苦しみは深まり続け、死ぬまで続く

2019.02.24 Sunday 02:02
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    毎日、毎晩、途絶えることない苦しみに苛まれる。

     

    その苦しみは、日毎に、重たくなっているようだ。

     

    それを乗り越え続ける修練で、更なる苦しみも耐えられる。

     

     

    それでも、耐えているだけで、蓄積された『心の澱』は溜まる一方。

     

    決してその都度、苦しみが消えることなど、ないのだ。

     

    ただ、死ぬまで、生きていることから逃げないだけだ。

     

     

    忍耐と冷静さで、自分を維持することにも相当な意志が必要になる。

     

    苦しみの分だけ、人は人に優しくなる。

     

    とは限らない。

     

     

    うん、それはその人次第。物事の捉え方や感じ方次第だ。

     

    卑屈になって、負の要素に変換する人も場合もあるのだ。

     

    それは、連日、ニュースを賑わしていることで確認する。

     

     

    これは、人の言うこと。ケアマネとか訪問介護の人とか。

     

    本当に息子さんは優しくて、いいですね、って。

     

    ボクは、『優しさ』など意識したことはない。ただ、そうしているだけ。

     

     

    人に感謝されると謙虚に恐縮はするが、その陰には色々と問題だらけだ。

     

    色々あるけれど、それを自己主張にしたり、誰かに訴えることじゃない。

     

    感謝しているのは、ボクの方なのだ。

     

     

    何しろ、苦しみしかない人生なのに、

     

    今もこうして乗り切る力を与えてくれた。

     

    こういう瞬間、続く修練で自分は確かに強くなっていると実感する。

     

     

    苦しくて、苦しくて、いっそ死ねれば楽だろう、と。

     

    常に頭を過るけれど、それを払拭することが出来る。

     

    自分が生かされていることに対する感謝が勝るのだ。

     

     

    それでも、この煩雑な苦しみは深まり続け、死ぬまで続くだろう。

     

    それは、誰も知らないでいい。

     

    ひっそりと誰にも知られずに今生を全うすれば、それでいいのだ。

     

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    会話における、不確かな自信喪失

    2019.02.15 Friday 14:13
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      ボクは、父が死んで母の介護に日々追われる様になってからの数年、人との会話がほぼない。

       

      たまに、声を出して、それを自分で『自分が話している』ことに妙な違和感を抱いてしまう。

       

      人との会話が激減したからこそ、自分の中で『心の声』で言葉を紡いでいる癖が身についた。

       

       

      常に心の中で、『思考』を巡らせ、それを『言葉』=『語彙』に置き換える作業をしている。

       

      人は自分の中にない語彙で思考することはないだろう。その思考が普段の暮らしに直結する。

       

      貧しい語彙で、心の回路を通さずに感情を持つことは危険だ。抑制も効かない暴走に繋がる。

       

       

      その様な『語彙の貧しさ』が『感情の柔軟さ』の欠落に導くなら、他者を否定し争い続ける。

       

      己を生きる『責任』は誰でもない『自分』でしか持てない。他者に委ねることすら出来ない。

       

      それで『善悪』や『真偽』の見極めも出来ない、『幼稚さ』が露呈しまうだけでは済まない。

       

       

       

      もはや、そういう時代になってしまったように思える。危機感の欠如。動物的本能をも乱す。

       

      刹那的感情の積み重ねが、不可解な行動を常習化させる、その『恐怖』を知らずに過ごせる。

       

      それが、日々絶えることのない『世間を席巻する問題』を生む社会になってしまったようだ。

       

       

      ボクは先日、20年近く通う病院で『人との会話』に狼狽えてしまい、自分でも驚いたのだ。

       

      30数年前にお世話になった医師に再会して、自分の方から話し掛けてから、のことである。

       

      事故後、母の入院する大学病院の医師にボクは不具合を察知されて、今の病院を紹介された。

       

       

      まだ、日本においては『メンタル・ヘルス』など全く浸透していない時代のことだったのだ。

       

      当然、患者も殆どいず、紹介してもらった若い女性医師はカウンセリングから丁寧に行った。

       

      幼少期から事故を経た時までの『記憶』と様々な心理テストでボクの病気を追求してくれた。

       

       

       

