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2017.07.23 Sunday
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    色んなことがオカしくなってきた

    2016.05.24 Tuesday 19:55
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      世界中、人間も地球も自然も環境も、色んなことがオカしくなってきた。

      理不尽なことばかりが起きて、想定外のことも起きたりしているようだ。

      更には、見落としそうなこと。人間がオカしくなってきている気がする。
       

      ボクは自分が神経過敏になっているせいで、『それら』が透けて見える。

      誰もが皆、心がギスギス音を立て、ぶつかり合って、傷つけ合っている。

      ツイッター。ライン。など。人の心が、デジタル文字を『凶器』にする。
       

      一方で『心』への侵略を拒絶し、それでいて『繋がっていたい』なんて。

      時代と隔たりが出来てしまったボクにはもう訳が判らない世界になった。

      今の暮らしのように、誰とも関わりを持たないと『楽』だったりもする。
       

      人と人の間に、『余計な何か』が介在して、あらゆることが軋轢を生む。

      幼稚園に騒音防止の壁を作るような時代になってしまったのが象徴する。

      その昔は、家の壁も薄く、『騒音』などはあって当たり前の環境にいた。
       

      近所には公園もたくさんあり、日がな一日中、子供は騒いでいたものだ。

      それを『ウルさい』なんて捉え方はしていなかったように記憶している。

      自分が子供だった時には、ボク自身も今よりは遥かに雑音に鈍感だった。
       

      現在と比べると、町内には、遥かに『のどかな』佇まいが存在していた。

      隣近所、凡そが顔も人柄も知れて、良くも悪くも声を交わし合っていた。

      お互いが、人間関係において、縦横、連動の『和』が暗黙の内にあった。
       

      昨今は、隣にどんな人が住んでいるかさえ判らないことが殆どであろう。

      ボクの住む街も家が次々建ち並び、どこからか知らない人がやってくる。

      悪い言い方をすれば『よそ者たちの集合した街』として殺伐としている。
       

      街の『どこにでもある、個性も風情もない』並ぶ家々が空々しく見える。

      まさに『人間が人口的に作った』味も素っ気もない殺風景を絵に描いた。

      都市開発と謳うお役人が、幹線道路を整理整頓し、作り替え続けている。
       

      更には、機械開発、特にコンピュータ関係の開発が先へと行き過ぎた感。

      ネットや携帯電話の急速な普及が、人間関係の距離も複雑に変え続ける。

      その危機感から、過敏に『繋がり』とか『絆』とか声高に連呼している。
       

      何がどう、って。それさえ、まったく想像を越えて、複雑怪奇になった。

      犯罪。犯罪スレスレのこと。犯罪にならなくとも、人を貶めることなど。

      自分の感情を制御も出来ず、理不尽な形で切れたり、逆ギレをしたりも。
       

      そこには、理由とかの問題以前に、絡み合った『根深い闇』があるのか。

      ボク自身もそうだが、世の中の誰もが、心の底でイライラしているよう。

      守れば守る程に、免疫も薄れ、些細な歪みやズレが社会全体を蝕むのか。
       

      自分も変わったのだろうし、世の中も変わった。まるで神経症のようだ。

      人間が自ら作り出した環境に、人や心が付いて行けないまま急いている。

      ボク自身、SNSに馴染めず、使い方を誤って、人間関係を壊し続ける。
       

      望むも望まざるも、通信そのものを利用しないことでしか防御出来ない。

      これだけ普及しても、今もこの先もスマートフォンを持つつもりはない。

      世の中は、便利になればなる程、不便さは更にも増して加算でくるのだ。
       

      先月、耳鼻科の予約をネットでしなければいけなかったが出来なかった。

      散々待たされて意見したら『予約する際にハッシュタグを』と言われた。

      えぇ?『ハッシュタグって何だよ』と。もはや病人にもなれない時代だ。
       

      通信アプリなるものとは縁を持たずに暮らせば、人との関係もなくなる。

      絡んだ糸はプツリと切ってしまうしか手管がないなんて、刹那的過ぎる。

      人とは、直に面と向かって、息づかいや顔色を感じながら、対話したい。
       

      微妙で繊細な心の機微もザックリと切り捨ててしまえる社会って何だろ。

      答えを出すには及ばない。個人が他人や世の中を語るのは無為なことだ。

      至極窮屈な社会に人間自身がしてしまったことは否めない気がしている。
       

      人はいったい『どこに向かっているのだろう』との謎とボクは向き合う。

      少なくとも、『自分の身は自分で守るしかない』嫌な時代になったのだ。

      ボクは、無理をしてまで『時代に馴染もう』なんて、さらさら思わない。
       

      暮らしている家の自分の部屋は、とっくに落ち着ける場所でなくなった。

      住み始めて以後、周辺の環境が激変し、他人によるストレスが襲い来る。

      自分だけの空間などは存在せず、いつまでも馴染めず、適応も出来ない。
       

      もう、考えるのもバカらしい。自分ではどうにもならない世の中なのだ。

