自分を疑わないでいられる人たち

2016.06.21 Tuesday 17:09
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    ボクは子供の頃から神経過敏で、他人と付き合うことがとても苦手だった。

    要領も悪いし、顔色を伺うし、まず色々なことが気になって仕方なかった。

    友人関係では必要以上に気を遣い、小さい体をした子供らしくない子ども。

     

    幼いながらに『心の狭い人間だ』と自分の器の小ささを哀れに思っていた。

    心の中では『何であの人は我が儘なんだ』『何ていい加減なヤツ』と思う。

    それは、思春期を経て更に『モヤモヤ』が増える一方で、何も解決しない。

     

     

    グレかかったりもしたし、人を信じなくもなったりして自分の殻にこもる。

    ところが、二十歳を過ぎた頃にあることに気付いたのである。目から鱗だ。

    人生が根底から覆る事故に遭遇したこと。それで病気になったことに由る。

     

    身勝手な人間による軽卒な事故の被害に遭うことは、無意識という事件だ。

    実際に、3ヶ月程歩行困難だったし、ウツでは5年以上も無駄に消費した。

    それに対しては、『何の保証も出ない』理不尽さ。家族さえ無関心でいる。

     

     

    人に『何かを期待することは自分のエゴだ』と気付いた。自分中心の発想。

    自分の中だけの発想を疑ったことで、自分を苦しめていたことと向き合う。

    人は、『他人に変わることを望めない』『自分が変わるしかない』との事。

     

    人間関係において、何かの壁にぶつかると、ボクはまず自分を疑ってみた。

    ある人を『いい加減に感じる』のは自分であり、自分の物差しに由るもの。

    だったら、自分の物差しを幾つか用意して、『心に猶予を与える』ことだ。

     

     

    自らが心を動かすこと。それを促した。だが、そう簡単にはいかないのだ。

    衝動的に『怒り』『憤り』を感じてしまう。積み上げたものが崩れる瞬間。

    一度崩れてしまうと『ヤケになる』のが弱い人間の習性で、自分も同じだ。

     

    積み上げては崩し、また積み上げては崩しを繰り返す。学習にはならない。

    そんなこんなで、かなりいい歳になってしまった。未だに模索をしている。

    だが、世の中は『自分を疑わずにいられる人がいる』ことがあり得るのだ。

     

     

    この十数年、悩まされている『バーベキュー人間』達の疑いない振る舞い。

    凡そ『自分が楽しいと思うことは、他人には不快だったりする』事が多い。

    まさにバーベキューは他人には『臭い』『ウルサい』迷惑でしかないのだ。

     

    でも、本人たちの中には、そのような意識はない。たぶん、ない気がする。

    他人に迷惑が及ぶ行為だから、キャンプ場等然るべき場所でやるべきこと。

    それを傍らに住宅街があって出来るのは、『自分を疑わない』のであろう。

     

     

    長年、常識ない(と思っている)隣人のトラブルにも悩まされ続けている。

    いい加減に、悩んでいる自分がバカに思えてくる。何でこんな苦しむのか。

    隣人は、『戯けたことを平気でやる人』で、彼も自分を疑わない人だろう。

     

    ならば、『ああ、またか』『バカだから仕方ない』と強引に決着をつける。

    これも有効な手管としても、最終的には、自分が変わるしかないのである。

    気にすれば、余計に必要以上に気になって、小さな火種で火事を招くのだ。

     

     

    例えば、車の運転中。買い物先、電車、公共の場において。カチンとくる。

    その度に深呼吸をして『おいおい、おバカな俺、少しは学習しろ』と促す。

    お釈迦様じゃあるまに、『未熟』なまま死んでいくなら、まずは学習しろ。

     

    まあ、10年前に比べたら、随分とマシになった。少しはゆとりが持てる。

    心の遊びを持つには、自分で『己と対峙し、自己懐疑の念を持つこと』だ。

    何事にも『遊びがない』のは危険である。車のハンドル然り。未然に防ぐ。

     

     

    人間社会において。納得出来ないこと。腑に落ちないこと。怒り。憤り等。

    負の要素はなくならない。世界平和など、もはや、幻想にもならないのだ。

    小さい箱庭の中で、悩み苦しみ、徒に心身を擦り減らすなんて、愚かしい。

     

    苦しみの中で苦しみと向き合い、心身不良とうまく付き合うしかないのだ。

     

     

     

     

