自分を見たようだ。

           

           

          レコードは『データ』ではないので、一瞬で消えることはないのである。

           

          だからこそ保管や管理が大事であり、人としてのあり方が試されるのだ。

           

          生きる上で実に大切なことだと改めてボクは感じる。たかがレコードに。

           

           

           

           

           

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          今の社会に執着するつもりはない

          2016.12.10 Saturday 07:55
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            某俳優さんが、当然の引退宣言をした。真実がどうであるにせよ、だ。

             

            事の真偽は別として、彼の気持ちは判らないでもない。潰されたのだ。

             

            今の社会のあり方。人の悪意がウィルスのように繁殖をし続けている。

             

             

            ボクは、今の社会全体における『あらゆる事象』に馴染めないでいる。

             

            ネットを筆頭に、スマホなどを含めた『通信社会』は特に悪寒がする。

             

            すでに『拒否反応』を持っているが、ネットがないと暮らせないのだ。

             

             

            何でもかんでも、ネット利用が優先される社会。病院の予約には参る。

             

            出来ることなら、通信などと関わりたくはない。極力排除しているが。

             

            完全に断ち切る勇気もない自分の情けなさ。ブログもなぜ続けるのか。

             

             

             

            毎日、大量の迷惑メールが届く。日々増え続ける。何で?どうして?

             

            人が人を貶めて、人が人を欺く。その悪意に取り込まれた病巣の繁殖。

             

            心を持たない悪意はどこまでも増え続ける。社会の闇も深まり続ける。

             

             

            メールの設定を模索してみたが、肝心の大事なメールが届かなくなる。

             

            で、仕方なく、妥協する範囲に設定しても、不快メールはすり抜ける。

             

            メールアドレスの変更をしたいのだが、そこにも色々な問題が生じる。

             

             

            とりあえず、極力『繋がり』を絶つしかない。人との繋がりも消える。

             

            それでもいい。簡単に消えていくものに執着などしないでいいと思う。

             

            通信で知り合った人が向こうの都合で簡単に『切る』のを思い知った。

             

             

             

            更に、スマホなど『マナーの問題』もある。これには、閉口している。

             

            テレビCMにおいても、スマホ関連は軽薄だ。特にauにはウンザリ。

             

            バカみたいなナレーション。テレビはほぼ観ていないのに触れるのだ。

             

             

            その、件のスマホ片手に『手軽』『安易』『無駄を省く』意識の問題。

             

            ボクには判らないことなので、肯定も否定もしない。しても意味ない。

             

            にしても、自己形成の過程において社会に及ぼす影響は計り知れない。

             

             

            子供たちは夢も持たず、若者たちは悟ったように、勝手に感じている。

             

            そんな淀んだ空気に満ちていても、誰も『声をあげない』でいられる。

             

            醜悪な大人が、事実を捩じ曲げ、蓋をしてしまう。バレるまではやる。

             

             

            痛む、心などは捨ててしまえるようだ。人間社会は、まさにホラーだ。

             

             

            弱っている自分を守るには、『防御』しか手管はない。情けない限り。

             

             

             

            社会全体『不可解』な事件や出来事が日々増え続けている報道ばかり。

             

            もう消化不良で、胸焼けしている。これ以上は受け入れられない状態。

             

            幸い、独り身なので、いつボクがこの世から消えようと影響は皆無だ。

             

             

            いや、母親に出来るだけ健康に長生きしてもらうために生きなければ。

             

             

            本音は。ボクはもう疲れ果てた。問題山積で窒息寸前。休みたいのだ。

             

             

            実際は休むことさえ許されない。人は暮らし難さの演出に長けている。

             

             

             

             

            今回の件で思い出したこと。30年前に自殺した『岡田有希子』さん。

             

            デビュー程ないアイドル、人気絶頂を迎えようとしていた矢先の自殺。

             

            享年18歳。当時の衝撃的なニュースとして時々思い出すことである。

             

            その当時、ボクはウツが最悪で寝込んでいた。絶望に支配されていた。

             

            その時、写真誌『FOCUS』が自殺した彼女の遺体写真を掲載した。

             

            兄が買ってきた、その雑誌を愚かにもボクは見てしまった。自己責任。

             

            事務所ビルの生け垣前、横たわる幼気な少女の頭は割れ、脳が見える。

             

            そんな写真を撮る人もそれを掲載した人も『悪魔』だと心が破裂した。

             