      徒に心を痛めているなんて、身も心も擦り減るだけで、何も実りがない。

      何がどう『オカしい』のか。ニュースを抜粋すれば、目眩がするだけだ。
       

      言い腐れているが、やっぱり『昭和』の中心は緩やかに平和だったのだ。

      人の心に『余白を持てる』余裕があり、『待つこと』にも意味があった。

      躓いても、転んでも、また起き上がり歩き出すことが許された気がする。
       

      紛れもなく、昭和の時代には『季節の風物詩』が存在し、心を形成した。

      その象徴として夏には『盆踊り』があり、大人から子供が寄り集まった。

      豊富な『人間形成』における寄り添いがお互いを育み合っていたと思う。
       

      だが、今の社会は、少しの猶予も許さず、情報過多が人の想像力を削ぐ。

      実際に、連日、痛ましく悲しい、或は不可解なニュースを耳にしている。

      もはや、何が起きても、多くが『またか』で済ませてしまえる無関心さ。
       

      各々が真摯に、自己対峙や自己懐疑の念を迫られている状況だと思える。
       

      感情に任せて言うのじゃない。何度も読み返して、自分の中に刷り込む。
       

      言葉を寝かせ、より客観的になれるよう、1行の文字数を合わせている。
       

      実にバカらしい作業ではあるが、自分を戒める『確認作業』だと感じる。
       

      人や物。自分ではないことを批判や否定をしても何の生産性もないのだ。


       



       

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      テレビ、って残酷な見せ物だ

      2016.05.16 Monday 01:57
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        ボクはテレビを日常的に観なくなって久しい。
         

        何より、『つまらない』ことが一番の理由だ。
         

        そして、『不快に感じる』ことが多いことだ。

         

        CMも、『不快に感じる』ものが増えている。
         

        昔、昭和の時代はそんな気分にならなかった。
         

        だが、現在は、訳の判らない、誠実さの欠片もないものが目立つ。
         

        映像技術が進歩して、人の心が退化したかのような印象を受ける。
         

        とにかく、『忙しい』『急いている』ようでゆとりが微塵もない。

         

        世の中が加速して複雑になり、細分化したストレス。


        ギスギス、ザラザラ、ストレスが心の深部まで蝕む。


        あらゆる媒体が、苛立ちを誘発しているように思う。



         

        凡そ、テレビは録画したものを時間のある時に観る。
         

        ので、録画を活かしてCMはほぼ飛ばすことにする。

         

        ここ数日、とても『不快』に感じたものがある。

         

        不意に見せられた、日本テレビの『家族って何だ?』とかいうもの。


        ただ、報道番組を観ていただけなのに、強引に割り込んできた。

         

        そもそも、日テレは『24時間テレビ』が頂けない。
         

        数十年前に、欽ちゃんが始めたものとは別物である。

         

        その『家族』も『24時間テレビ』も似たような、『不快さ』がある。
         

        いわゆる『偽善』と『愛情の押し売り』が手を結んだ悪臭がするのだ。

         

        世の中には、色々と複雑で厄介な事情を抱えた家族というのがあるものだ。
         

        乱暴に言えば、『恵まれた家族』と『そうではない家族』の二種類がある。

         

        同じように、障害者にも『それなりに恵まれた環境』におられる方がいれば、
         

        一方では、その他大多数が、『そうではない環境』におられると想像する。

         

        そんな中で、日テレは『それなりに恵まれた』所に多く光を当てる。
         

        実に、『残酷』な見せ物にしか思えないのはボクだけなのだろうか。
         

        と、勝手に思い込ませてくれるような、『不快さ』は増殖していく。

         

        ボクには、家族は母しかいない。
         

        母がいるだけ、『それなりに恵まれている』のかもしれない。
         

        血縁関係では兄がいるが、ボクにとって、彼は家族ではない。
         

        人それぞれ、色々と事情があるのだ。
         

        事情のない家族なんて、そうはない気がする。


        その事情の複雑さや闇の深さが違うだけだ。


         

        だが、『そういう想像』は排除して、『紋切り型』のあり方を提示されるとね。
         

        ただの被害妄想に過ぎないかもしれない。
         

        でも、そういう想定がザックリと切り捨ててしまえるのが、現代社会のしくみ。
         

        テレビを筆頭に急速に普及したネットも、歪んだ社会の『誇張』に思えるのだ。

         