      だが、父の暴挙である日突然、『治療』を遮断された。それ以来30数年振りの差し向かい。

       

      その先生は、ボクの名前を言い、『覚えている。面影あるもの』と笑顔で応えてくれたのだ。

       

      何度か見かけたが声掛け出来なかった旨を伝えたら、笑顔で『遠慮しないで声をかけて』と。

       

       

      でも、ボクは会話の途中で、急に胸が苦しくなって、背中を向け病院の外に逃げてしまった。

       

      この30数年間という歳月が一気に押し寄せて、自分の人生の『砂漠』を見てしまったのだ。

       

      逆算して当時30前後だとしても、もうその先生も60歳を過ぎている。当然、老けていた。

       

       

       

      記憶の中の面影に『特殊メイク』をしたような『違和感』を覚え、自分の老いと向き合った。

       

      お互いに『老けた』のだ。その間『何も実るものもなかった』自分に、震えが出てしまった。

       

      心療内科は、昨今予約も取れない程に混雑している。その日も種々雑多な患者で溢れていた。

       

       

      俯いている人。立ったり座ったり落ち着かない人。急にキレて揉めている人。そこに混ざる。

       

      でも、自分だけは違う、といつも思っていた。ある種の傍観者として重苦しい空気に耐えた。

       

      どんなに苦しくても、それを悟られないように、人前では平静を装う技を身に付けたせいだ。

       

       

       

      それで、明るい笑顔で数十年振りに会う人に話しかけて、自分が無理をしていると気付いた。

       

      ボクは、『自分がしっかりしなくちゃ』と気も休めずに、頑張り続けてきてしまったようだ。

       

      ここ半年くらいは、その『無理』が一気に反動として押し寄せる。それにまた耐える日々だ。

       

       

      徐々に減薬しつつ、自己治癒力で『人の持つ生命』と向き合うよう、必死に生きているのだ。

       

      だが、無理をすれば、その皺寄せはいつか来る。その時に、狼狽えないことだと常に感じる。

       

      幾多の困難も乗り越えて、自ら死に逃げることもせず、ボクは自分を生きることをやめない。

       

       

       

      生まれた瞬間から『人は死に向けて生きている』ことを肯定しながら、死の準備をしている。

       

      不確かなことばかりなのだ。人との会話で自信喪失してもいいから、また起き上がることだ。

       

      あの会話の途中で逃げてしまった自分から、ボクはまた何かを学ばせてもらえたのだと思う。

       

       

      いずれにしても、相当に参っていることを見過ごさないこと。やっぱり無理はいけないのだ。

       

       

      呑気なくらいが丁度いい。と少しは自分を甘やかしてもいいだろう。誰も責めたりはしない。

       

       

      人は、人を愛することで自ら希望を生める。自分の中の愛が枯渇しない限り、休んでもいい。

       

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      被害者意識、という見えない傷

      2018.10.15 Monday 09:29
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        昨日、突然、左脚の膝に激痛が走り、歩行が困難になった。

         

        何かやった、という訳ではない。突然、立ち上がる瞬間に。

         

        ここは、その昔、事故で被害に遭った影響による古傷だ。

         

        マニュアル車では、左脚はクラッチを踏む作業が重要だ。

         

        対向車がいきなりセンターラインを越えて正面から突っ込んできたら、

         

        まず避けようとハンドルを切ると同時に、

         

        右脚ではブレーキ・ペダルを踏み込む。

         

        ブレーキを踏む場合、僅か先に左足ではクラッチ・ペダルを踏む習性になっている。

         

        クラッチ・ペダルは、完全に奥まで踏み込まなければならない。

         

        ほぼ間違いなく、対向車が衝突して来た、ほんのコンマ何秒か。

         

        完全に左脚が伸びきった状態のまま、フロントが潰れる程の衝撃を受けたのだ。

         

        鉄の塊がペチャンコになるような衝撃を全身に受けたであろう。

         

        事故の衝撃と多分ショック状態のせいで、全く痛みを感じなかった。

         

        数週間後に、突然、左膝と左腰の痛みを感じ、歩けなくなった。

         

        母が重傷を負ったせいもあり、相当に気が張り詰めた日々を送った。

         

        すでに、事故の事後処理が終わった後だったし、

         

        相手と保険会社が同じだったせいで、うまいことやり込められた。

         