            たかが30年、されど30年。人はとっくに『心を捨てていた』のか。

             

             

             

             

             

             

             

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            人は、日々の食事で出来ている

            2016.12.09 Friday 06:22
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              介護の他に家事全般を含めて、『専業主夫』として日々忙しく過ごす。

               

              昔と比べて『家族』のあり方が変わり、経済的に共働きが大半だろう。

               

              それにより、『保育園不足』という問題が解消されないまま、である。

               

               

              まあ、ボクは独身であり、子供もいないので、また違った生活になる。

               

              よく結婚している人の『独身は気楽だよな』は耳にタコが出来る話だ。

               

              それは、右から左へと受け流す。『気楽』の意味がさっぱり判らない。

               

               

               

              ボクは保育園の頃から鍵っ子で、小学生になるとすでに料理していた。

               

              自分の昼食はチャーハンが定番だった。家事の教育は母親から受けた。

               

              火の元。後始末。その主体だけではなく、全体含めた『事』の重要さ。

               

               

              大学の頃には、母が長期間入院していたので、『主夫』も経験済みだ。

               

              それらが、今になって役に立っている。点と線が繋がる。それが生活。

               

              軽く破綻するようなあり方では、生きていけない。日々学習、である。

               

               

               

              そこで、今は日々溜め込んだ『不具合』が足枷になる。重たい日々だ。

               

              新たに老いが増し続け、病気を抱える母との暮らしに、休息などない。

               

              病院での管理栄養士から『食事制限』を含めて、様々な指導を受ける。

               

               

              単に食事を用意するだけではいけない。『適当』が許されない窮屈さ。

               

              炭水化物を減らしてタンパク質を多く、塩分を控え野菜を多めに、等。

               

              食事のレパートリーも増えない。野菜や果物を筆頭に常備品ばかりだ。

               

               

               

              程よい肉の摂取。小麦粉を含む類いは控える。食物繊維は欠かさない。

               

              常に2、3日先までの食事を考えながら、無駄な買い物をしないよう。

               

              それでも、冷蔵庫の奥で腐らせる、期限切れで捨る、で無駄も生じる。

               

               

              ただ食べていればいい訳じゃない。人は、日々の食べ物で出来ている。

               

              不摂生をすれば、如実に現れる。やれ、運動しろ。いや、出来ねえよ。

               

              自身の不具合とも共生しつつ、何でも無難にこなすなんて出来ねえよ。

               

               

               

               

               

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              息苦しくて、窒息しそうだよ

              2016.12.05 Monday 19:09
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                人生の殆ど病気などの不具合の中、半世紀以上何とか生き延びている。

                 

                なので、『旅行』『旅』というものをする機会が殆どないままである。

                 

                日本から出たことないし、『関東』から外へすら何十年も出ていない。

                 

                 

                中学の修学旅行で『京都、奈良』、高校の修学旅行で『広島、萩』へ。

                 

                それが関東から出た最後だろうか。日本の名所なんて知らないままだ。

                 

                テレビの旅番組で画面越しに観るだけ。海外などまったく未知な世界。

                 

                 

                ここ5年くらい、介護やら自身の体調不良で、外出すらままならない。

                 

                日帰りでも、車で片道1時間くらいしか、家から遠くへ行っていない。

                 

                極めて狭い範囲の中で、ある意味『閉所恐怖症』の感覚に近い感じだ。

                 

                 

                時々、息苦しくなる。どこか、ここでない『何処か』へ行きたくなる。

                 

                でも、実際には、遠くへ行くのが怖い。常に『不安』が拭えないのだ。

                 

                息苦しいまま、狭い範囲内で、ちまちまと『保守』に徹しているだけ。

                 

                 

                かといって、観光名所をただ巡るだけの『行楽』などは、御免したい。

                 

                記念写真だけが残り、『ただ行っただけ』の想い出など余計な荷物だ。

                 

                何処とか、じゃなくて。精神的な解放。窒息からの脱却。だけでいい。

                 

                 

                日々、一寸先の使命に追われることがありがたいことなのか、どうか。

                 

                 

                とりあえず、何とか、今日も生かせてもらっている。ただ、それだけ。

                 

                 

                たまに深呼吸をしないと、巡りが悪くて、実際に目眩しまくりなのだ。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

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                人に嫌われることは、怖くない

                2016.12.01 Thursday 10:00
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                  ボクは子供の頃、人の顔色を伺いながら、なるべく存在を消していた。