        ボクは、なるべく、そういうものとは距離を置くようにしている。
         

        かつて存在した『牧歌的な暮らし』は、もう今の世にはないのだ。


        光のあたる場所で『美談』を語る無神経さに、心が荒むこの頃だ。



        家族。


        それが、今のボクには、一番触れたくも、触れられたくもない部分だ。


        毎日、常に『死』を想定している。当然訪れるであろう『死』のこと。


        長生きなど、するつもりはない。生きれば生きる程に苦しくなるだけ。



        毎晩、毎晩、夜を迎える度に、『闇』は深くなっていくのを確認する。



         

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        毎週末に湯河原、そりゃいいよね

        2016.05.11 Wednesday 12:40
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          毎週末に公用車に乗って、湯河原に行く都知事さん。


          湯河原、いい所だよ。


          そりゃ、いいだろうよね。


           

          こちとら、もう4、5年も狭い東京から出ていないよ。
           

          家の他は、せいぜい、病院とスーパーに行くくらいだ。
           

          温泉も、リゾートも、海も山も、テレビ画面の中にしかない。
           


          まったく、素敵お役職なんだね。好き放題に、税金をお使いになる。
           

          海外出張で、何千万円も都民の血税をお使いにもなって問題ないと。
           

          結構なことだよね。まったく。

           

          金銭感覚も糞もあったもんじゃない。
           

          そもそも、都知事のお仕事って何だい。
           

          都の公務員さんたちのお仕事って何だい。



          それが、『本当に都民の為』と思っているのかい。


           

          呆れるだけの『オリンピック』狂想曲。
           

          多くの金を無駄遣い。
           

          やれ、競技場だの。
           

          やれ、エンブレムだの。
           

          やれ、宣伝だの。

           

          都民の血税が大量に流されて、泡と消えた。


          個人的には、東京オリンピックなんて、いらない。



          東京。ってのは、どんどん、暮らし難い街になる。


           

          まさに、主要都市部以外の市街地は見捨てられたままだ。
           

          まるで、『そこは東京じゃないですよ』と言わんばかり。
           

          老朽化して取り壊された都営団地の跡。

           

          草木が乱れた広大な土地が広がり、カラスがゴミを漁る。
           

          面する道路には、無遠慮な路駐の車だらけ。
           

          誰も『取り締まり』をお仕事にする人もいないようだ。

           

          お役所も警察さんも、『お決まり事』を消化するだけ。
           

          マニュアルにないことは、しないのがお仕事だそうだ。
           

          他所からやってくる人間が好き放題やっても知らん顔。

           

          何が正しくて、何が過ちなのか。


          それさえ、考えなくていい社会。


          もはや、発言するだけ損をする。


           

          股関節の手術のためには、足が伸ばせる温泉がいいってか。
           

          公用車は、動く仕事場だから、税金は使えるだけ使いましょってか。
           

          翌日の業務に支障が出ないように、お金は惜しみなく使いましょってか。

           

          ついでに、家族旅行にも使っちゃいましょう、税金は、ってか。
           


          ちゃんちゃら、オカシクて、笑う気にもなれないよ。
           

          オリンピックはいらないし、都心部の開発なんて、もっといらない。
           

          同じ都民で、放ったらかしにされている人間の血税はどこへ消える。



          汗水垂らして働いて、それがアホと言わんばかりのIT社会ってか。



          パナマ文書だとか。隠蔽社会だとか。格差社会だとか。ホラー擬き。



           

          こちとら、江戸っ子でぇ。
           

          曲がったことが、でぇーきれーなんだ。


          長いものに撒かれてやってりゃどうにかなるってさ。ってか。


           

          地道に生きるなんて、アホらしいってこたぁわかっちゃいる。



          ところが、真っすぐにまっとうに生きるしかねぇってこった。



           

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          否定、との付き合い方は難しい

          2016.04.27 Wednesday 13:03
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            ネット通信が普及してから『否定』が横行しているような気がする。
             

            思い違いかもしれないが、ネットは『否定』で満ちている気がする。
             

            人を貶めるような、誰も幸せにはなれないような『否定』だらけだ。

             

            何かを、誰かを『否定するのは簡単』だ、とボク個人は想っている。


            簡単なことを躊躇もなく、簡単にやってしまうのはいかがなものか。


            それを『自己主張』を履き違えてしまう危険を感じないのだろうか。


             

            ボクも特に若い頃には、受け入れ難いものは、すべて否定していた。
             

            何かを誰かを否定して、『自己肯定』していたようにも感じている。
             

            しかし、自分が他者から否定されることを『不快』に想う身勝手さ。

             

            それを認識してから、迂闊に『否定を含めた判断』には慎重になる。
             

            何より、『否定している様』は、客観的にも『いい』とは想えない。
             

            むしろ、『不快』でしかない。人と人が否定し合う様子は見苦しい。

             