        事故による怪我である証明の仕様がなければ治療は全額自己負担。

         

        左腰は椎間板ヘルニアで常に下肢に痺れがあり、僅かな動きで激痛が走る。

         

        座ったり、立ち上がるだけで1分くらいを要する程の激痛だった。

         

        約3ヶ月の間、座ることも寝ることも苦痛のまま、歩行も困難だった。

         

        ので、膝は費用節約のために治療をせずにヘルニアの治療に専念した。

         

        後に、事故による『心的外傷後ストレス障害』で様々な不具合が出始めた。

         

        これも全く事故保険の対象にはならなかった。

         

        事故に因る証明が出来ないこと、時間が経過していること。

         

        1個人では、組織に太刀打ち出来ないような仕組みが出来上がっていた。

         

        いざとなったら『出さない』保険会社が潰れない所以などどうでもいい。

         

        100%相手の過失と認められた加害者による事故でもだ。

         

        何より、その加害者に誠意もなく、揉め事も勘弁して欲しかった。

         

        ただ、『自分が被害者である』という、余計な意識だけが残った。

         

        それを『心の傷』とかで、簡単に言葉にしたくもなかった。

         

        でも、何十年経っても、『傷は癒えていない』ようなのだ。

         

        かの『阿久悠』の作詞でヒットした、沢田研二の『時の過ぎ行くままに』という唄。

         

        その一節に『体の傷ならなおせるけれど、心のいたでは癒せやしない』とある。

         

        ボクは、この唄が大好きなのだが、この一節はいつまでも心に引っかかるのだ。

         

        出来事は偶然ではなく、必然であったとしても、それを受け入れるのは難しい。

         

        あらゆる『被害者』の方たち。自然災害。性被害。暴力被害。数多いる被害者。

         

        その方たちの気持ちは、同じ被害者であるボクでも察することは出来ない。

         

        皆、それぞれに『違う』のだから。

         

        だからこそ、せめてボクは、『被害者意識』を持ちたくはない。

         

        と思っていること自体が、すでに持ってしまっているのだろう。

         

        ほんの一瞬の出来事で、その後の暮らし、すべてが変わってしまった。

         

        それを言い訳にして、『失ったもの』を探すようなことはしたくない。

         

        でも、こうした多くの不具合で益々生活が苦しくなっているは事実だ。

         

        誰の人生が台無しになろうと、『関心』も『興味』も持たないで済む。

         

        そういう利己的社会になって、人も自己欲にかまけられる世になった。

         

         

         

         

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        ボクの左手の人差し指は1本だけ

        2018.10.13 Saturday 16:00
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          数ヶ月前から左手の人差し指の第二関節が痛み出した。

           

          手の甲の側、外側の曲げると尖がる部分を触ると出っ張りがある。

           

          何か、関節にしこりがあって、それがどんどん大きくなっている。

           

          半径5ミリくらいのしこりがあって、関節の曲げ伸ばしの際痛い。

           

          しばらく放置していたが、先日、整形外科に行って見た。

           

          レントゲンには何も写っていない。

           

          医師は『これは関節包が変形して腫瘤が出来ただけで問題ない』と言う。

           

          場所によっては痛みを伴うこともあるけど心配ない、と。

           

          ボクは仕事のパソコン操作でマウスを使い過ぎてこれが悪化したことがある。

           

          右手の手首。腫瘤が強大になり、神経に触れて激痛に耐えながら仕事をした。

           

          で、どうしようもなくなって結局、手首を切開して除去手術をした経緯がある。

           

          それに比べたら大したことない。いや、比べるものじゃない。

           

          左手の人差し指が痛み、痺れがあるのも、別に平気ではない。

           

          常に痛みを感じるし、不快だし、ギターも弾けない。

           

          まあ、ここ何ヶ月ギターをケースから出してもいないけど、

           

          先程、試しに弾いてみたが、やっぱり痛みで弾けなかった。

           

          病気になると、『それなら大したことない』とか、

           

          『その程度で済んでよかったじゃない』とか、言う人がいる。

           

          ボクは、その手のことは言わないようにしている。

           

          その程度でも、不便はあるだろうし、お金が掛かるだろうし、

           

          何より、『なっていない人』に言われても慰みにもならない。

           