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    人として生きるのに、相応しいのか

    2016.06.14 Tuesday 08:38
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      自分も含めて、人は都合のいい生き物のように感じている。

      地球は、誰のものでもないはずだが、人間は好き勝手をしている。

      日々、地球を削り続け、地球全体に変化をもたらしている。
       

      文明の進化、科学や技術の進歩が急速に進み、歯止めは利かない。

      凡そ、その殆どは、『人間の都合のいい』ように仕組まれている。

      どういう経緯で国境が出来たにせよ、領土取りで争いを繰り返す。
       

      正しいとか、間違っているだとか。そういう次元は越えて。

      少なくとも、『人間なんて、大したもんじゃない』と思う。

      信用しちゃいけない。ましてや、過信などしちゃいけない。
       

      人に利用されるペットも含め、人間以外の生き物のあり方。

      人間以外の生き物は『地球』『自然』に抗うことをしない。

      食物連鎖を含め、自然のしくみを壊しているのは人間様だ。
       

      全ては『人間様による、まやかしに過ぎない』と疑うこと。

      人間は、自らの手によって、己の首を絞めていたりもする。

      生態系の乱れによる『被害』を受けるのが一部に偏る理不尽。
       

      歴史や史実として残っていることで、何が誇れるのだろうか。

      ある民族の、名も知れぬ『誰か』が素晴らしいことをしても。

      人間すべてが偉大なことなどない。むしろ、欲を貪る生き物。
       

      人が人を欺くから、人が人を貶めるから、人が人を殺すから。

      それらを身を挺して死守する偉人たちが存在したとも言える。

      悲劇が繰り返される人間社会の中で、自らの命と引き換えに。
       

      ガンジー。マーティン・ルーサー・キング。多くの偉人たち。

      彼らの『命』が平等を示したように、人は生きられているか。

      少なくとも、ボクは何の説得力も持たない『貧しい』人間だ。
       

      奇跡は起きたのではなく、彼らが起こしたのだと想像をする。

      歴史書や映画などで知った偉人は必然的に求められ生まれた。

      人として、黙ったまま、身を滅ぼすことに耐えられなかった。
       

      誰かが動くのを待つ発想を持つ前に、自ずと動いたのだろう。

      などと、何もしていないボクは想像をする。想像するだけだ。

      混沌とした、現代社会において、人が生きるに相応しいのか。
       

      このテーマについて、人はどれくらい真摯に取り組むだろう。

      少なくとも、ボク自身は、『何もしてません』と言うだけだ。

      努力もしなければ、行動などはしていない。それが、自分だ。
       

      その自分を恥じていないことにも、半ば呆れてしまう次第だ。

      己も省みず、文句や能書きを垂れる人間様の一人として思う。

      この世、この環境は、『人が生きるに相応しいのか』との事。
       

      今、ボクは愚かにも能書きを垂れているだけだ。何もしない。

      こうして、模索を続けても、何も『実を結ぶ』ことなどない。

      それを肝に銘じて、まずは、身近な問題を地道に解決する事。
       

      それなくして、理想や願望など、語るに及ばない人間なのだ。

      人と比べることは愚かしい。にしても、自ら苦悩に陥る自分。

      そういう生き方しか出来ない。なんて、いい訳にもならない。





       

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      誰のせいでもない、ってことだ

      2016.06.07 Tuesday 03:10
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        先日観た、テレビドラマの中でのセリフだ。『誰のせいでもない』って。

        確かに、そうかもしれない。『誰かのせいにすれば』と紛らわせている。

        人は、そうしてしか生きていけないのか。ボク自身、ずっと考えている。
         

        もう何十年も前のことなのに、過去のことをなかったことには出来ない。

        それでも、無責任な他人によって、『人生が狂った』ことには違いない。

        たぶん、死ぬまでボクの心から消えることはない。執念なんかじゃない。
         

        ずっと、忘れたくて、忘れてしまいたくて仕方がない。でも、出来ない。

        過去に縛られないようにしていても、心から消えない限り忘れられない。

        だが、『他人のせい』には出来ない。自分を生きるのは自分しかいない。
         

        その『出来事』で背負ったものの多さに押し潰され、健康とは縁がない。

        世間における『楽しみ』がどんなものか知らない。未だに味わってない。

        家族って何だ。ボクには、未だ『妻』も『子供』もいた経験が全くない。
         

        家族っていいもんだ。と家族を持っていない人間に言える気が知れない。

        家族って面倒なことばかりだ、居場所もないと言える人の気が知れない。

        要するに、自分のあり方と他人のあり方を考慮しない、人間が判らない。
         

        ないない、尽くしだ。自分一人で背負って、『人に期待はしない』こと。

        気が休まらない。体が休まらない。イライラが鎮まらない。ない、ない。

        あらゆる歯車が噛み合なくて、不具合の連続。負の連鎖。悪くなる一方。
         

        言霊。それでどう。悪い言葉で悪くなるとか。いい言葉でよくなるとか。

        言霊によって、何が変わると言うのだ。何も変わりはしないじゃないか。

        むしろ、不安も体調不良も足枷として重くなっていくばかりじゃないか。




         