            そこからは、『不快』しか生まれないようにも感じてしまうものだ。
             

            自分の中にある『衝動』或は、『思考』などで否定したくなるもの。
             

            何というか、『心』を素通りして『頭』から直に言葉を発している。

             

            相手のことを『アホ』とか、平気で言える人を見ると切なくもなる。
             

            自分でもそのようなことをして、自分自身が不快な思いをしてきた。


            だが、人は愚かなもので、『痛い目』に遭って何かを知るのである。

             

            多少は学習をして、極力、その学習を活かそうとやぶさかではない。
             

            ともあれ、自分の中から『否定』が皆無になることはあるだろうか。
             

            その疑問を忘れずに、『否定』との付き合い方を日々模索している。


            自分への戒めとして、そのようなことを考えている、今日この頃だ。




             

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            二宮金次郎さんに、何の責任があるの

            2016.03.04 Friday 12:42
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              ボクらの時代には当たり前のように、小学校の校庭にあった『二宮金次郎』の像。



              それが、『現代にそぐわない』という理由で、この世から抹消されているらしい。



              薪を背負いながら勉強をする姿が、『ながらスマホ』を連想することが問題だと。




              人間の『モラル』の問題を棚に上げて、過敏に何事も問題視するのはどうなんだ。



              まさに『過保護』を助長するような『想像』の削除は、教育を履き違えてないか。



              考えるより先に答えを出されるようで、まるで『受験のための勉強』を想起する。




              自分の中だけでのルールで物事を捉えると、周りが見えなくなり客観性が失せる。



              それがスマホにも自転車等にも及び、まさに『井の中の蛙』として滑稽にも映る。



              自分の中の問題意識をどこかへ捨ててきてしまえるのか。ボクには判らないこと。




              スマホ然り、自転車然り、何事もその根本には『モラル』という『意識』がある。



              人様には、『自分だけは大丈夫』という特権が与えられている如く慢心が蔓延る。



              などと、ボクは乱暴にもこの件に関して、改めて『モラル』について考えるのだ。




              よくあること。ボクは今の生活上、車は必須になる。行楽でなく、移動の手段だ。



              車を行楽で使おうが、業務で使おうが、移動手段で使おうが、個人に委ねられる。



              ただ、『驚く』ような、『便利なものを操る』か如く、いい加減な運転が目立つ。




              狭い住宅街を猛スピードで走る。連れ違い様に相手を睨む。など枚挙に暇がない。



              昨日、ボクは母を車に乗せ、慎重にかつ安全に運転をしていた。その時のことだ。



              後から猛スピードで走ってきた車がボクに追いつくとピッタリ付いて煽り始めた。




              その手の輩は相手にしないのが一番だ。ボクは適正の速度でそのまま走り続けた。



              すると、何とボクが右折する脇を路肩に乗り上げる勢いですり抜けて行ったのだ。



              おい『もし、そこに歩行者がいたらどうする』とボクは呆れつつ、怒りは鎮めた。




              こんなことは日常茶飯事であり、あらゆる行動にはその人の『意識』が影響する。



              日々、すべての経験においてどのような感覚で物事を捉え、どう咀嚼出来るのか。



              更には、それらを『複眼的』にあらゆる側面から見られる『心』でいられるのか。




              物事に『これで大丈夫』などあり得ない。とボクは様々な経験で痛い目に遭った。



              例えば、『車』は便利でありつつ、『凶器』になり得ることを忘れてはならない。



              ほんの、些細な『意識の怠慢』で、昨今、悲惨な事故が起きている。事件である。




              人の中の『モラル』が事故を事件の域にまで押し上げてしまう。実に怖いことだ。



              駅の構内で肩が触れたことがきっかけでも、人が人を殺めるまでに事は発展する。



              親になる『意識』もないまま、命を蔑ろに虐待出来る『心』が存在すること然り。




              ボクは、折に触れ『何か、間違っていないか』と自分の胸に自ら刃を向けてみる。



              完璧ではないから、間違いを犯す。無闇に怒りを抱えてしまう。それが、自分だ。



              そんな自分を生きることで、心の『風通し』の悪さを改善することが日々の生活。




              ボクには子供もいないし、スマートフォンも持たないので、主観的な見解である。



              だが、『歩きスマホ』と『二宮金次郎像』を結びつける短絡さに今の世を感じる。



              根本的な問題をお座なりにして、表面的に繕っているに過ぎない気がしてしまう。




              親子関係。教師と生徒の関係。社会における人間関係に異変が起きているようだ。



              教育について語る気はないが、親子で友人感覚や教師と生徒が事務的な接し方等。



              何か変だな、と部外者として感じる。『対話は共育』だとボク個人は考えている。




              いわゆる『親』とか『先生』は、『長く生きている』に過ぎない謙虚さが必要だ。



              どんなに経験を積んでも『知らないこと』ばかりなのが人間であり、生きること。