          ボクは今現在、片手では足りない数の病気や不具合を抱えている。

           

          それら全部が、治療して治る保証もないし、そんな暇も金もない。

           

          その殆どは放置したまま、悪化しているものもあるが仕方がない。

           

          これは、嘆きじゃない。ただの現実だ。

           

          さらに左手の人差し指1本が不具合になっただけのこと。

           

           

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          絶望までの距離は見えない

          2018.09.21 Friday 05:45
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            一昨年の暮れ。

             

            夜に喘息の発作が出て、2、3時間耐え続けた。

             

            それでもあまりに酷いので家族に促され、

             

            病院に電話をして夜間診療を受けた事がある。

             

            ステロイド系の点滴と吸引を受けて治まった。

             

            後日、かかりつけの医師に話をしたら、

             

            開口一番『君より苦しんでいる人はいっぱいいるんだから』

             

            と医師としては信じられない言葉を真顔で言われた。

             

            心の中で、『医師のお前が言うか?』

             

            そんなことは『当たり前』と言うか、考えなくても判ることだ。

             

             

            誰がどれくらい苦しいのか、なんて比べようがないし、知り得る由もない。

             

            皆、自分は自分しか生きられないのだから、自分の経験でしか計り得ない。

             

            同じ病を抱えている人でも、その重さに違いがあっても、

             

            この人が一番辛くて、この人はそうでもない。なんて言えない。

             

            人のことが判らないから、『思いやり』『心遣い』は生まれる。

             

             

            ここ数週間は、苦しみに耐え続け、更なる苦しみは深まり行く。

             

            でも、『絶望』などはしていない。

             

            実際には、『これが絶望』だなんて多分わからない。

             

            常套句として、『最悪と言えるうちは、まだ最悪ではない』ということ。

             

            これは、何の気休めにもなりはしない。

             

            ボクは、『精神論』が好きではない。言うことも、言う人も。

             

            人一人が死ぬまでに人が知り得ることなどは高が知れている。

             

            知ったようなことを言うことは、実に愚かだと歳を重ねる毎に実感する。

             

             

            まだ、ボクは『絶望』までの距離がわからないのだ。

             

            苦しいことに違いないが、その苦しみにも底がない。

             

            どこまで耐えられるか、それもその人次第。

             

            なら、何も望むまい。

             

            いたずらに何かを望んでも、誰も助けてはくれない。

             

            また逆も然り。ボクに誰かに対して何が出来るのか。

             

            どんなに誠意を持っても、どんなに真摯に向き合っても、

             

            ほんの『手助け』くらいしか出来ないだろう。

             

             

            今、苦しんんでいる自分をどうにかするのは、自分しかいない。

             

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            相当に、参っているようだ

            2018.05.16 Wednesday 04:56
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              毎晩、毎晩、欠かさず凄まじい悪夢を見る。

               

              精神的に追い込まれたり、惨状が起きたり。

               

              なかなかそこから抜け出せずに、苦しみ続ける。

               

              やっと目が醒めると、耳鳴りが最高潮に達している。

               

              頭蓋骨全体が、グワングワン轟いていて、それは拍動性。

               

              頻脈になった脈に合わせて、激しいリズムを伴う。

               

              動悸がすごいので、グワングワンの轟も凄い。

               

              気分が悪かったり、軽い吐き気を伴ったり。

               

              目が覚めても、体が動かない。動けない。

               

              しかも、夢の内容を詳細まで覚えている。

               

              まるで、恐怖映画の様に、映像まで覚えている。

               

              時には、放たれた言葉まではっきり覚えている。

               

              そういうのを『悪夢障害』というらしい。

               

              不安や過度のストレス、心的外傷性体験、トラウマなどによるらしい。

               

              そのどれも当てはまる。

               

              日々、不安を抱え、ストレスを溜め込み、心的外傷性のトラウマが消えない。

               

              日を追うごとに、精神的にも肉体的にも、ダメージを受け続ける。

               

              気力を振り絞って、やることに追われても、やることは増える一方だ。

               

              内心『もうダメかもしれない』と諦めかける自分との不毛な戦い。

               

              日々、『参っている』度合いが増して、耐性もついているようだ。

               

              それでも、同じような区切りのない日々は、生きた心地もしない。

               

              これは弱音じゃない。愚痴でもない。ただの自己確認に過ぎない。

               