                   

                  同世代の人との関係をうまく築けずに、ともだちも極めて少なかった。

                   

                  そこは無難に『嫌われない』ようにしていたように記憶しているのだ。

                   

                   

                  現在は、ほぼ人との関係はゼロに等しい。成り行き『必然』と捉える。

                   

                  それは、ボクに原因があるにせよ、敢えて追求する問題ではないのだ。

                   

                  ただの現実であり、事実である。それ以上でもそれ以下でもないこと。

                   

                   

                  ただ、昔とは違い、『人に嫌われること』に対して距離を置けている。

                   

                  ある意味、『自分が嫌われているかどうか』なんて厳密には判らない。

                   

                  それを敢えて追求しても意味がない。まして、怖がることはないのだ。

                   

                   

                  人間関係は、対する人によって様々だ。傲慢な人。話題の少ない人等。

                   

                  一緒にいて会話が膨らまない人との時間は、ただの苦痛だったりする。

                   

                  ならば、いっそ『一人の空間』で自分を楽しむ方がマシに思えたりも。

                   

                   

                  人が他人を理解するなど、驕りに過ぎないし、他人にそれを求めない。

                   

                  他人の生活の一部始終を見ている訳でなく、ごく一部を垣間みるだけ。

                   

                  勝手な憶測が誤解を生むし、誤解が感情を左右することは自己責任だ。

                   

                   

                  そんな具合で、ボクはもう人に嫌われようが、余計な神経を遣わない。

                   

                  それは、『人にどう思われるか』と『自分がどう思うか』のバランス。

                   

                  それに重きを置いてもいい年齢になったような気がする。諦めでなく。

                   

                   

                  人として最低の節度を持ち、今までの経験で培った努力は惜しまない。

                   

                  かと言って、頑張って『好かれよう』とせずに、『誠実』と向き合う。

                   

                  人と人は縁。来る人いれば、去る人もいる。狼狽えない。それが生活。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

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                  人の縁など、あっけなく切れるもの

                  2016.11.18 Friday 17:17
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                    特にここ数年において、『不快』に感じてラジオを切ることが増えた。

                    それは、凡そ『唄』に由る。『ヒップポップ系』が主なのは否めない。

                     

                    かつてラジオは、ボクの生活の中でFMが潤いの一部であったのだが、

                    バイリンガルやハーフのDJが英語混じりに喋るテンポも急いている。

                     

                    だが、『不快』に感じるものは、今時の歌詞の日本語の稚拙さだろう。

                    個人的な見解では、日本の唄から『情緒』も『物語』も消えたようだ。

                     

                    敢えて『語らない』ことで、その向こう側に『想像』を生み得る物語。

                    聴く側それぞれに、委ねる勇気を与えない。箱庭はどんどん狭くなる。

                     

                    韻を踏むことだけでも鼻につく『ラップ』などは、心が拒否している。

                    無知を学ぼうとしないまま、『新しさ』という概念しかなのだろうか。

                     

                    有り体に言えば、『中身のない薄っぺらい精神論』のような言葉たち。

                    どの唄が流れて来ても、同じように、『語彙の乏しさ』しか感じない。

                     

                    例えば、

                    『一人じゃないから』などは、典型的であり、

                    その他には、

                    『みんな繋がっている』とか、

                    『そばにいるから』とか、どれも似たり寄ったり。

                     

                    ボクの偏見でもいいし、了見の狭い『拒否反応』かもしれない。

                    でも、ボクは『その類い』の言葉を連呼する唄が大嫌いなのだ。

                     

                    で、そのような唄が不意に流れてくると、ラジオを消している。

                     

                    よく簡単に『一人じゃない』『繋がっている』と言えるものだ。

                     

                    などと、いつまでも、『免疫が出来ない』ことに閉口している。

                     

                     

                    もし『人は一人じゃない』のなら、『繋がっている』のならば、

                    イジメを苦にした自殺は、社会からなくなっていると想像する。

                     

                    人知れずに、『一人で苦しみ』『疎外感に苛まれ』死んでいく。

                    それがなくならない現実の中、軽々しく自信満々になぜ唄える。

                     

                    ボクにその疑問が拭えないのなら、この先も受け入れはしない。

                    その類いの唄に『潤わない』し、『心躍り』もしないのである。

                     

                     