              実際、『子育て』で親が成長したり、『教育』で教師が学び続けることの大切さ。




              そこで、『上の立場』から『都合のいい解釈』の押しつけ決めつけが正解なのか。



              それより『何が大切なのか』を『お互いに模索する』関係が親子や学校に思える。



              簡単に『想像の前に問題を排除する』その安易な発想こそ、教育から掛け離れる。




              などと、ボクはこれからの社会を担う人が育つ社会環境に危機感を抱いてしまう。



              各々の『モラル』に委ねる体の、『発想』の貧しさが、現代社会の病巣に感じる。



              勝手に問題視された二宮金次郎さんは、どんな風に『今』を見ているのだろうか。






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              日本死ね、まさに、異議なし

              2016.02.28 Sunday 09:39
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                話題になった話。保育園に入れない子供を持つ親の主張。



                言葉遣いは別にして、ボクもまったく同感だ。凡その内容に異議なし。



                安倍も呑気にゴルフなんかやってんじゃねぇよ、と思う。




                それを『息抜きになった』だとか、言ってんじゃねぇよ。



                国会中継を観ていても、あの『強気』の発言はムカつく。



                神経を逆撫でするような『国民無視』の意識が見え見え。




                そもそも、年間に数千万も貰っている人間に端々の庶民の暮らしが判るのか。



                社会勉強もしないで、何が『1億総活躍社会』だなんて怒りを越えて呆れる。



                根本的に『何も判っていない』人間が、国政を司っている『ホラー』になる。




                かの『アベノミクス』は成功したなんて、戯言を抜かして次なる3本の矢だ。



                何も成功もしていないのに、更なる『戯言』を抜かせるその無神経さは何だ。



                安倍がこれだけ支持されているのは、生活に不自由ない人が多いんだろうか。




                そもそも、『東京オリンピック』なんて言いつつ、都民には何の恩恵もない。



                23区以外は『東京じゃない』などと言わんばかりの都政の傲慢が浮き彫り。



                その23区に労働に出ているのは、23区以外の人間が圧倒的多数な事実だ。




                そういう根底で苦痛な通勤を強いられる悪条件は改善されないまま、である。



                問題には蓋をして、オリンピックに向けた都心部のインフラ整備にご執心だ。



                これじゃ、子を持ち、家族を持つ『希望』を削ぐ政治と批判されても当然だ。




                まさに、『23区以外は東京じゃない』都の政策は、身を以て痛感している。



                一極集中。都心は『庇護を受けた』ように、予算が膨大に注ぎ込まれていく。



                その皺寄せで、都下は、時代と共に『どんどん住み難い』場所になっていく。




                都の私有地は『放置』したまま、その周辺道路も突貫工事で水が溜まる次第。



                都の私有地では、『モラルを持たないバーベキュー人間』が好き放題をやる。



                市役所も『バーベキューは違法ではないので』との呆れる答えしか出来ない。




                問題なのは、バーベキューじゃなくて、『住宅地でそれをやる問題意識』だ。



                それに関して『モラルは個人の問題』と吐き捨てる公務員が税金を無駄遣い。



                膨大な金を掛けて活性化したばずの駅前は寂れる一方でお金も回らない状態。




                それでも、『公務員は優遇されていて』ちゃっかり残業代も懐に入れている。



                今の世に、『サービス残業』を強いられている人間がどれだけいるかも無視。



                結局、『守られている』側に、『曝されている』側はどうやっても見えない。




                あらゆる日常的光景は、『滑稽』な姿を曝しているように見える。刹那的だ。



                道路も整備しないまま、自転車だけが法律の名の許で虐げられるのはなぜだ。



                これも肝心なのは『モラル』なのだ。自転車は、庶民の足であることは無視。




                何事も後手後手に回っているにも関わらず、法だけは先走る。人が人を裁く。



                一番肝心な『モラル』をどこかへ捨ててきた人間様の『慢心』はどこ吹く風。



                色々な問題が錯綜して、ボクは生きるだけで精一杯だ。慢心だけは持つまい。




                何やら、今日は『東京マラソン』をやっているらしい。賑やかに盛り上がる。



                こういうのを見る度に、虚しくなるのは被害妄想なのか。社会の歪みなのか。



                光と影。華と闇。格差社会が益々悪化した気がしてならないのは気のせいか。




                自分が介護をする立場になってみて、始めて知ることばかり。問題山積状態。



                保育所と同様。介護に関して日本は後進国。これで先進国なんて恥ずかしい。



                高齢化社会が現実になっても、未だ介護業務の充実とは程遠い『後回し』だ。




                保育士不足同様、介護士など業務に携わる人材を育てない。資金も当てない。



                まさに、『労働』から見放された人を切り捨てる日本国の象徴に思えるのだ。