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              崖の下から這い上がっている途中

              2018.05.06 Sunday 16:22
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                自分にとっては、悪夢の長い長いゴールデンウィークの間に、体調が絶不調になり、苦しんだ。

                 

                ここ十数年においては毎年の試練になる。今年は年明けから体調不良に加速が増しているよう。

                 

                それでも呑気に寝込んでいる訳にはいかない。やることはやる。その隙間に束の間、倒れ込む。

                 

                 

                耳鳴りは更に激しさを増し、気が狂わない自分に半ば感心する。感心する程に、尋常じゃない。

                 

                約5年半。24時間。頭蓋骨内で『不快』な高周波の激しい音が錯綜し一瞬たりとも止まない。

                 

                加えて、歯の不具合による、胃腸障害。その他、地味な不具合のオンパレードによる負の連鎖。

                 

                 

                ほぼ、まともな睡眠も取れずに、それでも、主夫に休みはない。介護に気の緩みも許されない。

                 

                そんなこと、別に他人には関係ないもんね。そりゃ、当然だ。人それぞれに暮らしがあるもの。

                 

                苦しみだったり、抱える何か。誰にも分からないと言う点で、誰もが皆、同じ条件であるのだ。

                 

                 

                 

                もはや、自分の中の語彙も歩みの途中でポロポロ落としてきたようで、貧しい言葉が空々しい。

                 

                日頃、人と会話していないと、言葉は自分の中だけで心の壁に当たって弾ける。その繰り返し。

                 

                否が応でも、自己対峙を迫られる。何も考えなければいい、とは行かない。日々学習、修練だ。

                 

                 

                そんな具合で、この地獄のような晴天の中。室内に籠り、具合の悪さに耐えつつ、凌いできた。

                 

                体に無理を強いているので、精神的には忍耐しかない。で、いつしか『崖の下』に落ちていた。

                 

                諦めたら、『死』しかない。肉体的な死。精神的な死。それを諦めで終わらせるのか、お前は。

                 

                 

                などと、顎を上げ、遥か崖の上を臨み、力の限り登ることにした。大した崖じゃなかったのか。

                 

                今は、崖の途中で小休止。ちょっとした座れるくらいの場所で。気を緩めたなら、また堕ちる。

                 

                それを何度か経験して、少しは学習したつもりだ。バカはバカなりに追い込まれたら工夫する。

                 

                 

                 

                たった今、いきなり左側だけ耳鳴りがワンランク轟が増した。このまま死ねたら楽になるのだ。

                 

                この自分の声は、どこにも届かない。ここで『苦しいよ』と言っても誰も助けでくれないのだ。

                 

                それを承知の上で、『声にならない言葉』を垂れ流している。まあ、これくらいいいじゃない。

                 

                 

                崖っぷちで持ち堪えたり、堪えずに崖の下に転げ落ちたり、色々とそれなりにあった気がする。

                 

                崖の下には更なる底がある場合もある。選択は『諦める』か『諦めないか』の二つに一つ、だ。

                 

                その内『誰かが助けてくれる』など思っちゃいられない。甘えがある限り、生き残れないのだ。

                 

                 

                明日は明日の風が吹く。綺麗なことです。今日も明日も、数珠繋ぎの生活に仕切り直しはない。

                 

                耐えている途中、ふっと苦しみが和らぐ瞬間がある。だからと言って、気が休まったりしない。

                 

                ともあれ、横たわって休めるような場所はまだ見えていない。力の限り、登るしかないようだ。

                 

                 

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                人間は、どこまでも勝手になれる

                2018.04.29 Sunday 13:25
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                  まあ、呆れる、というより悲しくなってくる。

                   

                  ゴールデンウィークらしい。毎年毎年。

                   

                  らしい、と言いつつ、知っていたわい。

                   

                   

                   

                  これが、人によっては、どれだけ『不快な』ものであるか。

                   

                  考えなくてもいい、らしいね。

                   

                  立場の違う人への配慮もなく。

                   

                  人は、『法に触れなければ、好き勝手していいだろ』と浮かれる、浮かれる。

                   

                  人間は、どこれまでも変われない生き物のようです。

                   

                   

                   

                  絶好の行楽日和。

                   

                  昼前から、我が家の裏ではバーベキューをやりやがる輩でいっぱい。

                   