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        生きることは素晴らしいのかい

        2016.05.19 Thursday 02:22
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          生きることは、素晴らしいのかもしれない。

          命は尊いのだろう。

          でも、生きることに疲れてばかり。

          その疲れが溜まる一方。

          とても、素晴らしいとは思えないし、尊いとも思えない。

          よく言う『諦めなければ、必ず』とか。平気で。安易に。

          諦めてるんじゃないよ。

          諦めているなら、もうとっくにこの世にはいない。

          生きることが素晴らしいのか。

          命が尊いのか。

          判らないから、必死になって生きている。

          でも、何も見出せない。

          昨日、一昨日と続けて病院に行って、検査をした。

          また、違う病気の薬が増えた。

          大まかに3種、4?5種?の病気の薬で、薬まみれだ。

          薬の収納箱の中は、何十種類もの薬で溢れている。

          喘息は治療薬が高額なので、もう治療をヤメた。

          でも、これじゃ、薬を飲むために生きているみたいだ。

          おまけに、副鼻腔炎で顔面が激しく痛い。

          抗生物質はもらってきたけれど、痛み止めはいらない。

          もはや、痛みに耐えるなんて、どうってことない。

          それでも、家事を含めて、煩雑なことに追われ続ける。

          まるで泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロのよう。

          更には、身勝手な人たちに翻弄され続ける神経過敏さ。

          何だろうな、これは。

          1日中、毎日、苦しいだけなのに、泳ぎ続けている。

          いきなり人生という大海に放り込まれ、

          もう、何年も、何十年も。

          苦しみを乗り越えようと必死に。

          心も体もよく耐えてくれている。

          何もいいことなどないのに。

          何もかもがうまく行かないないのに。

          突っ伏し泥水を嘗めても這い上がる。

          疲れて続けていることにも、疲れた。
           

          それでも、死ぬまでは諦めやしない。

          ただ、安易に『諦めない』なんて言えもしないのだ。


           

          苦しいことに変わりないのだから。

          苦しみが消えることはないのだから。




           

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          手のつけようのない、散乱したゴミ

          2016.05.13 Friday 15:02
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            溜まりに溜まって、溢れたゴミの山を引っくり返してしまったみたいだ。
             

            今まで生きてきた中で、捨てられなかったゴミは想像以上に溜まっていた。
             

            つい、よろけて、足を引っ掛けて、心の中のゴミを散乱させてしまった。

             

            はてさて、どうしたものか。
             

            気のせいにしてしまおうか。
             

            いや、気のせいなんかには出来ない。

             

            実際、身動きが取れないではないか。
             

            身も心も疲れ果てて、そのゴミの中に埋もれているのだ。


            埃やカビの匂いにも似て、むせ返りながらも、動けない。



             

            生きていれば、そりゃ、色々ある。
             

            凡その人は、面倒な煩いと折り合いをつけて、何とか生きているだろう。
             

            それでもない人も、いるかもしれない。

             

            だが、所詮、他人のことなど想像の範疇を越えない。
             

            あらゆる想像をして、あらゆる想定をして、
             

            人の心に寄り添うよう努めて生きていても、
             

            人のことが判らない時はあるし、実際に判ることはない。
             


            同じように、自分自身のことも、誰にも判らない。
             

            それはとっくに認識しているつもりだ。
             

            判ってほしい、なんて都合のいいことは、すでに求めていない。

             

            だが、何だろう。このモヤモヤは。
             

            自分が溜め込んだ人生のゴミの中で身動きも出来ずにいる。
             

            苦しいのに、その苦しさからの解放手段もさっぱり見当たらない。



            一気に崩れ落ちた瞬間に、虚脱して、何もかもが色褪せて見える。

             

            誤摩化し、繕い、日々を無為に消化しているだけのように感じる。
             

            神経は摩耗し続け、体力は衰え続け、生物として、老化つ続ける。

             