                病気然り、出産育児然り、一度労働から離れた困窮者の受け皿がない社会だ。




                新3本の矢って何。GDPも出生率も介護離職も真逆の方向に邁進している。



                何が『1億総活躍社会』だ。とんだ笑い話だ。安倍の頭も相当に壊れている。



                追い打ちで日銀のマイナス金利で混乱の中、誰が無駄に金を遣うと言うのだ。




                富裕層ばかりが優遇された『アベノミクス』の成れの果てが、更なる混乱だ。



                ボクは、安倍を批判するつもりはない。批判する価値も労力もさらさらない。



                ただ、呑気に東京マラソンで盛り上がっている光景がホラーに見えるだけだ。




                たぶん、自分がおかしいのかもしれない。そりゃ、おかしくもなるだろうよ。




                不安や苦しみに押し潰されそうなのは、自分のせいだが、それだけじゃない。




                自分の老後なんて考えも及ばない。今日を生きるだけでも死にたくなるのだ。






                 

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                傷つかない、なんて危険なことだろう

                2015.07.05 Sunday 09:33
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                  今の若者は、乱暴に言えば、『合理的』な傾向が強く、『悟り世代』と言われる。



                  これの『悟り』は、『悟り』に対して至極失礼な捉え方だとボク個人には思える。



                  もはや、『日本語』が崩壊してしまった時代に『言葉』を軽んじては危険なのだ。




                  今の若い世代は、恋愛よりも『楽』な同性や自分だけの時間を過ごしたいらしい。



                  恋愛=面倒、と。更には『性欲』を感じたことがない人も増えているらしいのだ。



                  面倒なことは極力避けて、傷つくことも、挫折することも『無駄』と考えるのか。




                  ボクは某グー○ルのCMが嫌いだ。『アプリ』とかに喋って何かを教えてもらう。



                  スマホ世代には当たり前のことなのだろうが、ボクには『違和感』しかないのだ。



                  知らないこと。判らないこと。それらは、教えてもらって『便利なこと』なのか。




                  ボクは融通の利かない人間なのだろうか。自分の足、目で得た感覚しか信じない。



                  道の途中を省いて目的地に向かえば、その間に得る多くのモノを失うことになる。



                  それは、なんて刹那的な発想だろうと思う。自分の中に蓄積はされない気がする。




                  昨今、パソコンやスマホを開けば、『何でも教えてくれる』ような時代になった。



                  でも、そこには『何もない』と感じる。ただの『情報』だ。垂れ流されたものだ。



                  それで、知った気や判った振り等が出来る感覚が、ボクには未知なる世界になる。




                  別にこれは否定ではない。それはそれだ。ボクには判らない、というだけの話だ。



                  自分の足で動いて『失敗』をし、自分の心を動かして『傷つき』『挫折』をする。



                  これらから学ぶ、何かを知ることはある。『傷み』を知って、『癒し』を感じる。




                  件の自民党の騒ぎなど、これと関連がないようで、実は大いにあるように思える。



                  安倍の考えを強引に押し進める輩たちの発想は、『個人的な発想』の象徴だろう。



                  百田のような者は相手にしなければいい。問題は権力を手にした者による横暴だ。




                  彼らの経歴など知らない。だが、あれだけの『頭の堅さ』はさすがに呆れるのだ。



                  自分だけの解釈だけで生きてしまえる。ボクの知る由でないが、笑い事ではない。



                  そのような『偏った考え』を持った人間たちの言葉がネットで拡散をする世界だ。




                  ボクの中では、『ホラー』でしかない。『悟り』とされる若者の未来も然り、だ。



                  『失敗』や『挫折』や『傷み』を避けて、『楽』なものを手にしてどこへ向かう。



                  ボクには、これも『ホラー』に思えてしまう。その傾向は更に強まるように思う。




                  だからって、ボクがどうこう言ったからと『何の意味もない』ことは知っている。



                  これは、『模索』に過ぎない。日本を含め、世界は更に危険な方に進むのだろう。



                  世の中『絆』とかの言葉が安売りされているが、本当に大切なことを見つめ直す。




                  ボクは何十年振りに『本気で死にたい』と苦しんだ。どうにか、軌道修正をした。



                  死にたいと思っている内は、まだ立ち上がれる。自分の中にその意思があるなら。



                  そりゃ、生活は苦しいし、不安しかない。だからって、死んでどうする、と思う。




                  人を巻き添えにして自殺するのは残忍な行為。生活が苦しいのは己だけではない。




                  傷つかない、失敗しない、挫折は避ける。これは、危険な匂いがするようで怖い。




                  傷ついたり、失敗や挫折をして感じることの方が大切なことのように思えるのだ。






                   
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                  未来には、音楽も絶滅するのか