                  毎年、というか、陽気のいい頃にはいつものことだ。

                   

                  慣れる訳が無い。

                   

                   

                  何をどう捉えているのか知る由も無い。

                   

                  臭くて、酒が入りゃ騒ぎもするだろう。

                   

                  それを住宅街で出来る神経が判らない。

                   

                   

                  ここは、アメリカじゃなく日本だろう。

                   

                  住宅事情が、まったく違いませんかい。

                   

                  何でも流行に流される、思考より前に。

                   

                  快楽って、やったもん勝ち、なのかい。

                   

                  道徳も常識も、言葉も虚しく散りゆく。

                   

                   

                  それをやりたければ、『ラク』な選択をし、

                   

                  そういう、適切な場所に行く努力も無しに、

                   

                  気軽に、自分本位に『楽しめる』なんてね。

                   

                   

                  そりゃ、『臭いものは臭い』し、『うるさいものはうるさい』のだ。

                   

                  バーベキューの臭さは相当なもので、洗濯物も布団も外に干せない。

                   

                   

                  やる当人がその想像を捨て去る。

                   

                  社会性が欠落しているんだもん。

                   

                  自分以外には、様々な人がいて、それぞれに抱える事情も違う。

                   

                  社会のあり方を見ない知らない、で他者への配慮も捨てられる。

                   

                  普段仕事が大変なら、休みに何をやろうが、個人の自由なのか。

                   

                  短絡的自己中心的発想は、一度持ったら、持ったことも忘れる。

                   

                  らしい、ね。人間様は、どこまでも、楽しまなきゃ損、なのか。

                   

                   

                   

                  関係ない、それに巻き込まれた人間にとっては、『不快』でしかない。

                   

                   

                  今日もまた窓を閉め切って、日差しを遮って、冷房を入れるしかない。

                   

                   

                  他人が『どう感じるか』という想像をなくしてしまった人は消えない。

                   

                   

                  まさに、『自分さえ良ければいい』との発想しかない、と断言しよう。

                   

                   

                  役所も警察も、『法律』に触れてなければ、何もしないでいいらしい。

                   

                   

                  日本人はマナーがいいとは、単に他国に比べたらの話で個々は別問題。

                   

                   

                  これじゃ、日本も良くなるはずがないし、そんなもの、望んじゃない。

                   

                   

                   

                   

                  そんな日々の連続で、もうまいりました。

                   

                   

                  これにもう十何年間、苦しめられている。

                   

                   

                  人間様たち、いい加減に勘弁して下さい。

                   

                   

                  わたしに、『死ね』と言うのでしょうか?

                   

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                  苦しいだけなのに、なぜ生きる

                  2018.04.22 Sunday 12:39
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                    昨晩の悪夢は凄まじかった。だいたい、苦しい場面では耐えきれずに目が覚めるものだ。

                     

                    だが、そうはさせてくれなかった。まるで、『拷問』のように、生き絶えるまで続いた。

                     

                    でも、死にはしなかった。やっぱり、脂汗をかきながら目が覚めた。

                     

                     

                    肩から背中まで、ガチガチに固まって、息苦しくてうまく呼吸が出来ない。

                     

                    そして、毎度の『耳鳴り』だ。もうそれは『頭蓋骨鳴り』と呼んでいい。

                     

                    頭部全体で『グワングワン』『ジャンジャン』『シャンシャン』轟いている。

                     

                     

                    程度の差があるくらいで、これを毎晩繰り返し、睡眠は妨げられている。

                     

                    眠れないのに、体は動かない。

                     

                    もはや『死にたい』とかに考えも及ばない。

                     

                     

                    必死で、なぜか生きている。

                     

                    なぜ、だろう。

                     

                     

                    ボクの携帯電話は、もう2年以上、着信がない。

                     

                    つまり、誰からも電話などかかってこないのだ。

                     

                    どれくらい前か忘れた過去。最後に掛かって来たのは『訪問看護』の人から。

                     

                     

                    週に一度、家に訪問してくれて、母の状態を見てくれている。

                     

                    たまたま、家の電話に出なかったから、携帯の方に掛けて来ただけの話。

                     

                    したがって、それは、別にボクへの電話ではない。

                     