            とりあえずは、散乱したゴミを一つ一つ丁寧に処分するしかない。
             

            適当にやり過ごせば、ゴミの山は更に大きな塊になるだけなのだ。


            ここで、諦めるか。否か。自分を活かすも殺すも自分次第なのだ。



            納得の出来ないこと。承服しかねること。そんなもの腐る程ある。


            それに気を取られている内は、事は悪い方にしか行かないものだ。


            何の為に生きているか。なんて考えたら、自分もゴミになるだけ。




             

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            幻の中の、ポール・マッカートニー

            2016.05.12 Thursday 19:49
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              もう、一年以上も経ってしまったんだな。早い。早過ぎる。
               

              昨年の、4月27日。
               

              ボクは、東京ドームでポール・マッカートニーのライブを体験したはずだ。


               

              覇気のない、小学生だったボクを最初に奮い立たせてくれた。
               

              それが、ビートルズであり、ポール・マッカートニーだった。
               

              小学6年の時に知り合いの所で初めてアルバイトをして、
               

              そのお給金すべてをビートルズのレコードに注ぎ込んだ。

               

              ウィングスの『ヴィーナス&マース』を最初に新譜として買った。
               

              土曜の午后、電車に乗って山野楽器まで買いに行った。
               

              予約特典がたくさんついていたからだ。

               

              あの頃は、土曜も午前中だけ学校があった。いわゆる半ドンだ。
               

              昼過ぎの空いた電車のシートに座って、ワクワクしていた。
               

              大きなレコードと特典を抱えて、家に買えるなり、広げた。

               

              それから、ポールの来日を心待ちにして、夢に観ていた。
               

              が、実際は、入国不可。来日即、逮捕。
               

              当時の彼は、まだ大麻の常習者だった。



              まさに、悪夢だった。


              ライブ・チケットの買い方も知らなかったのに。

               

              泣いたね。一日中、彼のレコードを聴きながら。

               

              あれから数十年。
               

              ポールが頻繁に来日するようになった頃にはボクは病気で苦しんでいた。
               

              映画館にも35年行って(行けて)いない。
               

              大人数や前後両隣を人に囲まれれ、身動きがし難い状態。
               

              不安障害による、急激な下痢や吐き気に襲われるからだ。
               

              観に行きたいのに、楽しみたいのに、出来ない自分が悔しかった。

               

              そして、ようやくここ数年、何とか無理をすれば行けるようになった。
               

              友人に誘われ、何度かライブにも行ったが、楽しむまでには至らない。


              それなりに高額な金を払って、楽しめずにただ苦しみに耐えるだけだ。


               

              だが、高齢のポールはもう観られないかもしれない、と一念発起した。
               

              相当気合い入れても、一昨年の来日の際にはチケットが買えなかった。
               

              高額な転売にも手を出しそうになったが、結局、急病で中止になった。

               

              そこで、昨年は、体調の悪い中、覚悟を決め、チケットを手に入れた。
               

              それでも、やっと手にしたチケットは、東京ドームの2階の端っこだ。
               

              夢にまで観たポールのライブだ。席が取れたなら、行くしかないのだ。

               

              だが、ボクは一人でライブに行くのは30年振りだった。
               

              数日前から緊張で、下痢や吐き気が続いた。
               

              当日も安定剤を通常の3倍も飲んで行った。

               

              ので、ライブが始まる頃には、意識は朦朧としていた。
               

              念願の生のポールは、豆粒みたいで、爆音だけが響く。
               

              2階席端では、ステージとの間にホームラン・ポール。

               

              大型ヴィジョンのステージ映像も切れ切れに観える。
               

              途中、何曲か、記憶にない。
               

              モヤモヤのまま、夢にまで観たポールのライブは終わった。



              東京ドームを出る時の、風圧で外に押し出される。


               

              まさに、夢の中で『幻想』を観ているようだった。
               

              生きるための、楽しみさえも、まともに出来ない。
               

              ボクがあの日、ポールのライブ会場にいたのは確かだ。
               

              でも、ボクの記憶の中では、『確か』だとは言えない。



              至福の楽しみさえも、『楽しめない』自分を確認した。



              ただ、デジカメに『確かに』数枚の写真が残っていた。



              ボクが、そこで、何かを体験したことには間違いないのだろう。


               















              もう、余程のことがない限り、ボクは何かを楽しもうと思わない。




               