                    ボクは、今現在、友人と呼べる人は一人もいない。

                     

                    もう何年もの間、親し気な『会話』をしていない。

                     

                    それもいかがなものかと思う。自慢にもならない。

                     

                    それが現実であり、一人には慣れてしまっている。

                     

                    日々、暮らしに追われ、考える暇もないのだから。

                     

                     

                    人が嫌いな訳じゃない。むしろ好きで触れ合いたい。

                    色々とお互いに『言葉』を交わし、何かを感じたい。

                     

                    だが、色々な事情で、すべての友人とは縁が切れた。

                    望んで縁がなくなった訳でなく、好き嫌いでもない。

                     

                    暮らしの中で、なるべくしてそのようになっただけ。

                    誰が悪いとか、自分に問題があるとか、で捉えない。

                     

                     

                    ボクの敬愛するミュージシャン、

                    『デヴィッド・クロスビー』と『グラハム・ナッシュ』。

                    彼らは1960年代後半から活動を共にし続けて半世紀。

                    その見事なまでの彼らのハーモニーは筆舌にし難いもの。

                     

                    私生活においても、薬物中毒のデヴィッドを支えたグラハム。

                    見事に復活をして、グラハムとデヴィッドは唄い続けていた。

                     

                    ところが、70歳を過ぎた最近、彼らは絶縁をしたと聞いた。

                    お互いの共通の仲間の悪口を片方が言ったのが発端だったと。

                     

                    有名な音楽誌で、『あいつはクソ野郎。関わりたくない』と。

                    もう二度と活動を共にすることなどない、と断言をしている。

                     

                    積年の想いが、悪い方に作用してしまったのだろう。たぶん。

                    怒りや憎しみは、一度抱えてしまうと勝手に膨らんでしまう。

                     

                     

                    今年、二人はそれぞれに素晴らしいソロ・アルバムを出した。

                    けれど、彼らがお互いの作品に参加することはなかったのだ。

                     

                    あの卓越した声質の違う二人の化学反応は、もう聴こえない。

                    袂を分け、別々の、それぞれに新しい人脈で、見事な決裂だ。

                     

                    人の縁など、あっけなく切れる。淋しい、とかの問題でない。

                    まさに『覆水、盆に返らず』。そこから先はそれぞれの人生。

                     

                     

                    ボクは、最近、無性に誰かと一緒に音楽をやりたくなるのだ。

                    長年、一人でちまちまと宅録をしてきたから、余計に感じる。

                     

                    新しい出会い?あるかどうか。そのエネルギーはすでにない。

                    望んでいないのではなく、すべては『母なる自然の導き』だ。

                     

                     

                    再びデヴィッドとグラハムが手を取り合うか、知る由もない。

                     

                     

                    1970年の頃の二人。今でも鮮度が落ちない魅力に溢れる。

                     

                     

                     

                     

                     

                    10年前。齢65歳を過ぎても、彼らのハーモニーは生きていた。

                     

                     

                     

                     

                     

                    つい先月出たデヴィッドの新作。75歳とは思えない声の艶やかさ。

                     

                    でも、ここにグラハムの声は存在しない。だが、作品は素晴らしい。

                     

                     

                     

                     

                     

                    半年前に出たグラハムの新作。彼も74歳にして、果敢に挑戦している。

                     

                    波が砕ける。一人背中を向けて歩く。それぞれのジャケットが象徴的だ。

                     

                     

                     

                     

                    それでも、70歳を過ぎて、憎しみで縁を切るなんて、人って何だろう。

                     

                    などと、しみじみ、彼らの偉大な遺産を前にして思ったりもするボクだ。

                     

                     

                     

                     

                     

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                    コレ又どう云う訳だ、世の中間違っとるよ

                    2016.11.09 Wednesday 14:41
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                      コレ又どう云う訳だ

                      世の中間違っとるよ

                      誠に遺憾に存じます

                       

                      かつて、そう唄ったのは、『植木等』だ。

                       

                      もう半世紀近く前、日本が高度経済成長に浮かれている頃。

                      敗戦後、そう大した時間も経ずに、掌返して、西洋化しつつ、

                      日本国民、総じて『平均的な貧乏人』であるにもかかわらず、

                      誰もが夢や希望を胸に『期待』しているような空気に満ちていた。

                      東京近郊、『サラリーマン』が満員電車に詰め込まれていた時代。

                       