                    最後に携帯電話で誰と話したか、記憶にない。

                     

                     

                    更に、メールも今年になって1通来たのみ。返信が2回くらい来ただけ。

                     

                    どこへも行かない。

                     

                    誰とも会わない。

                     

                    誰とも会話しない。

                     

                    ただひたすら、家事やら何やら、ある意味、やるべきことに追われ続ける暮らし。

                     

                     

                    人との関わりのない日々を消化しているだけで、それを暮らしと呼べるだろうか。

                     

                     

                    声を発するのは、母の介護関係の人とのやり取りが主で、

                     

                    それ以外は、病院関係、買い物の時にレジでの受け答え。

                     

                    後は、お店とかに行った時、そこの人と会話するくらい。

                     

                     

                    ここ10年くらいは複数の病気など『苦しみ』しかない。

                     

                    テレビもラジオも受け付けない。浮かれ具合が煩わしい。

                     

                    そんな日々しかないのに、なぜ、ボクは生きているのか。

                     

                     

                    ただ、死なないだけだ。

                     

                    淡い雲を掴むような、実体のない恋をしていて、

                     

                    その人のことを想う気持ちだけで、生きている。

                     

                     

                    もしも、この先、何かしら『生きている実感』を得られるのなら、

                     

                    ボクは、『恋』と『その人』と『お陰で育む慈愛』に感謝したい。

                     

                    キレイゴトだろうか。

                     

                     

                    でも、激しい耳鳴りなどあらゆる不具合と折り合いを付け、生きている。

                     

                     

                     

                    と言いつつ、今日も行楽日和の日曜日。バーベキュー臭くて、何重苦だ?

                     

                    何で、他人の迷惑も考えずに自分本位で楽しめるのか、全くわからない。

                     

                    こっちは昼過ぎに室温29度で、窓を締め切り、シャツとパンツで凌ぐ。

                     

                    窓の外では、はしゃぐ声。人が人を傷つけることなんて凄く簡単なのだ。

                     

                    でも、それを本人たちは少しも考えたりはしないでいい、らしい風潮だ。

                     

                    ボクは、『人を嫌いにならない』よう、理不尽な努力を強いられるのだ。

                     

                     

                    さよなら、日本。さよなら、人類。

                     

                     

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                    生きることに休息は許されない

                    2018.04.16 Monday 05:54
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                      月曜日は、母がデイサービスに行く日で、一週間で唯一休息が許される日である。

                       

                      だが、実際には、休息などない。やることだらけで休息の仕方を失ってしまった。

                       

                      体調も年中無休で絶不調。耳鳴りは5年以上、365日、1秒も止むことはない。

                       

                       

                      日常って何なのか。毎日同じ絵を見せられているかのような日々が日常になった。

                       

                      毎晩、恒例の悪夢にうなされ目覚めると耳鳴りが激烈に頭蓋骨内で爆裂している。

                       

                      まあ、気が狂いそうになる。でも、もう5年も続けているとそれが日常の一部だ。

                       

                       

                      便宜的に日常という言葉を使い。自分の中で無理にでも納得させていかないとね。

                       

                      生きていられないのだ。何しろ、休息などないのだから。睡眠が休息にならない。

                       

                      まさに睡眠負債でとっくに自己破産しているだろう。体も心も。生活にならない。

                       

                       

                      もう思い出せないくらいに、『どこか』に行っていない。旅行も行楽も、無縁だ。

                       

                      楽しいこと。思い出せない。そんな暇ない。そんな余裕ない。ナイナイ尽くしだ。

                       

                      これは、嘆きじゃない。嘆いても意味がない。見失わないための自己対峙である。

                       

                       

                      社会のせいや何かのせいにするのは実に簡単なこと。自分を棚にあげられるのだ。

                       

                      だが、現実として、介護や貧困という問題はこれから更に根深い問題になること。

                       

                      政治家さんは、お金があるらしく、その辺のことには疎く、都合よく改定をする。

                       

                       

                      なんて、戯言を吐露して、今日も1日が始まって、まだボクは生きているようだ。

                       

                      戯言を吐露するのもここしかないので、1年以上、溜めに溜め込んでいただろう。

                       

                      だが、もう吐くものもない。胃液しか出ないのだ。なので、とりあえず黙ろうか。

                       

                       

                       

                       

                       

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