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              痛い

              2016.05.10 Tuesday 13:36
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                痛い。
                 

                心が痛い。
                 

                のたうち回っても。
                 

                体を横たえても。
                 

                どうにもならない。

                 

                もう30年も過ぎたというのに。
                 

                あの日、あの時。
                 

                負った傷が痛む。



                家族にも、その傷に塩をぬられ。


                友人にも、その傷に塩をぬられ。


                塞がらない、じゅくじゅくした。


                 

                その傷を守りながら。
                 

                あらゆる防御をしながら。
                 

                生きていたというのに。

                 

                日々の蓄積ですっかり疲れてしまった。
                 

                心の問題ではない。
                 

                心は、充分に『この痛み』に耐えてきた。
                 

                自分を殺さずに、活かし続けてくれた。
                 

                なのに、今、自分の無能さに項垂れる。



                でも、自分を守るのは、自分しかいないのだ。



                誰も、いない。


                 

                少しでも、ほんの少しでも。
                 

                この痛みが和らいでくれたら。
                 

                まだ生きていける。



                 

                category:試練 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                心の傷

                2016.05.07 Saturday 19:50
                0

                  心の傷は、一生、癒えることはない。
                   

                  体の傷のように、自ら治癒はしない。
                   

                  心の、傷は、いつまでも疼いている。

                   

                  体の皮膚が塞がるようにはならない。
                   

                  開いたまま、『痛い』まま、なのだ。


                  その痛みに、『慣れ』があるだけだ。


                   

                  なので、ちょっとした、ありきたりの言葉でも、塩になる。
                   

                  傷口に塗り込まれば、『滲みる』のだ。
                   

                  そして、酷く『疼く』のだ。

                   

                  それを人は、どれくらい知っているのだろう。
                   

                  小さな傷なら、それを補って余りあるだろう。
                   

                  でも、大きな傷は、どうにも補いようがない。
                   

                  パックリと開いた心は、元には戻れないのだ。

                   

                  いつまでも、どこまでも、その傷を背負うことになる。
                   

                  ボクの心に出来た傷は、今も、いつでも、疼いている。
                   

                  それに耐え得るよう、精神を鍛えてはいる。
                   

                  だが、所詮は、その場凌ぎに過ぎないのだ。
                   

                  背負った心の傷は、自分で守り続けるのみ。



                  人はそれを『甘え』だとかも平気で言える。


                   

                  だから、人には優しくありたいと想うのだ。
                   

                  それで、見返りを求めたりはしない。
                   

                  自分を判って欲しいなんて想わない。

                   

                  それは、『何も望まない』ということ。
                   

                  心に『癒えることのない傷』を抱えた。
                   

                  その『宿命』とうまく付き合っていく。
                   

                  それだけが、生きることに繋がるのだ。


                  命は、常に『何か』を求めているのだ。



                  望まないことと求めることが、心の傷で鬩ぎあっている。



                  だから、生きることが修練になり、それに終わりはない。




                   

                  category:試練 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                  想像力を捨て去れる、人間たち

                  2016.05.04 Wednesday 12:53
                  0

                    魔のゴールデン・ウィーク真っただ中。
                     

                    最悪だ。
                     

                    想像力を平気で捨て去れる人間共が好き勝手をやっている。
                     

                    まっとうに、渋滞の中、観光地に行く人はいる。


                    楽しみ方を弁えているのなら、大いに楽しむことはいいことだろう。


                     

                    だが、近場で、『手軽』に『楽をしよう』とする輩が増えている。


                    彼らの中に『モラル』や『マナー』という意識は存在しない。

                     

                    毎年、毎年、状況はどんどん悪化している。


                    日々、色々大変なんだ。休みぐらい、好きにさせろ。とでも言いたいのか。



                    だが、人の暮らしは千差万別。誰がどう。など、個人の中で断定出来ない。


                     

                    そこで、住宅街で『好き勝手』が出来る『バーベキュー人間』共だ。
                     

                    彼らに、『自分さえよければいい』という発想がなければ出来ない。
                     

                    彼らは、『他人がどう思うか』なんて想像力はどこかに捨て去っている。
                     

                    そこには、『みんなでやれば、怖くない』という集団心理も働く。
                     

                    自分がやっていることが『他人にとっては迷惑』という常識など、ない。


                    どこからか車でやってきて、数十台、連なって『路駐』をしている。


                    それだけでも、充分に迷惑な行為に違いないのに、公務員さんは知らん顔。



                    警察も役所も無能なので、『そういう人間』は増殖をするばかり。

                     