                      ボクら世代の子どもたち、特に男の子は、土の上を駆け回り、

                      冬でも半ズボンで、膝小僧なんかに赤チン塗って、

                      乾き切らない、かさぶたを剥がしたりして、

                      バイ菌が入っても、免疫力で抵抗していた。

                       

                      のどかで、牧歌的で、『イジメ』なんてない代わり、

                      仲間はずれは、『皆の前』ではっきりとやっていた。

                      汚い言葉を口にして、それでも語彙に乏しくて、

                      『バカ』とか、『ウンコ垂れ』とか、

                      まさにガキのような『悪口』が飛び交う関係だった。

                       

                      手塚治虫が『想像させる未来』を描き、

                      人類が始めて月面着陸したり、

                      世間では、『巨人、大鵬、卵焼き』と謳われた。

                       

                      野球は巨人、相撲は大鵬、美味いものは卵焼き。

                       

                      まあ、『単純で判り易い』社会があり得たのだ。

                       

                      人気のテレビ番組などは、視聴率30%なんてザラであり、

                      家族揃って、あーだの、こーだの、画面に齧り付いていた。

                       

                      これでは、ただのノスタルジアごっこだ。

                       

                      あれから何十年が過ぎ、何があったのか。

                       

                       

                      今や、パソコンも携帯もネットも。あり得ない物ばかりが溢れる。

                      ある意味、手塚治虫の描いた未来よりも、『便利』になったよう。

                      それは、『理想』と『現実』における大きな隔たりの提示なのか。

                       

                      その現実は、『窮屈』で、『姑息』で、『閉塞感』でいっぱいだ。

                      人と人が、同じ空気の中で向き合わずに、間接的に擦れ違う関係。

                      本音にも『中身がなく』、積み上げたものさえ簡単に崩れ落ちる。

                       

                      それが、現代社会の象徴であり、それ以上それ以下でもないのだ。

                       

                      今日一日の『騒動』には、言葉を失うだけしか能がなかったのだ。

                       

                      これは、ボク個人が勝手にそう思うだけの、いち『観念』である。

                      だが、ボクは長い間ずっと、凄い『閉塞感』で窒息しそうなのだ。

                       

                      サラリーマンも経験し、満員電車も経験し、

                      提示された夢や希望に期待しつつ、

                      偉そうに苦労していると勘違いし、

                      見境もなく散財したり、

                      己の欲望を掌握しきれなかったり、

                      大人、と言われるいい年齢も越え、

                      多くの、挫折だらけの道程の果て、

                      残ったのは、『死の準備』だけだ。

                       

                      人間社会にある『落とし穴』を侮っていたようだ。

                       

                      まさに、

                      コレ又どう云う訳だ、と思う。

                      世の中間違っとるよ、と思う。

                      誠に遺憾に存じます、と思う。

                       

                      ノスタルジアごっこは、所詮ただの『ごっこ』に過ぎないのである。

                       

                       

                       

                      今も『明日の食事』のことで頭がいっぱいになっているのが現状だ。

                       

                       

                       

                       

                       

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                      今日まで、そして明日から

                      2016.11.03 Thursday 19:33
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                        望むも望まざるも、否応無しに呑み込まされる『社会のゴミ』群。

                        もう、これ以上は無理だ、と思っていても、それを受け入れざるを得ない。

                        それが、『生きる』ということ。それが、『命』というもの。

                        まさに、人間は、他人を『無視する』の技で蹴落とし、上に立つ。

                        そんな、人間の根底に溜まるゴミを放り込まされては、嘔吐する。

                        吐いても、吐いても、次から次へと、ゴミ群は放り込まれる。

                         

                        もう何も吐くものはなくても、許されない。

                         

                        それでも、ボクは今日まで生きてみたのだ。

                        時には、苦しみに耐えられずに、

                        時には、得られぬ快楽に絆され、

                        時には、叶わぬ望みを見せられ、

                        それらに振り回される自分の弱さを突きつけられ、

                         

                        それでも、ボクは今日もまだ生きています。

                        言葉に出来ない『諸々』で心が破裂しそうなまま。

                         

                        そうして、また、明日も生きるのでしょう。

                         

                        何の『希望』も『救い』もないままに、

                         

                        死にたいのに、死ねない、『命』の許。

                         

                        いずれ死ぬに違いないのに、死ねない。

                         

                         

                         

                        なので、明日からも、こうして『死ぬまで』生きていくだろう。

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

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