                  2015.06.23 Tuesday 16:08
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                    ついに、というか、予想通りに『音楽配信がCD売り上げを超えた』そうだ。



                    もうCDが売れなくなって久しいし、そもそも音楽自体が瀕死状態になった。



                    コンピュータ関連の急激な浸透や技術の進歩に人がついていけていない中で。




                    昨今の悪質な事件にはネット拡散問題然り、SNSが絡んでいることが多い。



                    ルールも法律も後手に回り、『便利さ』だけの一人歩きが蔓延してしまった。



                    もはや、誰にも止めることが出来ないまま、人々には警鐘さえ耳に入らない。




                    などと勝手な解釈をしていても、世の中はこの瞬間もその加速度が増すばかり。



                    そこで『昔は良かった』なんて言う気もしない。自分の中だけの不安事である。



                    それでも、ボクは現代に馴染めないし、無理に馴染もうともさらさら思わない。




                    通信は必要最低限にしているし、スマホもタブレットも持たないし、いらない。



                    ボクには『便利さを持ち歩く』ことは、『なんて不自由なんだろう』と思える。



                    ツイッター?フェイスブック?インスタグラム?そんな窮屈な生き方は御免だ。




                    そこで、だ。色々なものがデジタル・データになって、形がなくなる時代、だ。



                    形のない『ウィルス』が際限なく繁殖をし続けることは、恐怖且つ複雑怪奇だ。



                    また、形ない『悪』は、手を替え品を替え、更に巧妙に人を貶めることになる。




                    音楽が配信となり、『手軽で便利』な『データ』となることもボクには恐怖だ。



                    もう、そういう状況を無理に受け入れない。まったく『別物』だと捉えている。



                    別物であるが故、その質も『音楽』とは呼べない代物になるだろうと予想する。




                    今の若者、先の世代の人達には、もう『そういうもの』として当たり前になる。



                    ボクは、すでに『テレビ』も『ラジオ』も観たり聴いたりはしなくなっている。



                    理由は単純、『少しも面白くないし、楽しくもない』から。必要でなくなった。




                    音楽も同じように、新しいモノには胸が踊らないモノが多いし、失望するだけ。



                    今、この瞬間にも絶滅している生き物がいる。一度消滅したなら、忘れられる。



                    たぶん、この先、滅びるものは増え続ける。音楽もその一つだと勝手に捉える。




                    人類も、進化の過程で不要なものを捨てて進化した。体毛がなくなり、色々と。



                    物質は淘汰され、目には見えず形ない、まるで『ホラー』のような世界になる。



                    犯罪は、複雑になり、人々はそれらに翻弄され、と考えることは悲観だろうか。




                    あらゆる変化に人々は翻弄されつつ、迷走していることも気付かなくなるのか。




                    なんて、ボクの勝手な妄想は膨らむばかり。それくらい見えない世界になった。






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                    弱い者イジメは更に続くだろう

                    2015.06.23 Tuesday 03:32
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                      昨年末に介護法の改正があり、乱暴にも今年の4月頃に施行されてしまったのだ。