                    世間でも、『もっと楽しめ』とばかりに無節操に囃している。
                     

                    やれそれ『楽しんだもん勝ち』と人から想像力を削いでいる。

                     

                    気温が上がって室温30度近い室内で、窓を閉め切っている。


                    ただ、ただ『臭い』だけの彼らの行為が『不快』でしかない。


                    更には、『たがを外した』人は、自分を制御する配慮もない。


                    抑制をなくした人の声は、迷惑な『
                    騒音』として神経を逆なでする。



                    もしかしたら、その手の人間は他人の痛みなど判らないのではないか。



                    本来、人は他人の痛みなど根本的に判らない。


                    判らないからこそ、想像力を働かせて、あらゆる『想定』をするのではないか。



                     

                    何で、自分はこんなにイヤな思いをして『我慢』を続けるのだろう。


                    何も起きなくても、暮らしていくので精一杯。


                    精神的には、もう限界を越えてしまっている。



                    このような『忍耐』をしいられている人は、人知れずたくさんいるだろう。


                    世の中には、小さいけれど、とても重要な問題が山ほど埋もれているもの。


                    でも、誰も『想像』などしないのだ。


                    しないでもいい、との『危機感』さえ、捨ててしまえるのだから。



                    でも、自分を見失わないように、発想を切り替えようとしている。


                    虚しい『徒労』にも感じるが、『仕方ない』のだ。


                    世間、社会、人間が、『自分本位』に加速しているのだ。


                    自分の身は自分で守るしかない、と自助努力が必要になってくる。



                    被災地で空き巣窃盗をするような戯けた輩がいる。


                    彼らの中に『罪悪感』を持たないでいられる、という信じ難い事実。


                    自分の安易な行動が『他人に迷惑を掛けている』という意味では違いはない。


                    ことの重大さ、罪深さの差ころあれ、人は、そういう生き物になれるものだ。



                    人は、存在するだけでも『他人に影響を及ぼす』ものだ。


                    だからこそ、自分の行為、発想が『他人にどうような影響があるのか』との想像力が必要。


                    その、『人と人が判り合えない中で、どう心を動かすか』という『想い』が大切になる。


                     

                    もはや、他人など『どうにも出来ない』のだ。

                     

                    人の中に『他人がどう想うかの想像力』が欠落してしまえば、お終いだ。


                    自分の努力だけでは『どうにもならないこと』だらけなのが人間社会だ。


                    人間様の『欲』による、『悪質』なものばかりが際立って見えてしまう。



                     

                    ボクは益々『人間が嫌い』になっていく。



                    人間を嫌いになど、なりたくないのだが。


                     



                     

                    category:試練 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

                    どんなに苦しかろうが、生きてやる

                    2016.04.27 Wednesday 23:08
                    0

                      冷静。平常心。これを心掛けているのだが、


                      実際は、苦しくて、苦しくて、たまらない。


                      体も変だし、どこが、何が悪いのかも判らないまま。


                      異常な倦怠感。筋肉の痛み。激しい耳鳴り。手先のしびれ。


                      繰り返す下痢。突然襲い来る吐き気。



                      夜も、眠剤など飲んでいないも同然に、神経がピリピリ。


                      毎晩、毎晩、デジャヴュのように、眠れない。


                      束の間、眠りに入ると、決まって凄まじい悪夢に襲われる。


                      体は横たわりたいのだが、床に就くことを恐れている。




                      こんな状態のまま、生きている実感もない。


                      人に判ってもらおうとか、微塵も想わない。


                      『もっと大変な人もいる』という、乱暴な精神論。



                      頑張る、とか。


                      いったい、これ以上、どう頑張ればいいのか。


                      心も体も動かない中で、必死に頑張っている。



                      それを努力と想ったら、報われることを望む。


                      どんなに謙虚でいようとも、それはゼロではない。


                      生きている、何かしらの成果、達成も得られない。



                      ともあれ、苦しみは、どこにも行かないし、消えはしない。


                      それでも、死にたいとは思わない。


                      むしろ、この苦しみを克服して、生きてやる。



                      まだ、やらなければいけないことがあるのだ。



                      だが、無理をしている。



                      無理をすることにも疲れてしまった。



                      心も体も悲鳴をあげているのを見ない振りしている。



                      心の中では『もうこれ以上はダメだ』と叫んでいる。









                       

                      category:試練 | by:hallysmilecomments(0) | - | -

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