                      介護の現場では混乱が生じ、介護を受ける身としても色々と面倒なことが増えた。



                      これから年寄りが増え、高齢化社会になることに『釘を打つ』ことなのだろうか。




                      それでなくても、世の中『便利』と『ややこしい』しくみが錯綜している状態だ。



                      時代の流れからか、高度経済成長を支えて来た功労者たちを社会の隅に追いやる。



                      子供の頃からパソコン等に慣れ親しんだような者が『楽』をする社会になるのか。




                      実際に我が家でも、色々な手続きが溢れている。しくみが理解出来ないまま、だ。



                      急な配置転換でケア・マネージャーも変わり、今まで築いた関係も振り出し、だ。



                      政治家の『出来ないなら』→『損をしてなさい』という、無責任さが垣間見える。




                      現実問題、今回の改正についていけず、お年寄りが戸惑っているとの報道もある。



                      日本は、福祉に関して後進国だと思う。特に介護問題の遅れは酷く、バタバタだ。



                      高齢化社会と言われてもう随分経つのに、政府も行政も危機感が薄いのだろうか。




                      凡そ、政治家さんたちは『庶民感覚の欠落』があるという偏見を持たせてくれる。



                      彼らは、あらゆることに守られている状態から逃れないよう必至にも見えるのだ。



                      世のため、人のために、何かをやっているようには見えない。私利私欲のためか。




                      政府、役所など、『守られている』立場から見下しながら、裏でほくそ笑むよう。



                      なんて、思いたくなるような社会になったように、小市民には嘘が透けて見える。



                      安倍の坊ちゃんは、相変わらず『幼稚さ』を露呈しても、世間には支持を受ける。




                      娯楽や行楽も出来る富裕層たちには、増税や値上げは痛くも痒くもないだろうし。



                      今の政権による様々な法改正が、『弱い者イジメ』に感じるのは被害妄想でない。



                      ここで言う『弱い者』とは社会に虐げられている人達で、人として弱いのでない。




                      福祉にも膨大な税金が投入されていると政治家は言う。削減も辞さないとのよう。



                      なら、東京オリンピックに桁違いの税金を投入することの方が腑に落ちないこと。



                      オリンピックの経済効果など、下々の者には何の利点もない。いらない行事、だ。




                      今は今を生きることに必至でありつつ、先も見据える。生きることは死に繋がる。



                      その『自分の死』を描くことは、ボクにとって『終活』などというものではない。



                      世間で言う『終活』とは、生活にある程度『ゆとり』のある人の話で、絵空事だ。




                      自分の死をその人がどう捉えようとその人の自由だ。だが、死後の問題は現実的。



                      あらゆる手続き。煩雑なことばかり。誤解を承知で言えば、宗教的行事=お金だ。



                      そのお金はどこから捻出するのか。自分には一切の供養はいらないと思っている。




                      40歳を過ぎた頃から、葬儀や戒名などは、自分にとって必要ないと捉えている。




                      いずれにしても、ボクは今の社会で長生きなどするつもりはない。時を待つのみ。




                      独身のボクにとって『死』とは、『遺品整理』などに掛かる費用だけ残すことだ。




                      肉体の死の後、『忘れられること』が本当の死であるのなら、それもいいと思う。





                       

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                      楽しいことなど、そうそうない

                      2015.06.11 Thursday 07:22
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                        もうすっかり、ボクは『楽しい』という感覚を忘れてしまったようである。



                        或は、何かを『楽しむ』ことが生活の中では『無縁』になったのかもしれない。



                        或は、すでに『楽しむ』ことを望まなくなっていることに慣れてしまったのか。




                        いずれにしても、人生においてそうそう楽しいことなどない、とは卑屈なのか。



                        何を以て『楽しい』とするのか。そんなことは個人の問題であることは前提だ。



                        些細なことでも感じる人はいるし、どんなことにも満足しない人もいるだろう。




                        ともあれ、もうボクの心は、『何かを断定しなくない』気持ちで充満している。




                        ここ十数年、心を乱されて、体調不良にも繋がっている『バーベキュー』問題。



                        住宅街にどこからかやって来て、呑気にバーベキューをやっている輩を見てきた。



                        彼らは、『ハシャいでいる』ようだ。飲酒も手伝い、浮かれているようでもある。




                        だが、ボクはそれに煩わされ続けて、すっかり諦めて、彼らを理解などしない。



                        それは、自分の中に『偏見』を生むことにも繋がるのだが、そこからの脱却だ。



                        自分が苦痛を感じることと、その事象そのものとは切り離して客観的に捉える。




                        午前中早くに車から多くの荷物を出し、夕方に片付けをして車に荷を積み込む。



                        その姿を時折見て、ボクの中には『?』しか生まれない。『何も判らない』のだ。



                        飲んだり食ったり、時に横たわり体を焼いていたり、大声で騒いだり、している。




                        非日常、という名を借りて、自分の暮らしに関係のない場所で、好き放題をやる。



                        他人に迷惑を掛けても、平気で日常に戻るのか。彼らの暮らしなど知る由もない。



                        その瞬間は『楽しい』のだろうが、それが『何になるのか』ボクには謎だらけだ。




                        ボク個人がそこに見るのは、『意識覚醒』の停止。『思慮』『複眼的』の対岸か。



                        まるで『何も深く考えることはない』という発想さえも、どこかに捨ててきたのか。



                        ボク個人が頭で『あーだ、こーだ』思考を巡らせても、そこには何も生まれない。




                        ともあれ、物事を複眼的に捉えず『あらゆる想定を放棄していい』のだということ。



                        それが『自分が人生の主役』=『他人がどう感じるかはどうでもいい』となるのか。



                        そういう特権を現代人は、いつしか手に入れたのではないか。との疑問が拭えない。




                        ブルース・リーの言葉『考えるな、感じろ』を反芻する。まさに、深い言葉である。



                        ボクは、『楽しい』という定義など、持たないようにしている。出来事ではないと。



                        例えば、部屋の植物に新芽を発見するだけで、笑顔になる。それは『嬉しい』こと。




                        人、それぞれ。他愛ないことであれ、大きなイベントであれ、すでては主観だろう。




                        その主観で生きることから逃れられないのが人間なのではないか、とは窮屈なもの。




                        さて、空を見上げてみよう。自分の心の狭い半径に縛られることからの脱却が必要。






                         
                        category:雑感 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

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